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第一話β版「翼の勇者」

こんにちは。

ささくれ竹串です。


ようやくリライト作業が完了いたしました……大変長らくお待たせしました。


引き続き感想を頂けますと本当に助かります。(ゼミの提出物でもあるので感想が本当に欲しい……)

木々がざわめき、無数の鳥の羽ばたきが空へ木霊する。人気の少ない山道に似つかわしくない喧噪の源から逃れるように、私は必死に走っていた。


「グルルルル……」


それは黒い体毛に鏃のようにとがった耳を持つ、ドーベルマンに似た猛犬のような怪獣。二足で立ち上がった姿は軽く五メートルを超え、むき出しの牙と棘だらけの首輪から獰猛さがにじみ出ていた。鎖を垂らした手枷のついている歪に長い腕を揺らしながら、それは緩慢な動作で私へと歩みを進める。まるで獲物をもてあそぶかのように。


「はぁ…はぁ……」


 息を切らしながら振り返る。体格の差は絶対的で、こちらがいくら必死に走ろうと、怪獣の数歩で距離は詰められてしまう。やがて悲鳴を上げたふくらはぎは前進を諦め、私はむせこみながらその場に崩れこんだ。歩みを止めるわけでも早めるわけでもなく、怪獣は緩慢に私へと迫る。極度の疲労と恐怖から身動き一つとること叶わない私はあっという間にその長い腕の射程に入ってしまった。


 縦長の瞳孔の目がこちらをじっと見つめたのち、邪悪な笑みに染まった。獲物が動けなくなるこの時をずっと待っていたのだ。私は声を上げる間もなく迫る巨大な指に摘み上げられてしまった。


「くっ…苦しい」


手加減されているとはいえ巨大な怪物の力を人間の身体が受け止めることは難しい。きしむような圧迫感に私はじたばたともがくことしかできなかった。すると怪物の胸部にある正四面体状の結晶が深紅に輝き始めた。その輝きを直視した私の脳内に怪獣の咆哮が何度も何度も鳴り響いた。


「ッ!?痛い…頭が……」


視界が赤く塗りつぶされていく。私と怪獣の姿がサブリミナルに浮かび上がり、私という存在がこの怪獣の中に飲み込まれていくようだった。怪物は結晶体の位置する胸へと私を運んでいく。


「た、助け……て」


 思い出が、名前が、私を形作る物が朧げになっていく。水へ溶かされる角砂糖のように私はこのまま、怪獣の中へ溶けていってしまうのか。体は水面へ沈むように怪獣の結晶体の中へと吸い込まれていく。遠のく意識はもはや体を包む生ぬるい感覚への違和感すら覚えることはできなかった。


「消えたく……ない」

私を形作る最後のひとかけらがそうつぶやいた時だった。


「諦めるな!」


「えっ!?」


 諦めかけた私に喝を入れる声が聞こえた気がした。

赤く染まった視界を切り裂くように緑色の閃光が瞬いたかと思うと、その奥から白い人影が飛び込んできた。翼を広げ飛び込んでくるその巨大な影に飲み込まれていくところで私は意識を手放した。


第一話「翼の勇者」


 聴きなじみのあるクラシック音楽に朦朧とした意識を揺さぶられ、ゆっくりと覚醒へ向かっていく。

寝ぼけ眼を擦りながら松風琴羽(まつかぜことは)は突っ伏していた机から身を起こした。


「あれ……また寝ちゃった?」


 握りしめたタブレット用ペンを手放し携帯電話に持ち帰ると、画面にはつい一分前に入った不在着信の文字があった。

 青ざめた琴羽は通知欄に触れて不在着信の主へと折り返し電話をかける。


「もしもし?こっちはもう着いたけどあとどれくらい?」


 寝ぼけ眼を擦りながら時計を確かめると、時刻はすでに午前十時を指している。冷や汗がにじみ、眠気がみるみる飛んでいった。


 「…ごめん悠里(ゆうり)、今起きた」


 「はぁ……一品おごりね」



 琴羽が電話の主と合流したのは正午のことだった。大学のそばの公園にて食品フェアが開かれるということで二人で食べ歩きをする約束をしていたのだ。



「で、また見たの?その怪獣の夢」


 リスのようにハンバーガーをほおばりながら、琴羽は悠里にコクリとうなづいた。先程の二体の怪獣の戦いに巻き込まれる夢を見るのは、何も今回初めてではなかった。

 

 「高校生の時から定期的に見るの。しかもだんだん感覚がはっきりしてきて」


 最初こそ普通の夢と変わらず、目覚めれば朧げになっていく程度のものであった。しかし次第に目覚めた後も夢の中の記憶が鮮明になり、最近では感覚まで鮮明に思い出せるに至ってしまい、琴羽の悩みの種となっていた。


 「大事なことのように思えるんだ…私が忘れちゃった、大事なこと」


 頭の中のモヤを振り払おうとしてか、琴羽は食べかけのアメリカンドッグに大きくかぶりついた。


 「夢見がちの不思議ちゃんも大変ね」


 同情半分、呆れ半分といった具合で悠里は焼きそばを食べ進めながら琴羽に毒づくと、琴羽は不服そうに悠里に視線で訴えかけながら、アメリカンドッグの残りを口に押し込んだ。


 「そういえば絵本の方は?寝坊するくらいなんだしちょっとは進んだ?」


 悠里が尋ねると、ばつの悪そうな顔をしながら琴羽はバッグからタブレットを取り出した。何度かスワイプした後に見せた画面に描かれていたのは、優しいタッチで描かれた、有翼の騎士が魔王の番犬と決闘をする場面。檻に囚われた姫君は、大粒の涙を流しながら騎士の奮闘を見守っている。

 悠里は琴羽からタブレットをもぎ取って、線の運びや色遣い、ページのレイアウトまでまじまじと眺めたのち、感嘆の息を漏らした。


 「綺麗...いつもこんな素敵な夢を見てるの?」


 「そんなことない。こうだったらいいなって願望を紙の上に広げてるだけ。ほんとはもっと、怖い夢」


 「ますます絵本作家らしいね。童話なんて元は結構残酷なんだから。私は好きだよ、琴羽の絵本」


 「ありがとう悠里。でも一個場面が浮かばなくて困ってて」


 「というと?」


 「騎士がお姫様を救い出す場面がね、なかなか上手に描けなくて」



 琴羽は屋台を巡り終えて満足した悠里と分かれ、一人行きつけの本屋へと向かっていた。

 

 (やっぱりアナログのほうが優しい色が出せるかな...?)


 中腰になって平積みになった絵本を物色しながら、作品に足りないものを探っていく。初めての絵本作りは何もかも手探りで、初めは本の装丁を勉強するところから始まった。本の作り方を理解した今は沸き出す物語を文字に認めながら、もう一つの柱である挿絵に着手しているところだ。


 (私…あの後どうなったんだろう)


 黒い怪獣に捕まり、赤い光の中へ消えゆく自分に呼び戻した声を琴羽は思い出していた。あの力強くも思慮深さを感じる男の声はやはり白い影の声だったのだろうか。目が覚めるのは決まってあの影に飲み込まれる瞬間である。


 (私を助けようとしてくれた、そう思いたいな)


 琴羽は目星をつけた何冊かを抱えて会計へ向かっていく。しかしこの時の彼女は気づいていなかった。彼女の夢の真実を知る者がすぐそばまで迫っていたことに。


 「ようやく見つけた。これで二人目。それに」


 「今日は嵐が来るな」


 

 「ありがとうございました」


 鈴の音とともに来店者が帰宅していく。残された年若い男性店員はがらんどうになった喫茶店の店内を見渡すと、先ほどまで使用されていた席の清掃を始めた。レコードから奏でられる寂しげなピアノの音色と時計の振り子の音だけが響くこの空白の時間を男は好んでいた。下り始めた日差しが差し込む店内で一人きり、物思いにふけりながら店の手入れに集中する。ここで働くことになるにあたって最低限の愛想は身に着けたものの、この男にはこういう黙々とした作業の方が性に合っていた。


 ジリリリリリリリリリリリリ


 古めかしい固定電話がけたたましく鳴り響く。店長の趣味で、店内の設備は機能を損なわない程度にレトロなもので固められている。

 先ほどまでの没頭ぶりはどこへやら、男は作業をためらいなく中断して、そそくさと受話器を取った。


 「はい、喫茶パンテオンです」


 「海斗(かいと)くん?私だよ私。」


 少し低めの若い女性の上機嫌そうな声だった。


 「あぁ店長、お疲れ様です。もうお帰りですか?」


 ほのかに嬉しさをにじませながら、海斗と呼ばれた男は店長に応対する。


 「いや、今日は多分遅くなる。お店任せちゃってもいいかな?」


 「いいですけど…何か怪しい動きでもありましたか?」


 「君の同僚になってくれそうな子を見つけた。同じくらいの年の女の子だよ」


 「っ!?…ということはその子も」


 「うん、共生に成功してる。ずいぶんと過保護なイドラのようだね。かなり強い気配に守られてる」


 店長の様子とは裏腹に海斗の顔色は明るくない。


 「……すみません、俺たちがやられてなければ」


 彼の掌には青く輝くソフトボール大のクリスタルのようなものが握られていた。正二十面体に整えられたそれの中心には、虫入り琥珀のように小さな生物のようなものが閉じ込められている。


 「君がやられてなくてもいずれは探さなきゃいけなかった。それに今回は相性が悪すぎたよ。君の戦場は空じゃない」


 「それは…そうですが」


 「ともかくだ、療養もかねて留守番は任せたよ。私はこれからスカウトに行ってくるから」


 「まだ声かけてなかったんですか!?」


 「さっきすれ違ったばかりだからね。といっても、私から声かける必要はないかもしれないけど」


 「それって…」


 「そろそろ奴も動けるようにはなった頃かな、反応が強くなってきている。場所の特定までは難しいけれど、動くならおそらく今日だろう。君は万が一に備えてお店を守っていて。いいね?」


 意固地な子供をなだめるような口調だった。食って掛かることのできなかった海斗はしぶしぶ受話器を置くと、海斗はクリスタルの最奥に浮かぶ何かを見つめそっと語り掛けた。


 「俺のもどかしさがわかるのなら一刻も早く傷を癒してみせろよ、キヴォトス」




 「少し買いすぎたなぁ……」


 本屋からの帰り道、琴羽は眉間に皺を寄せながらレシートとにらめっこをしていた。資料用とは別に趣味で購入した絵本も合算した結果かなりの金額になってしまったのだ。貯金していた祖父母からのお年玉にはまだいくらか余裕があるが、創作活動に時間を割きたい琴羽は日払いのアルバイトばかり選んでおり、収入が不安定であった。


 「やっぱり長期入らないとダメかな」


 特大のため息をついた後、それとなく空を仰ぐ。異変が起きたのは初夏の照り付ける太陽が傾き始め、ひときわ強い風が吹き抜けたときのことだった。


 「きゃあああああああああ!!」


 耳をつんざく悲鳴が後方より飛びこんでくる。とっさに振り返った琴羽の目に映ったのは、何度も夢で見た光景の再演だった。


 「キキキ…」


 「あ……がっ……」


  先の尖ったお椀状の耳に頬まで裂けた牙が覗く。そりは身の丈四メートルはあるであろう蝙蝠のような怪物が、大通りを我が物顔で闊歩していたのだ


 「あれって!?」


 何の前触れもなく現れた怪異に周辺の人々はパニックを起こし、蜘蛛の子を散らすように一斉に逃げ出していく。当然琴羽も流れに乗じて避難を開始しようとした。


 「うっ……!?」


 立ち眩みとともに視界が点滅し、夢で見た白い影がフラッシュバックする。


(こんな時に……いったい何なの!?)


 「邪魔だ!どいてくれ!!」


 「きゃっ!?」


 意味を見出そうと足元がおろそかになっていた琴羽は無慈悲にも突き飛ばされ、その場に倒れこんだ。這いつくばって起き上がろうとする琴羽に気づかずに多くの人達が通り過ぎていく。


 「キキキ...カカカカカカカ」


 「いや…来ないで」


 特徴的なクラッキング音とともに蝙蝠はゆっくりと琴羽へにじり寄る。今度ばかりは夢ではない。震えながらゆっくり後退りをする琴羽に今にも襲い掛からんといった具合だったが、蝙蝠は突然ピタリと動きを止めた。


 「......え?」


 しばしも沈黙の後どういうわけか蝙蝠は琴羽から狙いを外し、避難中の人々へ向かって飛び立った。よく見ると皮膜に穴が空いており、よろよろとかなり不恰好な軌道を描いていた。


 「なんでこっちに!?」


 「ほら早く行けって!」


 一斉に同じ方向に逃げたせいで蝙蝠からすれば選びたい放題の状態だった。人々の逃げる先へ急降下し回り込んだ蝙蝠。耳をつんざくような甲高い悲鳴が上がったかと思うと蝙蝠は再び上昇した。


 「お母さん!」


 飛び立った蝙蝠の方から悲鳴が飛び出す。見れば蝙蝠は幼い少女を器用に加え、大空へと連れ去ってしまったではないか。


 「真由(まゆ)!!」


母親と思しき女性が手を伸ばすも届かない。翼を持つ怪物を前に、人間はあまりにも無力だった。女性はひざまずき、すすり泣くことしかできなかった。


 「お母さぁぁぁぁぁん!!」


少女の痛ましい叫びが空に響く。けれどもそれは蝙蝠の胸部から突如緑色の光が放たれたかと思うと、その輝きの中に溶けていってしまった。


 「夢で見た光……でも違う」


 自分を包んだ光と全く同じ輝き。けれどもあの時のような暖かさは感じず、むしろ自分を塗り潰さんとした赤い光に似た悍ましさを琴羽は感じていた。光の中から現れた蝙蝠の傷はすっかり塞がっており、心なしか先ほどよりも屈強な体躯になっていた。そして何より、咥えていたはずの少女の姿はどこにもない。


 「まさかあの子……」


 ふと蘇る夢の光景。黒い怪獣の結晶体へと飲み込まれていく夢の感覚が、最悪の結論を紡ぎ出す。しかしそれを口にするのは琴羽ではなかった。


 「取り込まれたのさ」


 背後から琴羽に歩み寄る者がいた。褐色の肌に風に揺れる白金のボブカットが揺れる絶世の美女。その黄金の眼差しは、現代文明に現れた超常の存在へと向けられていた。


 「イドラは、人と一つになることで強くなる。人の持つ想像の力を一身に受けて、傷ついた体を癒そうとしたのさ」


 「あの...あなたは?」


 「挨拶が遅れたね。私はエレノア・モーガン。少し変わり者の喫茶店の店長さ。詳しくは、少し安全な所へ行ってからね!」


 「え、ちょっと!?」


 「キキキキキキキキ!!!!」


 琴羽が彼女に手を引かれるのとほぼ同時のことだった。蝙蝠の放つクラッキング音が限界まで高まったかと思うと、突如アスファルトが大きく爆ぜた。規格外の出力の超音波を指向性のある衝撃波として発射したのだ。

 何が起きたのかもわからず人々は逃げ惑うことしかできない。それを嘲笑うかのように蝙蝠はコンクリートの森林の上空を旋回していた。


 エキゾチックな謎の美女に手を引かれ、琴羽は路地裏を通じて道のはずれへ連れて行かれる。蝙蝠は二人に気を止めることなく、気の赴くままに破壊活動を行なっていた。


 「さて、ここからなら様子が見えるな」


 「あの!一体あれは何なんですか!?なんであんな怪獣がいきなり...」


 「イドラ」


 「イド...ラ?」


 「ずっと昔に封印された怪獣たちの生き残りさ。怪物退治の伝承とかは聞いたことがある?」


 「竜殺しの英雄、シグルドにジークフリート…」


 「詳しいね。須佐之男命(スサノオノミコト)がここじゃメジャーだろうに」


 確かに人を襲う巨大蝙蝠なぞおとぎ話ぐらいにしか出てこないだろう。しかしこの女は怪物退治の伝承が、あたかも過去にあった事実かのように語るではないか。琴羽はますます混乱した。


 「まさか、それが本当にあったことって言いたいんですか!?あれは人間の自然への惧れの擬人化で…」


 「そういう見方もあるか。でも、君が見てきたものは果たしてそれで片付けられるかい?何もこれが初めてってわけじゃないんだろう?」


 「えっ!?」


 夢の内容を見透かされた琴羽は激しく動揺した。一言も自分のことを話していないにもかかわらず、なぜ彼女は自分が夢で見た光景まで知っているのか?


 「何度も夢を見たんです。黒い、巨大な犬みたいな怪獣に何度も襲われる夢を。あの子みたいに怪獣に取り込まれそうになったとき、優しい光の向こうから来た翼を生やした巨人のような影に包み込まれて…」


 「ふむ。詳しくは後でゆっくり聞くとして、どうやら君のナイトは休眠状態にあるようだ。君の身体を乗っ取ることなく融合した弊害かな」


 「…どういうことですか?」


 「その白い影とやらもイドラだよ。彼は君の身体を乗っ取ることなく一つになり、眠りにつくことを選んだのさ」


 すると、鮮明で強烈なビジョンが琴羽の脳裏に再び映し出される。翡翠の光の向こうから手を伸ばす存在と己が溶け合う感覚。白紙だらけだったページにが瞬く間に埋まっていく。

 気がつけば琴羽は夢の光景にて、横たえる黒い怪獣の亡骸を眺めていた。しかしどういうわけか怪獣を含めた周りのものが小さく思える。

 違和感を覚えふと掌を見ると、それはべったりと赤黒い血の付いた、鋭い爪をもつ異形の五本指だった。鉤爪の生えた脚で大地を踏み締め、琴羽は怪獣として夢の舞台に上がっていた。


「あれを、あの怪獣を殺したのは…私?」


 パズルのピースが埋まり、夢の顛末を形作っていく。


「私が…私も…怪獣?」


 震えながら己の掌を見つめる。血まみれの掌を幻視した琴羽はその場に崩れ落ち、ガタガタと震え始めた。


「なんで?…なんで私なの?やだよ……もう怖いのはやだ…」


 泣きじゃくる琴羽の頭をなでながら、エレノアはなだめるように言い聞かせた。


 「君の怪獣は、君が怖い思いをしないようにわざと忘れられることを選んだんだ。自分の体の自由を投げ捨ててまで君を助けたうえでね」


 「じゃあ、…やっぱり私を?」


 「そうだよ。君を守るために、君と一つになった」


 白い影が本当に自分を救おうとしてくれた安堵が琴羽の心を温める。それを救世主と信じたかった琴羽は、自分の中の恐怖を昇華するためか、おぼろげな白い影を翼の勇者として絵本の主人公にしたのだ。


 その時だった。琴羽の胸から薄緑の光が漏れだしたかと思うと光の玉となって彼女の前を漂い始めた。そっと琴羽は掌をを差し出すとそれは正八面体の結晶に変化し、まばゆい光の渦に彼女の身体は飲み込まれていった。



 「…ここは?」


 「琴羽」


 柔らかな緑の光の奥から現れたのは、いつぞやの白い影。ゆっくりとその身体の輝きが薄れていくうちに実像が浮かび上がってきた。


 「あなたが…私を助けてくれたの?」


琴羽が相対したのは有翼の鳥人とでもいうべき存在だった。

 白い装甲に包まれたシルエットこそは筋肉質な人間のそれに近いものの。嘴状の甲冑のような頭部からは翠玉の輝きをたたえた双眸が覗き、足は強靭な爪を生やした三本指で構成されている。そして肩甲骨からはもう一対の腕が肘先から変形したかのような大きな翼を生やしていた。

 鳥人は黙って琴羽の問いにうなづくと、重厚な、されどそよ風のように優しい声色で口を利いた。


 「すまなかった。忘れていた方がよかっただろうに…」


 「ううん、私こそ助けてもらったのにずっと忘れたままで…」


 「私は、絵本を描く君の姿をずっと見ていた。とても温かい気持ちになる素敵な本だった」


 「ありがとう…あれはね、きっとあなたを描いた絵本なんだよ。あの時私を助けようとしてくれたあなたを…そうだ名前、あなたなんて言うの?」


 鳥人は悲しそうに顔を伏せて答えた。


 「名前など、ない。気が付いたら見知らぬ世界に一人で、自分が何者かすら思い出せなかった。一つ覚えているのは誰としたかもわからない約束だけ」


 「約束って?」


 「『他のイドラから人間を守る』と」


 「…あの時、私はあなたになってあの黒い怪獣を倒したんだよね?」


 「そうだ、怖い思いをさせたと申し訳なく思っている」


 「もう一度同じことはできない?」


 鳥人がハッとして琴羽を見ると彼女の瞳にはもう恐れの色はなく、確固たる決意がにじみ出ていた。


 「……本気なんだな」


 「本気だよ。あの子はあの日の私と同じ。だから今度は私が、あの子を助けたい!」

 

 鳥人はしばらく考えるそぶりを見せると、琴羽を光の中へ導いた正八面体の結晶体を差し出した。


 「イドラクリスタル。それを使い、私に変われ」


 「一緒に戦おう、琴羽」


 二人の心が一つになった瞬間だった。現実世界で琴羽を包み込んでいた光の渦もまた輝きを増し、琴羽もろとも一条の閃光となり空へ飛び立った。


 「風のイドライザー…これで残るは、あと二人」


空へ消えていく輝きを見守りながら、エレノアは一人呟いた。


 「キキキキキキ!!」


 万全の状態へと回復した蝙蝠はもはや恐れるものはないと言わんばかりに飛び回り、気まぐれに破壊音波を吐き散らしていた。ショーウィンドウはガラスの雨へと変わり、アスファルトをえぐられた地面は剥き身の土を晒し、人の影は完全に消え失せていた。

 空へ弧を描き勝利の雄たけびを上げる蝙蝠、しかしそれはすぐに悲鳴へと変わることになる。

蝙蝠の鋭敏な聴覚は空を切り裂き自分めがけて飛んでくる何者かの存在をとらえていた。しかし身構えるよりも早く白き鉄拳がコウモリの横っ面めがけて放たれた。大きく跳ね飛ばされた蝙蝠は近くのビルに衝突、空いた大穴からよろよろと這い出て挑戦者へ咆哮した。

 

 「これが…イドラの力」


 イドラと一体となった琴羽は己の力に驚愕していた。今や彼女の身体は風を受けて空を舞う、五メートルはあろう有翼の鳥人となっていたのだ。

 蝙蝠は再び大空へ飛び立ち、二大怪獣が空中にてにらみ合う。鳥人となった琴羽のエメラルド色の鋭い眼が、蝙蝠の胸の結晶体に閉じ込められている人影を確認する。先ほど連れ去られた少女に相違なかった。

 義憤に震え拳を握り締めながら、一息つく。


 「待ってて、絶対助けるから」


 蝙蝠はお返しにと言わんばかりに破壊音波を連打する。不可視の攻撃ゆえに通常は回避が困難であるが、大気の震えを全身で感じ取れる今の琴羽には予測弾道が見えているに等しかった。


 「キキッ!?」


 翼を大きく翻し、縦横無尽に空を舞う琴羽。飛行速度、旋回性能ともに蝙蝠をはるかに上回っていた。 

 喉笛めがけて嚙みつこうとする蝙蝠を精密な重心制御で回避し、体勢を崩した蝙蝠めがけて鋭い爪の生えそろった強靭な脚での回し蹴りをお見舞いする。横腹にクリーンヒットした勢いで蝙蝠は墜落していき、近くの中央広場にて粉塵が上がった。着陸してみれば、すでに蝙蝠は飛び立つ気力も残っておらず、よろめきながらも琴羽を威嚇していた。


 「キキ…チチチチチ!!」


 構えを解かず様子をうかがう琴羽。クリスタルの中に救出すべき存在が見えていても、それを無事に取り出す方法がわからずにいたのだ。下手に攻撃を加えれば中の少女まで殺しかねない。


 「受け取れ!!」


 エレノアの声だった。戦闘を開始してからかなりの距離を移動していたにもかかわらずいつの間かに追いついていた彼女は、幾何学的文様の走った黄金の球体を投げつけた。鳥人の胸部結晶内部の琴羽の手に収まったそれが黄金の光を放ったかと思うと、白き怪獣の手に風切り羽が積層したような大剣が現れた。


 「イドラと人を切り離せる!それで胸のクリスタルを砕くんだ!」


 「えっ…そんなことしたら」


 「私を信じてくれ!彼女を救うにはそれしかない!!」


 「…わかりました」


 剣を前方へ構え再び琴羽は上昇する。負けじと放たれる破壊音波を剣で弾きながら低空飛行で肉薄していく。


 「これで!!」


 陽光に照らされた黄金剣の一閃が蝙蝠の身体を一刀両断する。


 「ギエッ!!」


 唐竹割にされたにもかかわらず蝙蝠は一滴の血も流すことはなかった。その代わりパキパキと音を立てながらその体は白く染まっていき、サラサラと風化するように崩れ落ちていった。


 「塩……?そうださっきの子!」


 ふと我に返った琴羽は慌てて白い粒子の山を掘り返し始めた。鋭い爪で傷つけないように指の腹を器用に使って掘り起こしていると、布の端っこが顔を出した。慎重に引きずり出すと被害者の少女であった。エレノアの言葉は真実だったようだ、少女は怪獣から切り離され、その体には傷一つない。

  

 「んん……?」


 掌の上で少女が瞼を開く。驚かせないように琴羽は女性をそっと地面に下ろす。

 目を覚ますや否や自身を見下ろす巨人の姿に怯えこそすれど、自分を丁重に扱ったそれに敵意がないことを悟ったのか、彼女はじっと白い怪獣となった琴羽を見上げていた。


 「たすけてくれたの…?」


 白い怪獣は黙ってうなづく。

 少女は震える脚で一歩を踏み出して、エメラルド色の怪獣の瞳を見つめた。


 「真由!」


 公園の入り口から駆け出す者がいた。助け出された少女の母親だった。


 「よかった……もう会えないかと思った」


 泣きじゃくる母親の頭を少女はさすると、二人を見守る鳥人を指さした。


 「しろいかいじゅうさんがたすけてくれたの」


 信じられないといった表情で母親は鳥人を見るも、その穏やかなたたずまいと少女の訴えから、疑う余地はないと判断したようだった。


 「帰ろっか、怪獣さんにバイバイしよう」


 「うん!かいじゅうさ~ん!ありがとう!!」


 母親にやさしく手を振られながら少女は広場を後にしていく。鳥人は躊躇いがちに爪の生えそろった大きな手を、少女が見えなくなるまで降り続けていた。


 再開を果たし帰路に就く親子を横目で見ながら琴羽へ歩み寄る者がいた。エレノアだった。


 「お疲れ様、初めてなのによくやったよ」


 「エレノアさん」


 緑色の粒子となって鳥人の身体が霧散し、ウェーブのかかったロングヘアがよく似合う柔和そうな少女が現れる。

 琴羽は拳を握り締め彼女に向き直った。


 「イドラは、今のだけじゃないんですよね?」


 「うん、今のはほんの始まりに過ぎない。人とイドラの本格的な接触はこれから始まるんだ。きっと多くの血が流れる」


 哀しい眼をしていた。止めたくとも自分一人では止められないという諦めがエレノアの声からはにじみ出ていた。震える胸に手を当てて深呼吸し、琴羽はエレノアに己の決心を露わにした。


 「私、戦います!私の中の彼と一緒に。それがきっと、あの夢の意味だから」


 彼女の決心を聞いたエレノアは穏やかな笑みを浮かべて手を差し出した。


 「…ありがとう、可愛い勇者さん。君の名前を聞いていいかな?」


 「松風琴羽です。そして」


 琴羽は懐から緑のクリスタルを取り出した。中心には先ほどまで死闘を繰り広げていた白い怪獣が浮かんでいた。


 「あのイドラの名前は疾風(ラファール)。翼の勇者・ラファール」


 名付けられた喜びであろうか。暮れ始めの光を浴びてクリスタルがきらり、と瞬いた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 多過ぎず少な過ぎない文章でイドラの容姿や戦闘描写等、場面ひとつひとつを明確にイメージできました。自分が神話伝承が好きなのもありますが、序盤のイカロスの件を用いた表現や、シグルド、八岐大蛇の…
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