残燭
2015年 9月7日 PM17:32 人民連邦北部 文川市郊外の民家
「ううう・・・・・・」
文川市の郊外に位置する民家に突っ込んだT-90のハッチから辛うじて這い出てきたダニエル・ボロディンは、とりあえず周囲の状況を見極めようと周囲に目を凝らした。
まず、先程までダニエルが乗っていたT-90は民家を押し潰すように突っ込んでいる。履帯は切れ、燃料も流れ出てしまい主砲の砲身はガタガタになっており、もう動かすことは出来ないだろう。射手と操縦手は車内で人中を粉砕されて座席に突っ伏し既に事切れているようだ。
車内にはダニエルのAKS-74Uが残されている。ダニエルはすかさずそれを取り、右側のレバーを少し引いて薬室に弾が入っているか確かめた。AKS-74Uの銃身が短いお陰で銃身が歪むことはなかったのが不幸中の幸いだった。
とりあえず車内から飲料水の入った容器とサバイバルキットを引っ張り出し、雑嚢にしまいこむ。キットの中身を確認するためダニエルはキットを開けた。中には、以前ダニエルが選んだ炭水化物が多めの戦闘糧食が約三日分、日本製の民生品であるLEDの小型懐中電灯、同じく日本製の山刀、方位磁石、マグネシウムの着火装置、タオル、救急セット、人民連邦の地図、アーミーナイフなどがぎっしりと詰めこまれている。
すると、無線機からノイズの嵐に紛れてかすかに通信が聞こえてきた。
『こち・・・揚陸・・・ーツクだ・・・地上部隊との連絡が途絶え・・・』
『こちらでも確・・・きず・・・弾道・・サイルによる攻撃・・・上部隊の救援と状・・・a-27を四機・・・』
『了・・・多数・・・ている・・・』
「弾道ミサイル!・・・やはりミサイルか!それに・・・ヘリ・・・!!」
ダニエルは途切れ途切れの無線からジグゾーパズルのように単語を組み合わせて内容を理解した。
まずダニエル達は大型の弾道ミサイルによって吹き飛ばされ、戦車隊はほぼ全滅した。それで艦隊との連絡がつかず、艦隊がヘリを寄越してくる。そういうわけか。
ふと、遠距離からヘリコプターの爆音が聞こえてくる。きっと救援に違いない。ダニエルはそう踏んだ。
彼の予想通りKa-27ヘリの一機がダニエルに向かって飛来してきた。ダニエルは目視でヘリを確認すると、雑嚢から赤いフレアを取り出してすぐさま着火。
化学反応により燃焼して赤い光を放つフレアを持って半月を描くように何度も振る。すると、どうやらヘリはダニエルのT-90に気づいたようだった。
ふと、爆音が轟く。プロペラやローターじゃない。ジェットだ。すると、裏の山影から鉄パイプのような胴体にF-86の後退翼に酷似した後退翼を取り付けられている、決して流麗とは言えない形状の戦闘機であるMiG-17「フレスコ」が四機、無防備なKa-27めがけて三十七ミリ機関砲を発砲し、コンパクトな形状のKa-27は多数の穴を穿たれて炎上してきりもみを始め、黒煙を吐きながら墜ちていく。さらに二十数機のMiG-21やSu-17、Su-9にSu-25などが次々と空になだれ込み、ほぼ一瞬で文川市上空の航空優勢を人民連邦のものにしてしまった。
そして墜落したKa-27が唸るように回転する二重反転ローターでついさっきまでダニエルが立っていた地面を掻きならしながら逃げるダニエルを追うように滑り、折れたローターを枯れた植物のように沈黙させて停止した。
「おい!!!大丈夫か!?」
ダニエルは声をかけつつすぐさまKa-27のコクピットに走りより、乗員の安否を確かめようとコクピットのドアを側に落ちていた鉄パイプでこじ開けた。
瞬間、とてつもなくきつい臭いが鼻をつき、ダニエルは反射的に口を手で押さえた。乗員は既に事切れているようだ。医療知識の無いダニエルでも二人のパイロットが死亡しているのがすぐに分かった。辺りに飛び散る血と脳髄がそれを如実に表している。
ダニエルは吐き気を覚え、すぐさまKa-27から全力で離れた。臭いに耐えられなかったからではない。Ka-27から漏れ出していた燃料に火が点いたのだ。
たちまちKa-27は紅の焔に包まれ、十拍程の間を置いてから激しい爆発を起こし粉々になった。ダニエルは離れていたので負傷はしなかったのだが、まだ安心できない。上空の人民連邦所属のMiG-17たちが再び反転し、そこらじゅうに転がっているロシア軍車両に五百キロ航空爆弾を投下したのだ。
漆黒に染め上げられた航空爆弾は身動きの取れない戦闘車両たちの真ん中に着弾し、無慈悲に彼らを鉄屑へと変えつつ猛烈な爆風で彼らを吹き飛ばした。
ダニエルは本能のままに南の方角にある山へと走り出し、鬱蒼と茂る草むらの中に飛び込んだ。上を見上げると、MiG-21がよってたかってロシア軍のKa-27を攻撃しているのが見える。Ka-27も重機関銃を撃って抵抗しているが、それをものともせずにMiG-21はKa-27を弄ぶように攻撃を加え続けた。抵抗空しく撃墜され炎を吐いて落下していくKa-27を見て憤りを感じ歯をくいしばっているダニエルは出し抜けに目の前で起こった光景に目を丸くした。
突如MiG-21が四機、同時にR-73ミサイルを喰らって爆散し、中国軍のJ-8やJ-11戦闘機が二十機程現れ、人民連邦軍の虚を突くように突撃してきたのだ。
突然の奇襲に人民連邦の機体は右往左往し、そこに中国軍機が絡みこんでたちまち空は戦場と化した。
J-11の一機が二機のSu-17の後ろに付き、同時にR-73を発射。R-73はそれぞれのSu-17に命中し、エンジンを砕かれたSu-17は二機とも黒煙を吐いて一直線に落下していった。
人民連邦軍のMiG-21三機が戦友の仇を討たんとそのJ-11に追いすがり、恨みをぶちまけるように目の前にいるJ-11に対して三十ミリ機関砲を一斉に発射し、一機の戦闘機に対しては過剰すぎるほどの弾雨がJ-11の紺色に染められたボディをめちゃくちゃにぶち抜いた。
三十ミリの槍衾に身体中を引き裂かれてばらばらになって墜ちていくJ-11を眺めるように飛んでいたMiG-21の一機がいきなり飛来したHQ-16短距離対空ミサイルに撃墜されると、残りの二機は寝耳に水をさされたかのように急旋回し、大空中戦の中へと吸い込まれていった。
ダニエルはその光景を食い入るように見つめていたが、ふと聞き慣れないハングルが耳に入ると跳ね起きるようにダニエルはAKSを音源に向けた。
草むらの向こうで八人の人民連邦兵が何やら叫びながら走っているのが見える。先程文川市で見かけたかつて北朝鮮軍に所属していたであろう粗末な身なりをした兵とは違い、小松菜サラダにひじきを加えたような色合いの迷彩服にM16A2小銃といったいっぱしの装備を身に付けていることから南側の兵士であるようだ。
彼らは草むらに潜むダニエルに気づくことなく森の中を進んでいく。ダニエルは密かに草むらから出て彼らのあとを追った。ふと、彼らの内の二人がM16A2を前方に向かって射撃すると幾人かの中国兵士が呻き声を上げて倒れ、人民連邦軍兵は中国兵の死体を踏み越えて進撃を再開する。どうやら彼らは人民連邦軍の特殊部隊らしい。
ダニエルはごつごつとした岩影に隠れ、人民連邦軍の特殊部隊を行かせることにした。そして、岩影から出ようとしたダニエルは、突如森林に轟いたエンジン音に反応して右側に位置してクレーターがぽっこりと空き、街の風景としては異端すぎる情景と化した文川市の方角に首を動かした。
突然ダニエルの配下であるT-90が二両、大質量の車体で大小の木々を薙ぎ倒しながら進撃してきたのだ。
ダニエルは驚愕と共に心が希望で満たされていくのを感じ、顔にも自然と笑みが浮かんできた。
生き残ってくれた部下がいたのか・・・
排気口から激しく黒煙を吐き出しながらT-90が驚く人民連邦軍の特殊部隊員たちを次々と轢殺していき、たちまちT-90がどす黒く生々しい返り血に染まっていく。
すると、ダニエルのすぐ左隣から、物凄いバックブラストと共にアメリカのTOWに酷似したミサイルが発射され、T-90の装甲を突き破って車内をめちゃくちゃに切り裂いた。
ダニエルはすぐさま横を振り向くと、二人の中国兵が設置式対戦車ミサイルであるHJ-8の装填作業を行っているのが見えた。
必死に次弾を装填している中国兵を見据えつつダニエルは山刀を抜き、ダニエルの姿に気付いて相棒に叫ぼうとした中国兵の鎖骨付近に山刀を叩き込んだ。
肉を絶ち割る生々しい感触が山刀から右手へと伝わり、その感触は感覚神経から中枢神経を通り、ダニエルの脳の中に伝送された。生肉を鷲掴みにするような感触を感じてダニエルの指が引きつる。
「生々しい」というよりも「気持ち悪い」という感覚に脳を支配されたダニエルは不快感に顔をしかめる。中国兵のほうも予想していたとはいえ桁外れの激痛に耐えかねて悲鳴を上げていた。
だが、この中国兵を殺さないと残りの部下が殺される。やらなければならない。やれるのは俺しかいないんだ。
ダニエルはそう念じ、山刀を引き抜いて中国兵の首めがけ横に薙いだ。石油を掘り当てたかのように中国兵の首から血が噴出し、もう一人の中国兵は金切り声を上げながら背中を見せて逃走していった。
もう一両のT-90が森林の奥に主砲を放ち、爆風が樹木の表面を焦がす。すると中国軍の05式自走榴弾砲が草むらを踏み潰しながら現れ、T-90の懐に一気に詰めよりあさっての方向に砲口を向けているT-90の砲塔と車体の間に百二十ミリライフル迫撃砲を叩き込んだ。
だが、所詮は遠距離火力支援車両。迫撃砲弾はT-90の正面装甲に防護され、T-90の撃破は叶わない。
T-90はお返しと言わんばかりに砲を05式に向けて粘着榴弾を05式に対して発射し、12.7mm重機関銃程度にしか耐えられない装甲をいとも容易く打ち壊して05式は砲弾の誘爆を起こし激しく爆発した。
すると、中国軍の96式戦車が森の向こうからT-90に向けて数発の砲弾を放ち、T-90がAPFSDSの錐のような弾芯に車体の至るところを撃ち抜かれて沈黙し、煙を上げるT-90を尻目に側を数両の96式が通りすぎていく。
容易にT-90を撃破した96式戦車たちは木を押し倒し、開けた場所にその車体をさらけだす。すると突如96式戦車達が煙に包まれ、上空から幾つもの機関砲の火線が伸びて地上を手荒に掘りかえした。ダニエルは本能的に機関砲が発射された方向を見る。すると、鯲のような重厚な胴体に武装を目一杯吊下した台形の主翼が生えている飛行機が四機、ダニエルのいる辺りに向けて一斉に三十ミリ連装機関砲を放ってきた。機関砲弾の一極集中を受けて96式戦車の回りの地面が猛々しく空中に舞い上がり、下にいる人間の視界をゼロにせしめる。
ダニエルはひたすら土煙から目を守らんと顔を腕で覆いつつも土煙に覆われて視界をほぼ奪われたという閉塞感から息苦しくなりつい息を深く吸い込んでしまい咳き込む。
そんなダニエルの事など知るはずもなく上空を飛ぶその飛行機は、かつて旧ソ連が純粋な戦闘爆撃機として開発したSu-25「グラーチェ」であった。
今現在文川市上空を飛んでいるSu-25は人民連邦所属の機体だ。元は北朝鮮空軍所属だったのだが、彼らとしてみれば仕える国の名前が変わっただけで編成などの変化は一切無い。
彼らが一通り機関砲を撃ちこんで目標の上空を悠然とフライパスすると、仕上げといわんばかりにSu-25についていたSu-17が単機で96式戦車に向けて航空爆弾を投下し、やがてくる爆発から逃げるかの如く上空へと舞い上がっていった。
ダニエルは戦慄しながら落ちてくる黒い爆弾から逃れようと走り出すが、ダニエルの後ろで激しい爆発が起こり、ダニエルは一瞬のうちに意識を失ってしまう。
だが、そのSu-17を空母「ノボシビルスク」から発艦したSu-33が撃墜したのをダニエルは知るはずもなかった。