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桎梏の番  作者:
本編
2/8

中編‐上

中編を二つに分けるという暴挙←



腹立たしげに足音を高く響かせながら、軍服の男達はわたしが横たわる牢から出て行った。

靴が床を打ち鳴らすかつかつという音はだんだん遠ざかって、やがて聞こえなくなった。


鉄格子の向こうには、先ほどまで牢の中でわたしを拷問していた男達と色と形こそ同じだけど、彼らとは違い刺繍の入っていない服を着た男が立っている。

たぶん見張りかな。最初の二日は違う人物だったけど、三日目辺りからこの男になった。


じくじくと手のひらが痛む。そちらに目をやると中心の辺りにざっくりと切れ込みが入っていて、本来なら見えるはずの無い床が貫通して見えた。

そんなにもひどい傷なのに、血は出ていない。失血で死なれないようにするためなのか、刃物傷は付けた直後に熱した鉄らしいもので焼かれた。ご丁寧なことだ。

まだ微かに牢の中に肉が焼け焦げる臭いが残っている気がして、吐き気がこみ上げる。満足に食事すら与えられていない体では、吐くことなんてできなかったけれど。


穴が開いているのとは別の方の手のひらを見ると、骨が浮き出て見えた。たったの一週間足らずでずいぶんと痩せたらしい。向こうにいた頃は太らないように必死だったっていうのにね。

なんだかそれが滑稽に思えて、笑おうと思ったけど表情筋はちっとも動かなかった。


わたしは微かに身じろぎをする。ありえないくらい寒い。体はがたがたと震えているのに、全身のいたるところにある傷は存在を主張するかのように異常に熱かった。

さっきまではぼろぼろと流れていた涙はもう既に止まってしまっている。ここに入れられてからはずっとそうだ。与えられる痛み以外で泣けない。

こんなにも苦しいのに、涙は出ないのだ。


痛みが少しでも小さくなるように、体を出来るだけ動かさないようにして、浅く息を吸う。あまり大きく呼吸すると、胸の辺りが痛んだ。



そうしてしばらく横たわっていると、自分の体に影が落ちるのが分かった。目線だけをそちらに向けると、あの男達のはいているものよりは少し安っぽい皮のブーツが目に入る。

誰だろう。さっきの男達が戻ってきたのかとも思ったけど、そんな足音は聞こえなかった。この牢も、牢に続く道も石造りで、物音がよく響く。もし彼らが戻ってきたら、すぐに気付くはずだ。

では一体誰だろう。わたしはゆっくりと目線をあげていく。


「・・・・・っ!」


そこに立っていた男と目があってしまって、わたしはすぐにそれを後悔した。男の目に宿る感情が垣間見えて、ぞわりと全身があわ立つ。

気持ち悪い。何でそんな目でこっちを見下ろしてるの。


牢の外に立っていたはずの見張りの男が、いやらしい目で嘗め回すようにわたしの体を見ていた。





「・・・・っ!離して!!」


わたしはどこにそんな力が残っていたのかと自分でも驚くくらいに必死で抵抗した。初めては好きな人と。誰かと付き合ったことも無いくせに夢見がちだと自分でも思うけど、そうでなくてもこんな男はごめんだ。


「離してっ!いや!!」


全身が痛み、体のあちこちがぎしぎしと軋むけれど、わたしはじたばたと暴れた。それでもさすがに大の男の力にはかなわずに、あっさりと組み伏せられてしまう。


わたしはひっと息を飲んだ。体中をまさぐる手のひらが、男の息遣いが、吐きそうなくらいに気持ち悪い。

いやだ、誰か助けて。

必死で逃げようとするわたしを男は下卑た笑みで見下ろしていた。こちらに来てからずっと着続けていた制服は、ところどころ破れてぼろぼろだ。

こんな目にあっていても、相変わらず涙は出なかった。こんなときくらい、出てくれたっていいのに。


ふいに、男は懐から鍵を取り出した。それをわたしの足首の辺りにある足かせについた鍵穴に差し込む。はじめは何をしてるのか怪訝に思ったけど、足を広げさせるためだと分かってぞっとした。

異性と付き合ったことは無くても、わたしにだってそのくらいの知識はあるのだ。


ぞっとして、でもふっと頭にとある考えが浮かんだ。それは果たしてこんな作戦が上手くいくのだろうかと思うようなものだったけど。


けれども、と思う。

駄目でもともと、やってみよう。このまま何もせずおとなしく犯されるなんて絶対嫌だ。


カチャリと小さな音がして、両足を拘束していた枷が外れたのを感じた。チャンスはこの一瞬、今しかない。

ふっ、と小さく息を吸うと、即座にわたしは決死の思いを込めて、男に向かって足を振り上げた。


鈍器(・・)と(・)なりえる(・・・・)ほど(・・)に(・)重い(・・)金具が付けられた右足を。


ゴッと鈍い音がして、右足は見事に男のこめかみにヒットした。ぐらりと男が倒れてゆく。

どさりと音を立てて、白目を剥いた男は石の床に倒れこんだ。



自分の荒い息遣いがやけに大きく聞こえる。とくに武術を習っているわけでもないのに、こんなに上手くいくとは思わなかった。


わたしは気絶した男をちらっと見ると、空けられたままの牢を飛び出した。

男はもしかすると死んでしまったのかもしれない。

それぐらい怖い表情で倒れていたけど、罪悪感なんて感じている余裕はなかった。





わたしは必死で歩いた。でもすぐにがくりと崩れ落ちそうになる。さっき男を蹴ったせいか右足を痛めてしまったみたいだ。

ひどく歩きづらかったけど、引きずりながらでもただ歩いた。歩を進めるたびにじくじくずきずきと全身に激痛が走る。

血が出ていなくてよかった。意識ははっきりしている。かといって、傷口を焼いてくれたことをありがたいとは思わないけど。あれは、言葉であらわすことなんてできないような激痛だ。


痛くて痛くて倒れてしまいたいと思うけど、見つかるのは嫌だから一歩、また一歩と足を前に踏み出した。

そんな様子で歩いていくぼろぼろのわたしの姿は異様だったろうに、不思議と誰にも合わなかった。


目的地なんて無かったけれど、なんとなく直感に従ってよろよろと歩く。

右、左また右。なんとなくこっちだと思ったほうに進む。それに従って、建物の様子も飾り気の少なかった牢の周りとは打って変わって、どんどん豪華なものになっていった。

不思議とやけに気になって、あの時は遠くからしか見られなかった宝石のはめ込まれた柱を見上げる。きらきらと輝いていて、ひどく眩しかった。長く廊下を続いていく絨毯は歩くと足がしっとりと沈み込んで、かといって決して歩くことの邪魔にはならない絶妙の柔らかさだ。こんなときじゃなかったらきっと感動できたんだろうと思う。でも今はただ、足音が吸い込まれてあたりに響かないことがありがたいと感じるだけだった。


人の声が聞こえる方向を避けて進んでいくと、いつしか外に出ていた。そこで顔を上げてみて初めて気が付く。

すごく綺麗だ。


目の前に広がるのは、こちらに来て始めにわたしが目にしたものと同じくらい立派な、けれども全く違った雰囲気を持った美しい庭園だった。わたしはなんとなく、そろりとその庭園に向かって足を踏み出した。


それにしてもなんだろう。さっきからわたし、ずいぶんと余裕だ。もし見つかったら、きっといま以上にひどいことになるのは目に見えてるのに。

それでも自然と足は前に進んでいた。ひどくゆっくりとしか進まないから、気を紛らわせるためにも、痛みのせいで変にはっきりしている頭でわたしは辺りを見回した。


初めの庭園は、なんていうか、そう。豪華と言う言葉がよく似合うものだった。ともすると騒がしくも見えてしまいそうなほどのにぎやかさで見る人の目を楽しませるもの。

でもここはそれとは違う。

存在を主張するのは花々というよりはどちらかと言うと柔らかな芽を息吹かせる木々だ。少し向こうに見える大きいとも小さいとも言いがたいため池のようなものの中では、ゆったりとひれを動かしながら魚たちが泳いでいる。

水辺にはもとの世界で言う水仙みたいな形の、けれども水仙ではありえない薄紅色をした花が咲いていた。他にも落ち着いた色合いの小さな花々が寄り添いあうように庭園の中でゆれている。


わたしはほぅ、と息をついた。落ち着いた気分にさせてくれる場所だ。こんな気持ちになるのはこっちに来てから初めてのことだと思う。

最初の庭園よりも、わたしはこっちの方が好きみたいだ。



逃げている途中だということも忘れて庭園に見入っていると、どこからかさくさくという地面を踏む足音が聞こえてきた。

その音にびくりと体が緊張するのが分かった。

そんなかすかな音を拾った自分の耳をほめてやりたい。足音はどうやらこっちに近付いてきているみたいだった。


わたしは痛む体をおして、とっさに近くにあった木の陰に隠れた。



足音はさっきまでわたしが庭園を眺めていた芝生のあたりで止まった。ドクドクと心臓がうるさい。足音の主にまで聞こえてしまいそうだ。そんな馬鹿なことがあるはずないと頭では分かっているけど、どうしてもそう思えて仕方ない。


もしもわたしが逃げたことに気付いた軍服の男達だったらどうしよう。とてもこんな体では逃げ切れるとは思えない。

また捕まったらどうなるの?もっとひどいことをされる?

血の気がざっと引いていくのがわかった。頭に思い浮かぶのは、男達の冷たい、こちらをさげすむような目。きっととてもひどいことをされる。

わたしは知らず知らずのうちに木の裏で息を止めていた。体をぎゅっと抱きしめたいけれど、手が枷で縛られているので適わない。

お願い気付かないで、どこか行って。


そんなわたしの願いもむなしく、その何者かはわたしの存在に気付いてしまったみたいだった。



「誰かいるの?」



柔らかい、じわりと心に染み入ってくるような声だった。どうやらあの男達とは違う人間のようで、わたしは少しだけ詰めていた息を吐きだした。

とは言ってもこの城の人間と言うことには変わりない。見つかったらきっとあの男達の前に突き出されてしまう。わたしはその言葉には答えずに、じっと息を殺した。



上手く聞き取れなかったけど、その人が何かを呟くのが聞こえた。それから足音が遠ざかっていく。わたしはほっと息をついた。気付かず行ってくれたみたいだ。


そのことに安心してしまったみたいで、がくりと膝が折れる。とっさに踏ん張った方の足は運悪く右足で。

ずきりと鈍い痛みが走り、倒れる、と思ったけどどうしようもなかった。なぜだかやけに地面が近付いてくるのがゆっくりに思えたけれど、わたしは衝撃に備えて目を閉じた。



「大丈夫?」


けれども予想したような衝撃は来なかった。ぽすっと気の抜けたような音がして、柔らかい布の感触が頬をくすぐる。頭上から降ってくるのはどこかで聞いたような柔らかなテノール。

誰かが支えてくれてる。


そんな事実にびっくりして、恐る恐る顔を上げると、そこにあったものにもっと驚いた。



「あ・・・・・ぁ・・・。」



とても綺麗な顔をした人だった。あの金の瞳の男も相当に整った容姿をしていたけど、それとはまた別種の綺麗さ。あの金の瞳の男を男らしい格好良さだと表現するなら、この人はきっと美しいと評するのが一番正しい。

年は二十代くらいだと思う。さらさらと流れるような白銀色の髪は肩の辺りで切りそろえられていた。同じ色の長いまつげで縁取られた目はわずかに目じりが下がっていて、穏やかそうに見える。ともすれば女の人と見間違えそうな容姿だけど、わたしを支えている腕は思いのほかしっかりしていて、男の人だと分かった。


でもわたしが驚いたのはそんなことが理由じゃない。



「ひっ、いやぁっ!」


男の瞳は、黄金色にきらめいていた。


ざっと血の気が下がるのを感じる。わたしは錠の嵌められた両手を思い切り突っぱねて男から距離を取った。勢い余って後ろに倒れこんでしまい、体中の傷に響いて激痛が走ったけど、そんなことは今はどうでもいい。なんとかしてこの男の人と距離をとりたかった。

自分を突き飛ばしたわたしを男は眉間に眉を寄せて見下ろしている。

こっちに来ないで。お願い。


わたしは座り込んだまま必死で後ずさった。しかしいくらもしないうちにどんと背後の木にぶつかってしまう。


「やめて!お願い。こっちにこないで・・・・・!」


いやいやと必死で頭を振る。

目の前の男の姿が、瞳が、わたしを拷問した金の瞳の男と重なった。

「金の目は、竜の血を引く王族の証」。あの男が牢でわたしに言った言葉だ。ならば目の前の男もきっとそう。王族だ。あの男よりもいくらか濃く見える金色の瞳がわたしを見下ろしている。牢でのことを思い出した。


王族はわたしを傷つける。冷たい目で見下ろして、さげすんで、ひどいことをたくさんする。

きっとこの綺麗な男の人も同じ。


「いやっ・・・・。っめんなさ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ、やだっ・・・・・!」



男がこっちに向かって両腕を伸ばすのが見えた。何をするの、その手で何をするの?

殴る?髪を引き抜く?爪をはぐ?


いやだいやだいやだいやだいやだ――――――――――!!




「かわいそうに。誰がこんなひどいことを・・・・・。」


ふいに痛みを拒絶しようとかたく強ばった体をふわりと暖かいものが包み込んだ。一瞬何をされたのか分からなくて、びくりと体が震えた。

そんなわたしの背中を労わるような優しい手つきで男の人が撫でる。

男の人の手が触れているところから、じわりと温かさが伝わった。


なんだろう、すごく安心するみたいなこの感じ。この人はあの男と同じ、王族なのに。


ゆるゆると体の力が抜けていくのが分かった。目を見開いて、わたしを囲う腕の持ち主を見上げる。蜂蜜みたいな金の瞳に、血や涙の跡でぐちゃぐちゃになったわたしが移りこんでいるのが見えた。



「もう大丈夫。私が守ってあげるから。」


頭の上のほうから降ってきた柔らかい声。きゅっとわずかに腕に力が込められた。空気すら挟まないほど近くにある体温がすごくが温かくて。わたしは自分が小さな子どもに戻ったように感じた。


男の人の言葉が雨粒みたいに心に落ちていく気がする。そこからじんわりと暖かいしみが広がっていく。

だから、なんだろうか。



「ふっ、うぁ、あ、


うわあぁぁぁあぁあん!!」


あんなにも頑固だった両目からぼろぼろと涙が流れ落ちていった。そうなるともう、後から後からあふれ出してきて、それを拭うこともせずにわたしは目の前の男にすがりついた。服に顔を押し付けると、ふわりと優しい香りが漂う。


ああ、もうきっと大丈夫。なにがあってもここにいれば安全だ。


男の人の言葉を信じたわけじゃないのに、どうしてか漠然とそんな風に感じた。ゆるゆると背を撫でてくれる手が心地いい。

わたしはひくひくとしゃくりあげながら泣き続ける。目からあふれた涙は男の人の服にしみこまれていって、ここにもいくつものしみを残した。

男の人はずっと、大丈夫と言いながらわたしの背を撫でてくれていた。

わたしは暖かさに身を任せてそっと目を閉じる。そうすると、ゆらゆらと世界が揺れている気がした。その感覚に、とたんに眠気が襲ってくる。


ああきっと、人のぬくもりって、こういうこと。

そのまま男の人に身を任せていると、いつしか意識は闇に落ちていった。






「やっと見つけた。ずっと会いたかった。

――――――私の(つがい)。」


だからわたしは、男の人が眠ったわたしに呟いた言葉を知らない。



さっそくのお気に入り登録ありがとうございます!この調子で本編は週一くらいで更新していきたいと思います。

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