学園長室の魔女
喉元まで香る上品で温かな湯気が、多忙に荒れていたメアリーの精神をゆっくりと癒してくれた。
光沢ある濃紫の髪と息を呑むような美貌。優雅に着こなした紫色の薄いドレスが彼女のしなやかで艶かしい体を露わにし、暖炉で揺れるオレンジ色の小火はその姿を色っぽく照らしている。
権力で改装させた学園長室は、生徒寮以上に現代的な魔道具が揃い、快適だった。
数日前の夜から、メアリーの頭はある新入生のことでいっぱいだった。正確にはただのイケメン好きとも言える彼女だが、その男子は他とはそれ以上に圧倒的な差があった。
まるで雲を掴むように手腕や実力からその正体までもがさっぱりわからず、気づけば不思議な噂話に興味津々になっていた。
数年前から突如として現れた王国の新星。
歴史を変える隠された偉業がついに表に出てしまっただけ、という者もいる。
あまりの正体不明さに、つい※王国院に調査依頼まで出してしまったことを思い出す。
資料の裏には、最近できた友人である王国院最高責任者、エミルナ支部長の手書きの文字もあった。
“どうか、彼には注意してください”
なるほど?
どうやらまた後日彼女に色々聞く必要がありそうだ。
◆◇◆
王国院
王国のあらゆる問題を頭脳的に解決する役割を担う国家機密機関。情報収集から監視や研究調査まで、様々な分野を得意とする王国最高峰のエリート達が集う王国の心臓部であり、本拠地は王都北部に構えられている。
◆◇◆
エミルナ支部長
皇帝陛下の右腕(お気に入り)とも言われる王国院の女性最高幹部であり、近日偶然にも王城で顔を合わせ、同年代であり小物の趣味など共通の話題が増えてから、2人はよく食事を重ねているようだ。
◆◇◆
一方的に彼のことを知り尽くして尚、溢れた好奇心は半分も満たされてはいなかった。
彼は一体どんな人生を送っているのだろうか。メアリーはこれからこの男に会うのだが、それが楽しみで仕方ない。
資料には、噂に見合う多大な活躍と共に彼が支払ってきた多くの犠牲が、まるで英雄譚のように綴られていた。エイリーンが過保護に育てているのも十分すぎるほどに納得した。彼女には悪いが、彼は私の方で預かっておこう。
メアリーは楽しげな想像に耽り、ソファの端に優雅に腰掛け、男とその連れを待つことにした。
外の天候は、彼女の心の高揚を反映するように、激しく荒れ始めていた。
入学式を翌日に控えた、春とは思えぬほど冷たい雨が降る日だった。
◇◆◇
クリプスからの呼び出しを受けているオレとフレアは《ギルド学園》の巨大な正門をくぐる。そこにあったのは、世界から色彩を奪い去ったような、荘厳なる灰色の絶景だった。
「わぁ……。すごい……」
傘を差したフレアが、白い息と共に感嘆の声を漏らす。
オレたちの目の前には、雨に濡れて黒曜石のように鈍く輝く、広大な石畳の広場が広がっていた。雨粒が地面を叩く音が、周囲の静寂を際立たせている。
広場の中央には、巨大な台座に鎮座する青銅の騎馬像があった。かつての英雄だろうか。雨に打たれるその姿は、まるで過去の栄光と悲哀を背負い、音もなく涙を流しているように見えた。
背景にそびえるのは、霧雨に煙る白亜の尖塔群。濡れた石材が織りなすモノクロームの世界は、ここが歴史と魔力が堆積した「特別な場所」であることを雄弁に物語っていた。
「晴れてたらもっと綺麗だったのかな? でも、なんか……雨もかっこいいね、レイドくん」
「そうだね。威圧的だが、悪くない」
カツ、カツ、と濡れた石畳を踏みしめる音が響く。
広場を抜け、学園の中枢へと続く回廊へ足を踏み入れる。石造りのアーチをくぐり抜けたその瞬間、視界が劇的に切り取られた。
「見て、レイドくん! あの塔!」
フレアが指差した先、アーチの額縁に収まっていたのは、圧倒的な存在感を放つ一本の巨大な古塔だった。荒い石積みの外壁には、雨に濡れて濃緑色に輝く蔦が、血管のようにびっしりと絡みついている。先端の尖った屋根は、鉛色の空を鋭く突き刺していた。
美しい。けれど、どこか背筋が凍るような畏怖を感じさせる光景だ。
「やっぱ帰ろうかな、寒いし」
「ダメだってばっ!」
フレアが低く 短い声で即座に否定する。
「行こうか。クリプス先生がお待ちだ」
「うん……! 遅刻しちゃうもんね!」
その幻想的な景色に心を奪われそうになるのを振り切り、学園長室のある本校舎へと歩を進め…………
オレは、雨に濡れて少し震えるフレアをそっと 抱きかかえて、学園長室のドアをノックした。
中から聞こえた上品ながらどこか命令口調な声に促され、そのままフレアの手を引いて入室する。
ソファには、紫色のドレスを艶かしく着こなした、思わず息を呑むような美貌の女性が座っていた。
これが噂のメアリー・クリプス学園長か。オレは警戒心から、彼女の視線からフレアを隠すように、少し前に出た。
「あら、あなたが…………レイドくんね!それに可愛いお連れ様も。ようこそギルド学園へ」
メアリーは公的な場に相応しい、完璧にかしこまった笑顔を浮かべた。しかし、冒険者特有の観察眼から、ドSな鬼上司の威圧感を薄々感じ取る。濃紫の瞳の奥には、抑えきれない好奇心と愉快な熱が宿っているのをオレは見逃さなかった。
「あなたが噂のレイド・クラウンね。ふふ、エイリーンから散々自慢されていたわ。そのハット、なかなか素敵じゃない?」
「ありがとうございます。オレはクラウンです。先生がオレを呼んだのは、国営ギルドでの最近の噂についてですか」
オレの問いかけに、メアリーは優雅に着こなしたドレスの裾を少し持ち上げ、ソファの前に立つオレの腕を掴んだ。
「まあ、面倒な話はまた今度。それより、私、長話が嫌いなの。それにね、座席が一つ足りないでしょう?」
「?」
彼女は張り付いた作り笑顔のまま、オレの腰あたりを両手で強く掴み、そのままぐいと引き寄せる。
「レイドくんは、ちょうどいい体格ね。ちょっとそこに座っててくれるかしら」
「え…ちょっと、何するんですか」
オレが嫌そうな声を上げる暇もなく、メアリーは強引にレイドの膝を自分の方に向けさせ、レイドを背もたれのない「人間椅子」のように扱い、優雅にその大腿部に腰掛けた。
「ふふ、これで完璧。レイドくんの筋肉、硬くて座り心地がいいわ。さあ、立ってるお嬢さん。あなたはそこの椅子に座って」
フレアは状況に驚きながらも、すぐに憮然とした表情で椅子に座る。
交渉の場で色香と権力差を使うのはメアリーの常套手段なのだろう。
抵抗しようとするが、メアリーはさらにその空いた背中を密着させ、その体温と香りで動きを封じる。
「あら、抵抗するの?私の機嫌を損ねたら、退学どころか王国院からあなたの履歴を色々と消しちゃうわよ?まあ冗談だけど」
メアリーは心底楽しそうに笑う。その外面の完璧さと内面のコミカルさが混じり合った態度が、オレの静かな闘争心を刺激した。つまり、イライラした。
オレは脱力して諦める。この人を空に吹っ飛ばしでもしたら、オレの秘密の計画に支障が出る。
メアリーは、オレの膝の緊張が解けたのを感じると、満足という名の熱い吐息をオレの首筋に吹きかけ、その態度とは真反対に、意外にも事務的な話へ移った。
オレは、膝の上で満足そうに笑うメアリーのしなやかな腰を、挑発半分に優しく抱きしめてやった。恋人が横目でキッとオレを睨みつけた気がしたのは気のせいだろう。
メアリーは上品ながら簡潔に、今後の学園生活に関する三つのことを告げた。
一つ。「あなたたち“国営ギルド所属者”は特別に、学園内の最高立地にある特別な寮、《AまたはS寮》を与えられるわ。ただし、私からの任務を時折受けてもらう必要があるけど。」
二つ。「あなたの現時点でのレベルはLv.14と登録すること。これは国営ギルドの測定で確認できた正式な証拠つきの記録であり、今後学園に所属する“全生徒の模範”となるわ。ちなみに、入学試験での成績は全科目共にあなたが一位だった、褒めてあげるわ。」
三つ。「明日の放課後、お前のよく知る案内係を用意したから、学園を見て回れってこと。新しい環境に慣れてもらう必要があるから当然のことね。」
全て、オレの論理にとって有利に進むよう仕組まれていた。この女は、オレを支配しようとしていると同時に、最高の舞台を用意してくれている。
「わかったならよろしい。詳しい説明は入学後に。あと案内係はあなたのよく知る子にしといてあげたから、感謝してくれてもよくってよ?」
「………………?」
メアリーは満足げにそう言うと、優雅に立ち上がり、一連の会談は終了した。外の雷鳴は遠ざかり、窓ガラスを叩いていた雨足も弱まって徐々に晴れていった。
残されたのは、オレの太腿に残るメアリーの熱と、紫色のドレスの薄い摩擦の記憶、そしてフレアのオレを威嚇するような表情だけだった。
◇◆◇
お城のような学園の本校舎を出ると、外はまだ少し霧雨が降っていた。オレは傘を差し、隣に立つフレアの艶やかな髪が濡れないよう、傘を彼女の側に傾ける。フレアは、ピンク色の長靴で水たまりを避けながら、オレの腕にそっとしがみついてきた。
「あはは。レイドくん、あの先生本当に面白かったね」
「ああ。王国院のエリート様を顎で使う人なんだから、オレらには少々タチが悪い。皇帝陛下のお気に入りの1人らしいし、」
「じゃあ、レイドくん目ぇつけられちゃったね」
そうなるねー。
「でも、レイドくんもラインハルト公爵家のお気に入りなんでしょ??」
ピンク色の長い髪を華奢な肩にふわりと纏わせて元気な恋人が振り返る。
「別に特別に贔屓されてるってわけじゃないよ。それに公爵のお気に入りというか、そのご令嬢が…………あぁ!新学園長の言ってた“案内係”ってそういうことかも。」
フレアはきょとんとした表情で顎に人差し指を当てて考える様子になった。
オレはフレアの柔らかな頬に触れ、彼女の心身が火照っているのを確認する。この細やかな日常感こそが、オレの幸福の熱源となっている。
途中ふと、フレアママの存在を思い出す。
「そういえばマリアさんって何歳なの?」
フレアは少し考える様子を見せあっさり答える。
「32歳かな?たぶん今年で。」
「フレアはオレと同じ16歳だよね」
「?、うん!」
???
あれ、怖いな?
ハッとした顔で、途端フレアは訝しむような視線を向けてくる。
「…………ママのこと好きになっちゃダメだよ?、」
「いやいや。」
オレたちは、学園の訓練場と広場の間にある道を歩いていた。
その時、訓練場のフェンスの向こう側に、ふと視線が引き寄せられた。
土砂降りの雨と泥の中で、何かと実践的な戦闘訓練をしている人影が見えたのだ。
金髪で色白の少女。ポニーテールに結い上げられた髪は泥と雨で濡れそぼり、高級そうな白い装備が全身泥まみれになっている。
彼女は重そうな巨大な盾と剣を振り回しているが、その剣術は酷いものだった。無駄な動きが多すぎる。
体格と装備が全く合っておらず、相手にもかなり押し負けているのが一目でわかった。
訓練の苛烈さと、少女のミスマッチな装備は、見るからに酷く不憫だ。
でもその姿が愛らしいとも、言える。
オレはフレアとの会話を遮り、そちらへ向かって歩き出す。
「え、レイドくん??」
「ちょっと待っててよ」とフレアには軽く返し、スタスタと歩いて近づいていく。
慣れたポーカーフェイスの内側には、自分でもわかるほどの“ワクワク感”が溢れていた。




