刀を納めた大国
2015年 9月27日 中国 北京 中南海
「ロシアが一時停戦の申し入れを?本当か?」
「ええ。中立国にて協定を行い、停戦合意を求めるように声明を送ってきています」
「協定の場所は?」
「インドネシアかスペインを予定しているとの事で、追ってロシア政府が声明を送ってくるそうです」
中国共産党本部のある北京中南海では、国家首席である周銀平が臨時的ながらも復旧された官邸の中で補佐官が告げた言葉に反応する。中国が朝鮮半島を完全占領して二日が経過した今、ロシアが一時停戦を求めて来たのだ。
「とりあえず臨時に中央政治局常務委員会を招集しろ。今後の対ロシア停戦協定についての意見を聞こうと思う」
「了解です」
補佐官はそういって退室していった。ドアの隙間から特警隊員の姿が見え、直ぐにドアは閉められた。秘書がちらりと周銀平の方を向く。
「主席、今回の停戦は我が国にとっても有効な準備期間だと思います。停戦をしているうちに経済基盤をしっかりと建て直し、朝鮮半島とモンゴルの軍備にも気を配るべきです」
「私はそのつもりだよ。ロシアは経済的に苦しいだろう。罠ではないはずだ。だが、万が一のときのため協定の時は私に特警の護衛をつけてくれ」
◇
同時刻 ロシア モスクワ クレムリン大宮殿
クレムリンの大統領官邸の中では頬杖をつきながら水差しで水を注いでいるラスプーチンが机についている。すると、ドアを開けて二人の補佐官が入室してきた。
「仲裁国から通達です。仲裁国はスペインで、インド洋沖にて強襲揚陸艦「ファン・カルロス」の艦内で極秘に会合を行うとのことです。会合の日にちは10月2日午前十時から、アメリカの空母艦隊に護衛を受ける中での会合です。仲裁権はスペインにあり、アメリカは口を出さないと言うことです」
「わかった。10月2日、インド洋沖での会合だな?」
そう聞いたラスプーチンは水を飲んだ後に溜め息を吐いた。
「ええ。我が軍の艦は出ることができません。ですが、アメリカの空母艦隊がいるので邪魔は入らないでしょう」
「国連の安全保障会議で国連が我が国の侵攻を追及してくる可能性があります。核を使用したのは中国のみなので我が国よりは中国が諸国の非難を受けるでしょう。大統領の核を使わないという方法が功を成しましたね」
「ああ。核は・・・まあいい。我が軍の戦果と損害を教えてくれないか?」
「すみません。プリントを取りに行かせていただきます。失礼します」
そういった補佐官の一人が退出していった。残った一人の補佐官がラスプーチンをちらりと見ると、ラスプーチンと目が合った。補佐官の上腕頭筋と肩の筋肉が緊張で震える。
「すまんな。戦果や損害の事を聞かれるとは思わなかっただろう」
「い、いえ・・・こちらこそ用意しておかずに申し訳ございません。反省致します」
「いや、別にいいんだ。ただ、あまり水を飲むと下痢になるからやはり控えた方がいいのだろうかな・・・」
「は、はあ・・・」
ラスプーチンは指を鳴らし始める。そうこうしていると、緊張を通り越して青ざめた顔つきでラスプーチンの話を聞いていた補佐官の後ろからプリントを持ったもう一人の補佐官が現れた。
「失礼致しました。それでは、戦果及び被害の報告をさせて頂きます」
「頼む」
「まず、中国海軍の056型コルベットを一隻とミサイル艇十隻以上を撃沈、その他に人民連邦の残党と思われる部隊の襲撃で中国補給艦『千島湖』と056型コルベットが一隻沈没、フリゲート一隻とコルベット一隻が損傷した模様です。そして、中国空母『黒龍江』はカタパルトの故障を起こしたらしく、ここ最近は大連のドックに停泊しています。中国陸軍は我が軍が占領した元北朝鮮の羅津西方三百キロに東海10型巡航ミサイルを配備しており、アムール川にも防衛線を張り我が軍とのにらみ合いを続けています。中国軍の死傷者は推定で三十万人、内四割は黒河市での核爆発による死傷者です」
ラスプーチンが唸り、補佐官がホチキスで止められたプリントを捲った。
「本当に中国は加減を知らないな・・・三つの核爆発による放射線被害等はどうだ?」
「放射性物質はかなりの地域に飛散していますが、偏西風の影響でほとんど日本に流れています。致死量ではありません。ですが、黒河市での核爆発での放射線がウラジオストクやユジノサハリンスクに到達していることが確認されています」
「そうか・・・」
「我が軍の海上戦力の損害は空母『ノボシビルスク』の甲板が大破、巡洋艦『ヴァリヤーグ』がウラジオストクで大破着底、『グローム』『アドミラル・ラーザリェフ』が小破し、駆逐艦一隻が損傷、フリゲート二隻沈没、原子力潜水艦一隻が暗礁に艦体を擦って損傷したというものです」
「航空機の被害はBe-200が一機、戦闘機三十一機、攻撃機十八機、爆撃機六機、その他の機体が十数機地上にて破壊され、更にIl-38の一機がカムチャツカ半島沖でパトロール中に消息を絶ちました」
「陸戦力での被害は中国領での戦闘で約三千七百人、戦車八十九両、車両二百六十二両、ヘリコプター四十三機で、人民連邦での戦闘にて約八百人、戦車四十一両、車両六十八両、ヘリコプター八機です。戦死者の遺体回収の目処は立っておりません」
「うむ・・・」
決して少なくない被害を耳にしてラスプーチンもうつむく。世界最強レベルの大戦力を有するロシア軍でもここまでの損害を被れば戦闘力に陰りが出てくる。それに、ロシアは経済制裁や原油安の影響で財政的な問題もあるので、戦力の建て直しの為に停戦を決意したのだ。
「我が国の財政難の要因でもある原油安の原因はアメリカのシェールガス需要の拡大と、産油国の減産見送りだな?さて、どうするべきか・・・原油価格は年々値上がりしていっているがまだまだ先行きは不透明だ。経済発展の期待できる国に資源や製品を売り込むしかないな」
「大統領、アメリカが『ロシア大統領は国連安保理に出席すべき』との声明を既に送ってきています。これについては如何なされますか?」
「国連安保理には出席するよ。すべてを話してやる。ところで、SLBM『バルク』の生産中止命令は生産ラインに届いたか?」
「ええ。施設は六時間前に生産を中止しています。キーロフの生産施設では『ブラヴァ』や『イスカンデル』の生産を開始させる予定です」
ラスプーチンは何回か頷いた。
R-40「バルク」SLBMは開発中止後に再び開発されて少数配備され、原潜「ペンザ」から発射された二十四発の「バルク」は北京に大きな損害を与えるなどの戦果を上げたが、それは奇跡といっていいことだった。何故かと言うと、「バルク」は一万六千キロという北極海から動かずに全世界を狙える長射程を誇っているが、発射テストを二回しか行っていなかった。べーリング海からノヴァヤゼムリャ島の試験場に発射された「バルク」のテストは二回とも失敗に終わっていたが、実用性に白黒をつけられないまま急遽中国との戦争に投入された。攻撃が成功したのは目標まで二千キロという短い距離であり、トラブルが起きそうな固体燃料が燃えきる前にロケットを切り離したからだ。だが、長射程を満足に生かせない上に多額の開発費をかけて開発された「バルク」に存在意義はなく、より小型の「ブラヴァ」に活路が見いだされ「バルク」の生産は中止に追い込まれてしまったのだ。
結局ラスプーチン大統領が生産中止命令を出し、「ペンザ」搭載の二十四発と予備四発を残して「バルク」の生産は中止された。今の相手は中国であり、優秀な「R-30ブラヴァ」のほうがよほど有効と判断されたために「R-40バルク」は無用の長物と成り果てたのだった。
「『アクーラ』級五番艦の近代化改修が完了し、再就役次第『ブラヴァ』を搭載させる予定です。ですが六番艦は近代化改修未完了のまま退役予定で、『デルリフィン』型五隻が代わりに戦略任務に就いています。『デルリフィン』級のうち二隻は『ブラヴァ』の搭載が可能なように改修を行う予定です。なお、『ワルシャワンカ』級潜水艦『クラスノダール』が就役し、予定通り十二月に我が軍の『ワルシャワンカ』級潜水艦一隻をチュニジアが購入することに決まりました」
「そうか。我が軍のその・・・ワルシャワンカ級の配備数はこれで三十隻ぐらいか?」
「いえ、修理中の三隻が除籍されたために二十五隻になりました」
「ワルシャワンカ」級、NATOコード「キロ」級潜水艦の建造数はロシア本国向けだけでも三十隻を越え、輸出用も含めれば五十隻近い。基本設計が優秀で建造費用が安く抑えられ、それでいて静粛性が高いので数多くの国家がキロ級をロシアから購入して配備し、今や大ベストセラー潜水艦となっている。その性能の高さ故、今でもロシアの兵器輸出の目玉であり、本国向けの建造も三十年近く継続されているほどだ。
「中国・・・前まで我々の支援無しにはろくに力も付けられなかった国家が我々と肩を張るほどまでに肥大化し、あまつさえ戦争まで起こすとはな。文化大革命を生き延びた共産党の高官の子女、太子党や『一部の人間が豊かになる』という闘争本能的思想があの国を無理矢理に発展させたのだろうか・・・」
「ええ。とても厄介ですね。それにしても、我が国に中国を完膚なきまでに叩き潰す余力が無いのは歯痒いものです」
「我が国が大量に保有する核を撃ちまくれば中国全土を兎や蟹や女の横顔が彷徨くような月面に変えられるが、それは世界が許さないだろう。いくらなんでも世界を敵に回したくはない」
ラスプーチンはそう呟いて再び水を飲み始める。核を使用してしまったら報復の連鎖が始まり東アジアが焦土と化してしまうのが目に見えているからだろう。ただ、中国も黒河市以来核を使用していないところをみると、お互い躊躇いの心があるに違いない。
◇
2015年 10月2日 インド洋 モルティブ諸島南方二百キロ
南国の美しい海上を航行するスペインの強襲揚陸艦「ファン・カルロス」の甲板に中国のZ-8ヘリコプターが着艦すると、中華人民共和国の国家主席である周銀平が多数の護衛役や側近とともにヘリから降りてきた。
今日は中国、ロシア両首脳が集結し、最終的には中露戦争に終止符を打つための停戦協定が締結される予定だ。停戦の仲裁はスペインが担当しているが、ロシアはEUの主力であるイギリスやフランスの介入を嫌がりスペインのみを中立国に選んでいる。
「周主席、『ファン・カルロス』にようこそいらっしゃいました。格納庫に会合の席を用意してあります」
「この度はご厚意感謝致します。中華人民共和国国家主席の周銀平です」
周銀平が案内人に挨拶を返し、そのまま艦橋に入っていく。中国共産党の高官の一人が海を見渡すと、水平線の上をアメリカ軍の原子力空母が航行しているのが目に入った。随伴のスペイン軍のイージス艦「アルバロ・デ・バサン」も「ファン・カルロス」のすぐ側を航行し、インドの駆逐艦「タラギリ」「サヒャドリ」なども加わっているが、その向こうにはアメリカのイージス艦が艦隊を取り囲むように航行している。
「こうしてみると美国の手のひらに踊らされてる気分になるな。たしかに護衛は頼もしいが我が軍じゃないのが玉に傷だ」
「まあな。美国が自らを『世界の警察』と豪語しているだけある。そりゃそうと、凌関越氏の姿が見えないな。中央政治局の常務委員だった筈だが・・・」
「知らないのか?関越氏は主席に不信を変われて地位を下げられたって話だぞ」
「そうなのか・・・まあ、若かったというのもあるのだろう・・・四十七歳で常務委員になったからな。他の委員より金も貰えず、資産の大部分も凍結されていた。いつしかすっかりやる気をなくしていたら地位を下げられていたっていう話だ」
「いや、違う。噂によると関越氏は主席を・・・いや、やめておく」
立ち話をしていた高官がそういって後ろを振り向くと、特警隊員の一人が彼を睨み付けている事に気付き、高官は急いで艦橋に駆けていった。