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 うっ、と吐き気が上ってくるのを、なんとか押し留める。

 蓋を開けた途端に鼻をつく腐敗臭、目に染みるような嫌な空気に、シェイラは数歩後ずさる。



「……これは、人の頭蓋骨、だわ……」



 生理的な嫌悪と、前世で見た骨格標本を思い出して確信する。

 肉はどろどろに溶け、眼窩は暗くこちらを見上げている。まだ残っている髪は黒く長く、だらりと壺の中を満たしている。



「……黒髪、メイド、壺……それから“アタシ”……」


『何か思い当たることでも?』


「……多分、わかりましたわ。でも念のため確認しておく必要がありますわね」


『確認?』


「ええ、侯爵様から回収したであろう手荷物と、我が家の侍女たちに少々。……問題は、どのようにして怨霊を退治するか、ですわね」


『一般的には浄化魔法しか効かない、というのが通説だが。……こっちに関しては少しアテがある』


「あら、貴方のアテって何かしら? 幽霊友達でもいらっしゃるの?」


『……まあ、そんなところだ』



 皮肉で言ったつもりの言葉に肯定が返ってきて、シェイラは目を丸くする。

 シェイラはもう、金にモノを言わせて神官を攫ってくるしかないと思っていたから穏便に解決できるのは非常にありがたい。今後のためにも、悪役っぽい手段はできるだけあとに取っておくべきだ。



「どうやって退治されるのです?」


『……今はまだ言えない』


「言えない? どういうことですの?」


『……少し準備がいるんだ』


「そう言われましても、わたくしの身の安全にも関わるのですよ?」


『……少しだけ時間が欲しい』


「……わかり、ましたわ」



 普段は我関せず、と物事を流すこの幽霊がここまで食い下がるのは珍しい。というか初めてではないだろうか?

 そこまで言われて問い詰めるほど無情でもないシェイラは、時間ならまだあることだし、と来た道を振り返る。



「では、証拠集めといきますわよ」





◾️⬜︎◾️⬜︎◾️






「……概ね思っていた通りでしたわ」



 流石にあの悍ましい壺を放置しておくわけにもいかず、従者に持ってこさせて山を降りた後。近くに置いておくのも嫌で、今は使っていない離れの屋敷に運び込んで南京錠で封鎖。


 シェイラの仮説を固める裏付け捜索に走り回った。

 侯爵から回収した持ち物を検めて、公爵家の従者たちに話を聞く。侯爵の持ち物の中からは黒い破片が見つかり、従者の話によればこの1ヶ月で辞めさせられたメイドは1人だけ。



『あの怨霊の該当者は1人、ということか』


「ええ。……そうなりますと、彼女の無念を晴らすのは難しそうですわ。貴方、アテがあると仰っていましたけれど、準備はできてますこと?」


『……ああ、そうだな……いや、できて……いるか……?』


「……? 本当にどうなさいましたの? 貴方がアテにできないようでは神官を拉致してくるしかないのですけど」


『……そうだな、わかってる』



 やけに歯切れの悪い幽霊に首を捻る。

 そろそろ手の内を明かしてもらわないと困る、と追及しようとしたとき、屋敷内に甲高い悲鳴が上がる。



『……玄関ホールの方からだな』


「やっぱりわたくしの言うことなど誰も聞いてはくれませんのね! 行きますわよ!」



 一応、執事長には『花瓶の付近には人を近づけさせない方がいい』と伝えていたが、結果はこの通りだ。まったく、人の命に関わるときくらい聞く耳を持って欲しいものだけど。


 ドレスをたくし上げて玄関ホールに着いたときには、最悪に近い状況が繰り広げられていた。

 第三夫人が外出から戻ったところらしく、従者やメイドが何人も出迎えに。そのメイドのうちの1人が案の定、怨霊に取り憑かれていた。何人もの騎士や従者が取り押さえようとしているが、小柄な体を生かして上手く躱しており、捕まる気配はない。


 そのくせ『シェイラお嬢様を! 殺してやる!』と喚くものだから、玄関ホールに駆け込んだときには一斉に視線を集めることになった。



「……貴方! 幽霊退治のご準備はよろしくて!?」


『……わかった、こうなれば俺も腹を括ろう』



 騒ぎの中心、ホールへ繋がる階段を駆け降りると、暴れ回るメイドの視界に入る。先程追い回されたときのような、ぞっとする気配が、シェイラを認識したのかぴたりと止まる。



「ブラッドベリー公爵令嬢であるわたくしに花瓶を落としておいて逆恨みとは、流石に傲慢ではありませんこと!?」



 生きているはずなのに、骨を感じさせない動きでゆらりと持ち上げた顔には、恨みの形相が浮かんでいる。


 ──ここ1ヶ月、シェイラは悪役らしい言動を控えていた。

 だから、シェイラを『呪い殺したい』ほど恨んでいるメイドがいるとしたら、それ以前にきっかけがあったはず。そう当たりをつけてからは簡単だった。


 シェイラが記憶を思い出すきっかけになった──花瓶を誤って落としたメイドは、その責任を取って文字通り首を斬られている。

 ──今回の怨霊はそのメイドだ。



「残念ですけれど、わたくしは貴女に殺されて差し上げるほど甘くありませんの。さっさと消えてくださいます?」


『……っ、ころ、殺して……やる……!』



 取り憑かれたメイドがシェイラの方に向かってくるのを確認して、反対側の階段を駆け上がる。人が多いところではやりづらいと思ってのことだったが。



「貴方、本当にアテにして良いのですよね!?」


『……そうだな、ここまできたら隠すのも難しいだろう』


「頼みますわよ! わたくしが追いつかれる前に!」


『……それには及ばない。少し借りる(・・・)ぞ』


「借りるって、何を……んみゃ……!?!?」



 うなじのあたりに、ひやりと氷を当てられたような冷たさを感じてよくわからない悲鳴を上げる。わけも分からず振り返るが、いつも少し後ろを浮いているはずの幽霊の姿はない。


 ──ずぶり、ずぶりとうなじに触れた冷たさがシェイラの肌の下に潜り込んで。感覚が、視界が、聴覚が、引き剥がされるように遠くなる。

 声を出そうにも声帯はシェイラの意思には従わず、勝手に動き始める。



「……そこまでだ」



 シェイラの声で、けれどシェイラのものではない言葉が口から溢れる。

 シェイラの右手は襲いかかってきたメイドの腕を掴み、蹴り上げられた足を躱し、そのまま力任せに腕を捻り上げる。床に引き倒した手腕は見事、としか言いようがない。


 自分の体が勝手に行う動作を、シェイラは他人事のように見ている。



『……な、なんですの、どういうこと……!?』


「……後できちんと説明する」


『んひゃあ!? あ、貴方……!?』



 急に耳元で幽霊の声が聞こえて心臓が跳ね上がる。

 肉体の感覚は遠いのに、幽霊の低い声は吐息までわかるほど近くに感じて思わず顔が熱くなる。



「……? どうした、気分が悪いか?」


『〜〜っ! わ、わたくしに構わず……! さっさと済ませてくださいまし!』



 小さく囁かれる声がくすぐったくて両手で耳を塞ぐ。

 不思議そうな気配を感じたが、目の前の脅威をなんとかする方が先決だと思ったのだろう。動きを封じたメイドの頭に左手を翳すと、どこからか白い光がふわりふわりと集まってくる。


 魔法を習っていないシェイラでもわかる。

 ──これは光魔法だ。それも、類を見ないほど高等な。



「……この手は神の手。唯一の真実の光を体現せし円環の前に、悪しきものはその存在を赦されず。魂の緒は解かれ、円環の揺籠から溢れ落ちた雫に救いは在らず──」



 謳うように澱みなく、言葉が重なって光を増していく。

 シェイラの下で蠢いていたメイドが、(もが)くように手足を暴れさせる。

 自らの皮膚へと爪を立て、流れるのは血ではなく漆黒の泥。これが怨霊の中身(しょうたい)だ、と本能的に理解する。



「──光は空へ、闇は地へ。魂の在るべき座標(ばしょ)へ、還ることを赦そう。唯一神の御名において」


『ぐ、が……! ぁがぁああああ……!!!』



 苦悶の表情をしたメイドから、ずるりと半透明の霊体(からだ)が抜け出す。

 シェイラがいつも目にしている幽霊と違って、黒い靄に汚染されているのがわかる。その靄も、シェイラの左手から溢れる白い光に触れた場所から浄化されていくのが見て取れた。



「……これで終わりだ」



 左手が怨霊の切断された首に触れると全ての靄が吹き飛び、瞬きの間に空へと昇っていった。



『……これで、終わりですの?』


「……ああ」



 シェイラの左手には、どこかで見た黒い陶器の欠片が握られている。


 ほっと安堵した途端、シェイラの視界が大きく揺れる。

 急にごっそりと体から力が抜けて、目を開けていられない。自分の体の感覚がないのに、倒れていくのがわかる。


 傾いていく景色を傍観しながら、これまでこのことを黙っていた幽霊のことを問い正さなければいけませんわね、と決意したところで、シェイラの意識は途切れた。




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