後編
『ずっとずっとむかし、世界ができてからすこしあとのことです。とある国にとても美しく、優しいお姫さまがいました。
ある日お姫さまは、森で一人のりっぱな竜にであいました。ふたりはいつしか心をかよわせ、ずっといっしょにいたいとおもうようになります。
でも、お姫さまのお父さまである、いじわるなその国の王さまはそれをゆるしませんでした。王さまはお姫さまをお城のなかにとじこめました。そうして、ふたりは会うことができなくなってしまったのです。
お姫さまも、竜も、ぽろぽろと大つぶのなみだをながして悲しみ、神さまにお祈りしました。
「どうか愛するもののそばいさせてください。」と。
ふたりをあわれにおもった神さまは、そのねがいをききとどけて、ふたりをつがわせました。
そして、”つがい”となったふたりは民を苦しめていた王さまをおいだすと、そこにあたらしい国をつくり、はじめの王さまとお妃さまになりました。
そうしてふたりは幸せにくらし、国はかれらの子孫たちによって、すえながく栄えていくことになったのです。』
最後まで読み終わると、わたしはぱたんと本を閉じた。もう何度も読んだ話だ。これはこの国に古くから伝わるおとぎ話。この竜というのがキサネア王国の初代国王だと言われているらしい。
この本は番の意味を知りたがったわたしにリシュがくれたものだ。リシュはここから”番”と言う言葉をとったのだろう。どうやったら竜と人間の間に子どもができるんだとか、色々と無理があるように思う点は多い。けれどもおとぎ話なんてかぐや姫しかり桃太郎しかり、多かれ少なかれこんなものだ。それに、そんなふうに思いながらも何度も手にとってしまう辺り、わたしはこの話を気に入っているのだと思う。
リシュはというとお昼に一度戻ってきたきり部屋には来ていない。退屈で仕方ないけれど、リシュは王弟・・・・つまり王様の弟だ。彼も色々と忙しいんだろう。
そういえば、この国の王様はどんな人なんだろうか。王様というとどうしても豊かなひげをたくわえたおじさんのイメージがあるけど、どう見ても二十代にしか見えないリシュの兄だと言うのだから、意外と若いのかもしれない。
あのリシュのお兄さん。やっぱり同じように綺麗で、優しい人だろうか。
となるとあの金の目の男はリシュや王様とはどういった関係なんだろう。リシュよりも少し若く――――二十歳になるかならないかくらいに見えた。もしかしてリシュの弟?・・・・・はないか。
男の冷たい瞳を思い出してふるりと体が震えた。リシュとは少しも似ていない。
もとの世界で読んだ小説でも、王族の血縁関係は複雑だった。たぶんこの国もそうなんだろう。
わたしは手に持った本にもう一度目を落とした。表紙には水彩らしい透明感のあるタッチでお姫様と竜のイラストが描かれていて、中心にこちらの言葉で『竜の番』というタイトルが入っている。
わたしはこの国の文字が読めない。言葉が話せるのだからもしかしたらと思っていたのだけど、駄目だった。そこでリシュに手伝ってもらいながら勉強して、最近ようやく子供向けの絵本くらいなら読めるようになったのだ。
とくにこの本はわたしが初めて一人で読みきったものということもあって気に入っている。
ふと扉の向こうからばたばたと足音が聞こえてきた。リシュが戻ってきたのだろうか。でもそれにしては足音が複数な気がする。わたしは本をベッドの上に置くと、扉のほうに近付いた。
やはり外から話し声が聞こえてくる。それもどうやら苛立っているみたいで語気が荒い。
ふいにばたん!と大きな音を立てて扉が開いた。わたしはびっくりして一歩後ずさる。
一体誰がと思って開けられた扉の向こうを見たわたしは、そこに立っていた人物に体がこわばるのを感じた。息が上手く吸えない。なぜここにこの男がいるんだろう。
初めて会ったときわたしに抜き身の剣を突きつけた、金の瞳を持つ男が怒りをはらんだ目でわたしを見下ろしていた。
「自らを番と偽り心優しい叔父上に取り入るとは、恥を知れ売女が!!」
その言葉に、リシュはこの男の叔父さんだったんだ、なんて場違いなことを思った。やっぱり兄弟じゃなかった。
顔を挙げて見ると、大きな声でわたしを罵った金の目の男は肩で息をしている。よほど怒っているらしいけど、それも当然のことだろう。目の前にいるわたしは優しい身内を誑かした、この人の言うところの売女、なのだから。
わたしの方からリシュに自分が番だと言ったわけではないのだけど、とずきずきと痛む頬に触れながらぼんやりと思った。けれども違うと分かっていながらリシュの優しさに付け込んで彼を利用していたのだから、同じことなのかもしれない。
「・・・・・仲間のことを話せ。」
男は息を整えると、わたしに向かって嫌悪の色をにじませながらそうはき捨てた。
その言葉にわたしは眉をしかめる。仲間?なんのことだろう。そもそもわたしはこの国の人間じゃないのだから、親しい知り合いなんてリシュ以外にはいない。
わたしの態度が気に障ったのか、金の目の男はわたしの腹を蹴り上げた。ゴキ、と嫌な音が聞こえて息が詰まる。石の壁に背中を打ちつけて、わたしは咳き込んだ。同時に口内に鉄の味がして、暗い牢の中では不自然なくらい鮮やかな赤がぼたぼたと石畳の床に散らばった。
「とぼけるな!!貴様に逃げられた咎で謹慎処分を受けていた男が、数日前に殺された。貴様の仲間がやったんだろう!」
金の目の男が怒鳴る。ひどい痛みにうめきながらも、わたしは男の言葉に目を見開いた。
そうか、あの男は死んだのか。とたんにわたしを見下ろす下卑た目を思い出す。
誰がやったのかは知らないけど、いい気味だ、と思った。
「知ら・・・・・な、い。」
わたしは金の目の男の言葉に、そう答えた。事実だ。
けれども男はやはりその言葉を信じてはくれなかった。
「あくまでしらをきるつもりか。そちらがそのつもりなら・・・・・いいだろう。」
金の目の男が、回りに控えていたそろいの軍服のようなものを着た男達に、片手を上げて合図を送る。これから起こることを予想して、わたしはぎゅっと目を閉じた。
「ふっ、ぐ・・・・・。」
わたしの口からくぐもったうめき声が漏れる。牢の中には鉄錆びのようなにおいと、肉が焼けるときの異臭が漂っている。
痛くて痛くて、どうにかなってしまいそうだ。わたしの意思に反して両の目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ちている。それすらも傷にしみて痛かった。
こんな奴らの前で泣きたくない。そう思うけど、涙は止まらなかった。
「不愉快だ。」
ふいに、今まで黙って見ているだけだった金の目の男がそう言って、わたしの髪をつかむとぐいっと上を向かせた。ぶちぶちという音とともに、髪が何本か抜け落ちて、わたしの顔の横をはらはらと落ちて言った。
「叔父上にもこうして同情を誘い取り入ったのだろう。俺にはそんなものは通用しないがな。」
そこで言葉を切ると、男はわたしと目を合わせた。金の目は、リシュのものより幾分か色が薄い。牢の中が薄暗いので、わずかに瞳孔が広がって見えた。
「貴様のようなものがその目で叔父上を見たかと思うと虫唾が走る。」
金の目の男は嫌悪に顔を歪ませると、傍にいた男にナイフを、と指示した。
ナイフ、で、今度は何をされるのだろうか。
金の目の男がナイフを手にする。細身で、それほど大きくはないものだ。
男はその切っ先を、わたしの目に向けた。
「質問に答えればやめてやる。
・・・・・貴様は何処の国の者だ。仲間は何処にいる。」
そう言って男はゆっくりとわたしの瞳にナイフを近づける。何をされるか分かっても、わたしの体は動かなかった。目を閉じることすら出来ず、涙が頬を伝った。
「やめ・・・・・て、」
「答えろ。」
目がつぶれる痛みは、どれほどのものなのだろうか。それから光のない世界は。
じわりとこれまでにないほどの恐怖が広がった。
怖い、怖い、怖い。
息が浅くなり、頬を汗が伝った。でも助けてなんて思っちゃいけない。わたしが悪いんだ。リシュを騙したわたしが。だからこれは自業自得。
ナイフがぶれて二重に見えるほど、切っ先がすぐそこまで迫っていた。
「いや・・・・・。」
怖い、嫌だよ。お願いやめて。誰か・・・・・ううん、駄目。
思っちゃだめ。だってこれは罰だから。受けるしかないから。
でもいやだよ。怖い。
怖い、怖い、怖い、こわい、こわい。でもだめ、だめだ。だめ・・・・。
――――――助けて、リシュ。
ドゴォッ!!と大きな音を立てて、牢屋の入り口の扉が吹っ飛んだ。そのまま石の床にぶつかる。よく見ると扉と一緒に周囲の壁すら破壊され、巨大なひびが入っていた。
「っ!何だ!?」
金の目の男が音の方を振り返った。ナイフが目から離れる。でもわたしはそんなことよりも、男が体を動かした拍子に目に入ってきた人物に、体が震えるのを感じた。
恐怖ではない、歓喜によって。
そんな風に感じてはいけないと思いながら、わたしはどうして、と呟いた。ありえないくらいひしゃげた扉の向こうに立つその姿に、こんなときだというのに心臓がどくんと大きくはねる。なぜ貴方様が、と誰かが呟くのが聞こえた。
「なぜ・・・・・?それを聞きたいのは私の方だよ。」
ゆっくりと牢に足を踏み入れたその人物が声を発した。聞き覚えのあるテノールに、心が震える。
「私の番に何をしているの?」
そこには、見たことがないくらい冷たい目をしたこの国の王弟が――――リシュがいた。
「かわいそうに。守ってあげると約束したのに。またこんな思いをさせてしまった。」
リシュはそう言うと私の方に向かって一歩足を踏み出した。女の人と見間違えられそうなくらい綺麗な顔が、今は辛そうに歪めてられている。ぽろりと一つ、わたしの目から涙がこぼれた。
助けに来てくれたの?どうして?
「ユキ・・・・・。」
リシュの手が私に伸ばされる。無意識のうちに、わたしもリシュのほうに向かってのろのろと重たい腕を伸ばしていた。
「っ!」
ふいに体のバランスが崩れ、わたしは冷たい石の床に倒れこんだ。リシュに伸ばしたはずの手に、鈍い痛みが走る。
「叔父上!騙されないでください。これは叔父上の番ではありません!!」
わたしとリシュの間に割り込んだ金の瞳の男がわたしの手のひらを踏みつけていた。ぐっと力が入れられ、わたしは小さくうめく。男は嫌悪の目で私のほうを一度見ると、またすぐに彼の叔父に視線を戻した。
「この者は長く叔父上に番がいなかったのを良いことに、自らを番と偽り叔父上を謀ったのです!この者は・・・・」
「黙れ。」
冷たい声が金の目の男の言葉を遮った。一瞬誰が発したものか分からなかったほど、低く、冷たい声だった。
言葉の主、リシュは、普段の彼ではありえないほどぞっとするような無表情で金の目の男を見た。
これは本当にリシュ・・・・・?
そんな彼を男も見たことがなかったのだろう、わたしの手の上の足が動揺に揺れるのが分かった。
「なぜそれが君に分かる?私の番を選ぶのは君じゃない、私だ。
・・・・・・はやくその足を彼女から退けろ。」
「ですが叔父上!」
「・・・・・・聞き分けがないね。」
引こうとしない男にそう言ったリシュを見て、わたしはぞくりと背中を冷たいものが走るのを感じた。
「目障りだ。」
直後、無残にひしゃげた扉と同じように、金の目の男が吹っ飛んだ。そのまま派手な音を立てて壁に叩きつけられると、くぐもったうめき声を上げた。口の端からは血が流れている。
リシュはそんな金の目の男を感情の読めない目でちらりと見ると、興味をなくしたように目をそらした。それからわたしのほうを見ると、今までの無表情が嘘のように、とろけるような優しい笑みを浮かべた。
「もう大丈夫だよ。痛かっただろう?もう二度とこんなことはさせないと誓うよ。」
その笑顔はわたしがよく知るリシュそのもので。初めて会ったときのようにわたしを抱きしめるリシュに、心がほどけていくのが分かった。目の前にあったリシュの服をそっと掴んで目を閉じていると、ふいになにかに頬をくすぐられた。
何だろうと思ってそちらを見上げると、すぐ近くにリシュの綺麗な顔があった。わたしの頬にかかっているのはさらさらとした白銀の髪。とくんと心が震える。
思わず見入ってしまったわたしにリシュは顔を近づけると、そのままそっと切れて血のにじむ唇に口付けた。
「あ・・・・・。」
すぐに離れていってしまったぬくもり。名残惜しくてリシュの方を見上げると、不思議なことに気がついた。
「リシュ、目が・・・・・・。」
蜂蜜みたいな黄金色に変化はない。けれどもその中心に浮かぶ瞳孔が爬虫類みたいに縦に裂けていた。ふいに、なぜかあのおとぎ話を思い出した。竜と番のお姫さまの話。
そんなわたしに、リシュは不思議な瞳を細めて笑った。
「眠っているといい、私の番。眼が覚めたら、全部終わっているから。」
眠くなんてない、と言おうと思ったけど、なぜか急に睡魔が襲ってきて、わたしはまぶたを瞬かせた。どうしてかひどく眠い。
何か言おうと思ったけど、言葉にならなかった。そんなわたしを見て、リシュがまるで愛おしいものでも見るような目でわたしを見つめた。
眠りに落ちる直前。最後に私が見たのは柔らかい光に包まれていくリシュと、彼の髪の色と同じ綺麗な白銀の鱗だった。
本編はあと一話で終了します!