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FICTION-LINK  作者: 字紀 彦助
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第二話


白いカローラの軽薄なエンジン音に揺られながら夜空は昔のことを思い出していた。

昔と言ってもつい2ヶ月半ほど前の話だ。普通の2ヵ月半ならこんなに長くはないだろう。

少なくとも、順調に友達も出来、健全で平和な高校生活をスタートさせた梢よりは。

記憶に思いを馳せる夜空の頭は、傍から見ればたよりなげに、多少の振動をも拾って揺れた。



白いドア。

白い床。

白い壁。

白いカーテン。

白いパイプベッド。

白いシーツ。

白い枕。

白い掛け布団。

白いサイドテーブル。

白い花瓶。

白が、鬱積する部屋。

そこに活けられた、突拍子も無く鮮やかで豪華な花束。

…夜空は、白いベッドの上で上半身を起こしていた。

白いドアが開いて、白衣を着た男が何人か入ってきた。

何人だったのかを夜空はきちんと覚えていない。

男のうちの一人が夜空のひざの辺りに何かを投げ落とした。

夜空はそれを見た。


白い、丸みを帯びた、銃、のようなもの、だった。


手に取ると、目が冴えるようなくらくらするような、不思議な感覚に陥った。

「君にはそれが見えるのかい?」

男は興奮を抑えたような声で言った。

夜空はいぶかしげに男に向かってそれを捧げ持つと、

「これですか?」

と言った。男たちの目には、少年が自分たちに向かって両手を伸ばしているようにしか見えなかったようである。




 ピー、ピー……

安っぽい電子音に夜空ははっとした。車が後ろに動いている。ギアをバックにまわすと流れる音だった。そこはコンクリートに白いペンキで仕切られた、小さな月極駐車場である。

「はい、お疲れ」

ご丁寧にドアまで開けられて、夜空はあいまいに会釈をしながら外に出た。

 その駐車場からほんの少し歩くと、完璧に風景の一部に同化した小さなビルがある。なんの汚れだか、白い建物の壁には黒い筋が何本も落ちていた。ビジネス街のはずれ、細い裏路地に面したそれは、研究施設、なんて印象はこれっぽっちも与えない。せいぜい儲からない学習塾である。夜空は、引きこもりの少年張りに長い前髪の内側で顔をしかめた。

「足は大丈夫か?」

なかなか歩かない夜空に文句でもあるのか、男は調子はずれなねぎらいをした。夜空はかぶりを振ると、よほど弱みを見られたくないのか無理に普通に歩いた。水色のチェックのハンカチが右足で揺れた。少しだけ血がにじんでいた。



ひんやりとしたエントランスに、エレベーターが一台、ある。それ以上のスペースは無い。男が『△』ボタンを押すと、どこかギクシャクした動きでそれは開いた。

どうせ五階までしかないビルの三階を押す。なんとも頼りない音と揺れで動き出した。

夜空は、何ともなしにエレベーターの背面に張られた鏡を見た。

前髪が長い。その下の肌は青ざめて、血管が見えそうなほどだ。

目の下の隈が彼の思っていたよりずっと濃く、夜空は眉をしかめて鏡から目をそらした。

「もう夜空はどれくらいの数戦ったのかな」

自分の世界に入りかけていた夜空は、耳から入ってきた情報にびくりと反応した。

「……どうせ常盤木さんは知ってるんでしょ」

「ははは、まぁね。14回だ、今日も入れて」

なら聞かなきゃ良いのに、と夜空が下を向いたとき、エレベーターが止まった。まったくもって滑らかさに欠ける動きで開く。


常盤木は、元気の無い人間が見たら癇に障るくらいエネルギッシュだ。筋肉の厚みを感じる背中は、なるべく省エネで生存している夜空にしてみたらくらくらする位精力的だ。歩く姿は多少の上下動さえ伴っている。もちろんと言うか、夜空はそれに好意を持ったことがない。いきいきとした者全てが嫌いなわけではない…むしろ自分に無い魅力を覚えている。しかし彼は…彼の背中は、なにか嫌味な、弱いものを一生理解できなさそうなものに見えるのだ。

こんなに疲労し、消耗した少年に比べ、この男はなんと健康で、なんと苦労を知らず、なんと独善的なことだろう。

夜空は、文句は言わない。その(・・)仕事は夜空にしか出来ないことなのだ。


研究室の無機質な臭いと余りの生活感の無さに、夜空は唇を固く結んだ。

そこは夜空の嫌悪し恐れている場所であり、彼の唯一帰れる場所だった。



「これでよし」

何とも言えない広さの、会議室のような部屋。ドアから正面にはホワイトボードが張られていて、机はキャスターのストッパーを外せばどんどん勝手に動いてしまうタイプの、2〜3人掛けの白い会議用のものだった。

とりあえず夜空は研究員の一人に足の消毒をされて白い包帯を巻かれた。水色のチェックのハンカチは血で汚れてしまった。洗っても落ちないかもしれない。

「それ、とりあえず洗ってみようか」

「えっと…」

「いいよ、やっとくから」

夜空が言葉を継ぐ間もなく、若い白衣姿の男はそれを持って行ってしまった。

夜空は薄々分かっている。それは本当の親切ではないことを。そしてここの研究員のほとんどはこんな調子だった。

「さて、夜空君」

入れ替わりに常盤木が入ってきた。右手にA4くらいの画用紙を3枚ほど、びらびら言わせながら。左手には尻尾に消しゴムの付いた鉛筆と、それとは別にMONOの消しゴムを握っていた。 

 歩幅が広い所為か彼はあっという間に夜空の向かいまでやってくる。力強く椅子を引き寄せると、ドッと音がするのではないかと思うくらいの勢いで座った。

 ぅわしゃ、と言うような音をさせて、画用紙がくねりながら机の上に広げられた。机の白と画用紙は完璧に同調して、すこし視力の悪い者が見たならば境目さえ分かりそうに無い。

「また、頼むよ。今回の“侵略者”と今の銃の形」

「…はい」

夜空は渡されるままに先のよく尖った細長い六角柱のそれを受け取ると、紙に顔をうずめるような姿勢で右手を動かしだした。

常盤木は相変わらず向かいに座っているが、夜空の姿勢が悪い上、前髪がすだれの様に画用紙につく位まで垂れ下がっているので、夜空が今何を描いているのかを見ることができない。

「そんなに顔を近づけちゃ目が悪くなるよ」

「…はい」

 一応、少しは頭を上げてみるが正常には程遠い。常盤木もそれ以上は特に何も言わずにおいた。

 しばらくの間、二人しかいない部屋に、時計の秒針と鉛筆を滑らせる音と、あとは僅かな衣擦れの音ばかりがいやに響いた。エアコンも点かない空間では静寂が耳に痛い。

 やがて夜空は一枚のスケッチを完成させ、常盤木のほうへ押しやった。それを受け取った常盤木はその画を両手で持ち、遠ざけて見たり近くで見たりした。

「爬虫類?」

夜空はかすかに頷く。

それは奇妙な怪物だった。

フォルムはぬめっとしているのに表皮自体はボコボコの、肋骨の浮き出た、トカゲのお化け。目は黒目ばかりで、細長い胴体から生えた短い足には親指(の、ようなもの)もあわせて指が五本あり、水かきのようにそれぞれがつながっていた。長い尻尾の先には、ごつごつとした岩の塊のようなものがついている。振り回せば生身には恐怖なくらいの武器になるだろう、どこかモーニングスターを想像させた。

 そういったものが、真冬の枯れ木のような、胸の締まる鉛の色彩と繊細なタッチで描かれている。

彼と同年代の学生の大半が描くものよりずっと熟達して、ずっと、淋しかった。

「大きさは」

「…これくらいです」

 両手を広げる。常盤木に同じ事を二回以上言わされることは特に珍しいことでもなかった。

「まぁ…155cmってところか」

それは、ちょうど夜空の身長と同じだった。

「尻尾も入れて?」

「そうです」

 シャッ、シャ。

 細い線で描かれた怪物の画のすぐ下に、力強く155、と書かれた。1が、5が、5が、それぞれ絵につきささり、めちゃくちゃにしそうなくらい、その三つの数字は太く、強かった。日本列島の動物が外来種に生態系を破壊される様を連想させる。

「じゃあ次、今のフィクション・ウェポンの状態も描いてくれる」

「はい」

 ふたたび常盤木から鉛筆を受け取り、夜空は腰のホルダーから何かを出し、画用紙の奥、ちょうど常盤木の目の前に置く動作をした。

 その空間には何もない。

 少なくとも夜空以外の人間には。

 夜空はその置いた『何か』を、たびたび顔を上げて凝視しながら二枚目のスケッチを描きはじめた。

「この前は、わりと小さくて四角い感じのだったね。あれから何か変わったかい?」

ちなみに言うと、夜空は常盤木の、この人間に向けて喋っている感じのしない猫なで声も好きではない。音程としてみたら低い方ではあるのだが、硬くてどうもなじめなかった。

「今は…丸っぽくて、赤くなってきた気がします。あと、グリップのところに、飾りみたいなのが…」

 言っている間も手を動かす。二枚目の画用紙に、だんだん銃のような輪郭が生じる。

「飾り? なるほど、興味深いな。大きさは?」

「前よりは大きくなってきてて…撃ったときの威力も、多分上がってます」

 鉛筆が細部に渡って行く。緻密である割には描くスピードがとても速かった。

 グリップ部の装飾にとりかかる。トリガー付近には何も付いていなかったが、手の当たりそうに無い所が、陶器の絵柄のようになっている。その模様は和風の小物か何かに似ていた。

「威力が上がったか。形状がどんどん変わっていくと聞いたときにはもしやと思ったが…やはりな」

 ほとんど独り言だが、もちろん夜空にはばっちり聞こえている。

「変わらないもんなんですか、普通」

絵はほとんど出来上がっている。今は細かい陰影をつけていた。夜空の絵はこの作業でどんどん寂しくなっていくらしい。

「変わらないと思っていたよ、普通」

「…ボクは…変ですか」

鉛筆が止まる。描き終わったようだ。それを取り上げて、常盤木はすばらしい、とつぶやいた。

「いや、むしろ喜ぶべき兆候さ。この武器は何度か実験は行ったが、本格的に使用したのは君が初めてだから、実際何が起こるのかは殆どわかっていない。変わらないと思っていたのも単なる仮説だからな」

 何がどう喜ばしいのか、夜空にはよくわからなかった。




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