紅い月
人が独自の意見や思想を持つことは必然的と言える。そして、それらが対立し争いに至るのも必然的かもしれない。
2015年 9月8日 中国時間PM18:53 太平洋上 小笠原上空
夜空の東南の方向には大気の屈折でねじ曲げられ、無理矢理赤色に変換された光をたたえる紅い月が姿を表していた。月は右端が少し欠けている。満月の次の夜、すなわち十六夜月であった。十六夜月は満月よりも月の出が遅い。まさにいざよう月。それが十六夜月と呼ばれる故なのだ。だが、月は高度が上がるにつれ白くなっていくのが普通であり、この高度で紅く光るというのはまずあり得ないことである・・・
そんな夜空に吸い込まれていくように爆音が轟く。上空では航空機の群れが悠々と飛行していた。その飛行機の一機一機には何処までも紅い日の丸が描かれ、紅い十六夜月と比べても遜色ない美しさを放っている。そう、その飛行機は日本国航空自衛隊所属のF-15J戦闘機であった。
先程日本国航空自衛隊のレーダーサイトが多数の未確認機接近を報じ、そのために百里基地から八機のF-15Jがスクランブル発進し、一目散に現場へ急行しているところだ。F-15Jの編隊のすぐ側には、三沢基地所属のF-2戦闘機が四機、共に編隊を組み、多数の未確認機とのコンタクトに備えている。未確認機とは言うが、既にその正体は情報解析によって割れている。未確認機の編成はTu-160爆撃機八機とSu-34戦闘爆撃機六機、という大編隊だ。
普段なら一機やそこらの数で侵入してくるのが普通だが、今回は訳が違う。なにしろロシア軍が温存している音速爆撃機が八機も日本の領空に近付いているのだ。この異例の事態に対し、スクランブル機の他にAWACS(早期警戒管制機)も離陸し、在日米軍も協力して情報提供を行う手筈となっている。
『こちらは空中管制機フォーマルハウト。現在、あと十マイルで当該機の編隊とランデブーする。当該編隊は未だ西南西へと飛行中』
『奴等、あんな数の編隊組んで何処へ向かう?と聞かれたら中国、とだけ答えるのだろうか』
『それは紅いお月さまを見れば一目瞭然だ。中国に決まっているだろう』
『あの月、紅いし大きいし・・・嫌な雰囲気ですね。でも・・・あの高さで紅く染まるのは日食でもない限り理論的に有り得ませんよ。良からぬことが起こるんじゃないでしょうか』
『中共が痛い目にあう吉兆じゃあないのか?』
八機いるF-15J中で後方にいる四機のパイロット達が月を見ながら雑談をしている。
『イリデゼント・リーダーよりイリデゼント全機。未確認機までニマイル。未確認機を目視で確認できる距離に近付いたぞ』
『こちらはカロテン・リーダー。カロテン3及び4が対象機の詳細を目視で確認する』
F-15Jの隊長機がそういうと、三沢所属のF-2の内二機が先頭に付き、ロシア軍の編隊に近付いていく。
『こちらカロテン3。Tu-160八機とSu-34六機を確認。事前情報通りだ。Su-34にはAAM(空対空ミサイル)が装備されている』
『AAMだと?本当なのか?』
『間違いありませんリーダー。R-73とR-77が吊下されています』
F-2のパイロットが肉眼で確認した詳細を伝える。すると、AWACSの野太い声が無線機に飛び込んできた。
『フォーマルハウトよりイリデゼント・リーダーへ。対象機に対する警告を実施せよ』
『了解』
◇
航空自衛隊機の見据える前方には、八機のTu-160「ブラックジャック」音速爆撃機編隊と、その所々にカモノハシのようなボディのSu-34「ブラティパス」戦闘爆撃機が中国の大規模ミサイル基地「連弩」を爆撃するため共に編隊を組んでいた。
紅い月の光が流麗なTu-160の機体に投影され、湖畔に映る名月のようにゆらゆらと煌めく。その横ではAAMを搭載したSu-34がコクピットの灯りを点けて爆弾を満載した親鳥を見守っている。
その大編隊の先頭に位置するTu-160のコクピットの中では、爆撃機隊「インデューク」隊の隊長であるオリディアト・ドルキィが左側に浮かぶ月を見ながらコーヒーを飲んでいた。
「機長、レーダーに機影です!!!数は十二、恐らくは航空自衛隊のスクランブルと思われます!!」
「うわっ、っぁあちいいっ!!!」
ふと響いた副操縦士の大声に驚き、ドルキィがコーヒーカップを落としてしまった。ブラックコーヒーが彼の飛行服を黒く汚し、コーヒーの熱さに対してドルキィが短い悲鳴を上げる。
「自己警戒本能を高めるようなでかい声を出すな!!うるせぇぞ!!」
「機長。スクランブルに上がったと思われる自衛隊機十二機が接近しています」
「まもなく巡航ミサイルの発射地点だ。そこまで進路を保つぞ」
不満げな顔をしたドルキィが副操縦士の報告を聞き、単調に答える。実は「臨照の彗星作戦」に投入された八機のTu-160の内四機はKh-55巡航ミサイルを十二発搭載し、爆撃隊に先駆けて「連弩」をミサイル攻撃する役目を帯びているのだ。太平洋上から発射された六十発のミサイルは地球の自転を利用して射程を延伸し、偏西風の影響が少ない高度四千~五千メートルを巡航しながら台湾を通過して東方向から「連弩」に突入する。ミサイルが到達する前にスペツナズが対空ミサイルを破壊するのが前提であるが。ミサイルがそのまま「連弩」に突入、炸裂し、その後被害を与えられなかった施設を後続の四機が爆撃し、「連弩」を完全破壊するという計画である。
そして僚機からの無線が飛び込んできた。
『インデューク8よりインデューク1へ。自衛隊機からの退去警告を受けています。指示を』
「構わん。インデューク5、6、7、8は巡航ミサイルを発射、離脱しろ!!」
『了解。発射体勢に入り次第発射します』
僚機からの通信が入り、追従してきている四機のTu-160が前に出て、五秒ほどの時間をかけて爆弾倉を開放した。
『巡航ミサイル発射!!』
Tu-160の中肉中背な胴体下が眩耀し、そこから一二発のKh-55巡航ミサイルが立て続けに発射されていく。
スクランブルに上がった自衛隊機もその光景を見たらしく、驚いているような日本語無線が聞こえてきた。
『おい、露助の「ブラックジャック」がミサイル撃ちやがったぞ!!』
『あ・・・あいつら・・・マジで何してんだよ・・・』
『沖縄に突っ込んだりしないよな・・・中国に突っ込む予定なんだろな・・・』
『インデューク5、6、7、8、離脱
。貴隊の幸運を祈っています』
「インデューク1了解。道中気を付けて帰れよ」
そんな会話をした後に、四機のTu-160が反転してメンデレーエフ空港へと帰途についた。それに呼応して四機のF-2も三沢基地に帰投するついでにだろうか、インデューク5、6、7、8を追いかけるように反転していった。
◇
2015年 9月8日 PM19:42 中国南部 ミサイル基地「連弩」司令室内
暗く広い室内にはキーボードを打つ音と作業員の声のみが響いている。
「発射まで六十秒」
「少将、警備隊と連絡がとれません」
「構うな。発射に注力しろ」
少将の階級章を肩に付け、腹が出っ張った指揮官が司令室内の中心で指揮をとっている。その横では、彼の副官である孫鈍白がしきりにミサイルのコースがでかでかと映し出されているモニターを凝視していた。
「発射コースに異常なし。全部隊準備完了です」
ミサイル基地「連弩」では、ロシア連邦のウラジオストクに対してのミサイル発射準備を行っている。中国にとって非常に厄介なロシア極東艦隊の本拠地であるウラジオストクを叩くために十八発のDF-21弾道ミサイルを用いて攻撃を行う予定となっているのだ。
「発射まで三十秒」
「現在の天候は晴れ、雲量は一。風速は一メートルで気圧は千四ヘクトパスカル、高気圧です。二分前に中規模の太陽フレアが観測されていますが、発射に支障はありません」
「現在周囲に敵影は・・・・・・あっ!!巡航ミサイルらしき飛翔体を探知!!数は約六十発です!!」
「ミサイルの速力はおよそ千百キロ!!着弾まで約五十秒と思われます!!」
突然の報告に鈍白は驚くが、少将は発射を押し通そうとする。
「対空ミサイル部隊にミサイルを迎撃するように伝達しろ!!」
「了解・・・・・・うわっ!?」
突如、爆発音が響き、振動が司令室を乱暴に揺らした。
「な・・・なんだ・・・?」
「対空ミサイル部隊との通信途絶!!」
インカムを付けた作業員が少将と鈍白の方向を向いて叫ぶ。
「なんだと!?・・・少将、発射は決行致しますか!?」
「当然だ!!全部隊に速やかに発射しろと伝えろ!!」
少将が叫ぶ。すると、闇に包まれた森の至るところから轟音と共に多数のDF-21が発射され、赤白い炎を噴きながら北東の方角へと飛翔していった。
「着弾まで二十秒!!衝撃に備えてください!!!」
ふと、少将が鈍白の頭を拳銃の尻で殴り付けると、一目散に走り出し、その膨れた体でよくもと思うほどの速さで司令室から逃走した。
「中佐!!大丈夫ですか!?」
「・・・大丈夫だ。畜生、少将が逃亡した!!あの豚め!!!」
頭から赤い血を流している鈍白は怒りを露にし、少将が開けっぱなしたドアを見ながら叫んだ。
「畜生、善人だと思っていたら・・・最後の最後に部下を見捨てるような奴だったとはな」
「中佐!!巡航ミサイル来ます!!」
「くそっ!!衝撃に備えて伏せろ!!或いは手近にあるものにつかま・・・・・・」
刹那、Kh-55巡航ミサイルの一発が司令塔に直撃し、司令塔底部が爆発によって削りとられ、司令塔はなすすべなく崩壊し始める。
「やられた!!崩壊するぞ!!」
「うわああああああ!!!」
鈍白は部下たちと机にしがみついていたが、やがて机ごと窓ガラスを突き破ってアスファルトの地面に落下した。
その間にも巡航ミサイルは降り注ぎ、鑢で軽石を削るように「連弩」の戦力を奪い取っていった。
爆発と立ち上る炎が闇夜を残酷に照らし、さながら仏教の地獄の一つである「大焦熱地獄」のような情景と化していた。
鈍白は辛うじて立ち上がる。左手が麻酔を打たれたように感覚を失っている。左腕を見ると、肘から先が強引にえぐりとられて既に姿を消していた。
ただ、鈍白の怪我はまだいい方であった。鈍白の部下の一人は全身の骨を強打し、さらにひたすら走り続けている猛士に引き潰され挽き肉になってしまった。
ふと、鈍白は見慣れた上官の姿を見つける。炎上している97式歩兵戦闘車の煙を吸ったらしく、肥満体を揺らしてむせこんでいる。彼は、先程鈍白を拳銃で殴打して逃走した少将であった。
鈍白は少将を睨み付け、側に落ちていた95式小銃を拾い上げて少将に向けて構えた。
すると、五両ほど一列横隊で並んでいたDF-21の真ん中にKh-55が着弾し、爆発と共に舞い上がったDF-21の発射車両が少将を歩兵戦闘車ごと圧潰せしめる。すると、鈍白は力を抜いて溜め息を吐き、焼けたアスファルトにへたりこんだ。そんな中、生き残った部下たちが鈍白の元に走りよってきた。
「中佐!!ご無事でしたか!!」
「ああ、大丈・・・夫だ。お前らも生きていてくれたか」
「中佐!!今すぐお逃げ下さい!!ロシア軍の爆撃機が接近しています!!」
そして、焼けかけの鉄のような空に爆音が響く。鈍白が空を見上げると、そこにはロシア軍のTu-160音速爆撃機が爆弾倉を鬼の口のように開き、既に焦土と化している「連弩」めがけて敵を死へと誘う魔弾達を投下しようとしていた。