第二十話:『踊る阿呆と、働かない阿呆2』
正規ギルドの扉を叩くと、受付嬢のステラが、カビの生えたパンでも見るかのような、死んだ魚の目でこちらを見た。
「…はぁ…。また、あなたですか。うち、人間向けの仕事なんて、もう、ろくなものはありませんよ」
「なんでもいい!とにかく、今日のパンが買える仕事を紹介してくれ!」
「…そうですか。では、こちらなどいかがでしょう。場所は東4番地区。日給、銅貨二十枚です」
ステラが指差したのは、『幻覚キケノコ(通称:ハッピー・マッシュ)』の胞子収穫の依頼書だった。
「副作用…?ああ、ギルドの報告書では『一時的な多幸感』『気分が異常に高揚する』程度だと聞いています。まあ、楽な仕事ですよ」
(陽気になるだけか!最高じゃねえか!むしろ、今の暗いアジトに必要なもんだ!)
「それ、やる!」
「あ、一応、免責同意書にサインだけ。場所が『湿カビの洞窟』なので、万が一何かに襲われたり、キノコを食べて帰らぬ人になったりしても、ギルドは責任を負えませんから」
「食わねえよ!大丈夫だって!俺、そういうの我慢強いから!で、これ、拇印でいいんだろ?」
俺は、ステラが差し出した「死亡時の遺体処理費用は遺族に請求します」とか書かれていそうな同意書に、一切目を通せず、力強く拇印を押した。
◇◇◇
『湿カビの洞窟』は、その名の通り、ヘドロとカビが混じった匂いが充満する、最悪の場所だった。 俺は、麻袋を片手に、ヌメヌメした壁に悪態をつきながら、奥へ進む。
「…いたぞ、ザガン!お前の仲間だ!」
『ほう、余の仲間、だと?』
いつの間にか半透明でついてきていたザガンが、俺の視線の先を見た。 そこには、俺と同じように、半透明で壁に張り付いている❘幽霊が数体、こっちを「何だこいつ」という顔で見ていた。
『……下等な霊体と一緒にするな、人間。しばき倒すぞ』
「へいへい、悪魔様は格が違いますね」
そんな軽口を叩きながら、俺は目的のブツを見つけた。 洞窟の最奥。そこだけ、色とりどりの『幻覚キケノコ』が、妖しく発光していた。傘の裏には、キラキラと輝く胞子がびっしりと詰まっている。
「依頼書には…『胞子は吸うな。息を止めて、慎重に傘だけを切り取るべし』か。めんどくせえな」
俺は、肺いっぱいに空気を吸い込むと、息を止め、ナイフでキノコの傘を切り取り、袋に詰める作業を開始した。銅貨二十枚のためだ。順調に作業を進め、あと数本で袋がいっぱいになる……その時だった。
ピチャリ。 何か、冷たくて粘度のあるものが、俺の首筋に落ちてきた。
「…?」
息を止めたまま、俺はゆっくりと上を見上げる。 天井には、俺の胴体ほどもある、巨大な紫色の芋虫(のような何か)が、無数の複眼で、俺を、見つめていた。
「(……あ、ヤバい。こいつ、依頼書に書いてた『何かに襲われる』って、こいつのことか?)」
芋虫は、ゆっくりと、その大口を開き―――ネバネバした糸を吐いた。
「うわあああああああああ!!?」
俺はパニックになり、息を止めていたことも忘れて絶叫し、その場で転んだ。 最悪なことに、俺が転んだ先は、『幻覚キケノコ』の群生地のどまん中。
顔面からキノコの傘に突っ込み、色とりどりの胞子が、ブワッ!と盛大に舞い上がる。
「げほっ!ごほっ!…あ……?」
胞子を吸い込んだ瞬間、全身を駆け巡る万能感。それと同時に目の前の、巨大な芋虫が、なんだか、すごく、かわいく見えてきた。
「よお、マドモアゼル芋虫。そんなネバネバした糸、吐いちゃって……俺と、イイコトしたいのか?」
俺は芋虫にすり寄り話しかける。
『…………(キモ…)』
芋虫は、一瞬停止した後、本能的な恐怖を感じたのか、そそくさと天井の奥へ消えていった。
『ククク…!小僧!いいぞ、その、理性のネジがぶっ飛んだアホ面!』
「るせえザガン!今、俺は、最高にハイになってるんだ…!邪魔すんな!」
俺は、「スラムのモテ男(自称)」と化して、意気揚々と洞窟を後にした。
◇◇◇
街に帰る頃には、俺の頭の中は、幸福感で完全に麻痺していた。 世界が、俺という「異世界ハーレム主人公」を待っているように見え始めた。
まず、標的になったのは、露店で肉を売っていた、屈強なオークのおばちゃんだった。(フッ、まずは「強気なヒロイン」か…王道だな…!)
俺は、華麗な(と自分では思っている)ステップで彼女に近づくと、馴れ馴れしく肩を叩いた。
「よお、そこのお姉さん。今夜一緒にどうだい?(キラン★)」
それは、俺の中でのナンパ師像そのものだった。(現実で見たことないが)
おばちゃんは、一瞬きょとんとした後、俺の頭を掴むと、ゴミでも払うかのように、軽々と投げ飛ばした。 俺は近くのごみ箱に頭から突っ込む。
「私に告ろうなんて百年早いよ!そんな暇があったら、肉を買いな、坊や!」
『クハハハ! 見事に撃墜されたな、主人公!』
「うるせえ!あれは照れ隠しだ!」
だが、俺は諦めなかった。
そのあとも様々な女性(男性)にアタックしていく。
そんな矢先、運命の出会いが訪れた。 ちょうど、市場で買い出しをしていた、受付嬢のステラがいた。
(見つけたぞ、俺の運命のプリンセス!あんなツンとした顔して……ああいうやつが一番かわいいのサ…!)
俺は、彼女の前に回り込み、馴れ馴れしく顔を近づけた。
「ステラちゃん、見つけた。何してんの?俺にも見せてごらん?(キラン★)」
俺は、カッコつけた(と自分では思っている)仕草で、ウインクを一つ飛ばした。
「…っ!?な、なにするんですか!?」
(こいつ、仕事帰りのはずなのに、何でこんなキマってるの…?)
本気のドン引きだ。だが、幻覚の中の俺には、それすらも愛おしい強がりに見えた。
「ハハッ、強がらなくていいんだぜ? 俺、そういう女の子、嫌いじゃない。てか、むしろ好きだわ」
俺は、彼女の心の壁を壊してやろうと、馴れ馴れしく、その肩に手を回そうとした。
「いやー!何こいつ⁉ 無理無理無理! 触らないで! 来ないで! 痴漢!」
全力で拒絶され、手を振り払われた俺は、バランスを崩し、一人で果物の屋台に盛大に突っ込んだ。 色とりどりの果物が、無様に散らばる。
「―――そこの人間!何をしている!」
背後から、地響きのような声がした。 果物まみれの俺が振り返ると、そこには、鬼の形相をした、ミノタウロスの警備隊長アステリオスが、仁王立ちしていた。
「通報があって来てみれば、ギルドの受付嬢に馴れ馴れしく言い寄り、触れようと付きまとうとは! 迷惑行為防止条例違反だ! 署までご同行願おうか!」
「ち、違う! 俺は愛のセラピーを…!」
『ククク…!!素晴らしい!実にくだらない!アステリオス!そいつを連れて行け!そいつは、さっき洞窟で巨大な芋虫すら口説いていた、筋金入りの変態だ!』
ザガンが、半透明のまま俺の横で腹を抱えて爆笑し、アステリオスに(聞こえない声で)追い打ちをかけている。
俺は、わけのわからない言葉を発しながら、警備隊に、無様に、引きずられていった。
数時間後。アステリオスからの、地獄のような長い説教と、果物屋の弁償代、そして罰金、合わせて銅貨十五枚を食らい、俺はようやく解放された。 手元に残ったのは、たった五枚の、惨めな銅貨だけだった。
◇◇◇
俺の告白が終わると、倉庫は、どうしようもない沈黙に包まれた。 その沈黙を破ったのは、イグニの、一言だった。
「…せらぴー、見たかったです」
「だからやめろっつってんだろ!」
リリスが、冷ややかに告げる。
「…日給、銅貨五枚。一家全員の尊厳、プライスレス。…割に合わんな」
「まあ、組長さん!きっと、キノコの精霊様が、あなたの隠れた魅力を解放してくださったのですわ!」
「解放されてたまるか!」
「クハハハ!いや、実に、実に愉快な報告会だったぞ、人間!」
ザガンが、腹を抱えて大爆笑している。
「特に貴様の『幸せが逃げてくぜ?』の顔は、なかなかのものだった!ぜひ、明日も頼む!」
俺は、こいつらの無神経な感想を聞きながら、頭を抱えてうずくまった。
(金が減ったことじゃねえ……俺が一番失ったのは……)
俺の脳裏に、アステリオス隊長の「公然わいせつ!」という怒声と、ステラの「いやー!何こいつ⁉無理!」という本気の悲鳴がフラッシュバックする。
「俺の……俺の社会的信用がああああああ!!」
俺の、魂からの絶叫が、天井に穴の空いた倉庫に、虚しく木霊した。
◇◇◇
その数日後。 俺が、一人で街を歩いていると、ゴロツキのゴブリンたちが、俺を見て、ひそひそと噂話をしているのが聞こえてきた。
「おい、見ろよ、あれ…」
「ああ…この前、ステラちゃんを追いかけ回して、警備隊にしょっぴかれてた…」
「『愛のセラピスト』様のお通りだ」
「やめろ、目を合わせるな、セラピー(物理)されるぞ」
俺の、二度目の絶叫が、スラムの空に、高く、高く、吸い込まれていった。




