第十七話:『愛という名の、物体X』
それは、地獄の釜が開いたかのような光景だった。
鍋の中では、名も知らぬ紫色のキノコが怪しい光を放ち、傷だらけのニンジンと、芽の出たジャガイモが、ぐつぐつと煮えながら断末魔の叫びを上げていた。
『やめろ…!やめてくれ聖女様!俺たちはただの野菜だ!』
『熱い!皮が!俺の自慢の皮が溶けていく!』
だが、聖女の慈愛は止まらない。
「美味しくなあれ、美味しくなあれ…わたくしの愛、受け取ってくださいな…!」
セシルは、歌うように祈りを捧げながら、祝福の光―――治癒魔法とは似て非なる、禍々しい輝きを放つ聖なる力を、鍋の中へと注ぎ込んでいく。
『ぐああああ!愛が!愛が俺たちを殺しに来る!』
『よせ…!それ以上、その光を注ぐな!俺たちの原型が…記憶が…!俺は、誰だ…!?』
野菜たちの意識は混沌に飲み込まれ、ドロドロに溶けて混じり合い、やがて、一つの粘性を帯びた紫色の生命体へと変貌を遂げた。
鍋の底から、ぽつり、と気泡が浮かび上がる。
『コロシテ…』
物体Xは、こうして産声を上げた。
◇◇◇
やがて、セシルが、満面の笑みで、一つの大皿を運んできた。
「皆様!NPO法人『天沢一家』の設立を祝して、わたくしが腕によりをかけて作りましたわ!さあ、どうぞ!」
その皿に鎮座する料理(?)を前に、俺たちは全員、言葉を失った。
それは、紫色の何かだった。粘性を帯びたそれは、表面が不気味に脈打ち、ところどころから、燐光を発する気泡が、ぽつり、ぽつりと浮かび上がっては消えている。
「…毒物だな。間違いない。この紫色は、アルケイン系の猛毒によく見られる色だ」
リリスが、真顔で分析する。
イグニが、フォークで恐る恐るその物体Xの端をつつくと、それは、まるで生き物のように、ぷるん、と震えた。
「…組長様。うごきました」
その言葉が、セシルの最初の地雷を踏んだ。
彼女の完璧な笑顔が、ぴしり、と凍りつく。部屋の温度が、数度下がった。
「…私の…愛がこもった料理を…否定、しますの…?」
その声は、絶対零度。
(やべえ、この空気は…!)
俺は、慌ててフォローに入る。
「ち、ちげえよセシル!『毒物』とか言ったのはリリスだ!俺は、その…なんだ、見た目が斬新で、言葉を失ってただけだ!な、イグニ!」
「はい!組長様!…でも、うごきました…」
「こら、馬鹿正直に言うな!」
イグニの追い打ちに、セシルの笑顔が、さらに引きつっていく。
「…動く…?ええ、ええ、そうですわ。わたくしの愛の力が、食材に生命の息吹を与えたのです。素晴らしいことではありませんこと?」
彼女は、もはや狂気としか思えない理屈で、自らの料理を肯定し始めた。
緊張が極限まで高まる、その時だった。
部屋の隅で、高みの見物を決め込んでいたザガンが、すっくと立ち上がった。
「フム…これほどの混沌を招く『愛』の味、余も試してみるか」
ザガンは、興味深そうに物体Xに近づいていく。
「なっ…おい、やめとけ!死ぬぞ!」
俺の制止も聞かず、ザガンは、その紫色の物体をスプーンで少量すくうと、ためらいなく口に運んだ。
地獄の悪魔侯爵。あらゆる毒や呪いなど、彼には通用しないはずだ。俺たちは、固唾を飲んでその反応を見守った。
ザガンは、数秒間、何かを確かめるように、口を動かしていた。
やがて、彼は、ゆっくりとこちらを振り返ると、その常に余裕に満ちていた顔から、すうっと表情を消し、こう言った。
「…なんだ、これは…?甘いのか…?いや、違う…辛い…?酸味…?苦味…?」
彼の顔が、みるみるうちに蒼白になっていく。
「余の…余の数万年の知識をもってしても、この味は…理解、でき…な…」
ガクッ、とザガンの膝が折れた。
彼は、白目を剥くと、泡を吹きながら、その場に崩れ落ちた。地獄の悪魔侯爵が、まさかの❘気絶。
「ザガーーーーーーン!!!!」
俺の絶叫が、部屋に響き渡った。
その、超越者が赤子の手をひねるように倒されたという、信じがたい光景。
俺たちの絶望と恐怖が、セシルの最後の地雷を踏み抜いた。
「……まあ」
セシルは、倒れたザガンと、俺たちの引きつった顔を見比べて、にっこりと微笑んだ。
「まあ! 見てください皆様! あの地獄の悪魔様が、わたくしの愛の力で、浄化されてしまいましたわ!」
彼女は、自分の料理がザガンをノックアウトしたのではなく、「❘救済した」のだと、心の底から信じきっていた。
「あらあら、皆様、そんなに驚いて…。まさか、悪魔すら救うこの『❘神の祝福《物体X》』を……まだ、信じられない、と…?」
彼女の瞳から、光が消える。 不信心者どもを見る目だ。
「―――お黙りなさいですわーーーーーッ!!!!!」
絶叫と共に、彼女の全身から純白の魔力が爆発した。
「「「ぎゃああああああああああああああああ!?」」」
鼓膜が破れそうなほどの轟音と、全身を叩きつける衝撃波。
俺たちが気づいた時、アパートの壁には、巨大な風穴が空いていた。
「あらあら、壁に穴が…。これでは、風が入ってきて寒いですわね」
爆心地の中心に、セシルは、傷一つなく、涼しい顔で立っていた。その背後には、まるで天使のような、巨大な光の翼がおぼろげに揺らめき、やがて消えていく。
そして、先ほどと寸分違わぬ完璧な笑顔で、俺たちの前に、あの物体Xを差し出した。
「さ、皆様、お料理が冷めてしまいますわよ?(ニッコリ)」
その笑顔は、もはや悪魔のそれだった。床には、最強の悪魔が泡を吹いて転がっている。
俺たちに、もはや、選択肢はなかった。
俺とリリスとイグニは、互いの顔を見合わせ、黒焦げの顔のまま、こくこくと頷くしかなかった。
スプーンですくった物体Xは、鼻を突く刺激臭を放ち、口に入れると、ゴムのような食感と、筆舌に尽くしがたい味がした。
「おいひいれす…セシルしゃん…」
涙目で、そう答えるのが精一杯だった。
その日、俺たち一家には、「セシルの料理に、絶対に文句を言ってはいけない」という絶対のルールと、コンコン、と扉を叩く大家からの怒声によってもたらされた、莫大な「修繕費」銀貨30枚という、新しい借金が刻まれたのだった。
第17話をお読みいただきありがとうございました。
NPO設立を祝うはずが、テーブルに並んだのは「断末魔をあげる紫色の物体X」でした。
最強の悪魔すら一口で「浄化(気絶)」させる劇物を作成し、さらには物理的に壁を吹き飛ばす。
セシルの「愛(暴力)」により、食費をケチるどころか、修繕費で銀貨30枚の借金が増えました。
前途多難すぎる彼らの胃袋と懐事情を応援してくださる方は、ぜひ作品フォロー、☆☆☆評価をお願い致します。
次回、リリスがやらかします




