シオン
放課後を告げる鐘の音が、古めかしい校舎の石壁に反響し、重厚な余韻を残して消えていく。
窓の外には、茜色と紫色が混ざり合う、まるで絵画のような黄昏が広がっていた。
「あーあ、暇だし“りょくちゃ”でもいじめてこようかなー?」
「やめなって、レイドくん。チャチャちゃんいっつも困ってるんだから」
フレアの軽快なツッコミを背に受けながら、レイド・クラウンは気だるげに伸びをした。
S寮生だけが許された、漆黒に深紅の刺繍が施された制服。その襟を正し、彼らしく、誰にも気づかれないように教室を去ろうとした――その瞬間だった。
「レイドさん! お待ちください!」
退路を断つように、凛とした、それでいて甘い蜜を含んだ声が彼を呼び止めた。
レイドの視界を塞ぐように現れたのは、A寮の制服──知性を象徴する深緑の差し色が入ったブレザーを完璧に着こなす美少女、シオン・ラインハルトだ。
肩で切り揃えられた水色のボブカットが、ふわりと揺れる。
タレ目気味の翠玉の瞳は、人懐っこく細められているようでいて、その奥には逃がさないという捕食者のような輝きが潜んでいる。小動物のような愛らしさと、若き天才錬金術師としての冷徹な知性が同居する、奇跡のような造形。
「……シオンか。どうしたの、改まって」
「フフ、そうです。今日は約束通り、学園の設備紹介をさせていただこうと思いまして! よければですけど…………実は私、何度か研究で敷地内へ通っていたことがあるのでちょっとだけ詳しいんです。学園探検にお付き合いいただけませんか?」
レイドはすぐに糸目を曲げ、「そういえば学園長もなんか言ってたね」と、あからさまにポンっと手を打った。
シオンは胸の前で両手を合わせ、わずかに上目遣いでレイドを見つめる。
可憐な仕草だ。だが、その瞳の奥には───私の誘いをまさか断ったりしませんよね?だったり、私の解説付きで私と貴方だけの時間を絶対に共有したいんです!という、強烈な独占欲と自己顕示欲がギラギラと渦巻いている。
噂によれば彼女の職業は《錬金術師》(アルケミスト)らしく、好奇心も旺盛なのだろう。さすがはあの《黒騎士》の娘だ。
「探検ねぇ、いいよ?暇だし。美少女とのデートを断るほど、オレは野暮じゃないし」
「デ、デート……っ!?」
シオンの頬が一瞬で朱に染まるが、軽い冗談だと自分に言い聞かせ、すぐにコホンと咳払いをして体勢を立て直す。
「ええ、ええ! そうとも言いますね! さあ、行きましょうレイドさん!」
彼女は優雅に、しかし有無を言わせぬ握力でレイドの手を取り、エスコートするように歩き出した。
「なんか距離近くない?」
「ふふ、気のせいですよ。……逃しませんからね?」
◇◆◇
その一部始終を、教室の扉の陰から目撃してしまった少女がいた。
太陽の落とし子のような、鮮やかなピンク色のロングヘアを揺らすS寮生、フレア・ウィンドマンだ。
「な、な、な……っ!?」
フレアの大きな瞳が、限界まで見開かれる。
「距離、近くない!? 手、繋ごうとしてない!? ていうか今『デート』って言った!? 言ったよね!? 確実に言ったよねぇぇぇ!?」
フレアの脳内で、嫉妬の活火山が大噴火を起こした。
「プッチーン! 許さないからねー シオンちゃん! あの『か弱い小動物ですぅ~』みたいな顔して、やってることは肉食獣だよぉ! フレアちゃん見ちゃったからねー! 今すぐ突撃ラブハートして、レイドくんをあの魔女の手から奪還するんだからー!!」
フレアが猪突猛進、暴走機関車のような勢いで飛び出そうとしたその時。
「待つっす。ステイっす、わんちゃん!」
スッ、と虚空から伸びてきた手が、フレアの襟首をガシッと掴んで引き止めた。
「えっ!? ぐぇっ!? だ、誰!?」
フレアが慌てて振り返ると、そこには小柄な少女が立っていた。
寝癖のついたボサボサの前髪に、すべてを見透かすような眠たげな半眼。口元は長いマフラーで隠され、片足だけ猫柄のニーハイを履いている。A寮の制服を気崩した、不思議な雰囲気の少女、ルル・マッドレインだ。
「はじめましてっす、フレアさん。うちはルルっす。一応“あの女”と同じ《錬金術師》っす」
「ル、ルルちゃん? どうして止めるの!? このままだとレイドくんが、あざとい水色の術中にハマって浮気しちゃう! 既成事実作られちゃうよぉ!」
フレアはジタバタと暴れるが、ルルは動じない。
「ここで喚いても仕方ないっす、フレアさん。今突撃したら、ただの『ヤキモチ焼きのうるさい女』として処理されて、レイドさんからの好感度が下がるだけっすよ!向こうはただの散歩気分なんですから、それでいいんすか?」
ルルの冷静で核心を突く言葉に、フレアはハッとして動きを止めた。
「うぅ……そ、それは……嫌だ……レイドくんに『うるさいな』って目で見られたら、フレアちゃん立ち直れないかもー……?」
「それに、冒険者であるレイドさんにとってシオンは恐らく“依頼主”なんすよ。でもなんか、初対面にしては怪しくないっすか?」
「なるほどぉ?確かに?」
「そうっすよね。だから、まずは証拠を集めるっす。彼らが本当にただならぬ関係なのか、それともレイドさんが一方的に連れ回されているだけなのか、しっかり見極める必要があるっす」
ルルは懐から、どこから出したのか分からない探偵風のハンチング帽と、パイプ(中身はチョコレート菓子)を取り出し、素早く装備した。
「名付けて、『革命的、浮気調査……大作戦!!……えっと、オペレーション・ストーカー』っす!!」
「な、なるほど……! さすがルルちゃん! 天才だね! よーし、私も本気出すよ! 隠密スキルはないけど、気合で気配消すから!なんか楽しくなってきたかも!?」
「……前途多難っすね」
こうして、ルルは呆れつつもカメラを構え、フレアは息を荒くして、二人の即席追跡チームが結成された!(なんだこれ)




