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最終話「探偵VS怪盗」

最終回というよりは“おまけ”に近いです。

本来の予定では、前回・前々回の表題作で終わりのはずだったんですけど、

あまりにも後味が悪すぎるというお叱りを受けまして……(苦笑)

これは急遽、差し替え用に作った回なんです。

ちなみに、電撃に投稿する際はこっちを採用しました。

最終話「探偵VS怪盗」


 八月中旬、謎の怪盗が世間を騒がせていた。

 〝黒猫〟と名乗るその人物は、大胆にも予告状を送りつけてから目的の品を盗み出すという手口で、国宝級の美術品など既に三点の奪取に成功。犯人逮捕はもとより、犯行の阻止すらもままならない警察に対し非難の声が高まる中、第四の犯行声明が届く。

 三度の失敗を経て、今回管轄にあたる城南警察署は優菜と愛美に協力を要請した……。


『今や話題騒然の怪盗・黒猫! 先月末頃から突如として出現した〝黒猫〟は、国立美術館や都立博物館などを相次いで標的とし、総額数億円にものぼるとされる美術品や宝石類をいずれも予告通りに盗み出しました。神出鬼没で大胆不敵、また警察の包囲網を意図も簡単に掻い潜る鮮やかな手口、その正体は依然として謎に包まれています――』


 愛美は〝黒猫〟関連の特集をやっているワイドショーに齧りついていた。

優菜は寝癖だらけの頭を掻きながらぼんやりと朝刊を読んでいる。

 新聞の三面記事にも〝黒猫〟の話題は大きく載っていた。


〝怪盗・黒猫、第四の犯行まであと一日〟


『――第四の犯行が明日に迫る中、市民の方の反応を窺ってみました!』

 ブラウン管の向こう側、インタビュアーが街頭で道行く人々に意見を聞きいてまわる。

「まったく、警察は何をやっているんでしょうかねー」「人騒がせですよ」「早く捕まえて欲しい」と批判的な意見がある一方、「痛快ですね、刺激の少ないご時世ですから」「最近は毎回楽しみにしてるんですよ!」「今回はテレビ中継もあるんでしょ? 絶対見ます!」と何やら好意的な意見もちらほら。とりわけ世紀末覇者のような格好をした若者層からはパンクだの反体制のシンボルだのと〝黒猫〟を英雄視するような声も伺える。

「かいとーくろねこー!!」と肩を組んだ中学生くらいの男子数人がカメラに向かって馬鹿笑いしている場面を眺めながら、愛美はぐにぐにと拳を握り締めた。

「とうとう明日ね……! 絶対に捕まえてやるんだから、子猫ちゃんんっ!」

 興奮してしまった愛美は、膝の上で寝息を立てていたペルシャ猫をムキーッと抱き締めた。驚いたペルシャは「ンニャア!」と吼えて逃げて行く。

 そのときキッチンの方から、がしゃーんと派手に陶器の割れる音が響いた。

 優菜はあちゃーと額を押さえて呟く。

「……あいつ、またやったなー?」

 愛美は苦笑しながらキッチンへと向かった。

 一人の少女が床にぶちまけた紅茶とティーカップの破片を前におろおろしている。

「ありゃ~、まーたやっちまっただぁー。なーんてこったぁーい」

 物凄い訛りとハスキーボイスの少女に、様子を見に来た愛美は優しく声をかけた。

「大丈夫? トン子ちゃん?」

 トン子ちゃんと呼ばれたその少女はしおしおと頭を下げる。

「申し訳ねぇだぁー、マナミさん。あたす不器用なもんでぇー」

 愛美は気にしてないよという風に首を振った。

「あとは私がやっておくから、向こうでユウちゃんと一緒に座ってて?」

「んー、でもぉー」

「いいから来いよ、ほら?」

 反論しかけるトン子を遅れてやって来た優菜が連れてゆく。

「ったくトン子、お前これで食器割ったのもう五回目だぞ?」

 ソファーに腰掛け、優菜が呆れたように言うとトン子は訂正した。

「いいえー? 六回目だぁーあ。許してけろぉ~、ユーナさぁ~ん!」


 ――彼女の名前は蒲郡(がまごおり)透子(とうこ)。先日、YOU&I探偵社にやって来た期待(?)の新人だ。


 群馬の山奥から出稼ぎにやって来たそうだが、慣れない都会で迷子になっているところを愛美に拾われ、探偵社で奉公することになった。

 彼女の仕事は専ら掃除やお茶汲みなどの雑用だが、ほとんど粗相ばかり起こしている。

『トン子』というニックネームは愛美が付けたものであり、由来は不明だが、もしや“頓馬(トンマ)”のトン子なのではないかと、優菜は内心密かに疑っていた。――

 片付けのついでに、紅茶を入れなおした愛美がお盆を抱えてキッチンから戻って来る。

「トン子ちゃんも、ミルクティーで良かったかしら?」

 愛美がティーカップを差し出すと、透子はおっかなびっくりした顔でぶんぶんと首を振り、

「とんでもねぇよぉおッ! こげんハイカラなもんば飲んだらぁ、胃がビックリしちまうだぁ~! あたすは渋茶!」と謙虚なのか失礼なのかよくわからないことを言い、一体どこから取り出したのか、急須と湯飲みで一服し出した。

「とんでもないやつ、来ちゃったな」と、優菜は気圧され気味に入れたてのミルクティーを喫する。一方、愛美は臆することなく、透子と何やら雑談を交わし始めた。

 テーマは先ほどから話題に上がっていた怪盗〝黒猫〟のことらしい。

「へぇ~、ネズミ小僧まで出るとは、さっすが都会はちがうっぺなぁ~。あたすの田舎だとぉ、こんなに賑やかなのは放生会のときぐらいなもんですよぉー」

 彼女は一体どこの出身なのだろうかと優菜は思う。

「もし黒猫を捕まえられたら、私たちも一躍有名人になれるのよ? テレビに引っ張りだこなんだから! みんなに注目されちゃったりなんかして、うわぁ~、どうしましょ!」

「猫さ捕まえるだけでテレビに出られるんですかぁ~。うちの田舎では、裏山にたぁ~くさんいましたよぉ~?」

 なんだか滅茶苦茶な会話をしていた。全く噛み合っていないが、愛美と透子は何故か波長が合うようだ。どうも頭がくらくらとして来たので、優菜は席を外す。


 執務用のデスクに着き、捜査協力の要請に際して中野から渡されていた怪盗・黒猫に関する資料をめくった。


 ――怪盗〝黒猫〟から最初の予告状が届いたのは、七月下旬。


 標的は都立博物館に展示されていた時価一億円のダイヤモンド、通称『人魚の涙』

 当初は単なる悪戯として警察も博物館側もまるで相手にしていなかったのだが、予告の日時、何者かによって『人魚の涙』が盗み去られ、黒猫の名は一躍世間に知れ渡る。


 ――二度目の犯行は、それから五日後。


 今度は国立美術館に展示されていた数千万円の有名絵画二点。

 予告を受けた警察がガードを固めていたが、黒猫はその包囲網を破って逃走。


 ――三度目の犯行はそれからまた三日後。


 獲物は国際博覧会に出展されていた古代エジプトの黄金ランプ

 前回の反省を踏まえ、警察はより厳重な警戒態勢を敷いていたものの、やはり失敗に終わる。


 ――そして今から一週間前、今回の予告状が届いた……。


 ざっと資料の内容をまとめるとこんな感じだった。他にもいくつか申し訳程度に記述はあったものの、はっきり言って役には立つとは思えない。逃走経路や肝心の手口に関しては謎が多く、また〝黒猫〟の姿を実際に見たという証言すらも酷くあやふやなのだ。

 結局のところこの資料からわかることといえば、警察が〝黒猫〟に関する情報を何一つまともに得られていないという悲しい現状だけだった。


                 ***


 その夜、ふくれっつらの優菜は一人、薄明かりのリビングで寝酒に浸っていた。

〝おちゅかれさまぁ~だぁ~あ〟と夕食を終えた透子は近所のアパートに帰り、〝今夜はワクワクしちゃって眠れないかも!〟なんて張り切っていた愛美も、入浴後は至って平常通りに寝室へと引っ込んでしまった。もしかしたら眠れないでいるんじゃないかと、先ほど寝室を覗きに行ったのだが、わんぱくお嬢様は本当に幸せそうな顔をしてぐっすりとお休みになっていた。

優菜はなんというか妙に裏切られた気分で、「今夜はお酒でも飲みながら、二人でゲームしましょうね!」と愛美が用意していたトランプを、つまらなそうに一人で捲っている。

「……はぁ」

 本当は自分が一番子供っぽいのではないかと感じてしまって、優菜は肩を落とす。


 不意にインターホンのチャイムが鳴った。


 時計を確認すると、時刻は既に深夜の0時をまわっている。


 こんな時間に誰だろうと思い、玄関を開けると透子が立っていた。

「こっただ夜ん中に、すんましぇん」

「どうしたんだ? 忘れ物か?」

透子は違うと首を振って、申し訳なさそうに頭を下げた。

「――あのぅ、ユーナさぁん? ちょっとお話があるんですが……」


                 ***


 翌日、優菜と愛美は怪盗〝黒猫〟が犯行を予告した都内の近代美術館に赴く。

 今日はこれから警備の打ち合わせに参加するのだ。

 現場に着くと、既に多数の警察関係者が慌しく動き回っていた。

「あ、どうも! こっちです!」

 入り口まで出迎えに来た五十嵐に案内され、二人は緊急対策本部となった館内事務所に通される。

「先輩、お二人が到着されました!」

 五十嵐の呼びかけで、管理職風の男と話し込んでいた中野が二人のもとまでやって来る。

「よう、ちょうど良かった。ちょっと来てくれ」

 中野は二人を男と引き合わせ、紹介した。

「三島さん、今お話した例の探偵です」

 ほら、と挨拶を促され、優菜と愛美は軽く会釈する。

「YOU&I探偵社の栗原です」

「白鳥でーす」

 男はしきりにハンカチで脂ぎった額を拭いながら小さく頭を下げた。

「館長の三島です……。どうか、よろしくお願いします」

 簡単な挨拶を終えると中野の仕切りで早速本題に入る。

 まずは今回〝黒猫〟の標的となっている美術品を見せてもらうことになった。

 三島館長が慎重な手つきで金庫から取り出したのは一点の絵画。

 額縁の下位中央に〝青春の辟易〟と仰々しく記されたプレートが貼られている。

 何やら難解そうな題名とは裏腹に、現物は太陽とチューリップが適当に描かれているだけのあんぽんたんな絵だった。三島館長が得意げな面持ちでつらつらと解説を述べ始める。

「――これは、かの有名なパブロ=ピカソ、の従弟の友人・ソカピが描いた一枚で……」


 優菜と愛美は思わず顔を引き攣らせてひそひそと囁き合った。


(なんだよあれ……。下っ手くそな絵だなぁー)

(あのおやじが描いたんじゃない?)


 それから三島館長は絵の描かれた時代背景やそこに込められた作者の想いなどを饒舌に語り出し、あんなの私にだって描けるだの、ソカピって誰だ、などと騒ぎ出す二人には全く気づいていない様子。館長の話が長引けば長引くほど、二人の密談は次第に本来の趣旨を脱線し、最終的には館長の顔が妙にホモっぽいという話題で盛り上がっていた。


「――というわけで、歴史的な観点からも非常に希少価値の高い逸品であるといえます」


(あ、やっと終わった)

(ふぅー、話が長いのよ、もう……)


「――どうですかな、お二方とも? この絵の素晴らしさ、わかっていただけましたか?」

 優菜と愛美は態度を百八十度変えて、感激したように手を叩く。

「いやぁ~、素晴らしい作品ですね~」と優菜。

「いやぁ~、ゲイ術の世界は奥が深いです」と愛美は意味深なことを言った。

 しかし二人は、直後に余計なことを言ってしまったと後悔することになる。

 お世辞を真に受け、気を良くしてしまった館長がそれならばもっと詳しくと、再び喋り出してしまったのだ。傍らを見ると、五十嵐が困ったように笑っていた。中野もなにやら苦い顔をして明後日の方角を眺めている。どうやらこの二人も同じ間違いを犯して、二次被害に遭っていたらしい。


                    ***


 ――午後四時三十分。

 警備に関する打ち合わせが済むと、まだ少し時間があるということで、二人は一旦帰宅を許された。中野と五十嵐が玄関のところまで見送ってくれる。

 その際、中野は預かっている物があると言って優菜にカルティエの腕時計を差し出した。

「これは?」

「松山さんからだ」

 あー、とディスティニーランドの一件を思い出した愛美が何の気なしに尋ねる。

「その後、お体の具合はどうなのかしら?」

「……」

 五十嵐はどこか遠い目をして、顔を伏せた。

 無骨な相貌を柔和に歪め、中野が穏やかな口調で話しだす。

「――おとといの晩、息を引き取ったよ」

 一瞬、空気が白くなり、沈黙の間が差した。

「その腕時計は、感謝の印としてお前たちに渡して欲しいと頼まれていたものだ。記念に貰っとけ」

「……そっか」

 切なくはにかんだ優菜は受け取ったカルティエを腕に嵌め、エントランスの壁時計に目をやりながら指針を調整した。ふっと短く息を吐き、気を取り直したように告げる。

「それじゃあ、また後で」

 優菜は茫然と突っ立っていた愛美の方を振り返り、声をかけた。

「アイ、行こうか?」

「あっ、うん。ごめんなさい……」

 優菜は無言のまま愛美の背中に腕を回し、宥めるようにぽんぽんと肩を叩いた。

 愛美はぎこちなく笑って応える。

 二人は並んで肩を寄せ合い、歩き出した。


               ***


 ――午後八時五十五分。

 現場には怪盗〝黒猫〟の姿を一目見ようと、大勢の野次馬が詰め掛けていた。

 レポーターが笑顔を振り撒き、カメラに向かって状況を伝える。

「怪盗・黒猫が第四の犯行を予告した時刻まで、いよいよあと五分と迫って来ました! 美術館周辺は既に警視庁と城南署が合同で守りを固めています。果たして今回も、黒猫は予告通り現れるのでしょうか? そして警察は今度こそその犯行を阻止できるのか!? 注目の瞬間まで、もうまもなくです!」


 外野の賑やかさとは打って変わって、守備陣の間には張り詰めた空気が流れていた。

 青春の辟易が収められた金庫の前では中野・五十嵐・三島館長の三人が待機。外はぐるりと建物を一周するように機動隊が配置され、扉付近や廊下、窓の近辺など外部からの侵入が疑われる場所には、それぞれ係の警官が三人一組で警護の任に就き、炯々と目を光らせている。

 三度の失敗を踏まえているだけあって、それこそ猫の子一匹通さない鉄壁の守備体制が敷かれていた。これ以上失敗して警察の信用を失墜させるわけにはいかないのだという気負いがひしひしと感じられる。

 優菜と愛美は、中野・五十嵐・三島館長と同じ館内事務所で待機していた。

 時計に目をやる。――午後八時五十七分。

「鬼が出るか、蛇が出るか……」

 愛美がぼそりと不穏なことを呟いた。まぁ、出るのは猫なわけだが。



「さぁ、只今の時刻は午後八時五十九分。予告された時刻まであと一分を切りました!」

 レポーターが興奮した面持ちでテレビの向こうの視聴者を大仰に煽る。



「気をつけろ、何が起こるかわからんぞ」

 中野は無線を使って、各所にいる捜査員へと警告を促した。

 確固たる気構えを持って、怪盗〝黒猫〟を迎え撃つ。

 時計の秒針は既に半ばを過ぎた。



 表に集まった野次馬たちから、カウントダウンの声が聞こえ出す。


 人々はまるで年越しの瞬間を待つような賑やかさであった。


 五、四、三、二、一、――……


 かちりと、長針が頂上を指す。



「……!」

 予めセットされていた置時計のアラームがけたたましい音を室内に響かせた。

 午後九時。――怪盗〝黒猫〟が第四の犯行を予告した時間だ。

 中野・五十嵐は周囲を警戒するように身構え、気配に感覚を研ぎ澄ませる。

 三島館長はぎゅっと目を瞑って、緊張に耐えていた。

 愛美は好奇心に目を剥き、優菜は冷静な面持ちで成り行きを見守る。


 怪盗〝黒猫〟の出現を今か今かと待ちわびていた野次馬たちが、一斉にざわつき始めた。

 TVレポーターが表から見た様子をカメラに向かって実況する。

「えー、たった今〝黒猫〟の犯行が予告されていた午後九時になりました! しかしここから見る限りでは何の変化も見られません! 一体、内部では何が起こっているのでしょうか!? 警察の動向が気になります!」



 その頃、美術館内部では――

 時計の針が午後九時を示したその瞬間、突如として館内の全照明がシャットアウトされ、不敵な高笑いと共に、金庫のある一室は催涙ガスの坩堝と化していた――などというようなこともなく、秒針が午後九時を過ぎても、怪盗〝黒猫〟が現れることはなかった。


 ――午後九時一分。


「なんにも、起きないわね……」

 飽きっぽい愛美が少し拍子抜けしたように呟く。

 しかし他の面々はまだその緊張を解いてはいなかった。

 中野はひとまず無線で確認のための点呼を取る。

 各所から異常なしという応答が次々に返って来た。

「三島さん、絵を確認してください」

「は、はい!」

 中野の指示で三島館長は金庫を開け、中にある青春の辟易が無事であることを確認した。

「大丈夫です! 間違いなく、本物です!」

 中野は首肯し、無線でこちらも異常はないことを伝える。それでも念のため、まだもうしばらくは気を抜かず、持ち場から離れないようにと釘を刺した。

 何事もなく時は進んでゆく。


 ――午後九時十分。


 怪盗〝黒猫〟が姿を見せる気配は一向にない。

 その頃になって、ようやく中野の肩からも力が抜けた。

 無線で各捜査員に警戒の任を解くよう指示を下す。

「はぁ……」

 三島館長はあの妙ちくりんな絵を大切そうに抱えたまま、深く安堵の溜息を吐いた。

 そろそろ表に駆けつけた野次馬たちが痺れを切らして騒ぎ出す頃だろう。

「すみません。私はちょっと、外の方々に挨拶して来ます」

「ええ」

 三島が去って行くと、五十嵐は少々腑に落ちない顔つきで中野に尋ねた。

「一体どうしたんでしょうかね、奴さんは……」

「さぁな。それは俺にもわからんが、どうやら黒猫は現れんようだ」

 中野は優菜と愛美を振り返って言う。

「今回はお前らの手を煩わせることもなかったな?」

 そのとき、顎に手を当てた優菜がぽつりと言った。

「おかしい……」

 愛美をはじめとして、一同はふと面食らった顔をして優菜の意見に耳を傾ける。

「妙だと思わないか? 怪盗〝黒猫〟はこれまで三度に渡って犯行を成し遂げてる。いずれも予告状通り、一度だってそこに記された内容と違ったことはなかった。それが何故、今回に限って、姿すらも現さなかったんだろう?」

 中野が低く落ち着き払った声で言う。

「警察がいよいよ本腰を上げて乗り出してきたと知って、怖気づいたのかもしれん」

 優菜は首を振った。

「いや、最初の一回目はまぁデモンストレーションだとしても、あとの二回はきちんと警察の包囲網を突破しているんだ。今さら多少警戒が厳重になったところで、怖気づくようなタマとは思えない……」

 だったら、と五十嵐が意見を出す。

「黒猫側に、何か犯行を断念せざるを得ないようなアクシデントがあったんじゃないですかね」

「風邪をひいたとか?」

 愛美が適当な例を持ち出すが、優菜は深く考え込んだまま聞く耳を持っていなかった。

「……この事件には、何か裏がありそうだな」

「どうして?」

 愛美の素朴な問いに、優菜は苦笑して首を捻る。

「いや、別に。単なる勘だけどさ……」

 結局その日は撤収となり、優菜と愛美は一足先に帰宅を許された。


                 ***


 翌日の新聞には昨夜の一件が大きく取り上げられていた。


〝怪盗・黒猫、第四の犯行に失敗〟


 紙面上には警察が見事に犯行を阻止し、黒猫は為す術もなく逃走したという都合のいい文章が記載され、テレビでは今回ターゲットとされていた『青春の辟易』が、黒猫の魔手を逃れた奇跡の一枚であるとして紹介されていた。

 黒猫が盗み損ねた絵画を一目見ようと、ミーハーな人々がこぞって美術館に足を運んでいる場面が映し出され、三島館長がなんだか嬉しそうにインタビューを受けている。

 愛美はそれを眺めながら、のんびりとぼやいた。

「あーあ、残念。怪盗と対決してみたかったなぁー、ねぇ、ユウちゃんもそう思うでしょう?」

「……」

 優菜は白昼堂々、ワインを嗜みながら不機嫌そうに顔をしかめている。

 グラスに三分の一ほど注いだ濃紫色の液体を、少しずつ回しながら上品に呷る。その様を見て愛美は、絵になるなぁと妙に感心した。ふと思い立って話題を変える。

「そういえばさ、トン子ちゃんどうしちゃったのかしら? 確か昨日も来なかったわよね?」

 優菜は当然のように言った。

「あいつは帰省中だろ」

「え? そうなの?」

 驚く愛美を見て、優菜も驚く。

「あれっ、あたし言ってなかったっけ……?」

「うん、なんにも聞いてないよ」

 優菜は首を捻りながら、ごめんうっかりしてたわと頭を掻いた。

「おとといの晩、あいつなんだか真っ青な顔でやって来てさ、田舎のおふくろさんが急病らしいんだよ。看病のために一度帰らなくちゃいけないから、しばらくお休みをくださいってさ」

「ふぅん、そうだったの。大変そうね」

「まぁ落ち着いたら連絡するように言ってあるから、そのうち電話があるだろ」


                 ***


 夕方頃、探偵社に一通の電話があった。

 透子かもしれないと言って応対した愛美だったが、どうやら違ったらしい。

 受話器を差し出しながら、優菜を呼ぶ。

「ユウちゃん、中野さんからよ?」

「おっ、来たか」

 受話器を取った優菜は何やら中野と話し込んでいた。

 恐らくはまた何か調べ物を頼んでおいたのだろう。



 夕食を終え、風呂上りの愛美がしっとりと濡れた髪の毛をタオルで撫で付けながらリビングに戻ると、カーテンが揺れていた。

 テラスへと通じる窓が開いている。

 外を覗くと、優菜が柵に寄り掛かって夜風にあたっていた。

「……」

 眼下に広がる都会の街並みを眺めながら、ぼんやりと物憂げな表情。

 愛美は少し考えて、優菜の後ろ姿に近寄って行く。

「ユウちゃん」

 呼びかけると、優菜は僅かに首を捻って言った。

「お前風呂上りだろ、風邪引くぞ?」

「平気よ、すぐに戻るから」

 愛美はふふふと笑って隣に並ぶ。

「ねぇ、なに考えてたの?」

「事件のことだよ」

 まぁそれしかないでしょうね、と愛美は苦笑する。

「中野さんからの電話で、何かわかったんでしょ?」

「ああ。――」

 優菜は首肯し、自ら推理したこの事件の真相を一通り話した。

「――……あとは証拠だけなんだけど、いかんせん犯行の中身がシンプルすぎて、逆にとっかかりがないんだよ。どうしたもんかねー」

 説明を聞き終えた愛美はウーンとちょっぴり考え込むような仕草を見せたあと、唐突に声を上げた。

「あっ、ユウちゃん! 見て見て!」

 愛美は柵の外に身を乗り出して、遠く階下の地上を指差す。

「んっ?」

 優菜が何事かと示された先を見ると、ビルの前の道を人が行き交っていた。

 特に変わった様子もない。

 そのとき、愛美は某天空の城を付け狙う悪徳将校の如く高らかに哄笑した。

「ふははははーっ!! 人がゴミのようだあー!!」

「急にどうしたっ!?」

「えへへ。これ、一度言ってみたかったのよねー」

 優菜は呆れたように溜息を吐く。

「……あのなぁ、アイ」

「ジョークよ、ジョーク! でもちょっと面白いって思ったでしょ?」

 愛美はマイペースにころころと笑い、それからふと真面目なトーンになって言った。


「――私に良い考えがあるわ」


 優菜は意外そうな顔をして、その内容を尋ねる。しかし愛美はいたずらっ子な笑みを浮かべたまま、首を横に振った。

「うふふ、それは内緒♪」

「なんだよー?」

 優菜は半目になって愛美をぐいぐいと肩で押した。

「私にくらい教えてくれたっていいだろぉー?」

 愛美は優越感に浸った表情で、せっついてくる優菜に対し言葉を返す。

「私がそう言ったって、ユウちゃんはいつもぎりぎりになってからしか教えてくれなかったわ。これは日頃のお返しなんだから」

「まぁまぁ、そういうこと言わずにさぁ?」

「ダーメ、教えてあげない」

「ちぇっ。頑固者ー」

 優菜はつまらなそうに唇を尖らせる。

 愛美は自信に満ちた顔つきで、へへーんと胸を張った。

「とにかく、今度ばっかりは私に任せて貰いますからね? ユウちゃんは指でも銜えてみていなさい。きっとビックリさせちゃうんだから」


                  ***


 翌日、優菜と愛美は中野・五十嵐と共に再び美術館を訪れた。

 応接室で待つことしばし、三島館長がやって来る。

「どうも、先日はお騒がせしました」

「いえいえ。こちらこそ今日はお忙しいのにお時間取らせちゃって」

 一歩前に出た優菜はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら言った。

「テレビ、見ましたよ? 随分と話題になってるじゃないですか」

「いやぁ、……全くお恥ずかしい限りですよ」

「さっき廊下ですれ違ったんですけど、今日も取材か何かが?」

「ええ、テレビ局の方とそれから雑誌編集の方が、うちの特集を組みたいと……」

「へぇー、すごいじゃないですか。黒猫効果で、お客さんの方もかなり増えたんでしょう?」

「はは、おかげさまで」

「当然、こっちの方も?」

 チャリーンと、優菜はお金を意味するサインを出した。

「フフフ、どうなんです? 景気、いいんでしょ? このこのー」

 馴れ馴れしく身を寄せた優菜が肩をつっつくと、三島館長は内心の喜びを隠し切れないようにニヤリと調子のいい笑みを浮かべた。

「まぁ、些か不本意ではありますが、これもいわば……怪我の功名というやつですかねぇ?」

「またまたぁー」

 優菜は三島の謙遜をさも見透かしたかのように笑って言った。


「最初からそれを狙って予告状を書いたんでしょう?」


 ――軽い調子で投げかけられた一言だったが、三島はそこに込められた不穏な響きを聞き逃さなかった。


「それは、どういう意味ですか?」


 怪訝そうに眉をひそめ、優菜の方を振り返る。


「……」


 それまでフレンドリーに笑っていた優菜は、刃物を思わせる鋭い目つきになって三島を睨み付けた。声を落として、本題を切り出す。


「申し訳ないけど、いろいろと調べさせてもらいましたよ。経営不振に多額の負債、はっきり言ってこの美術館は潰れる寸前だったそうですね?」


 三島は白々しく優菜の視線から逃れ、悲愴な声で呟いた。


「残念ながら、いまどき美術館なんてなかなか流行らないものかもしれません……」


「そうでしょうか? 理由はそれだけじゃないと思いますけど?」

「参考までに、お聞かせ願いますかな?」

 三島に話を逸らそうという意図があるのは見え透いていた。

 しかし優菜はそれを逆手に取るべく、あえてその誘いに乗った。

「それじゃあ言わせて貰いますけど、ここの展示品は少々趣向が偏り過ぎてます。あなたの趣味なんでしょう? どれもこれもマイナーなものばかりだし、これじゃあ一般客は寄り付きません。かといってそういうのに詳しい人間から注目されているわけでもない。言葉を選ばずに言いますけどねぇ、――完全にあんたの自己満足なんだよ」

「……ッ!」

 自らの美意識を貶され、むっとして顔をしかめる三島に、優菜は話を続けた。

「開館から一年余りで早くも閉館の危機を迎えてしまったあんたは、なんとか客を呼び込むための手を講じようと考えた。そこで目をつけたのが、怪盗・黒猫の持つ話題性だ。高名な美術品を次々と盗み出しては世間を騒がせている怪盗の存在を知ったあんたは、彼女を都合よく客寄せのパフォーマンスに利用しようと思いついた。つまり、すべてはあんたの自作自演だったのさ。――自分が次の被害者になれば、当然世間の関心を集めることが出来る。さらには展示品に〝あの黒猫が盗み損ねた〟という箔がつけば、宣伝効果は抜群だ。そして何よりも方法が簡単だった。偽の予告状を作って、それを世間に公表するだけで金になる。全く児戯にも等しい茶番のようだが、実に上手いことを考えついたもんだ。商売人の鑑だよ」


 三島は開き直ったように小さく笑って、切り札を出した。


「そこまで仰るのなら、証拠を見せていただきたい。私が予告状を書いたと、一体どうやって証明するんですか?」


 確かに三島の犯行を決定づけるためには、その一箇所を攻めるしかない。

 しかし、それは事実上、不可能といわざるを得なかった。

 予告状はワープロで書かれたものであるため、筆跡鑑定が望めず、また本物の黒猫がしたためた前三件の予告状と比べてみても、ほとんど文面に差異は見当たらなかったのだ。

 そもそも予告状の内容自体が、日時と美術品名を指定するだけの簡潔な内容であるため、これといった特徴がないことが理由として挙げられる。


「……」


 眉をひそめて沈黙する優菜。今度は三島が見下げる番だった。


「まさかとは思いますけど、何の証拠もなく、あのような暴言を吐かれたんじゃありませんよね? もしそうだったとしたら、私はあなたを告訴しますよ?」


 下卑た薄笑いを浮かべた三島は、付き添っていた中野・五十嵐に視線を這わせる。


「刑事さんたち、あなた方が証人だ。この人は、何のいわれもなく私を侮辱しました。明らかな名誉毀損罪です」


 そのとき、それまで大人しく傍観していた愛美が不意に口を開いて言った。


「――証拠ならありますよ」


 途端、三島の顔色が俄かに曇る。


「……フフ、とっておきの証拠がね?」


 ほらほら、真打の登場ですよー、といわんばかりに格好つけて出て来る愛美を、優菜は少し心配そうに見つめていた。

 愛美の言うとっておきの証拠とやらが果たしてどんなものなのか、優菜は肝心なところを結局なにも聞かされていない。はっきり言って、もう嫌な予感しかしなかった。一体何を言い出すのだろうかと、ヒヤヒヤしながら見守る優菜。

 愛美からの電話で無理やり呼びつけられてここにいる中野と五十嵐も、概ね似たような心境だった。そもそも、優菜に解けない謎を愛美が解けるのかという根本的な疑問がある。

 様々な疑念や不安を抱えたまま、愛美はぱんぱんと張り切って手を叩いた。


「さて、それじゃあ……」


 探偵・白鳥愛美、事実上初の一人舞台が始まる。――


「ねぇ、五十嵐さん? 〝ワッパ〟見せてくださる?」


 ――と思ったら早速、奇行に出た。


「おいっ!」

 すかさず優菜の喝が跳ぶ。

 中野は嘆息し、五十嵐は「えー、またですかぁ?」と困ったように言った。

「あ、あのぅ、すみませんが、関係ないことはあとにしてもらえますか……?」

 三島からもそんなことを言われる始末に、優菜は痛恨の表情で眉間を押さえた。

「ねぇ、早く見せてよ?」

 愛美はお構いなしに、五十嵐へと手錠の要求を続けている。

「いや、別に今じゃなくても……」

「ダメ! 今すぐ!」

「あー、えーっと」

 愛美の扱いに困った五十嵐は助けを求めるように視線をめぐらせた。

「「「……」」」

 しかし周囲はもう完全に呆れている様子。

 五十嵐はふぅーと肩を落とし、しぶしぶ頷いてみせた。

「仕方ないなぁ、これっきりですよ?」

 ポケットから手錠を取り出し、愛美に渡してやる。

「ンフフ~、やっぱりテレビで見るのとおんなじね~!」


 受け取った愛美は嬉しそうに目の奥を光らせ、へぇ~だの、ふぅ~んだの言いながらその形状をじっくりと確かめている。


「アイ、いい加減にしろよお前? なにやってんだ、まったく」

 さすがに痺れを切らせた優菜が、注意を促すべく愛美に歩み寄った。

「ほら」と少し苛立ったように愛美の肩を叩く。


 瞬間、そのタイミングを待っていたかのように愛美は素早く振り返った。



 ――かちゃり……。



「……えっ?」


 ひどく間の抜けた声は優菜のもの。


 途方に暮れた面持ちで見つめる自らの腕には、手錠がぶら下がっていた。


 愛美は優菜の理解が追いつかないうちに、もう片方の腕にも金属製の輪を嵌め込んだ。


 優菜の両手は完全に拘束される。


「いやお前っ、なにしてくれてんの!?」


 中野・五十嵐・三島も理解を超えた愛美の行動に思わずぽかんとしている。


「言ったはずよ? ユウちゃんのことなら、何でもお見通しだって……」


 ニヤリと不敵な笑みを浮かべた愛美は、唐突に語り始めた。


「――最初に引っ掛かったのは、松山さんからの素敵な贈り物です。中野さんからカルティエを受け取ったとき、あなたフロアの壁時計に目をやりながら、指針をいじっていたでしょう? どうしてそんなことしちゃったの?」


 優菜は不愉快そうに表情を歪めて、首を傾げた。


「何を言ってるんだお前」


 愛美は構わず、後ろを振り返った。


「ねぇ、中野さん? いま、何時?」


 急に話を振られた中野はよくわからないというような顔をしながら腕時計を確かめる。

「……二時十五分だが」


 愛美は優菜からカルティエの腕時計を取り上げて、その文字盤を示した。


 カルティエの指針は二時十五分をさしている。


「ウフフ、わからないかしら? この腕時計はね、五分進んでいたからこそ思い出の品だったのよ。それを平然と、しかもあんなタイミングで元に戻しちゃうなんて、私びっくりしたわ。というかそもそも、針を進めたのはユウちゃん自身じゃない? 忘れちゃってたのかしら?」


 優菜は黙りこくったまま、答えない。


 愛美は話を続けた。


「次に引っ掛かったのは、予定時刻を過ぎても黒猫が現れなかったとき。この事件には何か裏がありそうだって言うものだから、私は根拠を尋ねたの。すると、あなたこう答えたわ。――〝単なる勘だけど〟って……」


「それが、何だってんだよ」


 優菜の言葉はあからさまにぎこちない。


「あら、ユウちゃんは以前まるっきり逆のことを言っていたじゃない? 〝私は勘で人を疑ったことなんて一度もありません〟ってさぁ? せっかく格好良かったのに、あんなこと言ったちゃったら台無しよ?」


「そんなこと言ったっけなぁ。いちいち覚えてないよ」


 優菜の返答はなにやら嘘くさい響きを孕んでいたが、愛美は「うっかりさんねー、もうー」と軽く受け流した。「はは……」と誤魔化すように笑う優菜。


「でも、その言い訳が通るのはここまでよ」


 愛美はきっちりと釘を刺して、告げた。


「決め手になったのは昨日の晩、テラスで物思いに耽っているあなたを見たときです。あなたは知らないでしょうけどね、ユウちゃんは『高所恐怖症』なのよ。だから今まで一度だってテラスに近づいたことなんてなかったわ。いくらうっかりさんでも、自分の怖い物まで忘れちゃうなんてことはありえません。さすがに怪しいと思って、一つカマをかけてみたんですよ……」


 はたと優菜の脳裏に、昨夜の光景が蘇る。



 ――〝あっ、ユウちゃん! 見て見て!〟

 ――〝ふははははーっ! 人がゴミのようだあー!〟



「……まさか」

「フフ、何か心当たりがあるみたいね?」

 愛美は意地悪く笑って言った。

「実はその通りなの。私が試しに柵から身を乗り出して真下を指差すとね、あなた平気な顔で百数十メートルも下の地面を見下ろしていたわ。それで私、確信しました。〝あっ、このユウちゃんは偽物だな〟ってね?」


 それから、と愛美は隠し持っていたテープレコーダーを取り出した。


「最後にあなたは、ある決定的なミスを犯しました。……ちょっと、これを聞いてもらえますか?」


 レコーダーから再生されたのは、ついさきほどのやりとりだった。



『……世間を騒がせている怪盗の存在を知ったあんたは、彼女を都合よく客寄せのパフォーマンスに利用しようと思いついた。つまり、すべてはあんたの自作自演だったのさ――』



「はい、ストップ。――今のところ、もう一度いきますね?」

 少し巻き戻してから、同じ箇所をリプレイする。



『……あんたは、彼女を都合よく客寄せのパフォーマンスに利用しようと思いついた。――』



 ハイここです、と愛美はテープを止め、周囲の反応を仰いだ。

「お分かりですか?」

 中野と五十嵐は何かに気づいた様子だった。

「……」

 愛美は優菜の目をじっと見据えて、それを指摘する。

「あなた、黒猫のことを――〝彼女〟と言ってるんですよ? 私は黒猫関連の話題にはけっこう詳しい方なんですけどねぇ? テレビ・新聞・ラジオ・警察の調書にだって、黒猫の性別なんかまだどこにも記載されていないはずですよ。それなのに、どうしてあなた、怪盗・黒猫を女性だと思ったんですか?」


 優菜は答えない。そして答えられないわけを、愛美は知っていた。


「私を甘く見たわね……」


 一拍間をおいて、切りつけるように言う。



「――怪盗・黒猫さん?」


〝!?〟


 驚愕の表情を浮かべて、咄嗟に優菜を凝視する一同。しかし俄かには信じ難い。

 近くからこうしてまじまじと見つめても優菜にしか見えないその人物は、不意に得体の知れない笑みを頬に湛えて、顔を上げた。


「……バレちゃった」


 魅惑的な響きを持った女の声が、べったりと耳元にからみつく。

 その声はもはや、優菜の声帯を摸写したものではなかった。

「あなたは上手く化けたつもりだったかもしれないけどね、正直言って、細かい部分で気になるところはたくさんありましたよ?」

 愛美は驚きもせずに肩を竦めて、優菜お得意のポーズを取る。

「たとえば松山さんの訃報を聞かせれた直後、あなた私を気遣って、そっと肩に手をまわしてくれたでしょう? ユウちゃんにしては、ちょっと気が利き過ぎです。それからユウちゃんはワインをあんなお上品に飲んだりなんかしませんし、犯人を問い詰めるときは、もっとネチネチじわじわ、遠まわしに責めるんですよ。声や姿は確かにユウちゃんそっくりだけど、ちょっと中身が勉強不足だったみたいですね?」

「仕方ないわ。所詮は俄仕込みだもの」

 正体を見透かされたにも拘らず、黒猫の態度は余裕に満ちていた。

「あなたは最初からこの事件が何らかのフェイクであることを知っていた。自分の名前で書かれた見知らぬ予告状。――その真相を確かめるため、最初から捜査関係者になり代わるつもりだった。そうでしょう?」

「ええ」

 優菜の姿をしたまま、黒猫は快く頷いた。

「私たちに目をつけた理由は何? やっぱり化けるなら同じ女性の方が楽だったから? それとも、助っ人という私たちの立場が一番都合に見合っていたからかしら?」

「うーん、まぁ両方ね」

「あなたはまず、私たちの基本的な人物像を把握するため、数日間、探偵社へと潜入した。――そう、……〝蒲郡透子〟としてね? トン子ちゃんっていうのは、あなたの仮の姿。本当はそんな人物、この世に存在しないのよ」


 黒猫はどこか満足げに嗤った。


 手錠で繋がれた両手を軽く挙げて、降参のポーズを取る。


「こんなことだったら、あなたに化ければよかったかも」


 うーん、それはどうかしら、と愛美は首を捻る。


「今回はたまたま不覚を取ったみたいだけど、ユウちゃんは私の何倍も手強い相手よ? きっと結果は同じだったと思うわ」


「人選を誤ったな」と五十嵐が言った。

「こいつらと関わった犯罪者は、ロクなことにならんのだよ。お前は進んで火中の栗を拾ったに過ぎない」

 中野はそう告げてから、逃亡防止のため、黒猫のそばに立った。

 しかし黒猫はもとより逃げるつもりなどない様子で、少し思案するように唇を尖らせている。


「――危険な二人か……。フフ、いいわ。今後、私のブラックリストにあなたたちの名前を刻んでおくことにする。怪盗・黒猫、唯一の好敵手としてね?」


 それから黒猫は、自身の登場によってすっかりその存在を霞まされ、終始居心地悪そうにしていた三島の方を振り返る。


「三島さん、見てのとおり、証拠はこの私よ? あなたもこれでお終いね」


 がっくりと肩を落とした三島は、ふと真摯な顔つきになって小さく口を開いた。


「一つだけ、言い訳をさせてください。私は何も、お金のためだけにあなたの名前を借りたわけじゃありません……。私はここに集めた展示品の数々を、もっとたくさんの方々に、見て貰いたかったんです……。そして、その素晴らしさを知ってもらいたかった……」

 黒猫は「そう」と相槌を打ってから、ちょっぴり愉快そうに答えた。

「信じるわよ? だって、絵について語っているときのあなたは本当に楽しそうだったもの」

 三島はふと泣きそうな顔になって、深く頭を下げる。

 中野は黒猫の肩を叩いて先を促した。

「さぁ、行こうか。お前にはこれから、聞きたいことがたっぷりあるんだ」

 犯行の手口や、彼女が一体何者であるのか、その素性・動機など、黒猫の本質に迫る謎は依然として未開のままなのである。


「まったく無粋な人たちね」


 黒猫は遥か高みから見下ろすような態度で、探求者に皮肉を呈した。


「謎は解き明かされないからこそ、魔性の光を放つというのに……」


「バカヤロウ。生意気言っていられるのも今のうちだ。署に着いたらみっちり絞ってやる」


「あっ、ちょっと待って?」


 連行されてゆく黒猫を、愛美はふと思い立って今一度呼び止めた。


「せっかくだから、最後に一つだけ……」


「……ん? 何かしら?」


 すっと息を吸い込んだ愛美は、キッと黒猫を睨みつけ、情感たっぷりに言い放った。


「――この、ドロボウ猫っ!」


 黒猫の驚いた顔は、やがて毒気を抜かれた笑みに変わる。


〝もしかしてそれも、一度言ってみたかったの?〟と。


 愛美は照れたように頷いた。


 そして黒猫も最後に一つ、愛美を指差して告げるのだった。


「今回は花を持たせてあげるけど、次は負けないわよ。――探偵さん?」




 …………。

 優菜はその後、蒲郡透子の名義で借りられていたアパートの一室から発見され、無事に保護された。どうやら薬で眠らされていたらしく、幸いにも軽い栄養失調だけで事なきを得た。

 怪盗・黒猫を逮捕するという大手柄を立てた愛美には、後日、警察から感謝状が贈られ、『YOU&I探偵社』には、連日マスコミ各所から取材の問い合わせが殺到した。

 その流れで過去に解決した事件にも目が向けられる運びとなり、二人は実力と容姿を兼ね揃えた女流探偵として、一躍世間の注目を集めることとなったのだ。


                 ***


「とうとう私たちも有名人ね~。うふふ、もう気軽に外を歩けないわ~」

 愛美は自分の出ているテレビ番組をチェックしながら、すっかりスター気分に浸りきっていた。愛美宛のファンレターや花束で埋め尽くされた部屋の中、優菜は昼間っからいじけて自棄酒に耽っている。というのも、脚光を浴びるのは愛美ばかりで、優菜はほとんどスルーに近い扱いだったためだ。先日、二人してテレビ局に招かれた際、スタッフの一人から愛美のマネージャーだと勘違いされた優菜は、それ以来すっかり機嫌を損ねてしまっていた。

「ちぇっ、いいよいいよ……。どうせ私なんか……」

 うじうじとくだを巻き、「ぷはぁーっ!」と高級ワインのシャトー・マルゴーをラッパ飲みする優菜を見て、愛美はどこか安心したように微笑んだ。

 不意に胸の奥をどうしようもなく擽られた気持ちになる。

 愛美は猫のようにくりくりとした目つきで、優菜の許にすり寄った。

 無防備な背後から柔らかく抱きつき、軽く上気した耳元に艶かしく唇を這わせる。

「ねぇ、怒った……?」

 絡みつく愛美の吐息と甘えた声に、優菜は小さくむずかった。

「別に……」

 愛美はどこかうっとりとした表情を浮かべ、素っ気ない優菜の顔を覗き込む。

 束の間、危険な静寂があった。

 微熱を孕んだ二人の瞳が、沈黙の中を交差する。


 秘密の色香が漂う午後、電話のベルがけたたましく鳴り響いた。


「はい、YOU&I探偵社です」

 愛美が受話器を取ると、優菜はふっと溜息を吐いて、気を取り直すようにワインを一口含んだ。


「――なにぃいーっ!? 殺しッ!?」


 ドスの利いた愛美の声が耳を突く。


「ぶーっ!! げほっ、げほっ! ごほっ!」


 驚いて噎せ返る優菜に、振り返った愛美は「なーんちゃって」と舌を出して笑った。


「ユウちゃん、中野さんからよ?」

「ばか、脅かすなよ」

 優菜は愛美の頭をぽんぽんと叩いてから、電話口に立つ。

「栗原です。はい……うん、……うん」

 中野から用件を聞いた優菜は、はたと顔色を変えた。


「わかった、すぐに行く!」


 何やら一騒動起こりそうな気配。


 通話を終えた優菜は、勢い良く愛美の方を振り返った。


「アイ、事件だ!」


 不意にどこかで、ノックの音を聞いた気がした。――


「拘留中の怪盗・黒猫が、脱走したらしい」

「……!!」


 新たな事件が、二人の門戸を叩く音。――


「行くぞ、アイ」

「うん!」

 大急ぎで身支度を整えながら、愛美はなんだかニヤニヤしている優菜に声をかけた。

「嬉しそうね?」

 当たり前だと、優菜は目の奥をギラつかせながら言った。

「こんな終わり方、納得いくかってんだ。あいつには借りがあるからな……。今度こそ私の手で捕まえてやるんだ」

 玄関を出る際、愛美が何か思い立ったように口を開いた。

 しかし、優菜はそれを咄嗟に遮り――。



「――私達の戦いは、これからだ!」



「あーん、それ私が言おうと思ったのにぃ~!」

 お株を取られて悔しがる愛美に、優菜は忸怩たる思いで打ち明けるのだった。


「フフ……。あたしも一度、言ってみたかったんだ」



 ――開け放たれた扉から、二人を包むように光が差し込んだ。





                         最終話「探偵VS怪盗」おわり

はい、というわけで――。

“おまけ”に近いといった意味は、お分かり頂けたと思います(笑)

まぁ、クオリティー的には前回の方が高かったと思うんですけど。

しかし、全体的なバランスを見るとどうでしょうか?

前回・前々回は、はっきり言ってちょっと浮いてるんですよね。

それまでの流れからしても、いきなり暗いし、テーマも重いし。

なので、物語を締め括るのに相応しいのはどちらかと言われたら、

ウ~ン、やっぱこっちかなぁ~とも思ったりなんかして。

まぁ結果、打ち切りENDなんですけどネ……。

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