赤に染まる春川
2015年 9月25日 AM9:56 春川市
「はっ!?」
春川市の半壊した住居の居間で、熟睡していたダニエル・ボロディンは突如轟いた砲撃音に目を覚まして跳ね起きた。
あのまま睡魔に負けて眠りについたあと、そのままずっと熟睡していたらしい。血溜まりに置きっぱなしだった95式小銃を拾い上げ、辺りを見回す。十六時間前と全く変わらないままの死体が散乱している。我ながらこの耐えがたい血の臭いの中でよく十六時間も眠れたなとダニエルは思った。
ふと、乾いた血の臭いに小さい頃動物の解体を体験した感触を想起し、気持ち悪くなったかと思うとダニエルは一気に内容物を吐いてしまった。
手袋で鼻を押さえながら立ち上がり、小銃を肩に掛けて人民連邦兵の死体を踏み越えると、洗面所から物音が聞こえた。
「誰だ!?」
TT-33トカレフを構えながら洗面所のドアを開く。そこでは北朝鮮側と韓国側の兵士がお互い刺し合ったのだろうか、二人の人民連邦兵の死体が散らばっており、あちこちに血だまりが出来ていた。
突然猫の鳴き声が聞こえ、反応して浴室のドアにトカレフを向けると、洗濯機の影から猫が現れてダニエルの足にすりより、足の匂いをかぎはじめた。
「何だ、猫か・・・」
とは言っても猫が足にすりよっているとどうにも動きにくい。しばらく猫の気の済むまでその場でじっとしていると、戦車砲の音が聞こえ、唐突にAAV-7の砲塔が風呂場を突き破って落下してきた。
天井の欠片と人民連邦兵の下半身が転がり、猫が驚いて飛び退く。AAV-7の砲塔はAPFSDS弾に抉られた跡があり、焼けた肉がこびりついている。ダニエルは天井がなくなって雨が降り注ぎ始めた風呂桶から外の様子を伺うと、中国軍の99式戦車が人民連邦兵に機銃を撃ちながら倒れた人民連邦兵を踏み潰していくのが見えた。
すると突然木の上からロープで繋がった砲弾が落下したかと思うと、99式戦車が吹き飛ぶ。そして、草むらに潜んでいた人民連邦兵達が中国兵に奇襲攻撃をかけはじめる。特殊部隊か何かだろうか。そう思っていると、迫撃砲の砲撃を受けて人民連邦兵達が飛び散り、一瞬で彼らは壊走し始めた。
ダニエルは洗面所に戻る。猫はどこかに逃げてしまったのだろうか、洗濯物を入れたかごが倒され、人民連邦兵の死体のみが転がっていた。
洗面所のドアを閉めて居間に戻ると、ヘリコプターの音と銃撃音が聞こえ、ハングルの悲鳴が響いた。
「95式の残り弾薬は百四十三発、トカレフは二十二発か・・・まだ別のに変える必要は・・・」
『そっ、そこのあんた!!助けてくれ!!』
「うわっ!?何だ何だ!!」
悲鳴を尻目に弾薬の確認をしていると、突然三人の中国兵がダニエルに助けを求めながら武器も持たずに洗面所のドアを開けて居間に逃げ込んできた。だが、後ろから数発の弾を撃ち込まれて彼らは三人とも倒れる。ダニエルは95式小銃を向けようとしたが、銃に中国兵を射殺した人間が撃った銃弾が命中して撃つことができなかった。そんなダニエルに防弾ベストとMP5サブマシンガンを持った人民連邦兵が一気に詰めより、ダニエルの銃を奪い取ってダニエルを床に叩きつけ、額を踏みつけてダニエルの意識を飛ばした。
「!!」
「・・・起きたか。さっきロシア語で叫んでいたから怪しいと思ったが・・・お前、ロシア人だろう?」
ふとダニエルは目を覚ました。これまで何回こうやって跳ね起きただろうか。そんなダニエルの目には、重装備を纏った人民連邦兵の姿が映っている。MP5を片手で下げている人民連邦兵はロシア語で話しかけてきた。
「・・・な、なぜロシア語を話せるんだ?」
「指導者を務めているよしみだよ」
ダニエルは後ろ手を縛られて拘束され、血のついた壁によりかかった状態になっている。外の方で散発的な銃声が轟く。ふと、目の前の人民連邦兵がバラクラバとゴーグルを外した。その人民連邦兵は侵攻前に見せられた写真に写っていた安今龍の顔をしていた。
「お、お前は・・・安今龍か!!」
「その通りだ。ロシア人でも俺の顔を知っているものなんだな。嬉しい限りだよ」
ダニエルは驚愕した。あの人民連邦の指導者である安今龍がダニエルを一瞬にして倒して拘束していたのだ。安今龍が演説を行っている写真に映っていたときはただの高級将校にしか見えなかった。
「お前は何故中国軍の格好をしている?」
「・・・人民連邦に侵攻したときは戦車隊長だったんだが、中国の攻撃で率いる部隊が全滅してしまった。そしてうろつくうちにここにやってきたんだ」
「そうか。ようこそ春川市へ」
「人民連邦の指導者がなぜこんなところで戦っているんだ?」
「ロシア人のお前には教えてやってもいいだろう。なぜ俺が人民連邦を設立したか、分かるか?」
「・・・国土防衛の為か?」
「端的に言えばそうなる。だがな、違うんだ」
安今龍はそういってから乾いた音を出して咳き込む。そして手のひらを見て一瞬目を見開いたが、すぐに何食わぬ表情に戻った。
「朝鮮半島が中国に核攻撃を受ける前、かつての北朝鮮軍がソウルを占領したことを覚えているか?」
「ああ。核の光にかきけされて忘れかけているが覚えている・・・」
「当時の北朝鮮はな・・・世界の国々による制裁によりもともと不全だった国家が更に困窮した様相を呈していた。平壌では北朝鮮の将軍が部下たちの機嫌を取るために金を湯水の如く浪費していたし、政治には拙劣・・・いや、自分たちだけが生き残るために豪華な暮らしをしていたんだな。それで奴等は人民が不信を募らせている事に対し、人民の目を剃らすために朝鮮半島の統一という悲願達成の公約を掲げてソウルに侵攻したんだ」
「そのあとは見ての通りだよ。領土拡大を目論む剣呑な中国が二大都市に核攻撃を行い朝鮮半島の国家機能をかきけした。そこにお前の祖国も飛び付いてこの戦争が起きている。確かに中国の犯した罪は重い。だが、その原因を作ったのは北朝鮮なのだ。そこで俺は北朝鮮を覆いつくした韓国主導の新国家を設立しようとし、人民連邦の設立を宣言したんだ。あえて人民連邦と言う名にすることで北朝鮮側の人間の仕業だと思わせられることも出来るかもしれないとも踏んでいたな。北朝鮮の高官も生き残っていたが司令部の中に入れることはしなかったししたくもなかった。俺の我が儘だがな。あの演説もほとんど建前だ。それでも人民連邦の兵士はよく戦ってくれた。韓国側の燃料を北の奴等にも提供したから士気も非常に高かった。閉鎖された空間の中で権力を持った人間がいると皆そいつに着いていくという人間の特性は1970年代にカリフォルニアのスタンフォード大学の実験で実証されている。だから彼らは俺をあそこまで慕ったんだ。それを抜きにしても、個人的な感情こそあっただろうが故郷を守る心は北も南も関係無かっただろう」
「・・・そうだったのか」
「まあ、中国の軍備が強大なのはよく分かっている。俺たちが抵抗したところで奴等を止められないのも必然的だったが・・・だが殺されるのなら最後まで抵抗するのが普通だろう。せっかく命を授かったのだから希望を捨てずに足掻こうとした奴等を率いて俺は戦っていたが・・・部下のほとんどが死んでしまった。そして俺もこのざまだ」
安今龍はそういってダニエルに背中を見せる。その背中には幾つもの榴弾の破片が突き刺さっていた。北朝鮮の砲撃でやられたのだろう。安今龍は唐突にむせこむと、黒い血を吐きはじめた。
「死体を見て吐いている軟弱な兵士も居たりいろいろと練度に問題はあるが、中国は強力だ。お前たちも舐めてかかると痛い目に会う。まあ、奴等は核を使用したからな・・・国際的に孤立するだろう。この朝鮮半島が奴等を陥れる餌になったわけだ。それだけでもよしとせねばな・・・」
「・・・・・・」
「いいか。お前はロシア人だろう。中国軍と共に戦っているようだが、絶対に死ぬな。お前は今、お前の祖国の為に戦ってはいない。こんな半島で死体を晒すな。ロシアの為に戦ってから死ね。いや、死ななくてもいい。生き延びて家族の元に帰りついてやれ。こんな僻地で死体を晒すのは親不孝というものだ。まあ、ロシア人にとっては僻地でも俺にとっては大切な故郷だがな・・・」
「破片が刺さっているが・・・大丈夫・・・か?」
「この傷なら無理だな。この傷なら俺はまもなく死んでしまう・・・」
そういった安今龍はよろついた動きでダニエルの拘束をとき、突然膝をついた。解放されて立ち上がったダニエルは安今龍の側に歩みより、安今龍に肩を貸してやる。安今龍の言葉を聞くうちにダニエルは叔父のような雰囲気の彼に対する親近感を覚えていたのだった。
安今龍を近くで見ると戦っていた時とはうってかわって案外老けていた。しわやしみも増えた中年の、それでいて鍛えられた頼もしい顔立ちをしている。安今龍はハングルで何かをいったあと、痛みに顔をしかめた。
「ロシア人よ・・・ここから東方に進めば海岸がある。その北側、三十八度線の少し南側の沿岸に隠しドックがあるんだ。そこに北朝鮮の半潜水艇がある。それでロシアに帰るといい」
「半潜水艇?」
「安心しろ。奴等の半潜水艇は中々の乗り心地だ。スペースも広い。ロシアについたらお前の降格は避けられないだろうが、死ぬよかましだろう?」
「あ、ああ・・・そのとおりだ」
「朝鮮半島北東の羅津港に辿り着いて降りるのがいいだろう。あそこはロシアが占領している。我々人民連邦の残党に狙われるかもしれんが大丈夫だろう」
安今龍はそういって血を流したままがくりと項垂れる。ダニエルは安今龍は死んだのかと冷や汗をかいたが、安今龍はまだ荒い息をしながらも生きていた。
「ロシア人、頑張れよ。達者でな・・・出来ることなら俺を楽に殺してくれないか?」
「・・・わかった。すまないな・・・」
「俺は朝鮮半島に生まれて良かった・・・国土こそ蹂躙されたが誇りが消えることは永遠にない・・・」
ダニエルは体に吊っているマチェットを抜き、しっかりと双膀を閉じた安今龍の喉にマチェットを叩き込んだ。安今龍の体が一気に脱力してダニエルの手からずり落ち、床に転がった。乾いた血が再び飛び散った血に潤され、臍の尾のようにスリングで繋がれたMP5A3が安今龍に倣って床に落下する。安今龍の表情は柔らかく、血が口から吹き出ているのを除けば優しい表情に見える。
ダニエルは何も言わずに立ち上がり、死体を仰向けに転がして手を合わせてやった。
「・・・・・・」
すると先程の猫が現れ、安今龍の死体にすりより、にゃあにゃあと悲しく鳴き出す。所縁があるのだろうか。ダニエルは鳴き声を聞かないように耳を塞ぎながらマチェットと小銃を抱えて死体だらけの家を飛び出した。
この一時間前、中華人民共和国は春川市を完全占領し、人民連邦指導者の安今龍を殺害したという旨の声明を発表した。
その時安今龍は死亡していなかったが、中国軍は彼を殺害したと嘘の発表をしていた。だが、そのすぐ後に安今龍は中国兵の格好をしたロシア人に殺害されたのだった。
中国軍は多大な犠牲を払いながらも朝鮮半島とモンゴルを占領し、東アジアの勢力図を大きく塗り替えた。だが、中国は得たものも大きいが犯した罪も大きい。国際社会は何を思いながら中国と向き合うのだろうか。バブルで潤う中国は軍事費を増大させ、内陸からの志願兵も殺到している。
これに対し、ロシアはルーブル暴落による経済問題により困窮し、思ったように動くことが出来ていない。
一時的ながらも中国とロシアはお互いにぶつかりあう気力を失ったのだった。




