中編-下
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ちょっと短め。
とても長い夢を見た。どこか知らない世界にトリップしてしまう夢。
ねぇ、聞いてよお母さん。わたしそこですごくひどい目にあったの。それで逃げ出して、それから・・・・・。
・・・・・?お母さん?どこ行くの?兄さんも。
なんでそんな困ったみたいな顔してるの?お父さん。
・・・・待って。置いていかないでよ。ばいばい、って何で?
待って、お父さん、お母さん、兄さん。
――――――待ってよ。
ふっと意識が覚醒して、わたしは目を開いた。おかしな夢を見たせいか、妙に心臓がどきどきしている。なんだか悲しいようなすっきりしたような、変な気分だ。
しばらく夢の余韻でぼんやりしていたけど、頬に当たる日の光のぬくもりにゆっくりと意識がはっきりしてきて、わたしは自分が見知らぬ場所にいることに気付いた。
わたしが眠っていたのは見たことも無いくらい豪華な寝台だった。さらさらとしたさわり心地のシーツは、質の良さがうかがえる。
それにしても、天蓋付のベッドって本当にあるんだ。始めて見た。まるでファンタジー小説のお姫様になったみたいだ。そんな馬鹿らしいことを思う。
わたしはなんとなく天蓋に向かってゆっくりと手を伸ばした。
・・・・・・あれ?
ふと伸ばした手を見てわたしはあることに気付いた。今わたしが天蓋に向けているのは右手だ。それは軍服の男達によって手のひらに穴が開けられたはずの手。
今までどおりなら、その穴を通して天蓋が見えるはずなのに。
しかし、そこには何の変哲も無い、痩せて骨が浮き出て見える手の甲があった。それだけじゃない。爪もきちんと五枚、綺麗に揃っていた。
「良かった。眼が覚めたんだね。」
不思議に思ってベッドに横たわったまま何度も手を表にしたり裏返したりして眺めていると、ふいに穏やかなテノールが聞こえてきた。ぎょっとして声のほうを向く。
いつの間に入ってきたのか、白銀色の髪と金の瞳を持った綺麗な男の人がこちらを見ていた。わたしと目が合うとにこりと柔らかくほほ笑む。その笑顔を見た瞬間心臓がどくんと跳ねて、わたしは慌ててそれを隠すように首だけを動かしてぺこりとお辞儀をした。
普通ではあり得ない金の瞳に、ようやく今の状況を思い出した。
そうだ、これは夢じゃない。異世界にいるのも、軍服の男達にされたことも、それからこの人に出会ったことも、全部現実だ。
目の前に立つ男の人に出会ったときのことを思い出す。たくさん泣いて、安心して・・・・・。
わたしはどうやらあの後眠ってしまったみたいだ。
初対面の相手にすがって大泣きしたことを思い出して、顔が熱くなるのを感じた。
「触れても大丈夫かな?」
そんな風に聞いておきながら、その人は返事も待たずにわたしの腕を取った。驚いたけど不思議と嫌だとは思わなかった。なんだか触れられているところが熱い。
腕から始まって全身を調べるみたいにざっと見ると、男の人はうん、と頷いた。
「傷はきちんと治っているみたいだね。ちゃんと血がなじんだみたいでよかった。」
後半の言葉がどういう意味なのかよく分からなかったけど、とりあえずわたしは男の人の言葉に半身を起こして、おそるおそる自分の体を見下ろした。青黒くはれていた足も、いたるところにあった傷やアザも、綺麗になくなっている。痩せてしまって不健康そうには見えるが、それを除けばこの世界に来る以前とどこも変わらない。
「・・・・・あれ?」
ふと変わっているところに気付いて、小さく呟いた。今わたしは薄手のワンピースを身に纏っている。柔らかい生地は着心地がよくて、シーツと同様上等そうではある。
けれどもわたしはこの世界に来てからはずっと制服で、着替えた記憶なんてない。そもそもあれからずっと牢の中で、当然着替えなんて与えられなかった。それがどうしてこんな見覚えのない、しかもとても高価そうな服を着ているのか。
わたしはうかがうように男の人のほうを見た。そんなわたしに、にっこりと男の人が微笑む。
誰が着替えさせてくれたんですかと聞こうと思ったけど、男の人の笑顔になにか有無を言わさぬものを感じた気がして、細かいことを気にするのはやめにした。なんとなくそうするのがいい気がする。自分の心の平穏のためにも。
「助けてくれて、ありがとうございます。」
代わりにわたしは男の人にそう言うと、ぺこりと頭を下げた。どうして助けてくれたのかは分からないけど、素直に嬉しかった。
痛くてつらくて苦しくて、絡めとられて逃げ出せない。そんな永遠に続くと思った苦しみからこの男の人は救い出してくれたのだ。
たぶんこの人はわたしが牢屋から逃げてきたことを知らないのだろう。知っていたらきっと、こんな風に良くしてはくれないと思う。
同じ金の瞳の王族なのに、あの男と違ってこの人はとても優しい人だ。穏やかにわたしを見つめる瞳にそう感じた。そんな優しい人だから、たぶんぼろぼろに傷ついたわたしを哀れんでくれたのだろう。
そっと男の人の手がわたしの頬に触れた。そこからじわりとぬくもりが伝わる。
「お礼なんていらないよ、私の番。」
またよく分からない言葉を言うと、にこりと優しく男の人が微笑んだ。男の人はわたしの頬に手を当てたまま、顔にかかっていた髪をすくって、耳にかける。指が耳を掠めて、触れられたところにじわりと熱がともった。
「自己紹介がまだだったね。
私はキサネア王国”王弟”リシュジオ=ルディナール=ディ=キサネア。」
始めまして、と言ってわたしに向かって微笑んだ彼に、また一つどくんと大きく心臓が震えるのを感じた。
それからしばらくは穏やかな日々が続いた。
わたしは例の寝台のある部屋でリシュジオ――――リシュと色んな話をしたり、この国の本を見せてもらったりしてゆったりと過ごしていた。
わたしがその部屋から出ることはなかったし、リシュ以外の人間が部屋の中に入ってくることもなかった。言えば出してくれたのかもしれないけどなんとなく他の人に会うのは怖くて、リシュもその話をしないのをいいことに、わたしはずっと部屋に引きこもっている。
そんなふうにして毎日を過ごしているうちに、わたしはリシュが”私の番”と言う言葉をよく使うことに気付いた。どういう意味か気になって聞いてみたら、「運命の人という意味だよ。」と言われて、どぎまぎしてしまったのを覚えている。
そんなリシュはなんというか、接触過多だ。部屋にやってくるといつもわたしを抱き上げてベッドの端に腰掛け、膝と膝の間に座らせる。そうしてわたしの髪をいじったり、おなかに腕を回して抱きしめたりするのだ。
その体勢のまま耳元で話したりするものだから、最初のうちこそ緊張してしまってうまく話せなかった。眠っているときにふと動けないなと思って眼を覚ますと、目の前に綺麗に整った顔があって、そのままもう一度意識を失ってしまったこともある。
そんなことが頻繁にあって、最近では会話をするには近すぎる距離も添い寝も平気になってきてしまっている。慣れって恐ろしい。
ある日、そう言った行為に緊張しながらも、ちっとも嫌ではなくてむしろ嬉しいと思っている自分に気がついた。
わたしはたぶん、リシュに恋をしている。
幸せだった。この世界に来て、こんな気持ちを抱くなんて夢にも思っていなかった。リシュの言葉に、行動に一喜一憂している自分がいる。リシュのいうとおり、本当にわたしが彼の”つがい”だったらいいのにと何度も思った。異世界人のわたしがそうであるはずがないとは分かっていたけど、そう思わずにはいられなかった。
すっとこんな日が続いて欲しい。そう願った。
だからこれはきっと罰。そんな自分勝手な理由で本当のことを―――――わたしがこの世界の人間じゃないってことをずっとリシュに黙っていたことに対する。
ごめんねリシュ。
「自らを番と偽り心優しい叔父上に取り入るとは。」
冷たいばかりだった金の瞳に今は別の感情が宿っているように見える。これは怒り・・・・だろうか。怖くて怖くて、びくりと体が震えた。
「恥を知れ売女が!!」
怒鳴り声と同時にわたしの体が吹っ飛んだ。派手な音を立てて体が冷たい石の床に打ちつけられる。鞘がついたままの剣で殴られた頬が、じんじんと痛んだ。じわりと目に涙があふれる。
またひどいことをされるのだと思うと、体の震えが止まらなかった。
でも、わたしは耐えるしかない。これは罰。
間違っても助けてなんて言ってはいけないのだから。