ファフロツキーズ
2015年 9月7日 PM18:23 ロシア モスクワ ドモジェドヴォ空港ターミナルビル内部
毎日のように多国籍、老若男女様々な人間が刹那の絶え間もなく行き交うロシアのドモジェドヴォ国際空港に到着したコロンボ→モスクワ行きの第二千五百九十七便が駐機し、そこの三十四番搭乗口から降りてきたインド系中国人のメテョムール・トウは、中国共産党からの命令を受けてここへとやって来た。
その命令とは、モスクワの市街地にエボラウイルスに感染させた犬を数匹放ち、モスクワにエボラ出血熱を蔓延させるという恐るべき計画だ。実行者は彼だけではない。彼の他にも十九人の実行者がいる。
マスクをしたトウはそのまま歩いて改札を通り、荷物を回収したあとに預けておいたペットを迎えにいく。そして檻の中に入れられた三匹のハスキーとシェパードを掛け合わせた雑種犬をリードで繋ぎ、空港を後にした。
トウはモスクワの路上を十分程歩いてから、ある場所のストアに入って、クワスを二本と板ガムと煙草を一個ずつカウンターの上に置き、札を渡してから商品を受け取ってストアを出た。
それからすぐにどことなく湿気があり、人間に忌避される節足動物達がうろついているとても人間が好んで訪れるような場所ではない裏路地へと回り込む。
そして犬たちのリードを外し、持参したドックフードを犬たちに喰わせる。その間に、血の詰まった注射器を取り出して犬たちの首に突き刺し、一気に注射器を押し込んだ。
注射器にはエボラウイルスが飽和直前まで詰まった血液が充填されている。以前アフリカのシエラレオネで採取したエボラウイルスを中国人民解放軍の研究所で猿に感染させ、その血を抜き取ったものだ。
そしてトウはもう一本注射器を取り出し、犬たちに注射を打った。この注射器には、狂犬病のウイルスが入っている。狂犬病は、致死率がほぼ百パーセントということで有名な病気である。発症すると、風邪や胸焼けのような症状がおき、精神錯乱が起きてさながら狂犬のように暴れ、だんだんと運動神経組織が蝕まれていき、最後には昏睡状態に入り、呼吸が止まってしまうというまさに「狂気の病気」だ。水を極端に怖がる症状が現れるので、恐水病と呼ばれる場合もある。
トウは噛まれないように足早にそこを立ち去り、再び空港へと向かっていった。
◇
ロシア 極東軍管区 アレクセイエフカ海軍太平洋艦隊航空隊基地
「それでですよ、隊長。俺がIL-2に乗って飛んでると、後ろから追っかけてくるナチスの機体が勝手に空中衝突すんですって」
「あれって戦闘機だったら敵艦に体当たりしないと撃沈できないんすよね」
「そういやスフリャ、お前昨日カミカゼだーとか何とか叫びながら敵機に突っ込んでたよな」
「い、いやそれは・・・」
「隊長、実はオレ、こないだベルリンにIL-2で出撃して爆撃しまくってベルリンを火の海にしたんですよ。そしたら何か・・・征服感というかその・・・至るところから火の手があがるベルリンを見下ろしてるとサディスティックな感覚に陥って・・・気付いたら俺の息子が天を付かんばかりにそそりたってたんすよ。まあ、もちろんその場で早急に静めたんですが」
「ヒュリエフ・・・お前・・・Bか?・・・」
「いやちょっと待てヒュリエフ!!お前、このソファーの上でしやがったのか!?」
「い、いや、そんなわけねーだろ・・・」
「ヒュリエフ!!!!てめぇそのクソが付いたままかもしれない汚ねぇケツでソファーに座ってやがったのかよ!!」
「違う!!俺は何もしてないんだ!!」
「だまれヒュリエフ、お前のその日本軍の自殺用の拳銃みたいなそれをTu-22の吊下装置につりさげて一万メートルで偵察飛行してやるよ」
「何故!?何故俺ばっかいじるんすか隊長!?」
ロシア軍太平洋艦隊の核兵器貯蔵施設があり、有数の爆撃機基地でもあるアレクセイエフカ海軍航空隊基地の兵舎の中では、Tu-22バックファイア音速爆撃機の機長であるレーリニン・メンスキーが部下達とゲームの話で談笑している。
「ヒュリエフ、安心しろ。口止め料として一週間分のクワスとコーラを混ぜたものを俺ら三人全員に奢ってくれたら許してやるよ。・・・あと、なにげに唾混入とかやりやがったらTu-22で轢き殺すからな」
「くそっ・・・・・」
「ざまあ無いなピュリエフ」
メンスキーの言葉を聞いた副操縦士のヒュリエフが泣きそうな顔で毒付く。
そんなことを彼らが話していると、突然スピーカーから大音量で警報が流れた。
『空襲警報!!四発の大型ミサイル接近中!!高射隊は即時に展開し、それ以外の現場人員はすみやかに退避せよ!!繰り返す・・・』
「み、ミサイル!?」
「・・・早く、早く逃げるぞ!!」
「逃げるって・・・バンカーにですよね!?」
「愚問だ!!!」
彼らは聞くだけで耳障りな音程の警報音に後押しされるかの如く本能的にソファーから跳ね起き、ドアを開けて廊下を駆け抜け、一目散に外へと飛び出した。
外では、整備員や管制要員、他のパイロットと言った多種多様な人間が辺りを騒然と駆け回っている。メンスキー達は人混みに紛れ込んでバンカーへと走っていく。
ふと、メンスキーは後顧すると、外れに駐機されているTu-22がおいていかないで、と言うようなメッセージを送ってきているような感覚に陥る。
メンスキーは瞬時に複雑な気持ちになり、衝動に駆られたように駐機されているTu-22の元へと走り始めた。
「た、隊長!!どこいくんですか!?」
「早く逃げないと死んでしまいますよ!!」
「隊長~!!」
後ろから呼び止めようとする部下の声が聞こえてくるが、メンスキーは気にせず走った。
(Tu-22はいつも我々と一緒だったんだ。それをこんな時にあいつを放置するなんて・・・そんなの俺には出来ん!!)
彼はそう心の中で思う。道理的ではあるが、ここまで発作的に行動する人間を目の当たりにしたら部下が驚愕するのも頷けるだろう。
「隊長!!!!!」
「お前らは先に行ってろ!!気にすんな!!!」
部下たちにそう叫び、メンスキーはTu-22の元に駆け寄った。自分でも何をしようとしているのか分からないのだが、コクピットに登るための梯子を取りに行こうと格納庫に歩を進めた。
ふと、雷鳴のような轟音が彼の鼓膜を震わせる。反射的に空を見上げると、中国軍のDF-31弾道ミサイルが五発、この基地目がけて垂直に落下してくるのが目に入った。
魅せられたかのようにメンスキーは空を見上げている。灼熱の炎に包まれたDF-31は次々と四つの弾頭に別れ、二十発の弾頭が火の雨となって基地全体に降り注いでいく。
弾頭は次々と基地に着弾し、格納庫が弾頭の直撃を受けて破裂するように吹き飛び、滑走路にも無慈悲に大穴が穿たれ、管制塔が子供に倒された玩具のように倒壊していく。
メンスキーの周辺でも弾頭が炸裂し、爆風に主翼をもぎ取られたTu-141やKa-27が軽々と宙を舞い、地面に叩き付けられて容易に破砕された。
「うっ、うわああああああっ、助けてくれっ!!!」
今更ながら叫び始めたメンスキーは、事の重要性を認識していながら即時に逃げなかった自分に立腹し、やり場の無い憤りを空に向かって声としてぶちまける。だが、彼の力ではどうにもならない。あのまま部下どもとバンカーの中に退避していればどんなに良かっただろうか。そんな考えが頭の中を執拗に駆け回っている。
そんな彼のTu-22の周辺にも弾頭の一発が落下すると充填されていた爆薬を烈火の如く辺りにばらまき、居合斬りのような衝撃波が水平に広がり、遮る物の全てを灰塵へと変えた。
メンスキーは既にバンカーへと走りはじめていたが、そんな彼の頭上にはミサイルの爆風に飛ばされてまるで彼に追いすがるように飛来してきたTu-22の機首部分が彼に覆い被さり、彼を巻き込んで圧潰した・・・
◇
ロシア モスクワ クレムリン宮殿大統領官邸執務室
「大統領、失礼します!」
モスクワに位置する大統領官邸の執務室に、ラスプーチン大統領の補佐官が急ぎ足で入室してきた。すぐさまラスプーチンが反応する。
「ん?ああ、中国が何らかの動きを見せたのか?」
「図星です、大統領。中国軍が本格的なミサイル攻撃を開始しました」
「被害地域と発射地点は?」
「これまでに発射されたミサイルは二十四発、特に航空基地の被害が深刻です。四つの基地が破壊されて使用不可となっており、発射地点は中国雲南省の大森林地帯から・・・先月黒河市にもミサイルを発射した例の基地からですね」
補佐官の言葉にラスプーチンは両手を合わせて肘をつき、指を人中に当てた。
「そうか・・・これからもミサイル攻撃は必然的に行われるだろう・・・が、やはり中国軍の実情が垣間見えるな」
ラスプーチンは微笑みを浮かべ、補佐官の目を見上げた。
「まず奴らは弾道ミサイルを用いて我々の飛行場を潰しにかかってきた。これは理に叶っていると思うのだが、先制攻撃は完全に相手の出鼻を挫いてこそ最大限の効果が出るものだ。だが、奴らはたった二十四発のミサイルのみで先制を行ってきた。それだと僅かな数の基地にしか攻撃を仕掛けられない。我が軍の航空基地はチュムレフカ、エンゲリス、アムーレなどなど枚挙にいとまが無いのに奴らはその中の一握りにしか攻撃を加えてこなかった。奴らがミサイルを温存しようとしているだけかも知れないが、出鼻を挫くという観点から見ると奴らの攻撃は中途半端だ。これは奴らのミサイル配備数の少なさが主な問題なのでは無いかと思うのだよ。大口を叩くようだが中国は軍事費や国内総生産が著しく上昇していると聞く。だが、それにしては軍拡が不透明であるし、私の憶測なのだが実際には中国共産党の高官が国民から巻き上げた金を風浴や賭博遊びに使っているのだと思う。そして国民は、そうとも知らず・・・いや、知っているのだろうがその事を口に出せない。これぞまさしく典型的な圧政だな。それに奴らはまともな戦法すら熟知していない。そうなると奴らによる金欠でミサイルの生産も糞もなくなるのも頷ける」
「成る程・・・・・・・・・それにしても中国・・・いや、中国共産党は愚者の塊ですね」
「私も同感だよ。『小敵と見て侮るなかれ』という言葉があるが、今の中国が相手なら我々は勝てるかもしれないぞ。流石に鎧袖一触とはいかないだろうが、勝率は我々のほうが圧倒的に上だ」
「ところで大統領。この中国南部に位置するミサイル基地は我々にとって非常に厄介です。しかし周辺にはS-300のコピーと思われる長距離対空ミサイルが配備されている模様です。したがって私としては、特殊部隊による襲撃で対空ミサイルを破壊したあと、Tu-160戦略爆撃機を用いた攻撃を行うのが一番効果を発揮すると思われますが」
「うむ・・・だが、その前にそのミサイル基地の詳細を教えてくれないか?」
「はい。これがそのミサイル基地の衛星写真です。」
補佐官はそういってプーチンの卓上に二枚のコピー紙を置いて説明を始めた。
「ここがミサイル基地ですね。偵察衛星に撮影されないようカモフラージュが施され、周辺に対空車両が配備されています。そこで、空挺スペツナズを電撃降下させ、ミサイル車両を破壊したあとに戦略爆撃機を投入するという戦法が最善かと」
「いや、感づかれないように遠距離から近づいた方がいい。それに、試験的に『カミエータ』を用いて降下した方がいいかもしれんしな。それと、スペツナズを輸送する輸送機と後続の爆撃機の航路についてだ。」
ラスプーチンはそういって万年筆を取りだし、極東全図の太平洋沿岸辺りに爆撃機の航路を万年筆で書き加えた。
「音速爆撃機とはいえ堂々と中国上空を通過するのは危険だ。そこで日本列島を太平洋沿いに迂回させ、中国南部に到達するという航路が最適だと思うが、どう思う?」
ラスプーチンは万年筆のキャップを閉じて机に置きつつ補佐官に質問する。
「いい案ですね。さすが大統領、私も大統領のような卓越した秀才になりたいものです」
「それは買いかぶりすぎだ。作戦開始時刻は二十六時間後、空挺スぺツナズ隊員十二名を完全武装で輸送機に乗せ、『カミエータ』を切り離して移動の後、パラシュート降下で施設に接近して対空兵器を黙らせてから追って爆撃機隊を向かわせる」
「了解」
ラスプーチンは立ち上がり、拳を強く握った。
「本作戦を『臨照の彗星作戦』と命名する。我が軍の鉄槌で荒廃した中国南部を刷新してやれ」
ラスプーチンはそう言い、邪悪とも取れるような、表現しがたいが見たものに恐怖感をつのらせる冷たい笑みを浮かべていた。