箱庭の住人
──────ギルド学園、A寮1年教室。
午前中のオリエンテーションが終わり、初めての休み時間が訪れた。
窓から差し込む陽光が、教室の埃をキラキラと照らし出している。それは、ここが王城のような「完璧に管理された空間」ではなく、誰もが自由に呼吸し、埃さえも舞い上がる「生きた場所」であることを教えてくれるようだった。
ミリア・レオンハルトは自分の席で小さく息を吐く。
緊張で強張っていた肩の力が、少しだけ抜ける。
……入学初日。S寮との合同クラス。……私、やっていけるのかな
周囲を見渡しても、そこに安心はない。
A寮の生徒たちは、まだどこか余所余所しい。互いに距離を測りかねているような、張り詰めた空気が漂っている。
貴族社会特有の、見えない壁。それが、この新しい教室にも持ち込まれているのだ。
しかし、その硝子細工のような繊細な均衡は、たった一人の少女の存在によって、いとも簡単に、そして鮮やかに打ち砕かれた。
「ねぇねぇ?その髪飾りすっごく可愛いね! どこのお店で買ったの?」
弾けるような声が、教室の空気を震わせた。
ピンク色のロングヘアを揺らし、S寮の席から飛び出してきたのは、フレア・ウィンドマンだ。
彼女の周りだけ、重力が違うみたいだった。
A寮生たちが「S寮の天才」というレッテルに怯えていることなど、お構いなし。彼女は太陽のような笑顔で、次々と女子生徒たちに話しかけていく。
「えっ、あ、これですか? その、王都の小さな雑貨屋で……」
「へえ!〜センスいいね〜私もそういうの好きなんだ! 今度案内してよ!」
フレアの屈託のない明るさは、貴族社会の堅苦しい作法に縛られていたA寮の女子たちの心を、瞬く間に解き放って、ぶち壊していった。
すごい……。魔法みたい。
ミリアは、その光景に目を奪われた。
王城では、会話の一つ一つが計算された外交であり、笑面の裏には常に思惑が隠されていた。
けれど、ここにはそれがない。
ただ純粋な好奇心と、相手を知りたいという好意だけが、教室を満たしていく。
ミリアもまた、その温かい渦に巻き込まれていった。
気がつけば、彼女の周りにも女子生徒たちが集まり、王城での生活とは全く違う、普通の「女の子の会話」に花を咲かせていた。
そして、話題は自然と、年頃の少女たちが最も関心を寄せる「恋」へと移っていった。
「ねえフレアさん、ほんとにレイドさんと結婚するの!?」
王冠の髪飾りを揺らしながら、少し眠たげな瞳を輝かせてルルちゃん含めた女子たちが食いつくように質問する。
教室中の女子の視線が、一斉にフレアに注がれた。
S寮の筆頭、謎多き天才、レイド・クラウン──はいつのまにかどこかへ姿を消していた。
彼の「婚約者」を自称するフレアの言葉は、真実なのか、それともただの戯言なのか?
フレアは、優雅にそのピンク色の髪をかき上げた。
窓から差し込む光が、彼女の髪を宝石のように輝かせる。私が知る中で、シオンの隣に並んでも遜色ない、圧倒的な美少女だ。
彼女は、自信満々に微笑んだ。
「ま、そう言うことになるかな♡」
キャァァァァァァッ!!
教室が、黄色い歓声で揺れた。
ほぼ悲鳴に近いその声は、貴族の令嬢たちが上げるものとは思えないほど、情熱的で、野生的だった。
「うん! も、もちろん! この学園に入った瞬間から決まってる運命ってあるでしょ?」
顔を真っ赤にしながらも、気丈に言い切るフレアの姿は、あまりにも愛らしく、そして眩しかった。
「すごい! 卒業したらすぐ結婚式なのねッ!」
「キャー! 姉さん素敵すぎる、憧れるっす!」
女子たちが騒ぎ立て、完全に教室の支配権を握っていた。ルルちゃんの口調もまぁまぁ目立ってるけど。
堅苦しい貴族社会に愛想を尽かしていた彼女たちは、すでに「S寮」というレッテルを忘れ、目の前で繰り広げられる非日常な恋バナ空間に夢中になっている。
これが、学園。
これが、自由。
ミリアの胸が、高鳴った。
王城の完璧な箱庭では味わえなかった、予想外で、刺激的で、どこまでも自由な空気が、ここにはある。
一方で、壁にもたれていた同じくA寮生のクールビューティー、フィオナ・フィオーネが鼻で笑った。
彼女とはフレアさんを含め護衛依頼で長らく一緒だったので初対面ではないが、ミリアが先ほどから“ある意味”気になっていた人物の1人だった。
「証拠もないのに、よく言うわね。レイドに“裏切られたら”どうすんのよ、悲劇のヒロイン?」
冷ややかなツッコミ。
しかし、フレアは動じない。彼女はフィオナに向かって、とびきりの笑顔で返した。
「証拠はいらないよ。運命は、証明より先に訪れるものだから!」
かっこいい…………気がする。
ミリアは心の中で叫びそうだった。
もう随分前からあまりの情報量に脳がキャパを超えていた。
ルルまでがフレアの味方につき、フレアはさらに得意げに胸を張る。
すごいなぁ。みんな、自分の気持ちに正直で、キラキラしてる…………
ミリアは、彼女たちの眩しい姿に、憧れと、少しの羨望を覚えた。
◇◆◇
女子たちの熱気に当てられたミリアは、ふと視線を逸らし──教室の後方、S寮男子組の席に目をやった。
そして、言葉を失った。
そこでは、女子たちの恋バナなど比ではない、想像を遥かに超えたカオスが展開されていたのだ。
「レイドさん……♡」
いつのまにか戻ってきたレイドの背後に、銀髪のハイエルフの少女が、音もなく忍び寄っていた。
彼女の名前は、確か……エル・ロイズ・……なんだったかな……忘れた。
同じくA寮生で、私たちの護衛依頼でまたフレア……さんと一緒だった子だ。フレアのパーティメンバーなんだろう、でもなぜか?
そんな彼女は今はレイドの近くにいる。
彼女の細い指先が、レイドの肩、腕、そして髪へと、まるで愛で、堪能するように這っていく。
フレアさんは止めないのだろうか??
「レイドさんの筋肉……硬いのに、柔らかい……最高級の弾力ですね……ふふ……魔力伝導率も高い……不思議な力も感じます」
彼女の瞳が、危ない光を帯びている。それは恋する乙女の目であり、完全にマッドサイエンティストの目のようだった。
「エルちゃん、授業前に触られるのはどうかと思うんだけど?」
レイドが糸目を細めたまま、困ったように呟く。
しかし、エルは止まらない。
「愛してるから大丈夫ですよ! レイドさんの全てを、私の研究で解き明かしてみせます!」
今、完全に“愛してる”と聴こえた……大丈夫なの?
──────そして。
「レイドさんをエルフにします!ふんっ!!」
エルが、レイドの両耳を掴んで、グイッと横に引っ張った。
「だから伸びないって言ってるでしょうが!!」
どこからか慌てて走ってきたフィオナのツッコミが響き渡る。
「嫌です! 私もレイドさんと結婚します!! 種族の壁なんて、越えられます!」
「ちょっとあんたたち! 教室で何やってんのよ! バカじゃないの!?」
フィオナが顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
その横で、女顔ながら巨漢のローズ・ベルトが、我関せずといった様子で静かに、しかし深くため息をついている。
彼の周りだけ、時空が歪んでいるみたいに静かだ。
そして、どうしてから妖艶な雰囲気のシオンは、そのカオスな状況を面白そうに眺め、肩を揺らしてクスクスと笑っている。
(……な、なにこれ?)
ミリアは、呆然と立ち尽くした。
これが、S寮?学園?恋人?
それが普通なの?
これが、王国が誇る天才たちの集団?
完璧で、孤高で、誰も寄せ付けないはずの彼らが。
こんなにも騒がしくて、バカバカしくて、そして──
楽しそう。
レイドはというと、エルちゃん(?)に耳を引っ張られ、フィオナに怒鳴られながらも、相変わらずの糸目で、されるがままに黙って何かを考えている様子だった。肝心なフレアも、入学初日から身内ノリを悪い意味で大公開してしまったことに苦い顔をして口角を下げている、面白い表情…………
昨日の、雨の中で見せた儚げで冷徹な彼の雰囲気は、どこへ行ってしまったのだろうか?
ミリアの胸の奥から、自然と笑いがこみ上げてきた。
「……ふふっ」
完璧で孤高だと思われた天才S寮生。
でも実際は──
妙に慕われ、妙に巻き込まれ、妙にお人好しだった?
誰も知らない彼の、“裏の姿”。
いや、これこそが、彼の“仮初の姿”なのかもしれない。
……ああ、やっぱり
ミリアは、確信した。
私だけが知ってる顔、ちゃんとあるんだ。
昨日の雨の中、私に見せてくれた、あの静かで優しい姿形。
レイド・クラウンだと知った今、
嵐を引き連れて学園にやってきた今、
この騒がしい教室の中心で、みんなに愛され、振り回されているレイド・クラウン。
どちらも彼で、どちらも愛おしい……かも。
胸の奥が、ふわっと温かくなった。
引き篭もっていた、王城の冷たい部屋の上では感じられなかった、生きている体温のような温かさ。
予鈴が鳴り、サティ先生が教室に入ってくる。
お祭りの後のような高揚感を残しつつ、生徒たちは席に戻っていく。
ミリアは窓の外を見た。
青空が広がり、朱色の屋根が連なる王都の街並みが、昨日よりもずっと鮮やかに見えた。
──こうして、蒼と朱の間に揺れる、温かで刺激的な私の日常が始まった。
ここは、私が知らなかった世界。
もしかしたら、私がこれから生きていく世界……だったらいいなぁ
「もう少しだけ…………」
ミリアは小さく呟き、机に突っ伏すと、これからの日々に思いを馳せた。




