表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/8

第二話「時計仕掛けの車輪」

第二話「時計仕掛けの車輪」


 深夜、一人の男が塀を乗り越えて広大な敷地の中に侵入した。辺りは人気もなく、しんとした夜の静謐に包まれている。ふと空を見上げると巨大な観覧車のシルエットが闇に溶け込みながらも堂々とした佇まいで聳え立っていた。男はそれを目印にして走り出す。

「……」

 物陰に身を潜め、辺りに人影がないことを慎重に確認すると、男は素早くゴンドラの一つに忍び込んだ。背負っていたリュックサックを下ろし、中から何かを取り出す。手元を照らすためにポケットからライターを取り出し、作業を始めた。

 五分ほどでそれを終え、男はその場をあとにする。来たときと同じように人の気配に注意しながら塀を乗り越え、敷地の外に出た。大きく息を吸い込んで吐き出し、緊張と運動とで乱れた息を正す。煙草を一本取り出して銜えた。そこではたと気がつく。ライターがない。恐らくはさっきのゴンドラの中に忘れて来たのだ。苛立ったように溜息を吐き、男は再び塀を乗り越えた。今来たばかりの道を走って戻る。その途中、前方から小さく光が差した。

「――!」

 懐中電灯の明かりだ。男は慌てて近くの物陰に身を隠す。数秒遅れて、一人の警備員が駆け足気味に、通り過ぎて行った。

 男は安堵し、さきほどよりも慎重に辺りの様子を窺うと、再び夜闇を裂いて走り出した。

 素早く青い色のゴンドラに潜り込んで、ライターを探す。しかし今度は光源がないため、室内が良く見えない。仕方なく隅から隅まで手のひらを這わせて探したが、何故かライターは見つからない。もしかするとゴンドラの中ではなく、帰り道のどこかで落としたのかもしれない。一応、思い出せる限り同じ道順を辿って戻ってはみたが、辺りは暗く敷地内は広大なため、結局ライターは見つからずじまいだった。


                 ***


 朝、早々に身支度を整えた優菜は玄関先で愛美を待っていた。

「アイ、まだか!?」

リビングの方から暢気な声が返ってくる。

「もうちょっと待ってー」

 優菜は辟易した様子で溜息を吐いた。

「ったく、これで何度目だよ……。開園時間に間に合わなくなっちまう……」

 愛美を急かすために一度リビングに戻ると、愛美は身支度を終えてテレビを眺めていた。

「おいおい、なにやってんだよ。急げって言っただろ?」

「ん~、ちょっと待ってよぅ。これだけ見たらすぐに行くから」

 愛美がぐずぐずと見ていたのは、毎朝のニュースでやっている星座占いのコーナーだった。

 既に二位から十一位の発表は終わり、あとは一位と最下位の発表を残すのみ。

『本日の一位は天秤座のあなた! 勝負事に強い一日となるでしょう。ラッキーカラーは青』

 仕方なく一緒に見ていた天秤座の優菜が「おっ」と小さく感嘆する。

『――本日の最下位は乙女座のあなた。思いがけない不運に見舞われそう。慎重な行動を心がけましょう。ラッキーカラーは赤』

 乙女座の愛美は「えー」と落胆した。早々にテレビの電源を切って優菜が促す。

「ほら、行くぞ?」

「ちょっと待ってて、今着替えるから」

「はぁ? 別にその格好でいいじゃん」

「やっぱり赤の服にする」

「ンなこといちいち気にしなくていいんだよ!」

「でもあの占い、結構当たるのよ?」

「迷信だよ、迷信! もういいから行くぞ!」

 優菜は無理やり愛美の手を引っ張って部屋を出た。

 本日は日曜日。二人が向かう先は最近出来たばかりの遊園地だった。

 タクシーの中で、愛美はうきうきと予め入手しておいたパンフレットを眺めている。

 その隣で優菜は腕時計を気にしながら、少し苛立っていた。

「この分じゃあ、開園時間には間に合いそうにないな……」

「うふふ、せっかちさんね~、ユウちゃんは~。もう、そんなに楽しみだったの~?」

 他人事だと思ってからかうように言う愛美に、優菜はほとほと頭を抱えた。

「あのなぁ? そもそも行きたいって言い出したのはお前の方の方なんだぜ? 相当な混雑が予想されるから、朝は早めに出ようって言い出したのもお前だ。大体、遊園地に行くなら別に平日だっていいだろ。どうせ私たち暇なんだしさ? 何でわざわざ一番混み合う日曜日なんかに行かなきゃならないんだよ?」

「だってぇー、ガラガラの遊園地なんて楽しくないじゃない。賑やかな方がいいの!」

「また、わがままばっかり……」

 二人はそれから一時間ほどで目的地に着いた。

「――うわぁ~! すご~い!」

 きらきらと子供のように目を輝かせて感激する愛美。それまでは不承不承といった様子だった優菜も、いざ目の前にしてみるとさすがに驚いて目を丸くした。

「……広いなぁー」

 ちょうど一週間前に堂々とオープンした『東京ディスティニーランド』は、国内最大級の敷地面積を誇り、アトラクション数は三百を越える、超巨大テーマパークだった。

 開園初日から、早くも来場者数は五万人を軽く突破していたという、今、世間でもっとも話題になっている場所だ。ミーハーの愛美がこれに食いつかないはずはない。

 楽しい音楽に合わせて、そこら中から舞い落ちる七色の紙吹雪、四方八方から聞えて来る歓談の声、青空に次々と打ちあがる景気づけの花火、様々なアトラクションはどれに乗ろうかと目移りしている時間だけで日が暮れしまいそうになる。開園からまだ三十分しか経っていなかったが、場内は既に老若男女、見渡す限り人で溢れかえり、物凄いことになっていた。

「こんな場所ではぐれちまったら大変だぜ……」

「うふふ、そんなこともあろうかと、ちゃんと準備はして来たわ」

 愛美はハンドバッグから小型の携帯無線機を取り出して、優菜に手渡した。

「ユウちゃん、これを持ってて? もしはぐれちゃったら、これで連絡を取るの」

「ちぇっ、こんなことばっかり気が利くんだから」

 素気無い優菜の腕に抱きついて、愛美はころころと猫のような仕草で笑った。

「さぁ、どれに乗ろうかなぁ」

「ばか、あんまりくっつくなよー?」

 二人は仲良く手を繋いでアトラクションを回り始めた。


               ***


 一時間後。優菜はすっかり青ざめた顔をして、ふらふらと近くのベンチにもたれかかった。

「う~ん、気持ち悪いよぅ……」

 愛美はけろっとした顔で「大丈夫?」とカップに入ったコーヒーを差し出す。

「……あんなに絶叫系ばっかり攻めやがって、私は三半規管が弱いんだよ」

「でもまだ三分の一もまわってないのよ? とりあえず、今日中にジェットコースター系だけでも制覇したいなぁーと思って」

「冗談じゃないよ。いいから、ちょっと、休憩させて……」

 優菜はコーヒーを一口含んで、しみじみと一服した。

「ふぅー……」

 愛美はその間もパンフレットを広げて、次に向かうアトラクションを選定している。

「あ、そうだわ!」

 そして何か妙案を思いついたように言った。

「ちょうど近くだし、次はあれに乗りましょうよ!」

 愛美が指差したのは、ディスティニーランド名物の一つ、直径四百メートルの大観覧車だった。しかし優菜は慌てたようにぶんぶんと首を振る。

「ダメダメダメ!! あれだけは絶対にダメ!!」

「えー、どうして? あれならただ座ってるだけだし、ユウちゃんも楽ちんでしょう?」

「いや、あたし、高い所が駄目なんだよ!」

 優菜は高所恐怖症だったらしい。愛美は不思議そうな顔をする。

「あれっ? そうだったの? でも私たちが今住んでるところは、高層ビルの最上階じゃない? そっちは平気なの?」

「別に平気ってわけじゃないけど、とにかく下が見えるのが駄目なんだよ。それに観覧車なんて、あんな細い枝一つに宙ぶらりんじゃねーか。考えられねーよ」

「さっきのジェットコースターだってそこまで嫌がらなかったのに」

「あれはスピードが速いから高いとかそんなことを気にしてる余裕がなかっただけ。あんな風にじわじわと高所に持って行かれたら、あたし気絶しちゃうよ……」

 優菜は聳え立った観覧車をふと見つめて、何を想像したのか苦い顔になった。

「そっかぁ……」

 愛美は観覧車を眺めながら、なんだかあからさまに残念そうな表情をしている。

 なんだか少し悪い気になって、優菜は仕方なく提案した。

「お前、一人で乗って来たらどうだ?」

 その途端、愛美の表情がぱっと明るくなる。

「いいの?」

 あまりにもわかりやすい愛美の反応に、優菜は苦笑を浮かべながら頷いた。

「ああ……。私はここでしばらく休憩してるからさ? せっかくだし乗って来い」

「うん、じゃあ行ってくる! ちゃんとここで見ててね! 絶対よ!」

「はいはい」

 優菜はひらひらと手を振って、適当にあしらう。

 愛美は嬉しそうに笑って、観覧車の搭乗口へと駆けて行った。

 そのとき、一組の親子がちょうど、ベンチに腰かけた優菜の前を通り過ぎた。

 小学生くらいの女の子が母親らしき女性の手を引きながら、必死に何事かを訴えている。女の子は観覧車を指差しながら、あれに乗りたいと、駄々を捏ねている様子だった。

 そんなにワガママ言うんだったら一人で乗ってきなさいと、終いには怒られてしまい、泣き出してしまう少女。

 その姿がなんとなく愛美と重なって、優菜は小さく苦笑するのだった。


               ***


 時を同じくして、ディスティニーランドの管理局に一本の電話があった。

 責任者を出せという男の声に従って、オペレーターは局長の男にラインを繋ぐ。

「はい、お電話変わりました、局長の田辺です」

 中年の管理職員が慣れた調子で応対すると、受話器の向こうの男は唐突に、何の前置きもなく、信じられないことを切り出した。


『――昨夜、おたくの観覧車に爆弾を仕掛けた』


「なっ、なんだって……!?」

 その場にいた全員が驚いて振り返る。


『時限装置付きの爆弾で、タイムリミットは午後三時。安全面を考慮するのであれば、今すぐ観覧車を停止させろ。ちょっとの衝撃でも誤爆する危険性は高い』


「ばっ、馬鹿な。悪い冗談はよせ!」

『……俺の話が嘘でない証拠として、十分後に東の広場にあるキャラクターのオブジェを一つ爆破する。火薬の量は最小限に抑えてあるが、大事を取るのであれば、今すぐ周辺の客を避難させた方がいい』

「まっ、待ってくれ!」

 局長の男は慌てて取りついた。

「アンタは要求は何だ!?」

『……それはまた追って伝える。まずは十分後の余興を……』

 通話は一方的に途切れた。只事ではない雰囲気を察して何事かと尋ねてくる局員たち。

 局長は顔を青くして、すぐさま指示を飛ばした。

「場内アナウンスで、東の広場にいるお客様に大至急避難を煽いでくれ! 警備員を動員して速やかに誘導させるんだ!」


                 ***


 場内の至る所に設置されたスピーカーから、一斉にそのアナウンスが流れ出した。

『ご来場の皆様にお知らせします。只今、諸事情によるトラブルが発生いたしました。園内、東に位置する〝憩いの広場〟においでのお客様は、ただちにその場から離れ、係員の誘導に従って近くの建物に避難してください。繰り返しお伝えします。――』

 アナウンサーの声は落ち着き払った調子であったが、その警告じみた内容に含まれる不穏な気配に、幸せそうな人々の表情は曇り出す。

『只今、諸事情によるトラブルが発生いたしました。園内、東に位置する〝憩いの広場〟においでのお客様は、ただちにその場から離れ、係員の誘導に従って近くの建物に避難してください。――』

 何事かとざわめく人込みの中で、優菜もその放送を聞いていた。

「……なんだ?」


                 ***


 その頃〝憩いの広場〟では、駆けつけた警備員と付近の係員とが一緒になって、懸命な避難誘導にあたっていた。

「危険です! ただちにオブジェの側から離れてください!」

「押さないで! どうか焦らず速やかに避難をお願いします!」

「急いでくださーい!!」

 彼らの一方的な指示に急き立てられ、わけも分からずに逃げ惑う人々。迅速な対応の甲斐あって、男の明示した時間より早く、周辺の避難は完了した。

 そして――。

 その瞬間(とき)、場内にいた数千人の来客が一斉に足を止めて、振り返った。

「――!?」

 地面を揺るがす衝撃と爆発音。激しい炎が上がって、憩いの広場中央に設置されていたオブジェの一つが、粉々に吹き飛んだ。

 一瞬遅れて至る所から悲鳴が上がり。現場は阿鼻叫喚の地獄絵図、場内は騒然となる。



 監視カメラの映像から爆発の様子を見ていた管理局長は茫然と立ち尽くした。

「局長! 大変です!」

「……わかってる」

 詰め寄って来る局員に対し、田辺は半ば放心した様子で声を震わせながら言った。

「今すぐ大観覧車を緊急停車させろ。それから、警察と消防に連絡を……!」



「おい、一体なにが起こったんだよ!?」「どっかで爆発があったらしい!」「遊園地の管理局に予告の電話があったって、さっき警備員の人が――」「ってことは、テロ!?」

 混乱し、出口を求めて逃げて来る人の波に逆らいながら、優菜は小型無線機で上空にいる愛美と連絡を取った。周囲の喧騒に掻き消されないよう、声を張って話す。

「アイ、聞える!?」

『――ユウちゃん。いま外で凄い音がしたけど、何があったの?』

「わからん! 何か事故があったらしい! お前、そこから何か見えないか!?」

『うん、ちょっと待って』

 愛美の乗ったゴンドラはもう少しで頂上に差し掛かるところだった。

『……煙が上がってるわ』

「方角は!?」

『えーっとねぇ、お城のある方よ』

「わかった! ちょっと行ってみる!」

 優菜はディスティニーランドのシンボル的存在である灰かぶり城を目印にして、爆発のあった現場に向かおうとする。しかしそのとき、無線機越しの愛美が『あっ!』と不意に驚いたような声を上げた。優菜はすぐに問い質す。

「――なんだ、どうした!?」

『今ちょっとゴンドラがガタンって揺れて……って、あれ? この観覧車、止まってない?』

 優菜は思わず足を止めて、驚嘆した。

「はぁっ!?」

 二度目のアナウンスが場内に流れる。

『観覧車にご搭乗のお客様にお知らせいたします。只今停電のため、当機は一時的に緊急停止しております。復旧まで、どうかそのままでお待ちください。――』


                 ***


 午後十二時。警察と消防が通報を受けて到着し、管理局では中野刑事と五十嵐刑事が、犯人の電話を受けた田辺局長から詳しい事情を窺っていた。

「――電話があったのは確か、十一時二十分頃でした。男の声で、昨夜うちの観覧車に爆弾を仕掛けたと……」

「犯人の要求は?」

「いいえ、それが何も……。またあとで連絡すると、ただそれだけ……」

 中野が質問し、それに対する局長の証言を五十嵐が手帳に書き留めてゆく。

「昨日の夜間、地上に降りていたゴンドラがどれか分かりますか?」

「ええ。閉園後は各機点検を済ませて、いつも一号機が下に」

「その一号機というのは?」

 田辺局長は窓から観覧車の方を見て、該当のゴンドラを指差した。

「あれです。ちょうど今、頂上にある緑色のゴンドラが一号機です」

 中野は双眼鏡を借りて、一号機を見た。

「……女性が一人乗ってるようだ」

 田辺局長は落胆したように頷き、唇を噛んだ。

「今日は日曜日ですし、どのアトラクションも大変混み合っておりまして……」

 五十嵐が口を挟んで尋ねた。

「現在の乗客数は?」

「恐らく百人近い人数が、あの観覧車の中に……」

 中野は少し考え、仮説を立てた。

「――休日に女性がたった一人で遊園地に来ることは稀だと思います。恐らくは彼女の友人か恋人、家族が一緒に来ているはずです。場内放送で、現在観覧車に乗っている人たちの関係者を集めてください」

「わかりました」

 田辺局長が下がって行くと、捜査員の一人から報告を受けた五十嵐が中野に伝えた。

「先輩、本庁の爆発物処理班が今こっちに向かってるそうです」

「そうか。お前も田辺さんに協力して、一号機に搭乗している女性の知人を絞り込んでくれ」

「はい!」


                ***


 十分ほどして、五十嵐が戻って来た。何故か浮かない顔をしている。

「なんだ、見つからなかったのか?」

 中野の問いに、五十嵐は「いえ」と首を振る。

「中野さんの読み通り、友人の方がいらっしゃいました……」

「そうか。よし、ここへ呼んでくれ」

 しかし五十嵐は少々困った顔をして頭を掻く。どうにも歯切れが悪い。

「それが、そのぅ……」

「何だ?」

「……本当にいいんですね?」

「チッ、いいから早く連れて来い!」

 何も知らない中野にどやされ、五十嵐はしぶしぶ、その友人とやらを呼びに行く。

 そうしてやって来た人物と対面し、中野は痛恨の表情を浮かべた。

「お、お前は!?」

「――あ、ども」

 優菜は不服そうな顔で会釈した。

「それじゃあ、友人っていうのは、まさか!?」

 苦笑しながら、優菜は頷く。

「事情はさっきこの人から聞いたよ。どうやらその爆弾が仕掛けられたゴンドラに乗っているのは、ウチの愛美らしいね?」

 中野は思わず頭を抱えて、八つ当たりのように連れて来た五十嵐を睨んだ。

「間違いはないのか……?」

「ええ、残念なことに……。そもそも放送を聞いて集まってくれたのが、僅か二人でしたから間違いようがありませんよ」

「まぁ絶叫系のアトラクションならともかく、観覧車にはみんな連れと一緒に乗るもんだ。特別、高いところが苦手な人間以外はね」

 優菜は意地悪く笑いながら、自分の顔を指差した。

「最悪だ……」

 落胆する中野に、五十嵐はおずおずとフォローを入れる。

「しかし先輩、一つ朗報があるんです」

「あぁ? そんなものあるわけないだろ……」

「実は彼女、小型無線機を携帯しているらしいんですよ」

「何だと? それじゃあ、連絡が取れるのか?」

「はい」

「不幸中の幸いだな……」

 中野は優菜の方を振り向いて言った。

「おい。爆弾のこと、もうあの女に話したのか?」

「いいや、まだ話してない。こうなった以上は、アンタ方の指示に従おうと思ってね」

「そうか。もうじき爆弾処理のプロが到着する。それまでは黙っていろ、いいな?」

「ああ、わかったよ」


                 ***


 午後十二時三十分、爆発物処理班が現場に到着した。

 一人の男が数人の部下を引き連れて管理局に現れる。

「――久しぶりだな、中野」

「ご無沙汰してます」

 中野が厳かに頭を下げ、五十嵐はかなり緊張した様子で挨拶した。

「始めまして、新人の五十嵐と申します! 警部のお噂は、警察学校時代からかねがね窺っておりました! どうかお見知りおきを!」

「フフ、そう畏まらんでくれよ。俺は今日で退職の身だ。まさか、最後の日にこんな事件を任されるとは思ってもみなかったがな?」

 挨拶もそこそこに、男は早速本題に取り掛かった。

「問題のゴンドラは?」

「ええ、ちょうど今、あの頂上で停車しています」

 中野から差し出された双眼鏡を使って、男は窓から観覧車を見た。

「……ウゥム、地上からは完全に隔離された状態か」

「ひとまずは該当のゴンドラを地上に下ろしてから、爆弾の撤去作業に取り掛かるしか方法はないと思うんです」

「いや、その判断は尚早すぎるぞ。爆弾がどのような代物か判らん以上、下手に刺激するのは危険だ。ひとまずは犯人からの電話を待とう。爆弾に関する詳細な情報を得ることが先決だ」

 管理局の一室は既に緊急対策本部と定められ、関係者以外は立ち入り禁止となっていた。そんな中で、男はふと優菜に目を留め、側にいた五十嵐に尋ねた。

「君、こちらは?」

「ああ、彼女は例のゴンドラに乗っていらっしゃる、白鳥愛美さんのお連れの方です」

 紹介を受けて、男は優菜に歩み寄った。

「保護者の方ですか」

「……え?」 

 男の問い掛けに、優菜は少々面食らった表情をする。

「私は、爆発物処理班・班長の松山です。今回こちらで指揮を執らせていただくことになりました。お嬢さんのことはご心配でしょうが、どうか我々にお任せください」

「ええ、こちらこそ。よろしくお願いします」

 優菜も丁寧に頭を下げて挨拶した。

「警部、実はですね……」

 中野は松山に小型無線機の事実を伝えた。――

「そうか、それは好都合だな。よし」

 話を聞いた松山は、優菜の方を向いた。

「お手数ですが、協力をお願いします」

「構いませんけど、私は何をすれば……?」

「そうですね。まずは無線で、お嬢さんに爆弾の事実を伝えて貰いたい。その際、なるべく落ち着かせるよう、あなたの方から説得をお願いします」

「わかりました」

 優菜は無線機を使って、上空の愛美に呼びかけた。

「アイ、聞えるか? アイ、応答してくれ」

『――ユウちゃん?』

 愛美は優菜からの連絡を待ちかねていたように、すぐさま反応した。

『ねぇ、聞いてよ。もう一時間以上も止まったままなのよ~? 全くどうなってるのかしら』

 お嬢様は随分と退屈していたご様子だ。

 優菜はなるべく穏やかな声色を選んで、話を切り出した。

「そのことでな、ちょっと大事な話があるんだ……落ち着いて聞いて欲しい」

『ん? どうしたの? なになにぃ~?』

 何も知らない愛美は、いつも通り暢気な調子だ。

 松山、中野、五十嵐は息を呑むような表情で様子を窺っている。

 優菜は思い切って、事実を伝えた。

「実はな? お前が乗っているそのゴンドラには、爆弾が仕掛けられてるんだ」

『ええーっ、爆弾!?』

 それにはさすがの愛美も相当驚いたらしい。優菜が慌てて牽制する。

「待て! 早まるなよ! とにかく何もせず、落ち着いて私の話を聞くんだ。……いいな?」

「うん、おっけー」

 愛美の声は思ったよりも落ち着いていた。

 優菜は安心して、無線を持ったまま片手でOKサインを出す。

 松山、中野、五十嵐もひとまずは肩の力を抜いた。

「次は爆弾の確認を」

 優菜は無言で頷き、松山の指示を取り次いだ。

「アイ、爆弾を確認して欲しい」

『えー? でも、そんなのどこにも見当たらないわよ?』

 松山は少し考えて言った。

「ゴンドラの中で、人目につかず爆弾を仕掛けられるような場所は限られている。恐らくベンチの下だと思うが……」

 優菜は愛美にそれを伝えた。

「アイ、そこからベンチの下は見えるか?」

『ん~っとねぇ、蓋が付いてて中は見えないようになってる。ネジで固定されてるわ』

「外せるか?」

『待って? ちょっとやってみる』

 そのとき松山が「ゆっくり慎重に!」と注釈し、優菜も慌ててそれを付け加えた。

 愛美は財布から硬貨を一枚取り出して、ネジの溝にその縁を引っ掛けた。

 硬貨をドライバーの代わりに使って、ネジを回し、カバーを取り外す……。

『――あったわ!』

 どうやら愛美が、爆弾を発見したらしい。

「――触るな! そのまま動くなよ!」

 優菜は声を大にして、怒鳴るように釘を刺した。

 松山から次の指示が下る。

「爆弾の形状がどのようなものか、なるべく詳しく教えて欲しい」

 優菜がその旨を伝達すると、愛美は少し興奮したような口ぶりで答えた。

『あのねぇ? なんだか、ドラマで見るような爆弾なの』

「そんな説明で解るわけないだろ。もっと具体的に言ってくれ」

 愛美は爆弾と睨めっこしながら、一生懸命説明した。

『上の方に目覚まし時計みたいなのがあってね、そこから赤と青のコードが一本ずつ、下の箱まで伸びてるわ』

「……なんだよ、たったそれだけか?」

「うん。見た感じはかなりシンプルなのよ。下にある箱を開けて見れば、もっと詳しいことがわかるかもしれないけど……開けてみる?」

 松山は厳しい表情をして、首を左右に振った。優菜もそれに同意して言う。

「いや、開けなくていい。っていうか開けるな。アイ、しばらくそのまま待機してくれ」

 優菜を経由して説明を聞いた松山警部が推測を立てる。

「説明の通りだとすれば、かなり簡素なつくりの時限爆弾らしいな」

「ってことは、素人の犯行ですかね」

「……いいや、断定は出来ない。我々を油断させるために、わざとそう見せかけているだけかもしれん。もし仮に素人の犯行だったとしても、今の状況が好転するわけじゃない。むしろ素人が作った物だとすれば、それだけ誤爆の危険性は高くなる」

 それからしばし刑事同士の話になって、優菜が少々蚊帳の外にいる気分を味わっていると、待ちきれなくなったのか愛美が呼びかけてきた。

『――ねぇねぇ、ユウちゃんユウちゃん!』

「あぁ? どうした?」

『これってさ、赤か青か、どっちかを切ればいいんだよね?』

「はぁ? こんなときになに言い出すんだお前……」

『だってほら? ドラマとかでよくあるじゃない? 赤と青のコード、デッド・オア・アライヴ! 正解の方を切れば爆弾は無事に止まって、間違った方を切っちゃうと、途端に〝ドカーン〟ってやつ!』

「おいおい、冗談なんか言ってる場合じゃねーぞ? くれぐれも言っておくけど、指示が出るまでは勝手なことするな。わかったな?」

 ユーモアのない優菜の反応に、愛美はがっかりして間延びした声を出す。

『もぉ~、ユウちゃんったらぁ~、ノリが悪~い』

 優菜は呆れてがっくりと肩を落とした。

「はぁ~、勘弁してよもう……」

 中野と五十嵐を相手に、しばらく何事かを相談していた松山は、ひとまず話が纏まった様子で再び優菜の方を向いた。

「――お嬢さんから、持ち物を聞き出してください」

「え……? 愛美のですか?」

 松山は神妙な顔をしてゆっくりと頷く。

「所持品をリストアップして、爆弾処理に使えそうな物を選別します」

 優菜は何か聞き捨てならないことを聞いた気がした。

「ちょ、ちょっと待ってください!? まさかとは思いますけど、愛美の奴に爆弾を止めさせるんですか!?」

 中野が冷淡な声でそれを肯定した。

「……状況が状況だ。万が一の際は、彼女にやってもらう以外ないだろ」

「大丈夫ですよ。解体の手順は、警部の方から的確に指示して頂きますから」

 優菜は雑魚二人の言葉を完全に無視して、指揮官である松山に取り合った。

「それだけは勘弁してもらえませんか? あいつはかなりそそっかしい性格だし、筋金入りのアンポンタンなんですよ!?」

「安心してください。それはあくまでも最後の手段です。ひとまずは確認だけ、お願いします」

 優菜はしぶしぶと引き下がって、愛美に話した。

「アイ、今持っている物を全部教えてくれ。爆弾処理に使える物を選ぶそうだ……」

 図太いのか何なのか、それに対して愛美は嬉々とした声を上げた。

『私が爆弾を止めるのね……! うわぁ~、すご~い!!』

「ばか、喜ぶな。あくまでも万が一の場合にはだ」

『はいは~い♪』

 生と死の境目に立たされて尚、愛美の能天気さは健在だった。

 ――財布、手帳、使い捨てカメラ、手鏡、櫛、ヘアピン、髪留め用のゴム……。

 愛美はハンドバッグの中身をひっくり返して、所持品を一つ一つ挙げていく。

『それからねぇ、飴ちゃんが六つとチロルチョコが五つ。酢昆布とキャラメルが一箱ずつ。クッキーが三枚とうまい棒が二本。……あ、うまい棒は一つがサラダ味で、もう一つがコーンポタージュ味ね?』

 うまい棒(コーンポタージュ味)と、書きかけたところで優菜はペンを投げた。

「駄菓子ばっかりじゃねーかァア! 何でそんなに持ってんだよ!?」

「お腹が空いたら食べようと思って。ユウちゃんも欲しい?」

「いるか!」

 優菜は一応書き上げたリストを松山に渡した。横から覗き込んだ五十嵐が残念そうに言う。

「あちゃー……」

「ろくなもん持ってねぇな」と中野。さすがの松山も困ったように頭を掻いた。

 優菜は恥ずかしそうに頭を抱える。

『――あっ、そうそう! あとね、ライターが一個!』

 愛美が一つ思い出したように所持品を付け加えた。

「……ライター?」

 優菜はそこでふと引っ掛かる。愛美は喫煙者ではない。もちろん優菜もだ。

「お前、何でライターなんて持ってるんだ」

『ううん、私のじゃないわよ? さっきゴンドラの中で見つけたの。きっと、前に乗った人が忘れて行ったのね』

 役に立つかはわからないが、優菜は一応ライターのことも松山たちに伝えておいた。

「ライターの火を上手く利用すれば、導線を焼ききるぐらいのことは出来るかもしれませんね」と前向きな五十嵐。「しかし他に使えそうな物はないな」と厳しい意見の中野。

 現場を取り仕切る松山は、何か神妙な表情をしてじっと考え込んでいた。

「……一旦、通信を切ってください。電池がなくなるとまずいですから、なるべく無駄話は控えて、用があるときはこっちからかけるとお嬢さんにそう伝えてください」

 優菜は松山の指示に従い、愛美にくれぐれも言い聞かせると、無線による連絡を絶った。

「……どうします?」

 意見を仰ぐ中野の問いに、松山はしわがれた声で答えた。

「なんにしても、今の段階では情報が少なすぎるな……。いくら爆弾の専門家でも、素人が口頭で述べた説明だけを聞いて、詳しい構造まで把握するのは不可能だ……。しかし、あくまでも単純な仕組みであると仮定すれば、推測は出来る。時限装置と爆発物を繋ぐ二本の導線、赤か青か、どちらか一方を切れば時限装置は解除される。しかしもう一方は間違いなくブービートラップだろう。結局その判断が一番難しいんだ。どちらが正解かは仕掛けた本人にしか判らない。まぁ導線がどこに接続されているのか詳しく調べることが出来れば、それもある程度の見込みはつけられると思うが、状況的に考えて難しい……」

「やっぱり、あとは犯人からの電話を待つしかないですね」

 松山警部は厳かに首肯する。

「月並みな見解だが、犯人の要求を呑んでその代わりに解除方法を聞きだす。それが一番確実で安全なやり方だ。五分の可能性で、百人近い人命を危機に晒すことは出来んよ」

 松山は部屋の壁に掛かった時計と、腕時計を見比べて、時刻を確認した。

 ――午後一時五分。

 爆破予定時刻の午後三時まで、既にあと二時間を切っている。

 五十嵐は気合を入れるように頬をぱんぱんと叩いた。中野は窓の側に立って、止まったままの観覧車を睨む。松山は手持ち無沙汰に煙草を一本銜えて、火を点けた。

「……」

 優菜は一服喫する松山の手元をなんとなく見ていた。青い透明色のライターを。


                 ***


 ――午後一時四十分。

 そろそろ退屈した愛美がごそごそし始める頃じゃないかと思い、優菜は松山の許可を得て、彼女と連絡を取った。

「ちゃんと大人しくしてるか?」

『ねぇユウちゃん、まだなの? もう疲れちゃったよぅ……。あんまり遅いと、赤か青か、私が勝手に決めちゃうんだからね?』

「ばか、そんなふうに脅かすなよ。仕方ないだろ? 時々こうやって連絡してやるから、もう少し我慢しろ?」

 愛美はすっかりへそを曲げている様子だった。

 少し心配になった優菜は双眼鏡を借り、窓から観覧車を見た。

 観覧車の天辺には緑、黄色、青の順番で三つのゴンドラが横に並んでいる。

 左端にある緑のゴンドラに愛美は乗っていた。どうやら爆弾が仕掛けられたベンチとは反対側に据わって駄菓子を食べているようだ。

「ふぅ」

 安心した優菜が何気なく視線を流すと、真ん中の黄色いゴンドラにはカップルが乗っていた。そして、右端にある青色のゴンドラには――。

 優菜はあることに気づいて、ふと考え込んだ。


                ***


 午後二時。――タイムリミットまで、あと一時間。

 焦りがじわじわと腹の底から込み上げてくるようなもどかしさに、皆は苛立っていた。

「遅い……!」

 五十嵐が部屋の中をうろうろと歩き回りながら、これで何度目になるやもしれない台詞を馬鹿の一つ覚えみたいに呟いた。中野はじっと腕組みをして、壁に掛かった時計の針を見つめている。松山は応接用のソファーに深く腰かけ、額に汗を滲ませながら煙草を吹かしていた。既に灰皿は吸殻で一杯になっている。

「……」

 優菜はそんな松山の様子を時折ちらちらと窺っていた。

〝プルルルルルルル〟

 ――そのとき、不意を突くようなタイミングで管理局の電話が鳴った。

 速やかに逆探知と録音の準備を整えてから、中野が促す。

 局長の田辺が、恐る恐る受話器を取った。

「……お電話ありがとうございます、ディスティニーランド管理局です……」

 相手の声が、スピーカーを通じて部屋中に響き渡る。

『――あ、昨夜、忘れ物の件でお世話になった田中という者ですが』

「は、はい?」

『すみません、実は僕の勘違いだったみたいで。昨日は随分と酔っていたものですから、あんな夜分遅くに無理を言ってしまって……。本当に申し訳ありませんでしたと、警備員の吉永さんに宜しくお伝えください。それじゃあ、失礼します』

 あっさりと通話は途切れ、電話を受けた田辺局長は首を左右に振った。

 一瞬張り詰めた空気が、またもとに戻る。

「違ったか……」

 どうやら犯人からではなく、単なる一般客からの電話だったらしい。

 皆が肩を落とし落胆する中、優菜の表情だけが違っていた。

 田辺局長に近づいて、一つ尋ねる。

「さっきの電話に出てきた、警備員の吉永さんという方は今どちらに?」

「今日は確か、非番のはずですが」

「ご連絡先を、教えていただけませんかね?」

「え、ええ……。それは構いませんけど……」

 自宅の番号を伺った優菜は、すぐに外の公衆電話から電話をかけた。

 彼は夜勤明けだったため、今の今まで自宅で寝ていたらしい。当然、テレビを見ていないので爆弾事件のことも知らなかった。

 優菜は適当な方便を使って、事情を簡略化すると、ある推理の裏を取った。

「――お休みところすみません。実は一つ確認したいことがありまして。……ええ、昨夜のことなんですけど……――」

 通話を終えた優菜は部屋に戻る途中、待合室で一人の女性を見かけた。

 顔を青白くして、しきりに時計を気にしている。

 その女性の顔には見覚えがあった。

 優菜は声をかけ、ついでに少し話を伺った。


                  ***


 地上から四百メートル上空にある、観覧車のゴンドラ内にて。

 手持ちの駄菓子をすっかり食べ尽くしてしまった愛美は、爆弾の時限装置を興味深そうに眺めながら、魚を目の前にした猫のように舌なめずりした。

「ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な」

 戯れに赤と青の導線を交互に指差してゆく。最終的には青の方で指が停まった。

 ウーンと唸って、愛美は首を捻る。


                  ***


 午後二時十五分。――タイムリミットまで、あと四十五分。

 部屋からこっそりと中野一人を呼び出した優菜は、事情を話し、協力を求めた。

「お前、自分が何を言っているか分かってんのか」

 話を聞き終えると、中野は酷く不愉快そうな顔をして優菜を睥睨した。

「分かってるよ。けどもう時間がない。だからこそアンタに頼んでるんだ」

「……」

 中野は厳しい表情のまま沈黙した。しかし優菜も譲らなかった。

「中野さん、お願いします。大切な友人の命が掛かってるんですよ……。他に手はありません。協力が必要なんです」

 懇々と訴えかける優菜に背を向け、中野はその場を歩き去る。

「……五十嵐や他の捜査員には、俺の方から話しておく」

 優菜は無言のまま、遠ざかっていく大きな背中に頭を下げた。


                  ***


 午後二時三十分。――タイムリミットまで、あと三十分。

 中野とアイコンタクトを交わした優菜は、松山警部に近づいた。

「松山さん、ちょっとお話があるんです」

「なんでしょう?」

 優菜はなんだか言い難そうに、辺りを気にする仕草を見せる。

「あのぅ、ここではちょっと……外に出ませんか?」

 二人は管理室を出て、建物の前にあるベンチに腰かけた。

 松山が改めて尋ねる。

「――それで、話というのは?」

「ええ……。あの、いま何時ですか?」

 優菜の質問に誘導され、松山は腕時計を見た。

「……二時三十三分」

「良い腕時計をお持ちですね、ちょっと見せてください」

 やけに話題を逸らしたがる優菜に、松山は不審げな顔をして言った。

「そんなことより、話の方を……」

「私、腕時計には目がないんです。ちょっとだけ。拝見させてください」

 松山は呆れたように溜息を吐いて、仕方なく腕時計を優菜に渡した。

「カルティエですか。結構お高いんでしょう?」

 時計をまじまじと見つめながら優菜がそう言った。

「そうでもない」と、松山は手持ち無沙汰に煙草を取り出しながら答える。

 自分から誘っておきながら、なかなか話を始めようとしない優菜に、松山はいい加減痺れを切らした様子で少し口調を強めた。

「栗原さん、もうあまり時間がないんですよ。こうしている間に犯人からの電話があるかもしれない。用があるなら、手短にお願いします」

 優菜は松山から借りた腕時計に視線を落としたまま、なんでもないふうに言った。

「――いくら待ったって、犯人からの電話なんてありませんよ」

「……え?」

 松山は不意を突かれた表情で尋ね返す。

「……何故、そんなことが分かるんです?」

 優菜はやけにはっきりとした声で答えた。

「だって犯人は、電話なんか掛ける必要がないところにいるんですもの」

「それは一体、どういうことですか……」

 優菜はゆっくりと松山の方を振り向いて言った。


「犯人はあなたです」


「――!」

 松山は驚愕の表情を浮かべる。

 しかしすぐさま薄ら寒い笑みを取り繕って、どこかとぼけたように肩を竦めてみせた。

「はっはっは、まったく何を言い出すかと思えば。こんなときに変な冗談はよしてください。私は刑事なんですよ? 第一、何の根拠があってそんな……」

「根拠ならあります」

 優菜は真顔になって言った。松山の表情から、偽りの笑みが消える。

「そもそもあなた、一つ大きな思い違いをしてるんです」

優菜はたっぷりと間を含ませて、松山にそれを伝えた。

「私の連れの愛美はですね? ――今年で二十二歳になる、〝成人女性〟なんですよ」

 松山の表情から思ったとおりの動揺を見て取った優菜は、意地悪く笑った。

「あー、やっぱりその顔は子供だと思ってましたね? あなた最初に私と会ったとき、随分おかしなことを仰ってた。何と言ったか、覚えてらっしゃいますか?」

 松山は答えない。優菜は構わず話を続けた。

「――〝保護者の方ですか?〟 あなた私にそう訊いたんですよ? それから愛美のことを指して話すとき、あなたは終始〝お嬢さん〟と言ってました。それで私は思ったんです。あれ? この人、私と愛美を親子だと思ってる。どうしてだろうって……。私と愛美は同年代です。もっと言えば愛美の方が私より二つ年上なんですよ? 仮に姉妹だと勘違いされる可能性はあったとしても、親子だと間違われることはまずありえません。それなのに、あなたはどうしてそんな勘違いをなさっていたんですか?」


 松山がその問いに答えられないことを早々に見切って、優菜は論った。


「……答えはですね、観覧車の構造にあったんですよ。あなたがここに到着してから問題のゴンドラを尋ねた時、中野刑事はこう答えてました。――頂上にあるゴンドラだと。しかしですね、観覧車というのは丸い円の形をしてます。頂上と呼べる部分には、三つゴンドラがあったんですよ。緑と黄色と、青のゴンドラが……。さっき係員の方に教えてもらいました。緑のゴンドラが一号機、黄色が二号機、青が三号機だそうです。……愛美が乗っているのは緑の一号機なんですよ。黄色の二号機にはカップルが乗ってました。そして青の三号機には、……小学生くらいの女の子が一人で乗っていたんです。もうお分かりでしょう?」


 松山は黙り込んでいる。


「あなたはその子のことを愛美だと勘違いしてらっしゃったんです。みんなが窓から観覧車を見ていたとき、あなただけが違うゴンドラを見ていたんですよ。緑の一号機ではなく、青の三号機をね? 愛美は生い立ち上、かなり子供っぽい性格をしています。無線でのやり取りを傍から聞いていたあなたは、それで余計に勘違いを深めてしまったんでしょう。ああ、あとそれから、あなたが愛美だと勘違いしていた女の子、本当は麻衣ちゃんというそうです。さっき管理局の待合室で彼女のお母さんと会いました。そのお母さん、私と一緒で極度の高所恐怖症だったみたいです。麻衣ちゃんがどうしても観覧車に乗りたいと駄々を捏ねて聞かなかったので、それなら一人で乗ってきなさいと叱ったそうなんです。こんなことなら一緒に乗ってあげていればよかったと、お母さん、大変心配なさってました……」


 優菜は一呼吸置いて、話を再開する。


「さてと。それじゃあ、どうしてそんなことになっちゃったのか、それを説明しましょうか? ――実は昨日の深夜一時頃、田中さんというお客さんから自宅の鍵を失くされたと管理局に電話がありまして、宿直を担当されていた警備員の吉永さんという方が、田中さんの記憶を元に各アトラクションを調べに行ってるんです。それで観覧車を調べたときに彼、動かしてるんですよゴンドラの位置を。本来、閉園後はいつも一号機が搭乗口の前に止まっているはずだったみたいですが、吉永さんが観覧車を操作したことで、それ以降は三号機が搭乗口の前に停まっていたんです」


 それを聞いた松山の顔には、何かはっとした表情が浮かんでいた。


「私がそのことに気づいたのは、つい三十分ほど前……ほら、管理局に電話があって、犯人からの連絡じゃないかと一瞬、皆が慌てたことがあったじゃないですか。あのときの電話の内容を聞いて、ピンと来ました。結局、鍵の件は田中さんの勘違いだったみたいですけどね?」


 優菜は矢継ぎ早に捲くし立てる。


「恐らく犯人は一号機に爆弾を仕掛けたあと、一度立ち去ったんです。しかし何かに気づいて引き返した。しかし犯人が戻って来たとき、一号機があった場所には既に三号機が停まっていた。そうとは知らず、その人物は三号機に乗り込んだ。そしてそのとき、自分が爆弾を仕掛けたゴンドラは三号機だと思い込んでしまったんです。――いいですか、松山さん?」


 優菜は松山を見据えながら、言い方を変えてもう一度同じことを言った。


「あなたが爆弾を仕掛けたのは緑のゴンドラであって、青のゴンドラではないんです。昨夜のあなたには、ゴンドラのことまで詳しく見ている余裕はなかったんでしょう。それに暗がりで見ると、――緑は青と区別がつかないことがありますからね。今度試してみてください」


「……犯人は俺じゃない」

「昨夜一時から二時頃のアリバイは?」

「家で寝ていたよ……」

「それを証明出来る人は?」

「俺は独り身だ」

「そうですか」

 松山は不敵に笑って、優菜の胡散臭い態度を指摘した。

「すべてを見て知ったような態度と長口述で俺を動揺させ、失言を引き出そうって魂胆なんだろう? 腕の良い刑事が容疑者を自白させるのによく使う手だ。一体どこでそんなやり口を覚えたのかは知らんが、俺には通じないぞ。君の言っていることは単なる想像に過ぎない。証拠があるなら見せてみなさい」

 優菜は少し間を置いて、残念そうにかぶりを振った。

「ありません、今のところは……」

 松山はそれを聞いて安心したように胸を張る。

「これ以上勝手な想像で俺を侮辱するなら、君を名誉毀損で告訴する。覚えておきたまえ」

 ポケットから煙草を取り出し、火をつける。



「――ちなみにあなた、ゴンドラの中にライターを忘れましたね?」



「ッ!?」

 思わず噎せ返る松山。優菜はニヤリと笑った。

「あなたはヘビースモーカーのようだ。部屋でもしきりに煙草を吸ってらした。しかし私はあなたが煙草に火を点ける度、なんとなく不自然に感じていたんです。金持ちの友人がいるせいか、私もすっかり目が利くようになってしまいましたよ……」

 優菜はふと松山の服装に目線を送る。

「……背広もネクタイも靴も、それからこの時計も、あなたの身につけてらっしゃる物はどれも高級品ばかりだ。だからこそ目に付くんですよ……。そんなあなたが、どうして安物のライターなんか使っているんだろうって」

 松山は表情を強張らせ、青い透明色の使い捨てライターを握り締めた。

「無線で持ち物を訊いたとき、愛美がゴンドラの中でライターを見つけたと言ってました。あのとき愛美は、ただライターとしか言いませんでしたけど、あとから少し気になったんで、試しにどんなライターなのか詳しく訊いてみたんです。――カルティエ製のジッポライターだそうですよ、この腕時計と同じ……。あなたにはとっても良く似合うと思います」


 優菜の微笑みから、松山は目を逸らした。


「恐らくは爆弾を仕掛けるとき、手元を照らすための灯としてライターの火を利用されたんでしょう。時間帯は深夜だし、薄い月明かりすら遮られた狭い箱の中は、真っ暗で何も見えなかったはずです。しかしあろうことか私物のライターを、うっかり現場に置き忘れてしまった。気づいて取りに戻ったが、暗くて見つからない。灯りをつけようにも、探している物こそが肝心の光源だった……。――まぁ、最初から見つかるはずはなかったんですけどね? だってあなたはそのとき、まったく別のゴンドラに乗っていたんですから」

 優菜は自信を持って、さきほどの言葉を反芻した。

「証拠はありません、今のところは。……しかし爆弾の時限装置が無事に解除されて、ゴンドラが地上に帰還すれば、その時はどうでしょうか?」

「……」

 あえてそのあとに続く言葉を濁し、優菜は松山に向けて、借りていた腕時計の文字盤を指した。指針が示す時刻は、午後二時四十五分。タイムリミットまであと二十分。

「もう時間がありません。そろそろ戻りましょうか?」

 優菜は失意の松山に腕時計を返却すると、部屋に戻るよう促した。

 

                 ***


 いよいよタイムリミットが迫り、緊急対策本部の空気は一気に緊迫したものとなっていた。

 前傾姿勢でソファーに腰を下ろした松山は、腕時計と壁に掛かった時計の文字盤を見比べる。

 ――午後二時五十分。

 表情を硬くした中野が、厳かに意見を請う。

「……警部、どうしますか?」

 松山は顔をじっと伏せたまま、苦しそうに答えた。

「ここまで来たらもう、一か八かに賭けるしかないだろう……」

 赤と青のどちらを切るか、最終的な決定権が現場責任者の松山にあることは言わずもがな。

 その場にいる全員が、松山の指示を今か今かと待っていた。

 生と死の二者択一を迫る、重たい秒針の音が刻々と時を刻んでゆく。

 口の中がカラカラに乾いて、額から大粒の汗が滲み出す。松山はふと、優菜の方を見た。

「……」

 部屋に戻って以降、優菜はただの一言も口にせず、じっと観察するような目をして松山を見つめていた。溜まらず目を逸らし、松山は頭を抱え込んだ。

〝赤か? 青か?〟

 ぽたぽたと滴り落ちる汗。松山は再び時計を見る。

 ――午後二時五十五分。

 

                 ***


 地上から四百メートル上空にあるゴンドラの中で、愛美は無線機を片手に、優菜からの連絡を待っていた。ごくりと喉を鳴らして、生唾を飲み込む。

 事ここに至っては、さすがの愛美も緊張の面持ちで時限装置の文字盤を見つめていた。

 無線機をぎゅっと握り締めた手が、小さく震えている。


                 ***


「警部っ、もう時間が……!」

「うるさい分かってるッ!!」

 急かすような五十嵐の言葉に、松山はひどく取り乱した様子で逆上した。

 息を上げ、血走った目をして時計を見る。


 ――午後二時五十八分。


 松山は再度、優菜の方を振り向いた。優菜は無言のまま、睨みつけるように視線を返す。

「くッ!」

 松山は堪らず頭を掻き毟り、汗でびしょびしょに濡れた顔を両手で塞ぎ込んだ。

 意を決したように顔を上げ、口を開きかけては、また止める。

 松山はその動作を何度も繰り返した。


 ――午後二時五十九分。


「警部ッ!!」

 とうとう中野のまでが豹変し、鋭く激を飛ばした。秒針が半を回る。

 松山はようやく何か決心したように呼吸を整え、掠れた声で呟いた。

「……青だ」

 松山の声はゾッとするほど深く沈んでいる。


「――青を切れ」


 指示を受けた中野が速やかに優菜を促した。

 優菜は無線機を口元に当て、青を切るようにと言った。

 秒針が頂上に到達する。


 そして、――……。


 辺りは沈黙に包まれていた。秒針は頂上を過ぎ、止まることのない時を刻み続けている。

 何も知らない松山直属の部下、爆発物処理班の数名から喜びの声が上げる。尚も表情を変えない者が数人、そして、明らかに表情を変えた者が一人だけいた。


「――どういうことだ……?」


 松山は茫然とした面持ちで呟き、慌てて腕時計を確認した。


 ――午後三時一分。


 部屋にかかった時計もそれと同時刻を指している。

「馬鹿な!? そんなハズはない!!」


 その瞬間、優菜は静かに目蓋を下ろし、小型無線機の電源を入れると愛美に伝えた。


「……赤だ」


 瞬間、松山の表情が真っ白に凍りつく。


 優菜はそれを見ながら、ハッキリとした口調で断じた。



「――アイ、赤を切れ」


                 ***


 優菜からの通信を受けた愛美は、ライターを点火し、赤の導線を焼き切った。

 時限装置が解除され、爆弾は無効化される。

 愛美は笑顔を取り戻し、飛び上がって喜びながらそれを優菜に報告した。

「やったわ、ユウちゃん! 成功よ!!」


                 ***


「――そうか、よくやったな……」

 愛美から吉報を受けた優菜は、小さく笑って一旦通信を切った。

 茫然自失とした様子の松山を見て、わざとらしく尋ねる。

「中野刑事、いま、何時ですか?」

 中野は自身の腕時計を確認して、正確な現在時刻を伝えた。


「……たった今、午後三時をまわったところだ」


 松山は再度、自分の腕時計と部屋にかかった時計を見比べる。


 ――午後三時五分。


 仕掛けに気づいた松山の心中を察して、優菜は口を開いた。


「そうなんです。この部屋の時計とあなたの腕時計だけが、実は五分進んでいたんですよ」


 松山には思いあたる節があった。

 優菜は苦笑し、窓の外を示す。松山は誘われるようにふらふらと立ち上がって、窓際に近寄った。垣根の向こうに、二人が並んで話したベンチが見える。

「中野刑事に、予め頼んでおいたんです。ここから私とあなたがあのベンチに座るのを確認したら、この部屋にある時計の針を五分進めてくれるようにって」

「そのためにわざわざ場所を移したのか……」

 優菜は静かに首肯する。

「腕時計の方は言うまでもなく、私が進めておきました」

「それじゃあ、あそこで俺が犯人であるという根拠を、あんなふうに論ったのも……」

「ええ。実を言えば、あなたの指摘は半分ほど正解だったんです。あなたを動揺させるという点まではね……。しかし肝心の目的は自白を引き出すことではなく、本当は私の手元にあった腕時計から、あなたの注意を逸らすためだったんですよ」

 松山は痛恨の表情で、眉間を押さえ込んだ。

「――あとはたとえ、あなたがどちらを選んだとしても、あなた自身の反応がその真偽を教えてくれます。しかし、出来ればあなたには正解の方を選んで欲しかった……。それだけが残念です」

 松山は観念したように溜息を吐き、疲れ果てた様相でソファーに項垂れた。

「……どの時点で、俺に目をつけた?」


 松山の疑問に優菜は快く答えた。


「引っ掛かったのは犯人からの電話です。普通、相手を脅迫して何か要求をする場合はですね相手に余計な時間を与えないよう、取引はなるべく急がせるのが基本だと思うんです。相手に時間を与えてしまうと、裏を掻かれる恐れがありますからね。しかしこの事件の犯人は爆弾を仕掛けたことは伝えておきながら、何故か肝心の要求についてはいつまで経っても連絡して来なかった。それが不可解だったんです。どうして最初の電話のときに、要求のことも一緒に話しておかなかったのか……。それで私は一つ仮説を立てました。もしかしたら犯人には、最初から要求なんてなかったんじゃないかって……。しかしそうなると、予告の電話が意味をなさなくなります。要求もないのに予告なんかしたって何のメリットもありません。警察が到着してしまえば、観覧車の爆破は困難になる。そこで気づきました。予告の電話をかけたのは、警察をここへ呼ぶためなんだと……。そして最後に、犯人の目的は何なのかと考えたとき、愛美が良いヒントをくれました。ベンチの下に仕掛けてあった爆弾を確認したとき、彼女は言ったんです。なんだかドラマみたいだと――。解除方法が赤か青かの時限爆弾なんて、確かに作為的です。それで私もピンと来ました。犯人の目的は、爆弾をネタに何か取引をすることでもなければ、観覧車を爆破することでもない。……駆けつけた警察関係者に、爆弾を止めさせる事なんだと……。そんなことをして得する人物は誰だろうと考えたとき、真っ先に思い浮かんだのがあなただったんですよ」


 優菜は松山の方を見てニヤリと笑った。


「松山さん、あなた今日で刑事を退職なさるそうですね」

 松山は感服した面持ちで、ゆっくりと頷いた。

「今回の事件は最初から、あなたの退職を輝かしく演出するためだけに設けられたものだったもともとはあの爆弾も、あなた自身の手で解体する予定だった、違いますか?」

「……いや、君の言う通りだよ」

「刑事人生最後の一日。赤か青か究極の選択を迫られたあなたは、間一髪のところで百人近い人命を救い、大勢の拍手と笑顔に見送られ、惜しまれながら去って行く。――とってもドラマチックな筋書きだと思います。しかし少々、リアリティに欠けてます」

「フフ、そのようだな……。我ながらとんだ茶番だった」

 松山は諦念に擦れた笑みを浮かべ、穏やかな口調で言った。

「煙草なんて、やめときゃよかったな……」

「あなたがライターさえ忘れて来なければ、こんなことにはならなかったでしょうね」

「……いや、そういうことじゃない。俺は癌なんだ。もうあと一年は生きられん体らしい」

 松山の告白には誰もが驚き、途方に暮れた顔をした。

 優菜の表情からも、一瞬だけ、取り繕った愛想笑いが消える。


「――家族もなく、他に何の取り柄もなかった俺には、刑事(デカ)であることだけが生き甲斐だった……。医者から余命一年だと宣告された時も、俺は最後まで刑事で居続けたいと、それだけを思っていた。しかしどうやら、それももう限界らしくってね……」

 重たい沈黙の中、松山は取り出した警察手帳を抱き締めるように見つめ、そこに映った思い出の数々に、ふと目頭を熱くした。そっと黙祷を捧げ、男は自らの誇りに決別を告げる。

「……栗原さん」

 それから膝を正したように改まった態度で、松山は優菜の方へと向き直った。

「言い訳に聞えるかもしれませんが、私はね? どのみち最後には正解のコードを切るように指示して、自首をするつもりだったんですよ? しかしあなたの素晴らしい推理を聞いて、ふと対決してみたくなったんです。……信じてくれますか?」

 優菜は笑顔で頷いた。

「あなたが本当に罪を逃れようと思えば、実のところそれは簡単に出来たはずなんです。だって予告の電話さえしなければ、観覧車に仕掛けられた爆弾はその存在すら認知されないままタイムリミットを向かえ、証拠のライターも抹消出来ていたはずですから……。犠牲者を出したくなかったんですね?」

 松山はそれを聞いて、どことなく嬉しそうに表情を柔らかくした。

「あなたには刑事の才能がおありだ。私も長年色んな人間を見てきたが、あなたほど頭のキレる御方はそうそういるもんじゃない。今からでも試験を受けてみる気はありませんか?」

 唐突な松山の提案に、優菜は少し困った顔をして「考えておきます」と苦笑した。

 松山は改めて優菜に対し、深々と頭を下げる。

「ありがとう。君のおかげで、私は殺人犯にならずに済んだよ。心から感謝します」

 そうして今度は部下たちの方を振り返った。

「お前たちにも迷惑をかけたな? どうかこの情けない老いぼれを笑ってくれ……」

 松山は虚ろな目を細めて、自らに浴びせられるべき罵倒を待ち望む。

「班長……」

 そのとき、一人の部下が皆を率先して前に立ち、踵を鳴らして姿勢を正した。

『長い間、ご苦労様でした!!』

 爆発物処理班の班員たちが声を揃えて一斉に敬礼する。

「――」

 松山はその光景に溜まらず顔を伏せた。何か光る物が、ぽたぽたと床に落ちる。

 中野は優菜の方をちらりと見たあと、すっかり心を打たれてハンカチを濡らしている五十嵐の頭を小突き、松山を促した。

「……行きましょうか」

 後処理のため、捜査員たちが引き上げて行く。一人窓辺に佇んだ優菜は、停まっていた観覧車が再び動き出すのを、無言のまま遠く見つめていた。


                ***


 その後、無事に地上へと帰還した愛美は、騒ぎを嗅ぎつけてきたマスコミに囲まれ、インタビューを受けた。自分が注目されていることにすっかり舞い上がってしまった愛美は、当時の心境と危険な爆弾解体の模様を大げさな身振り手振りで迫力たっぷりに再現し、YOU&I探偵社の宣伝までさせてもらう饒舌っぷりを発揮していた。

 帰り道、優菜はそれに対して少し嫌味を言った。

「いい気なもんだよ、まったく……。お前、誰のおかげで助かったと思ってんだ?」

 愛美はつーんと唇を尖らせて、何故か強気な態度を返す。

「お言葉ですけどね、私はユウちゃんがいなくても、立派に一人でやってみせたわ」

 優菜はジト目になって訝しげな表情。

「そんなこと言って、どうせ本当は怖くなって震えてたんだろう?」

「ふ~んだ! 私は初めから、いざとなったら赤の導線を切るつもりだったんだから!」

「嘘つけ」

「嘘じゃないわよ~!」

「はいはい」

「ホントよ~!」

 まるっきり信じていない様子の優菜に、愛美は必死で取り合った。

「だってほら、今朝のこと覚えてない?」

「今朝? 何のことだ?」

「占いよ、占い!」

 優菜はふと足を止めて、記憶の糸を手繰った。



『――本日の最下位は乙女座のあなた。思いがけない不運に見舞われそう。慎重な行動を心がけましょう。ラッキーカラーは赤』



 そういえばと思い出す。

 天秤座のラッキーカラーは青だった。そして、青といえば。

 三号機のゴンドラ、使い捨てライター、ブービートラップの導線……。

 どれも優菜が、松山の犯行に気づき、それを裏付ける証拠となった物品だった。

「……」

 一瞬、真剣な顔になった優菜を見て、愛美がニヤリと含み笑う。


「あの占い、結構当たるのよ?」


 優菜は失笑するように鼻を鳴らし、それを一蹴した。


「――偶然だよ、偶然!」




                          第二話「機械仕掛けの車輪」おわり


《次回予告》――


第3話「殺意の証明」

或る夜、一人の男が車に撥ねられて死んだ。

加害者の男はすぐさま警察と救急に連絡し、過失致死の容疑で現行犯逮捕される。

その事件は事故として処理され、警察の捜査も間もなく打ち切られた。優菜と愛美は被害者の婚約者である女性から、事件の再調査を依頼される。婚約者の女性は、今度の事件を加害者が故意に犯した計画殺人ではないかと疑っていた。そして実際に調べを進めた優菜と愛美もそれを確信する。

しかし、裁判でそれを立証するためには、加害者の男が殺意を持っていたということを明確に証明する必要があった。

あれこれ策を巡らせてみるが、どれも決め手にはならない。

そんなとき二人は、被害者の残したあるダイイング・メッセージに気づく――……。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ