Ⅶ. 赤いシャツの男① 来訪者
毎週木・金・日、15時~20時の間に投稿予定
民主的な方法には限界がある。すべての乗客にどんな列車に乗りたいかを尋ねることはできるが、しかし、列車が満員になって事故が懸念されるときにブレーキを使うか否かを尋ねることはできない
-レフ・トロツキー
兵香戦争の影響で卒業年が一年はやくなった影響を、エミールら新三年生はもろにくらっていた。一もしくは二年生の時点であればまだ計画次第で短縮分をどうにかできたが、三年生にもなってしまえば、二年分の内容を一年間で詰め込むしかない。これには教官たちもずいぶんと頭を悩ませた。さすがに二年分の内容すべてを一年でやろうとしたら、候補生も教官も、休日も長期休暇も返上しなければならない。これではいざ卒業して実戦配備となったときにはもう廃人になって使い物にならなくなっているか、自主退学者が後を絶たないだろう。それでは本末転倒だ。したがって、実技訓練も学科も、いくらか内容を削らなくてはならなかった。もちろんそのようなことをすれば訓練の質が下がり、兵士としてもいままでより劣ってしまうだろう。それは教官たちも承知している。しかし、それをせざるを得なかった。教官らは毎日自分の身体に鞭打って候補生をしごき、使えなくなった者を量産するか、少々劣っても立派な兵士として候補生を送り出すかの選択を迫られたのだった。そして少しでもましな後者を選択した。
ある日の訓練後、エミールとエリシア、そしてフィアモーレとヤコヴレフは校長室に集合していた。校長に呼ばれたためである。といってもなにか悪さをしたからという訳ではないが。四人が呼び出された理由は、校長が語った。
「実は、二週間後の日曜日にここをキルシダー首相が訪問される。そこで普通なら候補生に儀仗兵をやらせるし、その旨は明日の朝会で話す。だが、君たちは特別だ。君たちには別の役をやってもらいたい」
「別の役、ですか?」
ヤコヴレフが言う。
「そうだ。そしてその別の役というのは、ずばり空中ショーだ」
「空中ショーだって? どうしてまたそんなことを……」
思わずエミールが言葉を漏らす。
「そう。君たちには天馬にまたがって空を飛び、色鮮やかなスモークを巻いて空に帝国の国章を描いてほしいんだ。――君の困惑はよくわかるよ、エミール。なにせ君たちは兵士になるためにここで学んでいるのだし、いままで学んだことはすべて戦争の為のものだ。空を飛んでお絵描きするためじゃない。――正直、迷惑な話だよ。ただでさえ卒業年を一年繰り上げて、しかし訓練内容はいままでの基準を維持しろと言われて大変だというのに、空中ショーまでやれなんて」
「それは、拒否できないんですか?」
フィアモーレが校長に訊く。
「君たちが首相官邸のドアを蹴破り、首相の机にこの計画書を叩き付けてくれるならそれも選択肢のひとつになるだろうな」
「いや、それは、さすがに勘弁してください。そんなことやらされるくらいなら空中ショーに励んだ方がマシです」
「そういうことだ、フィアモーレ君」
「校長、それは他の、なにか、雑技団のような人たちに来てショーをやってもらうことはできないんですか?」
と、ヤコヴレフが聞く。
「ああ、駄目だ。お上にそうきっぱりと言われたよ。連中は共産主義者どもの動きを警戒しているんだ。最近は共産主義者の勢力が拡大してきているし、いつ要人が襲われてもおかしくない。そんな状況だから連中はどこの馬の骨かもわからない、共産主義者カール・レボルヴィッチのシンパともわからない奴らを不用意に近づけたくないんだ」
校長の話を聞いて、なるほどなとエミールは思う。
確かに先日、政府官僚の一人が共産主義者に襲撃される事件があったし、警戒するのも無理はない。が、それにしても共産主義か。エミールはその言葉を懐かしく感じた。だが、決して心は躍らなかった。ソビエト陸軍で戦車兵をやっていたころは共産主義という言葉を聞いただけで興奮したというのに。祖国、ソビエト連邦は世界大戦中に社会主義革命によって誕生した世界初の社会主義国家だった。そしてソビエトの建国には多くの暴力と血を要した。我が祖国は暴力の上に立ったのだ。わたしはそれを悪しきこととは思わなかったし、むしろ弱い立場にあった労働者たちが団結して専制政治を打ち倒した、輝かしい出来事だと思っていた。では、いまは? いまこの帝国で起きていることはかつてのロシア革命となにが違う、栄光だと考えていたあの事件と? きっと起きている事象に大きな違いはないだろう。変わったのは自分の立場だ。そうエミールは思う。立場が変わればそれに従って物事の見方も変わるものだ。
わたしは祖国が好きだ、とエミールは思う。しかし同時に、心のどこかにその気持ちを疑う別の彼がいた。自分は、本当に祖国のことが好きだったのだろうか? 共産主義社会を肯定的に受け止めていたのだろうか? そうやって深掘りしていくと、彼は自分の愛国心に対する自信を失った。
「それで、空中ショーはどのようにやる予定ですか?」
半ば自分の疑問を一切合切振り払うためにエミールが訊く。
「そうだな、詳しく説明しよう。――これを」
校長は四人に空中ショーの概要を書いた作戦書を配布する。
「本番は来週の日曜日。1000時に首相が到着し、第三演習場で我が候補生を観閲なさる。君たちの出番は首相の観閲が終わった後だ。1100時に第一演習場から出発して20分の演目を行う。帰投予定時刻は1125時」
「フムン。それでその練習はいつに?」
と、エミール。
「ここから二週間、君たちのカリキュラムのいくつかを免除する。それで空いた時間に練習してもらう。君たちは優秀だから、多少訓練内容が削られても他と変わらない成績を叩き出せるものと期待する。――要件は以上だ。退出してよし」
四人、校長に敬礼して退出する。
翌日、エミールたちは免除された訓練の時間で空中ショーの練習をしていた。
「エミールは紺色、エリシアは白、ヤコヴレフは灰色、フィアモーレは水色のスモークを使ってもらう。空に描く国章は図の通りだ。まあ取り敢えずやってみろ」
と、空中ショー担当になった教官が言う。
エミールらは腰のベルトにスモーク缶をくくりつけて天馬にまたがると、四人同時に離陸。それぞれ自分の位置まで飛ぶと、管楽隊の演奏に合わせて国章を描く。が、
「ダメだダメ、全然合っていない。中止だ。全員集合」
少し離れたところから見ていた教官が叫ぶ。
「ああ、確かにこりゃダメだ。これならまだ幼児の落書きの方がマシに見える」
と、エミール。
「あなたの固有スキルでなんとかならないわけ?」
エリシアがエミールに耳打ちする。
「あいにくお絵描き用のスキルは持ち合わせていない。わたし一人の演目だったら魔弾之射手を応用してどうにかなったかもしれんが、四人での演目となるとな。――エリシア、君こそなにかないのか?」
「残念だけど、わたしもないわね」
「泣けるぜ」
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