第二十一話:『踊る阿呆と、働かない阿呆1』
天井のネズミ型の穴から差し込む、肌寒い秋の朝の光で、俺は目を覚ました。
床は硬く、体は痛い。そして、腹が、減っていた。
「…組長様…おなか、すきました…」
隣で丸まっていたイグニが、か細い声で呟く。
「…うるせえ。俺だって腹減ってんだよ。金は、一銭もねえ…」
「フン…」
壁際には、カジノ騒動でのショックから完全に立ち直れないリリスが、抜け殻のように座っている。
その、地獄のような空気の中、セシルだけが、一人、普段と変わらない聖母のような笑みを浮かべていた。
「まあ、皆様。そのようなお顔をなさらないで。このような時こそ、祈りを捧げましょう。清い心で祈れば、きっと神は、我々に救いの手を…」
「祈りで、腹は膨れんと言っているだろうが」
リリスが、冷ややかにセシルの言葉を遮る。
「…小僧。どこかから、博打の種銭を、借りて…いや、奪ってこい。私が、一瞬で増やしてやる」
「てめえは黙ってろ、この元凶が!」
俺たちの、どうしようもない言い争い。
その時。ぐぅぅぅぅぅぅ…
イグニの倉庫中に響き渡るほど盛大な腹の虫が会話を遮る。
腹が減ってるせいか、苛立ちが収まらない。
「―――てめえら、全員黙れッ!!」
俺の絶叫に、全員の肩がびくりと震える。
「祈っても、盗んでも、腹は膨れねえんだよ!分かったか!こうなったら、やることは一つしかねえだろうが!」
俺は、床に転がる仲間たち一人一人を、ビシッと指差した。
「お前ら、全員、今日から、働くんだよ!!」
「私が…働く…?肉体労働を、だと…?」
リリスが、心底信じられないといった顔で、聞き返す。
「まあ!労働!なんて尊い響きでしょう!ええ、ええ、働きましょう!人々のために、この身を捧げるのですわっ!」
セシルが、一人だけ、目を輝かせてやる気に満ちている。
「はたらく…?働いたら、パン、食べれますか…?」
イグニが、おずおずと尋ねる。
「当たり前だ!だから、行くぞ!俺たちの、地獄の就職活動の始まりだ!」
◇◇◇
薄暗い倉庫の中は、絶望という名の冷たい空気で満ちていた。 いやな予感がする。誰一人銅貨を持っている気配がない。
俺たち一家は、倉庫の真ん中に置かれた樽を囲み、第一回『天沢一家・成果報告会』を開いていた。 一番良い場所(樽の上)には、いつの間にか顕現したザガンが、俺たちには目もくれず、優雅にティーカップを傾け、どこからか手に入れた、高級そうなクッキーをかじっている。
「ほう、成果報告会か。実に人間らしい、無意味な儀式だな」
「てめえ、そのクッキー、どこから…」
「フン。余の財源からだが?貴様らの、その、どうしようもない無能ぶりの報告を、茶菓子もなしに聞けと?拷問か、それは」
「うるせえ!これから話すんだよ!…よし、報告しろ。まずはリリス!てめえの『知謀』とやらは、いくら稼いできたんだ?」
リリスは、ふん、と尊大に鼻を鳴らすと、優雅な仕草で報告を始めた。
「情報屋の仕事は、上々だ。早速、大口の客を掴んだぞ。この地区の市場を仕切る、オークの商人だ」
「おお!で、いくらになったんだ!」
「銀貨一枚で、契約は成立した」
「すげえ!銀貨一枚!」
「…ただし」
リリスは、少しだけ、ばつが悪そうに視線を逸らす。
「私が、奴に懇切丁寧に、人生におけるリスクとリターンについて、指導してやったところ…」
「待て」
「…なんだ」
「人生相談?」
「そうだ。奴は警備隊に捕まらない『安全な道』を求めたのだ!あのヘタレめ!そんな弱腰だから、いつまで経っても小物の商人なのだと、私が、真の勝負師の生き様を説いてやったのだ。感謝すべきだな」
俺は、頭を抱えた。
「…それで、どうなったんだよ」
「『金返せ』と言われたが、契約は成立しているので、当然、断った。…なぜか、二度と来なかったが」
「当たり前だろこのポンコツ女王がァ!」
ザガンが、クッキーをかじりながら、会話に入ってきた。
「客の求める『情報』ではなく、己の語りたい『人生』を披露するか。女王、貴様のその傲慢さ、嫌いではないぞ。客は、金輪際、来なくなるだろうがな」
「貴様に言われんでも、分かっておる!」
「…というわけで、本日の収支は、看板作成に使った木炭代を差し引いて、銅貨一枚のマイナスだ」
「…マイナスじゃねえか!」
金をなくした主犯に期待した俺がバカだった。
「次!イグニ!」
俺は、めまいを堪えながら、イグニを指さす。
イグニが、元気いっぱいに、ぴんっ!と手を挙げて答えた。
「はい、組長様!地区の倉庫で、荷物運びのお仕事でした!」
その自信に満ちた態度に、俺は、一筋の希望を見出す。
「おお!お前の力なら、楽勝だっただろ!いくら稼いだんだ?」
「はい!最初は、そう思ったんです!鉄の塊がたくさん入った、おっきな木箱で!」
「鉄の塊?それなら、頑丈そうだな」
「フン。鉄塊ならば、多少の衝撃でも問題あるまい。悪くない仕事だ」
リリスも、珍しく肯定的な意見を述べる。
「はい!」
イグニは、その時のことを思い出すように、胸を張って続ける。
「だから、落としたら危ないと思って、ぎゅーって、しっかり持って、持ち上げたんです!そしたら…」
「そしたら…?」
イグニは、それまでの元気な様子から一転、心底、不思議そうな顔で、小首を傾げた。
「…木箱が、ちいさくなりました」
「「「は?」」」
俺とリリス、セシルの声が、綺麗にハモった。
「ちいさく…?」
「はい。ぎゅーって持ったら、メキメキって音がして。下ろしたら、木箱はバラバラになっちゃって、中の鉄の塊も、ぐにゃあって、曲がっちゃってました」
イグニは、自分の小さな手のひらを見つめながら、続ける。
「それで、現場のオークさんが、『出てけ!この怪力モンスターがァ!』って、すごく怒ってて…。なんででしょう?あの箱、とっても、柔らかかったです」
(…………)
「え、ドユコト?ター〇ネーターか何かなの?こえーよ!」
俺はイグニに聞こえないよう小さい声でリリスに話しかける。
「ター〇ネーターが何かは知らんが、私も冷や汗が止まらんぞ」
リリスの顔はいつも以上に真っ白だ。
倉庫に、氷点下のような沈黙が落ちる。
その沈黙を破ったのは、セシルの、慈愛に満ちた一言だった。
「まあ、イグニさん!きっと、不良品の箱だったのですわ!なんて、お可哀想に…!」
「不良品…!そうだったんですね!」
イグニの顔が、ぱあっと明るくなる。
「違うわあああああ!お前が不良品なんだよこの怪力マシーンがァァァッ!!」
俺の絶叫が、倉庫に虚しく響き渡った。
気を取り直して、もはや最後の希望となったセシルに向き直った。
「…セシル。お前は…まさかとは思うが…」
セシルは、にっこりと、一点の曇りもない笑顔で報告した。
「はい、組長さん!わたくし、広場で、五人もの迷える子羊たちを、悩みから救済いたしましたわ!皆様、とても晴れやかな顔で、帰っていかれました!」
「…で、収支は?」
「はい!皆様の幸せのお裾分けとして、わたくしのお布施を全て差し上げましたので、銅貨七枚の赤字ですわっ!」
「ああやっぱり赤字か!そんなこったろうとは思ってた!てめえ、金貰うどころか、払ってんじゃねえか自己満足救済爆弾がァァァッ!!」
「ククク…」
それまで、クッキーをかじりながら黙って見ていたザガンが、ついに、口を挟んだ。
「見事なまでの『ポンコツ』トリオではないか!いやはや壮観だ!」
「うるせえ!ニートは黙ってろ!」
「まあ、悪魔様!わたくしの愛の活動を、ポンコツと罵るのは、おやめなさいまし!」
セシルが、ザガン相手に、ぷんぷんと怒っている。
「…まあいい。それで、小僧」
リリスが、期待を込めた目で、こちらを見る。
「貴様の稼ぎはいくらだ?貴様が、我らが一家の最後の希望だぞ」
全員の視線が、自然と、俺に集まった。 俺は、黙って、懐から五枚の銅貨を取り出し、樽の上に置いた。
「…………」
「…………」
「…………」
倉庫に、気まずい沈黙が流れる。
「…組長様?」
イグニが、おずおずと尋ねる。
「…これが、本日の、我が一家の、全収入だ…」
俺は下を向いたまま小さな声で答えた。
「「「ご、ごまい!?」」」
「う、うるさい!お前らよりはましだろ!」
「たった、銅貨五枚だと!?貴様、サボっていたのか!?」
リリスが、激昂する。
「あれだけ、組員にキレ散らかし、自分は銅貨五枚。……クハハハハ!こりゃ傑作だ!」
ザガンはここぞとばかりに煽り倒す。
「違う!俺は…俺は、もっと稼いでたんだよ!最初は、銅貨二十枚もらえるはずだったんだ…!」
俺は、その日の地獄を、震える声で、告白し始めた。
―――俺の意識は、数時間前の、あの忌わしい記憶へと飛んだ。




