烈火の荒海
「総員最上甲板!!総員最上甲板!!艦後部に移動しろ!!」
「リブを引っ張り出せ!!他にも浮きそうな物を海に投げ込む準備をしておけ!!」
純白の艦体にところどころ孔を穿たれ、煙を吐きだしている中国海軍の056型コルベット「大同」は全速で人民連邦軍のフリゲート「金剛山」に対して体当たりを行おうとしていた。
艦内では乗員達が急勾配のラッタルを登り、防水扉を閉めて艦内閉鎖を行いながら甲板へとかけ上がっていく。
だが、艦最下層に位置する機関部では、未だに乗員達が奮闘していた。
機関が唸りを上げて鳴動する機関室ではブザーがなり響き、天井中を伝う配管からは煙が漏れ出していた。そのせいで乗員達はガスマスクを装備しているが、酸素が足りなくなってきている。
「機関長、総員最上甲板命令が出ました!!」
「そうか・・・なかなか我々のことを考えてくれる艦長じゃないか。よし、お前達は先に甲板に出ろ!!」
「機関長も御一緒に!!」
「いや。俺はこいつの面倒を見ておかなきゃいかん。いいから先に行ってろって」
機関長が優しく微笑みかける。もう何を言っても無駄だとさとった乗員たちは、敬礼を行ってから防水扉から次々と退避していった。
防水扉が閉まる大きな音が聞こえ、ラッタルを登っていた乗員が振り向く。どうやら機関長は内側から鍵を下ろしてしまったようだ。
「すげえなあ・・・俺にはあんな真似は出来ないよ・・・」
「すみません、機関長・・・」
ラッタルを登り終わった乗員が呟く。彼らはうつむいたまま、防水扉を閉めた。すると、爆発音が響き、艦内が激しく振動する。フリゲートに砲撃を受けているようだ。
「砲術士殿!!あのコルベット艦の進路がおかしいです!!」
「何・・・まさか、体当たりする気か!?」
懐文は三百メートル先にいるフリゲート「金剛山」に黒煙を吐きながら狂ったように突っ込んでいくコルベットを見据える。「金剛山」の百ミリ砲を喰らってコルベットのマストがへし折れ、煙突からは真っ黒な煙を吐いていた。部下たちが機関砲の弾を装填する。
上部の射撃要員達が二十五ミリ機関砲を撃ち始めた。無数の砲弾が白い艦体に突き刺さっていく。
「目標五時、撃て!!」
三十七ミリ機関砲が発射され、穴だらけの056型コルベット艦に三十七ミリ砲弾を全力で叩き込んだ。
「艦長、本艦の被害甚大です!!」
「舵が・・・舵が効きにくい・・・」
「頑張れ・・・この艦が体当たりできればあのフリゲートを沈められるんだ・・・!!頑張ってくれ!!」
056型コルベット「大同」の艦橋内部では右足と両手を吹き飛ばされた艦長が血塗れで指揮をとっている。
砲撃を受けた艦橋内部はめちゃくちゃになっており、息をしている人間の数が一人、また一人と減っていく。だが、「金剛山」との距離も近くなり、「金剛山」搭載の百ミリ単装砲と五十七ミリ連装機関砲は弾薬が底をついたのか、一発も弾を撃たなくなった。
「艦長、衝突します!!」
そう叫んだ航海士がゴルフボールほどの血の塊を吐いたが、未だに残った片手で舵を握っていた。
「総員・・・衝撃に備えろ!!」
「いけええええっ!!!」
直後、物凄い衝撃が艦内を襲い、艦内にいた人間を床に打ち倒した。甲板にいた乗員達も衝撃で海に投げだされ、リブ、ボート、段ボールや救命胴衣とともに落下していった。
「総員退艦!!総員退艦!!直ちに艦から遠くに離れろ!!」
「艦長・・・やりました・・・!!敵フリゲートが傾斜しています!!沈没する模様!!」
大腿骨を露出させて床に倒れている副長が痛みを忘却し、興奮のまま叫ぶ。艦長も安堵のため息を吐き、壁によしかかった。艦内には乗員達の死体が散乱し、常人なら即座に嘔吐してしまうような血生臭い臭いが充満している。
総員退艦命令が出され、未だに艦にいた乗員達が海に飛び込んでいく。すると、先程とは比肩の仕様がない程の衝撃が艦内を襲い、血を吐きだして舵を血に染めてなお立ち尽くしていた航海士が倒れて絶命した。
どうやら温度と圧力に耐えられなくなった機関部が爆発を起こしてしまったようだ。艦内閉鎖も虚しく、浸水を起こして艦が傾斜していく。副長は配管に頭を打ち付けて気を失っている。それを見て脱力した艦長はそのまま床に倒れ込んだ。
「アドミラル・ネルソンの時代に逆戻りしたみたいだ・・・対艦ミサイルを積んどけば良かったなぁ・・・」
艦長はその様な独り言を呟く。軋む金属音と、フリゲート「金剛山」から退艦する人民連邦兵達の叫び声が聞こえてきた。「金剛山」の傾斜が激しくなり、人民連邦の乗員達が必死でお互い叫び合っている。
056型コルベット艦「大同」に体当たりを受けた人民連邦のフリゲート「金剛山」は左弦に巨大な孔を穿たれ、沈没は時間の問題となっていた。
粗悪な材質で建造された「金剛山」は艦内閉鎖すらもままならず、総員退艦命令までも出されていた。乗員たちが海に飛び込んでいく。「金剛山」は沈没への道を歩んでいくが、コルベット「大同」も機関爆発の影響で沈み始めている。
「まあ・・・敵艦一隻撃沈ならまだ良い方だろうな・・・」
浸水していく艦内が右に傾き、航海士の死体が血の線を引きながらずるずると滑り降りていく。アクリルガラスの破片が艦長の顔に幾つか当たった。
『こちら駆逐艦「昆明」。「維坊」「海口」病院船「和平方舟」を伴って現場に急行中。そちらの被害状況及び敵勢力を知らせよ』
『こちらはコルベット「営口」、砲撃を受けて戦闘不能。補給艦「千島湖」は無傷、フリゲート「連雲港」は損害を受けているが航行可能。コルベット「大同」は沈没。敵勢力は上海II型三隻及び「羅津」級フリゲート一隻を確認、うち上海型とフリゲートを一隻ずつ撃沈している・・・』
太陽磁気嵐も終息を迎えたのか、味方の無線が飛び込んできた。フリゲートは撃沈出来たが、小型艦である上海型は全部撃沈出来ていないようだ。
「ちくしょう、上海め・・・許しがたいなあ・・・もう上海には行きたくなくなるな、こりゃ・・・」
艦長はそんな独り言を呟く。傾斜が八十度近くになり、艦長はずるずると艦内を滑っていったあと、海面に落下していき、小さな水柱を残して海原に吸い込まれていった。
傾斜に耐えられなくなった「大同」も後を追うようにぐるりと横転し、自ら潜るように海中に消えていった。
「見ろ、中国艦と『金剛山』が沈んでいくぞ!!」
『こちら上海一番艇!!無線が回復した!!早速だが二番艇と「金剛山」がやられた!!』
「三番艇了解!!敵の増援が来ないうちに補給艦を叩くぞ!!」
海上を疾走する人民連邦所属の上海II型警備艇の艦橋で艇長が無線機で僚艇との連絡をとっている。上海II型は船体が小柄であるため、搭載出来る弾薬が少ない。そのせいで、各機関砲塔の残存弾薬が底をつきかけている。すると、拡声器を持った艇長が艦橋から現れた。
「こちら艇長、各機関砲塔の残存弾薬量を知らせてくれ!!」
「一番三十七ミリ砲の残弾数十二発です」
「二番二十五ミリ機関砲の残存弾薬残り・・・えーと、二十九発ですね」
「同じく三番、残弾六、いや、七発です」
「四番砲塔の残弾は十発になってます」
「艇長了解!!逃走を図った中国軍の補給艦を追跡し、残弾を全て叩き込め!!是が非でも補給艦を沈めるぞ!!」
艇長が上部から拡声器でそう叫ぶ。
「目標の補給艦は我々の前方三キロで逃走を続けている。奴等の防御兵装を叩き潰し、艦体を食い荒らして海原に沈めてみせるんだ!!第一対艦戦闘準備始め!!諸君の戦いぶりこそが亡き将軍様の為の鎮魂歌になる!!」
「了解!!」
艇長の訓辞が再び響き、懐分を含む全ての乗員達が艇長と国旗に敬礼を行った。今の彼らの目標は前方で巨体を幽かに見せる補給艦「千島湖」のみであった。
懐文の部下が三十七ミリ砲弾にペンで「偉大なる将軍様を殺した鬼畜中国人への無慈悲な怨弾」と書き込み、懐文も隣の砲弾に「俺の家族を殺した者へ降り下ろす鉄槌」と書き込んだ。
すると、他の射撃要員達も砲弾にそれぞれの思いや願い事をペンで書き込み、そして五発連結された砲弾を鋼鉄の薬室に押し込む。そしてレバーを引いてハンドルを何回か回した部下が懐文の方を振り返った。
「砲術士殿、どのような命令でも必ずこなして見せます!!ご安心ください!!」
「ああ・・・お前達のような部下を持って幸せだよ、俺は・・・」
懐文が嬉しそうな表情でそういう。すると、風切り音が轟き、海面に幾つかの水柱が上がった。
「撃ってきた!!」
「三十七ミリ砲だ!!数発命中したら沈んじまうぞ!!」
取り舵を切って艇体が左に曲がり、さっきいた場所に水柱が上がる。左側にいる味方の上海II型の回りにも水柱が上がった。
「まだ撃つな!!十分接近したらありったけ叩き込め!!」
「おい、中迫!!将軍様の御写真を防水ケースに入れて御守りしろ!!」
懐文が部下にそう叫ぶと部下が額縁に納められたキム将軍の顔写真をポリエチレン袋に入れて口をしめ、さらに防水ケースに入れて鍵を下ろしたあと、ポリエステル袋に入れて保護した。
「目標までの距離一キロ!!」
上海型のマストを飛来した三十七ミリ砲弾がもぎ取り、左弦の船体の一部を手すりごと吹き飛ばされ、懐文の頭に破片が命中した。
「距離五百メートル!!射撃用意!!」
「うわあっ!!」
直後、艦橋に数発の三十七ミリ砲弾が命中して艦橋が大破してしまう。その衝撃で艦橋上部にいた艇長が懐文の側に落下した。
「艇長!!大丈夫ですか!!」
「怯むな!!距離二百!!各砲塔は速やかに射撃を開始しろ!!」
「了解!!」
あわてて駆け寄った懐文が艇長の手を取って立ち上がらせる。懐文の頭から血が流れてくるが、目の前に大きく映る補給艦「千島湖」を見据えながら懐文は叫んだ。
「撃て!!!!」
そして三十七ミリ機関砲が猛烈な振動と爆炎と共に連続発射され、補給艦「千島湖」の艦体を貫いた。上部にある二十五ミリ機関砲や前部にある三十七ミリ機関砲も射撃を行い、「千島湖」に次々と有効命中弾を与えていく。
「チャンケ野郎め!!死んじまえ!!」
「燃料に引火させろ!!将軍様の仇だ!!」
だが、「千島湖」が装備している三十七ミリ機関砲も上海II型に対して多数の砲火を浴びせかけ、三十七ミリ砲弾が上海の艦首で炸裂し、前部の三十七ミリ砲塔ごと艦首が切断されて海に消えていった。
砲弾が飛び交い、双方が弾丸を受けて傷付いていく。
ふと、「千島湖」の給油ホースの根本からちらりと焔が見えたかと思うと、たちまち激しいが爆風が音速を越えない爆発を起こして給油ホースを吊り下げている柱がへし折れた。
「補給艦爆発!!やったぞ!!」
「将軍様万歳!!」
上海の甲板で残った乗員達が歓喜の声を叫ぶ。だが、艦首を切断されたためにバランスを取れなくなり、懐文の上海は右側に横転してしまった。
「うわああああ!!」
滑り落ちた部下達が荒波に飲まれていく。その中で懐文はなんとか縁をつかんで体を持ち上げた。
懐文の目にはものすごいガソリン爆発を何度となく繰り返す「千島湖」が見えていた。朝鮮半島を混沌に陥れた中国軍の補給艦が業火に包まれている。これまでで経験したことのない興奮が彼を支配していたが、ついに傾斜に耐えきれなくなって転覆した上海II型警備艇に巻き込まれ、懐文も日本海の海原に消えていった。
二時間後に到着した増援の中国艦隊が目にしたものは、いまだに紅蓮の炎に包まれている補給艦「千島湖」と、目と武装を潰された随伴艦の無惨な光景であったという。
人民連邦軍艦艇の姿は一夜の蜻蛉のごとく海原の藻屑と消え去っており、全ては後の祭りであったのだった。