道化師
──作られた愛情は、孤独な論理に敵うのだろうか。
これは、世界に忘れられた壊れた孤独な天才が──
空っぽになって、誰かに心を救われようとして、
────────もう一度帰ってくる物語だ。
指で、
手の甲で、
その涙を拭って無かったことにする
もう元には、── **戻れない**かもしれない。
それはなんて愚かで……無様な選択だろうか。
でも、選んだ
それでもオレは、一縷の何かを期待していたんだろう
哀れにも生きたいと思ってしまった
またあの場所へと、重い一歩を踏み出す
オレはこの時初めて
──自分の古いシステムを、本能の鳴らす警鐘を
──────裏切った。
「久しぶりだね〜レイドくん、えへへ〜〜〜///」
フレアの丸っこい頭をよしよしと撫でる。
1ヶ月ぶりにギルドに足を踏み入れると、大きな胸部を揺らして風のように駆け寄って来た恋人が胸に顔を埋めてきた。
綺麗なピンク色の長髪がサラサラと腕に纏わり、遅れて桜の花の蜜ような甘い匂いが香ってくる。端正な顔立ちとバランスの良い肉付き。あまりに魅力的なこの異性は何を隠そうオレの幼馴染であり、今は婚約者だった。
本名フレア・ウィンドマン。華奢な少女のように見えて意外にもフィジカルゴリ押しスタイルのパワー系冒険者で、持ち前のフィジカルで幾度も難易度の高い依頼を解決してきた正真正銘の凄腕だ。
その美しい容姿に反するファイトスタイルのギャップも相まって彼女は王都北部では色んな意味でかなり有名である。俗に言う“ギャップ萌え”と言うやつだ。
ちなみにフレアは現在※Lv.8という圧倒的な冒険者レベルにまで上り詰めているとともに、直近には※|《七銀聖》《しちぎんせい》も獲得した。この驚異的な躍進は留まるところを知らず、今じゃ可愛くて最強のフレアちゃんは王都の超人気者だ。
◆◇◆
レベル
冒険者各個人の単騎戦闘能力を実数値で可視化した冒険者ランクで、数字の大きさは戦闘力の高さを示す。
(一般的なレベルは1〜3であり、6以上となると一流とされている。
レベルが14を超えるとそれ以上は測定不能なため、
Lv.U(Unknownの略)として表記&使用される。)
◆◇◆
七銀聖
皇帝陛下がその時の気分で直々に認めた、20歳未満の最上位7名のみに与えられる王国史上最高の名誉称号の一つ。(2つだけ存在する。)
世界最高峰の実力と絶対的な人格信頼に加え、99.9%の依頼達成を求められる。
◆◇◆
フレアは生まれも育ちも同じく王都北部であり、生まれた頃からずっと一緒だ。彼女が言うにはもうオレはほぼ旦那のようなものらしい。この辺はオレにはよくわからないし、恋人かどうかなんて特に詳しい線引きもしていなかったが、気がつく頃にはオレは良い意味で彼女に人生を振り回されていた。不思議なことに、彼女がいるとどんなに退屈な日常にも、溢れるような幸せが感じられるのだ。
フレアは猫のように体を擦り寄せてモゾモゾ動くと、満足したのかパッと顔を上げる。宝石のようなピンク色の瞳がオレの目と交わると、彼女は楽しそうにニコッと相好を崩した。
「どう?久しぶりの北部は?私に会いたかったかにゃ?」
その悪意のない純粋な笑みが、心を浄化していく。
にゃ?というのは猫の真似だろうか。
「……最高だよ。やっぱりこっちの方が性に合うし、それに帰ってきて1番最初にフレアに会えたからね。」
───嘘を、ついた。
フレアはわざとらしく「キャー///」と嬌声じみた声を上げて笑ったあと、恋人を感じさせる火照った表情をして、しばらく両手でぎゅっとオレの手首を握りしめていた。
温かい雰囲気に和んでいたところで、彼女はハッと何か用事を思い出したのか、オレの腕を引っ張って最上階のギルドマスタールームへと軽やかな足取りで連れて行く。
心が少し、
ズキリと痛んだ。
◆◇◆
レオンハルト王国 王都北部
レオンハルト王国は初代皇帝レオン・レオンハルトから現皇帝レオニス・レオンハルトまで3000年近く続く絶対的な国力と地位を持つ世界有数の大国であり、聖海を中心に西側近傍に位置する。
王都北部は、特に王都港をはじめとする複数の海路に恵まれているためより国際的で、多様な文化と魅力に溢れている。
◆◇◆
天真爛漫なフレアの奥、先ほどまでカウンターでボーッと突っ伏していた可憐な少女が退屈そうな顔からハッとした顔に一変して、
スタスタとこちらに小走りで近づいてくる。
クリーム色のふんわりした髪がぴょこぴょこ跳ねる。
「帰還報告!!依頼達成確認!!…………帰ってきたならちゃんと連絡してくださいよ!!あなたがいつもしないから私の責任になるんですよ??」
「……いやだ。それはリリーちゃんの仕事でしょ?」
「っ、あなたそれでも冒険者ですか!?
……もっとしっかりしなさいよ!!ずっと憧れてた私が馬鹿みたいじゃないですか!!もう!!!!」
憧れてらっしゃったんですか、と内心ツッコミを入れる。
オレはとりあえず悪戯っぽい顔を作って、いい加減な返答をしておくことにした。
「無理かな。あ、報告書は道中で捨てたよ。戻ってくる気なかったからさー?」
「また!?絶対わざとじゃないですかぁぁぁ仕事が増えるよぉぉぉ……」
報告書を捨ててしまうのはいつものことだ。
軽く手のひらを振ってへらへらと笑うと、年下の少女はプンスカ怒って地団駄を踏んだ。
もう少し揶揄ってやるか。
彼女はリリー・ロッテルダム。
冒険者であるオレの特別担当受付嬢であり、国営ギルドで1番人気のアイドル的存在なのだ。
「フレア、邪魔。」
無意識に上目遣いをしている彼女の肩を掴んでどかすと、リスのように頬を膨らませムスッとした顔をされる。
「朝からお盛んですねぇまったく!!ロビーでイチャつく暇があったらちゃんと報連相くらいしてくださいよ?」
「お盛んって……このぐらいの関係が好きなんだけどなぁ。」
「そっちの返事はいらないです!報連相してください!」
ちょうど昼頃になることもあってか広いロビーには明るい日差しが差し込み、陽気に会話を交わす冒険者も徐々に増え始めていた。
これは虚構に塗り固められただけの日常という名の憐れなフィクション。
オレがまた一つ嘘の言葉を重ねるたび、少しずつ何かが歪んでいく
すでに壊れた精神は、
ゆっくりと許容の限界を迎えていた
オレはにっこり笑って、壊れた。
◆◇◆
国営ギルド《聖海の女神》
王都北部にある国が直接運営するギルド。新設されたばかりで、国営は世界初の試みである。危険な魔物が多く出現する“悪魔の森”に北側が隣接している為、有事の際には迅速に対応する機能的な存在にもなった。
◆◇◆
優しい匂いと共に薄い金髪を風に靡かせて、ギルドマスターのエイリーン・ディが赤いカーペットをリズムよく踏んでいた。
気品のある立ち振る舞いや美しい所作がまだ20代にしてマスターとしての威厳を感じさせ、容姿はまるでお伽話に出てくる女神のようだ。王国では珍しく吊り目なので、中には彼女をハイエルフやどこかの国の貴族と勘違いしていた人もいる。(オレとか。)
「お帰りなさい2人とも。依頼もご苦労様。」
「ただいまー先生!騎士団の人たちはみんな優しかったよ。ノエルさんが今度から高額で私を雇っても良いって!」
「あら!ずいぶん評価されたのね。私としても嬉しいわぁ。
騎士団と一緒に〝第三王女〟の護衛なんてフレアちゃんだけじゃない?信用できる人柄じゃないと、そもそも彼らには呼ばれないもの。」
えっへん!とフレアが自信満々な顔でその大きな胸を張ると、母性をくすぐられたのかエイリーンは手のひらでフレアの頭を優しくなでて、朗らかに笑った。
この2人が並んでいる様子はとても絵になる。
フレアも先生も、ギルドではリリーちゃん並みに大人気なのであった。
エイリーンがマスタールームの扉に手をかけたところで、ふとオレの方を振り返る。
「そうそう、レイド君にもちょうど伝えなきゃいけないことがあるの。」
「……なんですか?」
「さぁ、なんでしょう?」
嫌な予感がした
オレを頼ろうとするのか
本当はオレを怖がっているくせに
視線が交差すると先生は薄金色の長いまつ毛に飾られた空色の瞳をパチパチと瞬かせ、フフッと可愛らしい狐を連想させるような笑みを向けてくる。
その裏に隠された妖艶な気配が心をざわつかせる。
あまりにも眩しい笑顔だった。
オレは無意識に目線を逸らし、心の中で愚痴ったことを……酷く後悔した。
◇◆◇
扉の向こうから近づいてくる強烈な威圧感で、ローズはすぐに目を覚ました。その巨体はまだ10代にして王都随一だ。
いつもギルドに立ち寄るたび勝手にギルドマスタールームに侵入しては高級ソファを独占して昼寝をしている。
それがローズという存在であり、エイリーン先生を常々困らせてはいるが、
結局彼に堂々文句を言える人間はこのギルドには………………1人しかいない。
扉が開く。
驚異的なプレッシャーと共に、糸目の男子が入ってきた。
───レイド・クラウンだ。
男からはいつも、負の雰囲気が溢れ出ている。
並の人間なら初見じゃ卒倒するような重圧。
ただでさえ気配に敏感なローズは慣れるまで、そのひしひしと感じる威圧感に吐き気がした。
隠しきる余裕もないのか、溢れんばかりの人外じみた緊張感を放出している。
高レベル冒険者が乱心した時にはよくあることだ。
だが、…………コイツは少々格が違うが。
本能か怒りか、それとも悲哀か。
そこには前とは異なるどこか歪な空虚さが混じっていたが、ローズにもその正体はわからない。
仮面を被った偽りの道化師が珍しく感情的な姿は、まさに滑稽でどこか特別感があって興味深い。
いつものポーカーフェイスも、今は幾分も見破りやすくなっていた。
この男は何を求め、何を企んでいるのか。
ローズには全く理解が及ばないが、何人かそれに部分的に共感し理解する人間も中にはいるようだ。
この男は不思議と周囲に人を寄せ付ける。
自分にとってレイドという人間は、ライバル視するには十分過ぎる天賦の才を持った最強格である。
以前まで抱いていた悔しいという感情は既に通り越していて、今はどちらかというと理解不能な存在への畏怖感と好奇心の方が強い。
しかし、ローズにとって同時に越えなくてはならない壁であることには変わりない。
文字通り〝世界の頂点〟を目指す者にとっての、絶望的に高い、ハードル。
目の前に立ちはだかるのは垂直で巨大な崖。
何を隠そう、
このレイド・クラウンこそが、史上初めてLv.Uを達成した、王国最強の冒険者なのだ。
圧倒的な場の支配力と戦闘でも恐ろしいほどの冷徹さを備え、指揮をさせれば一国の軍師のような頭脳まで持ち合わせたカリスマ支配者。
誰にも手の内を明かさず、裏で何をしているのかもわからない。
最近は本当に王国の味方なのかすら怪しい気もするが、それが彼のやり方なら文句は言うまい。
ローズからレイドへの好感度は結構高い。
ギルドマスターが大いに気にいるのも十分に納得できた。
そんなレイドは相変わらず浮かない顔をしていた。
久しぶりに見るどこか暗い表情。
また、ふつふつと興味が湧き始める。
いつもは決して見せないであろう弱々しさは気弱な街娘のようで面白がるには十分だ。
レイドの両耳には小洒落た女性的な耳飾りが吊り下がっている。…………高価な印象を受ける。
過去に一度、よく耳飾りをつける理由についてローズは聞いたことがあったが、レイドにはただの
〝悲しい思い出〟だと笑って返され、濁されてしまった。
その白肌で中性的な顔立ちには女物でも似合う。
優れた容姿とその刺激的な性格のギャップは、まるで映画の悪役のようだ。
歩くだけでさぞ異性を惹きつけることだろうに、女には一途なところが最高に食えないやつだった。




