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「……?」


『やっとお目覚めか、ご令嬢』


「……ここは、」



 どこ、と尋ねようとして、喉が酷く乾燥していて咳き込んでしまう。

 サイドテーブルにある水差しを取ってくれようとした幽霊だったが、スカッと手が通り抜けたのを見て苦々しく顔を歪める。


 自分で取ろうと上体を起こすと、喉のあたりに鈍い痛みがある。

 そうか、首を絞められたんだった、と触ってみると、包帯が巻かれているのがわかる。


 手を伸ばして水をグラスに注いでひとくち。

 あたりを見回せば、公爵家内の医務室だというのがわかった。専属医が常駐していたはずだが、今は不在らしい。



『……具合はどうだ?』


「最悪ですわ、ブラッドベリー公爵家の令嬢であるわたくしの美しい素肌に傷がついたんですもの!」


『……いつも通りで何よりだが、事はそれだけでは終わらないぞ』


「……そうでしょうね」



 ふむ、と記憶を遡る。

 シェイラが覚えているのは、ガスパー侯爵が稽古場で暴れていて、そこに偶然居合わせたシェイラが締め殺されかけた、ということ。



「……貴方、侯爵様の様子を見に行っていただきましたわね?」


『……ああ』


「何と仰っていましたの?」


『…………』



 気まずそうに目を逸らし、口を閉じてしまった。

 シェイラを気遣ってくれているのかもしれないが、貴重な情報だ。教えてもらえるよう再度促すと、重い口を開く。


 ──曰く、『シェイラお嬢様を呪い殺してやる』と。



「確かにわたくしは悪役令嬢もかくや、とばかりに奔放な言動をしておりましたけれども……」


『認めるのか』


「最後まで聞いてくださいまし! ……わたくし、品位も矜持(プライド)も高いんですのよ。ですから、外部の人間には評判を落とすような行動は絶対にしませんの」



 シェイラが標的にするのは公爵家の従者や分家の人間で、他の家の人間には『非常に礼儀正しく淑やかな令嬢』として名高い。もちろん、公爵家を軽んじるような人間には裏から手を回して制裁を与えていたけれど。……過去の話ですからね!?



「侯爵様とは何度かご挨拶したくらいですから、そこまで恨まれる覚えはありませんわ」


『何かないのか? 公爵家の使用人の中に身内がいたとか』


「そんな話は聞いていないと思いますが……遠縁の身内、とまで言われたら分かりませんわね」



 公爵家の使用人は50人を越える。

 身辺調査はしているはずだが、確実とはいえない。確認するとなると名簿を見る必要があるが、あるのは執事長の部屋だ。執事長は兄側の人間なのでシェイラには当たりが強い。簡単には見せてはくれないだろう。



「それにしても『呪い殺してやる』といいつつ締め殺されかけましたわよ? 矛盾しているのではなくて?」


『それについては、俺からも疑問に思っていることがある』


「なんですの?」


『あの男、ぼんやりと黒い靄のようなものがまとわりついてなかったか?』


「……そう言われれば確かに……?」



 首を絞められたときに視界が少し黒くなった気がしたが、言われてみれば不自然だ。



『……自分がこんな状態だから何となくわかる(・・・)んだが……おそらくあの男、取り憑かれてるな』


「取り憑かれてるって、まさか貴方……!?」


『……誰が俺だと言った?』


「ほほほ、冗談ですわよ! 令嬢ジョーク、略して令ジョークですわ! ……にしても、幽霊に取り憑かれてる、となると厄介ですわね……」



 シェイラも当然、目の前の幽霊に取り憑かれたときに幽霊を祓う方法について調べたことがある。


 そもそもが『幽霊』と『死霊(ゴースト)』に分類され、『幽霊』は人に見えない霊体、『死霊(ゴースト)』は人に見える霊体を指す。

 モンスターとして襲いかかってくるのは後者で、光魔法が使える人間なら誰でも対処できる。『死霊(ゴースト)』になった霊体は闇属性を獲得し、光魔法の対象範囲になる上、誰の目にも視認できるようになるので一般人でも退治できるのだ。


 一方、『幽霊』は普通の人間には見えないため、浄化魔法が必要になる。

 浄化魔法は光魔法の上位に位置し、それを習得できるのは神官だけ。そしてなんとも運の悪いことに、神官の多くは隣国の祭事で出払っているのだ。



「……しかも、他人に取り憑いているとなれば『怨霊』になりかけていますわね……貴方、お話ししてなんとかできませんの?」


『無茶言うな、さっきだって聞く耳持たなかっただろ』


「ですわよね……」



 『怨霊』は『幽霊』が強い感情や恨みによって力を持った状態。所謂ポルターガイストや呪いの類い──人間に直接危害を加える力を持った霊体だ。


 こうなったら本格的に神官を呼ぶ他ない。

 一般的な魔法ではないため、資料や魔導書などは神官でないと閲覧できないからだ。


 どういたしましょうね、と頭を悩ませるシェイラの耳に、カツカツとこちらへ向かう靴音が聞こえる。あら、この足音は、と思っている間に扉が開く。



「……シェイラ……!」



 厳格そうな顔をした父が、起き上がっているシェイラを見て勢いよく抱きついてくる。


 少し苦しいくらいに抱きしめられているが、シェイラも父の背中に手を回す。娘を溺愛している父からすれば、娘が締め殺されかけたなど心配するに決まっているからだ。



「シェイラ、シェイラ……! 目が覚めてよかった……! どこか痛いところはないか?」


「ええ、お父様。少しばかり喉が痛みますが……シェイラはこの通り、無事でございますわ」


「くっ……あの男……もっと痛めつけておけばよかった……」



 ぎり、と音がしそうなほど歯を食いしばる父に、シェイラはピンと思いつく。



「お父様、ガスパー侯爵様はどうなりましたの?」


「かわいいシェイラに危害を加えたのだからね、あの男は牢に入れてそれなりの制裁を与えているよ」


「侯爵様はなんと?」


「……シェイラ、まだ目覚めたばかりなんだ、あんな恐ろしいことをした男のことなど……」


「お父様、わたくし、侯爵様のことが許せませんの。事の顛末を反省しているのならいいのですけれど……そうでないのなら、わたくし自ら制裁を行う必要がありますわ」



 にっこりと、母親譲りの顔を綻ばせる。

 お父様はシェイラの母である第二夫人をとても愛していた。その美しい顔を受け継いだおかげでシェイラも愛されている。

 そして、そっくりなこの顔からの頼み事を断れるわけがないのだ。



「……あの男は『自分にはやった記憶がない、何者かに操られた』と主張している」


「それは、お父様が直接お話し(・・・・・)になっても?」


「……そうだ」



 お父様が直接お話しした、ということは拷問で口を割らせようとした、ということ。

 ガスパー侯爵は穏健派の貴族だ。5つの公爵家の中でも力の強いブラッドベリー公爵家に反抗して得られるメリットはない。ということは、喋っていることは事実なのだろう。



「……お父様。わたくし、自分でお話ししてみたいですわ」


「話って……あの男とか……!?」


「ええ、わたくしのことですもの、自分で判断いたしますわ」



 ね、お願いしますわ、と可愛らしく甘えれば、顔を顰めつつも、うなづいてくれる。

 これで聴取の準備は整った。

 情報が足りていないのが現状なら、自ら取りに行けばいい。前世の記憶によれば、心残りがなくなれば成仏すると言いますし!


 とはいえ、仏の概念がない場合なんと表現するのが正しいのか、と頭を捻りつつ、シェイラは身支度を整えるためにメイドを呼ぶ鈴を鳴らした。


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