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中露戦争  作者: 集束サイダー
泥沼戦線
21/55

北京にて

2015年 9月7日 PM18:42 中国 北京市内


日没後約二時間が過ぎて夜のとばりが降り始め、PM2.5によってぼやけた街灯が道路を淡く照らす北京市内の道路を走る一台の車の中では、中国共産党員の凌順がハンドルとシフトレバーを握っている。


彼は今日の勤務を終えて自家用車で帰途についている。だが、家に帰ったところで妻が迎えてくれる訳でもない。そもそも凌順は結婚すらしていないのだ。したがって、家族に振り回されることのない凌順は勤務時以外は自由奔放の身だ。


カーラジオをいじくり、ニュースを聴こうとニュース放送をやっている局へと周波数を変えた。すると、若い女性の声が車内に響く。女性は活気溢れる声で我が人民解放軍が人民連邦へと勇猛果敢に進撃を続けていると言っている。どうやら中露戦争の話題らしい。


「最近こればかりだな・・・まあ、仕方ないか」


凌順はそういって周波数を変える。凌順はこないだの行動以来、国家主席である周銀平の部下につけられているような気がしてならないのだ。それに前までは周銀平に近い場所で勤務をしていたのだが、あれ以来からは左遷されてしまい周銀平の近くにはなかなか近寄れなくなってしまった。


凌順はふと、バックミラーに不審な車が写るのを見た。その車は凌順の車を尾行しているようにずっとへばりついてくる。凌順は試しに横断歩道の前で指示器を右に出し、素早く右折してみた。


すると、不審車も凌順に続いて右折してくる。やはり凌順を尾行してきているようだ。バックミラーを凝視してみると、夜にもかかわらず変なサングラスをかけて首を傾けている男が凌順を睨むようにしてハンドルを片手で握っている。凌順はその男の両目をP99でぶち抜きたくなる衝動を抑えつつ左折して高速道路に進入した。


高速を時速百十キロで突っ走る。北京は広大なので、それくらいは出さねば時間がかかってしまう。もし東京の高速で百キロ超のスピードなど出せば、たちまち壁に突っ込んでしまうだろう。


そんな凌順の後ろには尾行車がめげずにへばりついてくる。凌順は出し抜けに追い越し車線に移り、一気にアクセルペダルを強く踏み込んだ。

車のエンジンが荒ぶり、タコメーターが一気にレッドゾーンを指す。そこでアクセルペダルから足を離して左足でクラッチを踏みながらギアを変えて再びアクセルペダルを踏みつつ六台ほどの車を追い越し、右車線を九十キロで走っている遅めの車と左車線のトラックが塞ぐ寸前にその車の間をすり抜けて再び左車線へと戻った。


「(もう年だからあまりガキみたいな手荒な真似はしなくないんだがなあ・・・この車だってあと十八年は乗りたいからな・・・)」


凌順はそう思いつつ再び右車線に移り、時速百三十キロで四分程走り続け、インターチェンジで高速道路を降りた。


ふと、後ろを確認する。どうやらまいたようだ。だが、油断は出来ない。凌順は公道をしばらく走った後に、とある駐車場に車を止めた。ドアを開けて車から出てから歩道を歩き、凌順はあるラーメン店の暖簾をすり抜けて店内に入る。


「あら、関越ちゃん。いらっしゃい」

「ああ、陳楠香さん。こんばんは」


四十代後半の凌順よりも三十年ほど年上らしい趣のある優しい顔つきの老女が凌順に気づいて声をかける。この店は凌順が頻繁に訪れているラーメン店なのだ。当然陳楠香と呼ばれた老女も常連客である凌順とは親しい仲である。


「あら関越ちゃん、どうしたのその頭!」

「あ、いやこれは・・・その・・・よそ見してたら転びましてね、頭からいったので怪我しただけですよ」

「そうかい?気を付けるんだよ、あんたはまだ若いんだから」

「いや、若いといってももう四十七ですが・・・」


「陳さん。ここに座らせてもらいます」

「はい。お水。あ、あんたならお金はくれないでいいよ。今回は何にする?」

「じゃあ、今回も日本風の醤油で」

「はいよ」


昔こそ美人の必須条件だと言われて中国人女性が競って行っていたのだが、既に今は廃れ、むしろ忌避されるようになった「纏足(てんそく)」用の靴を今も履いている陳はおぼつかない足取りでシンクの前に立ち、麺を掬い始める。


そこに、先程からテーブルに座っていた若いカップルが食事を終えたのか立ち上がり、髪を半分だけ茶色に染めてまるで排泄物が頭部に乗っているような髪型をした男が声もあげずに陳の元に歩み寄ると、札を適当にカウンターに置き、女の胴体のくびれを触りながら自分が世界の中心にいるかのような態度で店外へと出ていった。


「生意気な青二才だな・・・」

「まあまあ関越ちゃん。そんなに怒らないでもいいよ。若い子ははしゃぎたくなるものだから仕方ないの」

「俺がガキの頃はもっとまともな奴だったぞ全く。誰のお陰でチャラチャラできると思ってるんだ」


凌順は毒付きながら置いてあるテレビを見る。テレビ画面には一年前に香港で中華人民共和国が共産主義であるが故に民主主義をはねのけた事に反発した学生デモが拡大した民主化デモの話題を取り上げていた。ニュースキャスターは中国政府が"国家の転覆を計った暴徒"たちを早急に鎮圧したと連呼している。そしてテレビ画面には、押し寄せるデモ隊とそれを押しとどめんとする中国公安部の警官隊が衝突している光景がテレビに写っていた。


デモ隊の人という人が色とりどりの雨傘を持ち、催涙弾から身を守ろうとしている。「雨傘革命」と呼ばれるゆえんだ。それに対してガスマスクを装着した警官隊がバリケートを盾にして催涙スプレーや催涙弾をデモ隊に向けて放っている。しばらく揉み合いは続いていたのだが、突如警官隊が逃走を計り、その隙を逃さんとデモ隊がなだれ込んでいく。だが、筋書き通りと言わんばかりに警官隊が一列横隊になると、警官たちが中国国産の十ミリアンチライアットリボルバーを抜いてデモ隊の人間たちを手当たり次第に銃撃し始めた。デモ隊の人間たちは混乱状態に陥り銃撃で数十人の人間が倒れる。だが、殺害したわけではない。警官隊が装備している銃の弾丸は布袋弾という非殺傷弾丸であった。


これまでもデモ側と政府側の講和の話は持ち上がったのだが、共産主義が民主主義、もとい資本主義と分かりあえるはずがない。冷戦時代のソ連とアメリカの対立がそれを如実に表している。学生側は民主的な選挙をしてほしいと強く願い、香港の政府庁舎前の通りで座り込みを続けて民主化を願っているのだが政府側としても、もし民主化を行って民主派の代表者が力を付けたら中国共産党の障害となってしまうため、共産党としてもここだけは絶対に譲れないのだ。


すると状況を把握した後続のデモ隊はそれぞれ持参した傘をさして身を守ろうとする。だが、傘では銃弾は防げない。それでも彼らは警官隊の槍衾に飛び込んでいく。今までも幾度となく激しい衝突を起こしているのだが、今度は訳が違うようだ。


デモ隊の人間たちは突然悲鳴を上げた。そして、デモ隊の渦の中に三十八ミリマルチショットグレネードランチャーの催涙弾が撃ち込まれ、炸裂して広がった催涙ガスが群衆を苦しめる。

すると、マルチショットグレネードランチャーを砲塔に据え付けた中国軍の97式歩兵戦闘車が一五両ほど現れて群衆の前に立ちはだかり、百ミリ低圧砲を空包で射撃し始めた。


戦車砲に匹敵する口径を持つ低圧砲の爆発音がデモ隊を震撼させ、人々が本能的に胴体部分を守ろうとして前屈みになる。デモ隊の中には気絶する人間も出ているようだった。素手では軍用車両に勝てないことを知ったデモ隊は一目散に退避を開始し、歩兵戦闘車達がその群衆に追い討ちをかけるように閃光弾を撃ち込むと、先程までの騒々しさが蛇口を捻るように収まる。どうやら群衆を完全に鎮圧したようだ。


「最近は香港みたいに活気がある若者は北京にはいなくなったのか」

「関越ちゃん。怒ると体に悪いわよ。そんなことはいいから、はいラーメン」


陳はテレビを見ながら立腹する凌順をなだめつつ凌順の前に日本風醤油ラーメンを置く。すると、凌順は手のひらを返すように笑顔を見せる。それを見た陳が我が子のように凌順を見て優しい表情を浮かべた。


「関越ちゃんの嬉しそうな表情は二十年前から変わらないよねぇ。今じゃ四十七の中年なのに・・・眼だけは年をとらないんだね」

「そうですか?」


凌順は年甲斐もなく目を輝かせながらラーメンをすすり始める。やはり日本風の醤油味は中国のラーメンとは何かが違う。日本風の醤油味のラーメンは我が国のラーメンとは根本的に味も感触も違うのだ。圧倒的に日本風のラーメンが旨い。元々のラーメン発祥の地は中国だが、ラーメンが有名になったのは日本がラーメンに手を加えたからだ。それまでの中国麺はどうしても日本人の口には合いにくかったのだろう。アドルフ・ヒトラーも「我が闘争」で日本人は文化支持的だと説いたが、まさしくその通りである。日本人は物に手を加えて物をよりいっそう素晴らしい物にするのが得意な民族だ。凌順はそんなことを思いながらラーメンをすする。彼の手が止まることはない。そして彼はほぼ無言でラーメンを食べ続け、彼は五分ほどでラーメンを完食した。


「関越ちゃんはいつも速く食べ終わるね」

「・・・・・・ああ、うまかったです」


凌順は麺を飲み込みつつ感想を述べた。そして水を飲み干すと、凌順は爪楊枝で歯の間をほじくり始める。


「そう言えばこの間のミサイル攻撃、陳さんは大丈夫でした?」

「ああ、あれ?酷かったねぇ。激しく揺れるわ食器は落ちるわ転びそうになるわ。纏足のあたしのことも考えてほしいよ」

「申し訳ありません・・・」

「関越ちゃんが謝ることなんて微塵もないよ。いやあ、最近はあたしも年いってね。最近の若い子はあたしみたいな老いぼれの店には来ないようになったのかねぇ。関越ちゃんだけだよ。この店にいつも来てくれてるのはね」

「あれ?でも伺悦さんも常連じゃないですか」

「ああ、張伺悦ちゃんはね、確か・・・半年前に上海の経済特区って所に行くって言ってからそれっきりだよ」

「なるほど・・・経済特区か・・・半年前には既にいなかったんですね」


そういって凌順は溜め息を吐き、財布を取り出して札を二枚ほど陳に渡して立ち上がる。


「あら、もう帰るの?」

「家まで少し距離がありますからね。また来ますよ」

「ああ、ありがとね。またおいでよ」

「ありがとうございました」


そういった凌順は店を出て、再び車を走らせた。世界一の人口を誇る中国第二位の巨大都市である北京はやはり人が多い。凌順の乗る車は何度も何度も信号待ちにあい、北京の何処かで常に発生している渋滞に車の動きを止められる。


すっかり渋滞に埋められて溜め息をついた凌順は右側を向く。すると、崩壊したビルと思わしき瓦礫の山と、そのまわりを行き来する作業員の姿が目に入った。


「(そうか、ロシアのミサイルにやられたビルか・・・ニュースは四万九千人の死傷者が出たと言っていたが、ここまで被害が出ていたなんてな)」


作業員たちは必死に瓦礫を除去し、トラックに積み込んでいる。たまに凌順の隣の道路を瓦礫を山積みにしたトラックが駆けていく。その光景を見ていた凌順の頭にある考えが浮かんだ。


「(そういえばミサイル攻撃が行われた時に周銀平は人民をほったらかしてシェルターに逃げ込んでいたよな・・・まあ、それを言えば部下たちも同じだが・・・自国の街に核攻撃を行った事も共産党はひた隠しにしていたっけか・・・)」


凌順は黒い笑みを浮かべ、タブレットをポケットから取り出す。そしてタブレットのタッチパネルをいじくり、中国版のツイッターともいえる情報共有サイト「新浪微博(ウェイボー)」へとアクセスした。


そう。凌順は周銀平国家首席の良からぬ噂や核攻撃を行った事を新浪微博に晒すつもりなのだ。まさしく流言飛語である。


一見小さな行為に見えるが、凌順のこの行為が中国共産党を大きく揺るがす事態に発展していくことになるとは誰も考えていなかった・・・



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