楽園の魔王
同じ頃、A寮の教室でミリアたちが緊張に震えていたのとは対照的に、S寮の特別エントランスは異様な熱気に包まれていた。
「素晴らしい……。これぞ、我が覇道に相応しい玉座の間だ」
レイド・クラウンは、豪奢なソファの深みに身を沈め、恍惚とわざとらしく呟いた。
そこは学生寮という概念を粉砕する空間だった。巨大なクリスタルドームの天井からは王都の蒼穹が透け、白亜の大理石の床には、幾何学模様のタイルが敷き詰められている。古代竜の骨を削り出したと言われる巨柱の間には、高貴な深紅のカーテンが、計算し尽くされたドレープを描いて垂れ下がっていた。
「レイド様、お飲み物はいかが? 北の大陸の果実水ですわ」
「あら、こちらの海獣のクッションをお使いくださいな。最高級の毛並みですのよ?」
レイドの周りには、なぜか上級生の令嬢たちが群がり、至れり尽くせりの世話を焼いている。
入学前から“メアリー新学園長に唾をつけられた”という情報からか、それとも数ある噂の残滓からか……
鋭敏な上級生たちの審美眼に触れてしまったのだ。
彼は今や、S寮の新たな「愛でるべき魔王様」として、この贅を尽くした空間に君臨していた。
「あはは……レイドくん、さすがにちょっと楽しみすぎじゃないかな?」
鈴を転がすような、どこまでも透き通った声。
そこには、先ほどまでの甘美な追従とは違う、真摯で温かな響きがあった。
「フレアか。君もこの空間設計の美学を楽しんだらどうだい 麗しき学園の規律をフル無視したこの無駄遣いこそが、S寮の品格だよ」
「女の子たちばっかりだね??」
隣で困ったように笑っているのは、フレア・ウィンドマンだ。彼女は何かのアイドルを彷彿とさせる、包容力に満ちた柔らかな微笑みを浮かべ、レイドの頬を「ふにに」と優しく、けれど確実に現実へと引き戻すようにつねった。
「うーん、※勢力のアピールも大切だけど……今はそれよりも大切なことがあると思うんだ。ほら、さっきの通知、レイドくんも見たでしょ?」
フレアが指し示した魔導端末《共鳴板》には、担任サティからの非情なメッセージが表示されていた。
◆◇◆
新興勢力
ギルド学園のS寮内には、メアリーから各個人で特別な権力を持たされた最高特待生たちによる、“勢力争いなるもの”が勃発している。当然ながらフレアやこれから登場する仲間たちの多くは《レイド派》であるが、明確なレイド派はまだまだ少数であった。
◆◇◆
『緊急告知:本年度よりS寮一年は、A寮と合同で講義を行う。速やかにA寮教室へ集合せよ』
「突然の知らせなんだからさー、“ちょっとだけ”遅れても仕方ないよね?」
レイドは令嬢から差し出された果実水を優雅に煽りながら、不遜に言い放った。
「もうっ、そんなこと言っちゃダメだよ。みんなレイドくんに会えるのを楽しみにしてるんだから、期待に応えてあげなきゃ。ね? 行こう?」
フレアは聖母のような慈愛に満ちた笑顔のまま、しかし一切の抵抗を許さない手際でレイドの腕を取り、ソファから引き剥がした。令嬢たちが「あぁ、魔王様が……」「私たちの癒し(それは絶対に違う)が……」と嘆く中、二人は派手なエントランスを後にした。
◇◆◇
空中回廊を駆ける間、周囲の景色が流線となって後方へ飛び去っていく。
本当は居心地が良すぎて時間を忘れていただけだが、レイドの脳内では既に「演出」が完了していた。
この“キャラクター演出”こそが、A寮の一般生徒たちに『格の違い』を見せつける最高のスパイスになる。
彼のシナリオに狂いはない。
狂っているのは彼だけだった。
「メアリーは派手な演出を好む。私が堂々と貴方たちを呼んだら──ちゃんと入ってきて」
サティの緊張した声が廊下に響く。
もう少し時間があれば他の勢力(S寮生)に早速挑発をふっかけたいところだが、それは今じゃ難しそうだ。
彼らにはローズやレヴェルトほどの強者感もあまり感じないし、どうせ張り合いもない。
扉が重々しく開かれ、S寮の面々が次々と姿を現す。
最後尾。誰よりも悠然と、そして「場違いなほど不遜」な足取りで、レイド・クラウンが教室へ踏み入った。
教室内が、物理的な圧力を伴って静まり返る。
彼の纏う空気は、他のS寮生とは一線を画していた。鋭い眼差しを糸目の奥に隠し、口元には余裕の笑みを湛えている。
教壇のサティと視線が合った。彼女が微かに背筋を凍らせるのを、レイドは当然見逃さない。
この子……笑ってる?
メアリー様が言っていた『異物』……本物の怪人ね
レイドは、教室中から突き刺さる好奇心と畏怖を、まるで春の陽光でも浴びるかのように涼やかに受け流しながら、最後列の席へと歩を進めた。
S寮生は授業中に緊急退出することも考慮され、後ろの方の席に指定されるようだった。
随分と退屈しそうな席に、メアリーへの感謝はガタ落ちだ。
◇◆◇
「……あ!」
その静寂を破ったのは、窓際の席に座るシオン・ラインハルトの小さな、けれど震える声だった。
水色のボブカットを揺らし、翠の瞳を驚きに見開いている。
(レイド……さん!? 嘘、どうして、ここに……!)
シオンにとって、レイドは唯一無二の英雄だった。
父親に「会わせてください」と泣きつくたび、誰かを通していつも遠目に観察させてもらった。
憧れの冒険者?いや、公爵家の諜報員かも。
シオンの父であるラインハルト公爵がレイドにとって主な依頼主であると、ただそれだけの関係だった。
でも、シオンの瞳には男の姿は宝石のように写った。
彼が同級生として、しかもS寮の頂点として目の前に現れた現実に、彼女の心臓は爆発寸前だ。
「……シオン、知り合いなの?」
隣の席のミリアが小声で尋ねるが、シオンはそんな簡単に答えられない。
レイドは窓際の席に深く腰掛け、退屈そうに頬杖をついて外を眺めた。その横顔は、教室の喧騒から隔絶されたように静かで、神聖な絵画のようにすら見える。
(どうしよう、覚えててくれてるかな……? でも、先生も『サポートしろ』って言ってたし……!)
葛藤の末、シオンは弾かれるように席を立った。
一歩、また一歩。レイドに近づくにつれ、彼の放つ底知れない魔圧が肌を刺す。無意識だろうが、どこか怖かった。
「あ、あのっ……!」
声がわずかに裏返った。レイドがゆっくりとこちらを振り向く。その糸目がわずかに開き、翠玉の瞳と交差した。
「……シオン・ラインハルトです! その、公爵の娘っ!」
勢いよく頭を下げ、それから勇気を振り絞って彼を見上げた。
「もしよければ……学園の案内、私にさせてくれませんか? レイドさん!」
周囲のA寮生たちが、「あの怪物に話しかけるなんて!」と息を呑み、鳴りを潜めるのを感じる。
数秒の、永遠のような沈黙。
やがて、レイドの唇が緩やかに動き、聞き慣れた、心地よい知的な声が降ってきた。
「──奇遇だね、シオン。
ちょうど、優秀な助手……いや、探偵を探していたところなんだ。……君のような、愛らしい役割も兼ねてね」
レイドは悪戯っぽく、けれど慈愛に満ちた笑みを浮かべた。シオンは弾けるような笑顔で応じる。
こんなに……色っぽくて素敵な人だったのか。
その様子を教壇から見ていたサティは、ようやく一つ、安堵の息を吐いた。
(……とりあえず、最悪の衝突は避けられたかしら)
だが、レイドがシオンに向けたあの「すべてを掌握している」かのような視線が、サティにはどうしても引っかかっていた。
あの男には、強烈な違和感を抱く点があまりに多い。
今更ながら、学園側としては少し後悔していた。
こうして、教師サティの受難と、悪魔の奇妙な共同生活が、華やかに幕を開けることになるのだった…………




