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晩蝉

掲載日:2026/06/23


 

 

 盛夏の団地というのは、どうしてこうも蝉が五月蝿いのだろう。


 五年以上帰っていない実家に帰ってくるといつも耳に張り付く蝉の声が蘇る。見えない場所で蝉が一体いくら集まったら、あの耳を裂くような鳴き声まで大きくなるのだろうか。


 駅から歩いて二十分ほどの場所にある集合マンションのひと区画の階段を上がっていると、ますます蝉の声が頭に響いた。

 久方ぶりに使う鍵で家の施錠を開けて中に入ると、もう中はだいぶ伽藍堂になりつつあるのを感じる。あぁ、この玄関の靴箱には母さんが趣味で買ってきた土産物の小物が飾られていたのに、もうないんだな、とか。


「ただいま…」


 ふと口からその言葉が溢れた。

 しかし返してくる人はいない。


 一人暮らしのアパートなら最初から言わないのにな、と考えてしまうとここが長く住んでいた実家だったのだということをまたひとつ思い出した。

 廊下を抜けてリビングに通じるドアを開けると、中にはもう大きな家具はいくらも残っていない。

 親戚の叔母が大きな家具などの処理はしてくれると言っていたので、もうそれが済みつつあるのだろう。


「…」


 部屋を見渡すと、子供の頃のことを思い出す。リビングを中心に左右に分かれた部屋の中身、台所の母の姿、ダイニングで趣味の雑誌を読む父。


 全部がもう過去のことだ。

 そこには寂しさもあるし、実感もある。

 胸の内に生まれた実感に、少し自分が乾いた人間なように感じた。


 家の中に置かれたものは大きな家具だと箪笥や戸棚ばかり。恐らく中に入っている両親の遺品を私が処分した後に撤去するのだろう。

 私は遺産を叔母と分け合い、いくらか受け取った程度なのでこの家も叔母に好きにしていいとは言ってあるから、こうして遺品の整理をさせてくれるのはあの人の優しさなのかもしれない。


 軽く戸棚を開けると、中に入っているのは母のものばかりだった。父が持っていた品も多くあったはずなのに、それらはまるで消えてしまったかのようにわずかなものしか残っていない。

 箪笥の中に残っている衣服も母のものばかりだ。まぁ、父の私服は入院時に持っていたもので全てだったみたいだが…。


 父は膵臓の病気で先日亡くなったが、母は奇妙な死に様であった。

 ある日、仕事中に父から電話があり、応答すると父が息を切らせて母の所在を尋ねてきたことが始まりだったように今は思う。

 私は当然母の行方など知らず、その時はそのことをそのまま伝え仕事終わりに母を探しに行った。


 しかし母は見つからず。

 遺体になって帰ってきたのは、電話から三日後であった。


 見つかった母の遺体はなんとも奇妙な姿で、まるでミイラのようになっていたのを今でも印象的に覚えている。

 全体的に干からびたかのような姿に。背中に空いた穴…まるで何かに全てを吸われてしまったかのようだった。

 その後一ヶ月ほどで父が入院。突然母を失った父はまるで生気を失ったような姿になってしまって、今際の際はいっそ幸せそうにすら見えたのが記憶に新しい。


「…母さん、父さん」


 母の遺体は、奇妙な死因に相応しく…と言うべきだろうか、こちらも奇妙な場所で見つかった。

 実家の隣に作られた公園の敷地内に、乱雑に落ちていたらしい。


 公園は集合マンションの敷地内に作られた小さなもので、自然を意識して植えられた多くの木々のせいで雑木林のようになってしまい、気がつけば管理も放棄されていたような気がする。

 しかしそんな家のすぐそばを誰かが探さないはずもなく、何度探しても見つからなかったところに突然“それ”は落ちていたそうだ。


 ふと見た棚の上に置かれた家族写真がそのままなのは叔母の気遣いだろうか、と思いつつ家のあちこちを物色していると、ふと別室のカーテンが揺れているのが目に入った。

 リビングから見て右側の部屋に入っていくと、公園に向かって付けられた窓が空いている。私はこの家に帰ってきて窓には触れていないので、叔母が来た時に閉め忘れたのだろうか?


「…枝?」


 そしてその窓際に、台座に置かれた一本の枝が目に入る。その瞬間、生前の母がかけてきた電話の内容を思い出した。

 母はその電話で、いいお土産を買ったと言って喜んでいたが私にはイマイチ良さが理解できない土産物の話。


 なんでもそれはただの枝に見えて、その土地の力が宿ったありがたい枝なのだそうだ。ある神社の神木から偶然折れた枝を加工したもので、希少でもあるとかなんとか。

 私はそれを聞き流しながら持ち帰った仕事を進めていたので、ぼんやりと覚えている。


「わっ」


 そんなことを思い出しながらひとまず窓を閉めようと手を伸ばした時、窓から蝉が飛び込んできた。驚いた私が一歩退くと、なぜか蝉は鳴かずに大人しく木に留まっている。


「なに…?」


 蝉は苦手だ。

 うるさいし、羽音は硬くて折れそうだし、死んでいるように階段の踊り場で横たわっていると思ったら急に暴れ出したり、ランドセルに激突してきたこともあったのだから。

 ここまで嫌な思いをしていて好きになるのは難しいと思う。しかし家の中に蝉がいたままというわけにもいかないので追い出さなくては。


「そ、そーっと行けば、なんとか…」


 私はゆっくりと蝉に向かって手を伸ばす。

 蝉そのものは触れなくても、蝉が留まっている枝を掴んで外に追い出すことはできるはずだ。


「うわぁ!」


 しかし蝉はこちらの行動を認識したのか、先に飛び立ってしまった。驚いた私は足を滑らせて床に転がる。


「いった…」


 そのまま頭を打ってしまった。なんとか起き上がるも気持ちが悪い。


「少し休もうかな…」


 ぐらぐらする頭を抱えてリビングに戻る。

 もう水道とガスは通っていない家なので、鞄を漁り持ち込んだ水を一口飲んでから横になった。

 

 ***

 

「…ん」


 むくりと起き上がると、もう夜になっていたのか部屋の中が暗い。しかし気持ち悪さのようなものは無くなっていたので、起き上がって電気をつける。

 そういえば、と思って横になる前までいた部屋を確認すると、なぜか窓はしまっていた。記憶がないだけで自分で閉めたのだろうか。

 しかし、頭を打ってしまったせいで作業が思ったより進んでいない。ひとまず今日引き取ろうと思ったものはまとめて、叔母に連絡をすれば明日もくることができるだろう。


「…よし、帰ろ」


 スマホの画面を落とし、電気を消して家を出る。施錠の確認をしてから階段を降りると、また五月蝿い蝉の声が一層耳に響いた。

 階段にいるときは建物の壁のおかげかなぜか降りる時はそこまで聞こえないが、外に出た瞬間またあの五月蝿い鳴き声が幾重にも聞こえる。


 だが、蝉とはこんなにも暗い時間まで鳴いていただろうか?

 ふとそんな疑問を覚える。


 蝉はいつも夜は静かで、その時間に泣いているのは季節より早い鈴虫だったような。

 しかし晩蝉という言葉があるように、遅い時間まで鳴いている蝉もいるのかもしれない。もう景色は真っ暗だが、遠い子供の頃の記憶ははっきりとは思い出せないし、普段の生活でそこまで蝉を気にしてはいない。


 この場所だけなのだ、こんなに蝉が五月蝿いのは。

 気にしても仕方ない、と私はそのまま帰路に着くため歩き始める。今日はもう遅いので付近の小さなスーパーで軽食でも買って帰ろう。


 スーパーに向かって歩いていると、自分のすぐ左側にある公園が鬱蒼として見える。真っ暗な時間に歩くこの場所は右側にはマンションの駐車場があって裏手側に抜けていけるのが便利だ。

 それにしても、管理を放棄されて雑木林の空気が増した公園は子供の頃よりも恐ろしいものがある。この空気には少し身が震えてしまう。


「○○」


 ふと、誰かが私の名前を呼んだような気がした。しかし足を止めて見渡しても周囲には誰もいない。


「○○」


 もう一度、誰かが私を呼んだ。

 でもこの声、聞いたことがあるような。


「ミ、キ」


 三回目は、はっきりと母が私を呼んだ。

 確信を持った私は振り返ると、そこには、

 

「みき」

 

 そこには、私の名前を呼ぶ、大きな蝉の顔があった。

 

 

 

 

 

 

 

                  終

 

 



みなさんこんにちは、名前が最近変わりまして「まつなが しろ」になりました。よろしければ今後もよろしくお願いします

この作品は幼少期の体験をホラーに落とし込んだものです

子供の頃って背が低くて視点が低い分、怖い思いもたくさんしたように感じます。これはそんな一幕です

短編なのであまり語ることもないのですが、ちょっとゾッとしてくれたら嬉しいです

それでは


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