ミリア
「君の剣は──0点だ。」
その瞬間。そう言われた瞬間。
その優しい表情から,その美しい口元から出たとは思えない言葉に絶句した。
敗北の悔しさに歯を食いしばって耐えていたミリアの涙が、またどっと溢れた。
誰にも見つけてもらえず、
報われず、
正しく努力しているかも分からなくて──
それでも必死に頑張ってきた自分を、また否定された気がした。
0点。無価値。意味がない。
そんなこと、私が一番よく知ってる。
余計なお世話だ。
怒りと悲しさが混ざった感情で顔を上げ、睨みつけようとしたそのとき──
彼の瞳には批判も侮蔑もなく、ただ静かな真実だけが宿っていた。
「でも──よく頑張ったね。凄いよ。」
その穏やかな声音は、冷たさではなく優しさを孕んでいて、ミリアの中で何かがふっとほどけた。
「情けなくなんかない。君は馬鹿じゃない。」
呆気に取られたミリアの肩を、彼はそっと抱き寄せた。
泥が彼の服を汚し、濡れた髪先が彼の首筋に触れる。
それでも彼は微動だにせず、ただ優しさを滲ませていた。
「君は優秀な努力家だ。誇っていい。」
ミリアがずっと欲しかった言葉だった。
誰でもなく、自分の努力を肯定してほしかった。
初対面のはずなのに、彼は崩れた髪先を手の甲で優しく撫でる。
指先が頬に触れそうで触れない距離で、繊細に震えていた。
「膨大な魔力量を、恵まれた才能を、扱いきれていない。
ただ重い道具を振り回すように使い、魔力を背負っているだけだ。」
「それは……どういう……」
説明を求めるミリアの声をかき消すように、先ほどのピンク髪の美少女が「あのねぇ!」と騒ぎ、外からアピールしてくる。
彼女も同じ制服を着ていることから、二人は上級生(?)なのだと分かる。
「まぁ、また会ったときに話すよ。」
「え、あ……はい。」
思わず彼の袖口を掴んで引き留め、名前を尋ねてしまう。
どうかしている──と自分でも思った。
けれど、ミリアにはどうしても、彼が救済者に見えた。
「オレはレ──────いや、今はいいや」
鷹揚とした口調と落ち着いた姿勢。
どこか飄々としているのに、とてつもなく格好いい。
その一瞬で、ミリアの憧れの人物像に重なっていった。
「オレはもう行くよ。恋人がうるさ……君とは“必ず”また会うことになるだろうからね?、」
それだけを告げると彼はクスリと笑い、振り返らずに去っていった。
唇の隙間に僅かに見えた犬歯と、その姿からはギャップのある笑み、鷹揚とした態度。
ミリアよりずっと、学園の制服が羨ましいほどよく似合う人だった。
マフラーやワッペンに施された燃える炎のような真紅の差し色。
胸元に飾られた咆哮する炎獅子──
それは、ミリアがずっと夢見続けた《S寮》の紋章。
ミリアの視界に焼き付いた真紅の輝きは、彼が《S寮》所属であることを示していたのだった。
◇◆◇
「お待たせ。待った?」
「ううん、大丈夫! レイドくん、何を話してたの?」
フレアが透き通る瞳で心配そうに見上げてくる。
「秘密。」
「えー! また意地悪!」
「うそうそ。なんか見たことある子だったから」
「ふむふむ?」
頬を膨らませるフレアの肩を、レイドは何気なく傘の内に寄せる。
濡れた髪先が肩に触れ、フレアは照れくさそうにジトっとした目で見返してくる。
その手をそっと取り、二人はゆっくり歩き出した。
雨は止み、黒い雲の間から月光が水銀のように冷たく差し込む。
濡れた石畳が鈍い光を帯びて、二人の影が長く伸びる。
レイドは、腕の中で満足げに寄り添うフレアを感じながら──
訓練場に残った少女が、今、自分の言葉をどう咀嚼しているのかを想像し、少しだけ笑った。
──────静かな夜が降りる。
泥にまみれた少女の才能の蕾が、
運命という名の雨粒に溶かされながら、ゆっくりと開花していくのを。
レイドはどこか楽しみにしていた。
◇◆◇
小雨の匂いがまだ微かに残る夜、王城の長い廊下を歩く足音が、静寂に吸い込まれていく。
ミリアは訓練場から戻る途中、何度も足を止めそうになった。重い装備は城門で預けてきたはずなのに、胸の奥には、もっと重たいものがまだ残っている気がした。
通りすがりのメイドがどこか自分に対して不憫そうな、憐れみの目を向けてくる。それが苦しかった。
自分の部屋の扉を押し開ける。
広いとは言えないが、王城の一角に与えられた個室は、白壁と群青色のカーテンでまとめられ、質素ながらどこか品のある造り。
最上階にある自室からは360°王都や自然豊かな王国の風景を眺めることができる。
机に置かれた蝋燭に火を灯すと、淡い光が部屋を照らし、影がゆらりと揺れる。
ミリアはベッドに腰を落とし、額を押さえながら深く息を吐いた。
『恵まれた才能を、扱いきれていない。』
彼の言葉を胸の内でそっと反芻すると、心がざわつく。
「……何なんだろう、あの人。」
初対面だったのに、まるで昔から知っていた誰かのように自然で、距離が近かった。
普通あんな風に抱き寄せられたら、拒絶するか、警戒心が働くはずだ。
だが彼の腕は、驚くほど優しく、あたたかかった。
ミリアは指先で自分の首筋をなぞる。
さっき、レイドが触れかけた場所。
(あの瞬間……魔力の気配、感じてた?)
自分でも気づかないほど深い部分に潜む何かを、彼はほんの一瞥で見抜いたようだった。
それが怖くもあり、嬉しくもある。
「才能……ね。」
ミリアは自嘲気味に笑う。
小さい頃は、魔力をゴリ押しで扱うだけで“期待の子”と言われた。
けれど王都へ来れば、自分の力量など並以下で、努力で埋められない現実を思い知った。
才能が足りない。
努力しても追いつけない。
それが“真実”だと思っていた。
なのに──
「君は優秀な努力家だ。誇っていい。」
その言葉が、胸の奥にまだほんのり残っている。
他でもない、あの完璧な青年が言った言葉だからだろうか。
「……そんな簡単に、信じられないよ。」
枕に顔を埋め、ミリアはゴロリと転がる。
ぬかるんだ訓練場で泣いたことだってまだ恥ずかしい。
それなのに、思い出すたび胸が熱くなる自分に気づいて、また小さく身を縮めた。
「もっと強くなれるって……本当に?」
天井を見上げ、ぼそりと呟く。
S寮──あの赤い紋章をつける未来が、私に…………?
荒唐無稽だ。
だけど、不思議と今日だけは、可能性がゼロではないと思えた。
あの奇妙な男の瞳がそう思わせた。
あの暗く深い瞳は、ただ才能を値踏みするのではなく──“ミリアの未来”を見ているようだった。
(というか、あの男がそうしてきた。)
ふと、今日の訓練を思い出す。
泥にまみれて、仮にも師であるカイザーに完全に見下され、泣いていた自分。
そのすべてを、あの吸血鬼は見ていた。
(いや、吸血鬼ではないが)
それでも彼は離れず、優しく肯定した。
「……なんで、あんな上級生が私なんかに?」
疑問は尽きない。
けれど彼の言葉が嘘ではないことだけは、なぜか確信できる。
ミリアはベッドから降り、机に向かう。
薄い紙のノートを広げ、震える手で今日の出来事を書き留めていく。
──彼の名前は??
──S寮。
──才能がある、と言われた。
──魔力の扱いについて、?
──また会おう。
ペンを走らせながら、胸の奥にふわりと灯がともる。
「また……会えるよね。」
声に出してみると、思っていたより切実だった。
S寮というだけで…………
彼に惹かれている自分が馬鹿らしかった。
それを認めたくないのに、認めざるを得なかった。
──何か、ある。
けれど、あの瞬間だけは自分が誰かに救われたと思えた。
ノートを閉じると、窓の外の月が雲間から姿を見せていた。
白銀の光が部屋に差し込み、床に柔らかな影を落とす。
(今日を……忘れないようにしないと。)
ミリアは窓辺に立ち、冷たい夜気を吸い込む。
「絶対に、強くなる。」
誰に聞かせるでもなく、しかし確かな言葉で自分自身に誓う。
「…………絶対に貴方に“認めさせる”。」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥にあった迷いが少しだけ消えた。
怖くても、惨めでも、今日のあの出会いを無駄にはしたくなかった。
全ては、『皇帝陛下である父上の“試練”に勝つため』
月光に照らされた彼女の瞳には、わずかながら力強い光が宿っていた。
ミリアはゆっくりとベッドへ戻り、身体を横たえる。
瞼を閉じると、あの青年の糸目の向こうにある深い黒が蘇る。
──彼は、ただの通りすがりの上級生ではない。
直感がそう告げていた。
“必ずまた会おう。”
その言葉が、まるで未来の扉の鍵のように心に刺さって離れなかった。
やがて、静かな夜が訪れる。
月光だけが薄く部屋を照らす中──
ミリアの新しい決意が、静かに芽吹いていった。




