一日目
「おい聞いてんのか」
強い衝撃が僕の足に襲いかかる。
目隠しをされているから何をされたのかがわからないがこの痛み的に蹴られたりしたのだろう。
「何度言えばわかるんだよ。ほんとバカだわ」
この状況を一言で表すとイジメである。近頃はイジメとは言わずに犯罪行為として認めるべきだという意見もあるがとりあえずイジメの被害者であることは間違いない。
誰も来ない学校の三階のトイレの一番奥。助けの望みは絶望的である。
「や、やめてくれ。とても痛いし何も見えなくて苦しい」
「やめてくれだ?いつからお前はそんなに偉くなっちまったんだよ。大体お前に発言する権利もねぇよ」
「こいつ生意気だから水かけてやろうぜ」
「いいね、感謝しな」
目の前に人の気配が一瞬消えた後、蛇口を捻り水が溢れバケツを叩く音が聞こえる。
「お、いい感じじゃん。これをぶっかけよう」
目の前に人の気配が戻る。
「本当にや、やめてください。これ以上は本当に……」
「うざい」
最後の抵抗も虚しくバケツいっぱいの水をかけられる。
「ハッ、ざまあみあがれ」
捨て台詞を残して人の気配は消える。
目隠しが水をかけられて緩くなったのかズレかかっている。手を抑えられていたが幸い手錠などではなかったので目隠しを取る。
ビチャビチャと音を立てながら鏡の前に立つ。水をかけられて服がへばりつくせいで線の細い、いかにも弱そうな男が目の前に映る。
「実に情けないな」
彼らが毎日のように犯す犯罪行為の数々。学生だからと許されていた部分がとても不快になりある日、先生に報告しようとした先に彼らに捕まりそれからというもの毎日のように《お仕置き》という体で酷い行為を受けている。
「今日はもう帰ろう。保健室でタオルを借りるか」
トイレのドアを開け、外に出る。窓からは今の僕の心を表すように雨が降っている。階段で一階まで降りて彼らに見つからないように保健室を目指す。
すでに放課後の時間も残りわずかなのか人の気配は全くしない。
少し古めの校舎のせいか廊下を歩くと床が軋む音が聞こえる。さらに体から滴る水の音が不気味さを数段あげている。
目の前にはもう保健室があった。
扉をノックする。
「失礼します」
中からどうぞと聞こえたので扉を開け中に入ると女性の保健医が椅子に座っていた。
「どうしたの?すごい濡れてるじゃない。今タオル持ってきてあげる」
そういうと彼女は部屋の奥からタオルを持ってきて僕に渡す。
「傘忘れたの?」
「そんなところです」
「そうなのね、災難だったわね」
僕が服を拭いていると彼女は再び部屋の奥に行き声をかけてきた。
「お茶飲む?」
「いえ、結構です。このあとすぐに帰らないといけないので」
「そう、わかったわ。ところで傘持ってないんでしょう?」
「はい」
「なら、この傘をあげるから気をつけて帰りなさい」
少し薄いピンクの本当に私用で使っている様な傘を渡してくる。
「これ、私用の傘に見えるのですが大丈夫ですか?」
「いいのよ、私は車で来てるし平気よ」
「そうですか。では有り難く使わせていただきます。明日返しますね」
タオルを返し傘を受け取る。
「ぜひそうして」
そう言って彼女は保健室の奥のベットへ向かった。
僕も帰ろうとするが奥から声が微かに聞こえる。
『体調はどう?少しは楽になった?』
『ええ、少し楽になりました。ベッド貸してくれてありがとう。私帰るね』
『うん、雨降ってるし気をつけてね。傘ある?』
『うそ、雨降ってるの?私傘持ってない』
『ほんとう?困ったわね、さっき他の子に貸してしまったし』
少し悩むと僕は声をかけた。
「僕大丈夫なんで傘貸してあげてください」
保健医が少しびっくりした。
「あら、まだいたの?でもあなた傘ないんでしょう?」
「親が迎えに来てくれるらしいので平気になりました」
唐突の嘘にを僕自身がなぜ言ったのかわからなかった。ただ、これが運命というならそうなのかもしれない。
「そう良かったわね。じゃあその傘、持ってきてくれる?」
薄ピンクの傘を右手に持ち保健室の奥に進む。
仕切りのカーテンの前に立ち声をかける。
「持っていました。ここに置いておきますね」
「いや、いいよ。こっちに持ってきて」
保健医の声ではない凛とした声が聞こえる。
「いいの? 嫌なんでしょ?」
「いいよ、何だか彼は他の人と違う気がするの」
保健医がベッドの上の彼女に聞くと不思議な回答をする。
「いいんですか?入っても」
「ええ、どうぞ」
仕切りのカーテンを横にずらし傘を渡そうと彼女の顔を見る。凛とした声とは裏腹に少しやつれた生気のない顔をしていた。
「先生、傘を返しますね。……君、気をつけて帰りなよ。すごい雨だから」
仕切りのカーテンをまた開けて保健室を後にした。
保健室を出て下駄箱に向かっていると窓から地面に雨が強く打たれる音が鮮明にきこえてくる。傘を貸すのではなかったと今更後悔してもどうにもならない。
「きついなぁ。濡れるのは嫌だな」
独り言をこぼすと不意に後ろから声をかけられる。
「親が迎えにくるのは嘘だったのかしら?」
「え」
後ろを振り返ると保健室にいた彼女がそこにいた。先ほど見せたやつれた顔ではなく少し元気が戻った様なそれでも生気がない顔をしていた。
「私にそんないいとこ見せたかった?」
「いや、そういう訳では……」
彼女はグイッと近づくとその生気のない顔でニコッと笑う。
「私の名前はね、霧雨透っていうの。あなたの名前、知りたいな」
僕は一瞬戸惑うが名前を告げた。
「僕の名前は時雨涼香」
僕に詰め寄った彼女はまたその生気のない顔で笑った。
「いい名前だね」
「僕は嫌いだよ。こんな名前なんて女っぽいじゃないか」
「そんなことないよ。漢字はなんて書くの?」
彼女は首を傾げる。
「涼しく香るって書いて涼香」
彼女はまたまた笑う。
「涼しく香る、ね。とても君らしくて素敵だよ」
その笑顔はこの雨の日にはとても似つかない。でも、この雨が君の笑顔を一際輝かせているのを心のどこかで感じていたのだろう。
雨がどんどん強くなって風が窓を叩きつける。
「雨強くなったね」
「そうだな」
「傘これだと意味ないね」
「それは……そうだね」
意味のない時間が流れ僕の焦りは次第に大きくなる。
「私、帰るね」
君はそういうと薄ピンクの傘をそこに残し下駄箱から正面校門の方まで去っていった。
「霧雨さん!」
呼びかけると彼女は振り返り何かを喋った。
傘をそのままにして置けないのでとりあえずその傘を使って家に帰ることにした。
ざあざあと振り続ける雨が色なんてもう見分けがつかないくらい傘にぶつかってはすごい音を立てている。
足元には水たまりが何個もできていて一歩大地を踏み締める度に水が跳ねてズボンにかかる。家に着いた頃には全身びしょ濡れになっていた。
家に帰ると、母親が仕事から帰ってきていた。
「ただいま」
母はリビングでテレビを見ていたが僕が帰ってきたことに気づきキッチンに向かった。
「もう、ご飯できているから早く支度しなさい」
僕の家は共働きだが別に生活には困っていない。母曰く今ついている仕事がとても気に入っているらしい。そんな幸せなかなかないと思うから父も僕もそれには反対していない。
しかも、その上ご飯を丁寧に三食作ってくれるので母には頭が上がらない。
ダイニングの席に着くともうご飯が用意されていた。
「「いただきます」」
父は帰ってくるのが遅いので夕飯は母と二人きりで食べている。
「最近、学校はどう?」
「別に普通だよ。何にも困ってないよ」
平気で嘘をつけるのが僕の唯一の欠点だといつも思う。
「そう。なら良かった。お母さんはいつでもあなたの味方だから何か辛いことがあったらちゃんと言いなさいね」
ご飯を食べながら母はいつも優しい言葉をかけてくれる。しかし、いじめられている事はどうしても言えない。
以前、僕が小学生だった頃理由は思い出せないけれどいじめられてたことを親に話したことがあった。その時母はちょうど海外への出張が決まっておりなかなか僕の相手をできなかった。なぜか僕は先生ではなく親を頼ることの方がいいと思っていたから僕の親しかいじめのことは知らなかった。
その結果、いじめは度を越していき派手な怪我を負う事になってしまった。
そしたら、母は相手できなかった私の責任だと言って自殺未遂を図ったことがあった。
その事件の後はもう親に何かあっても絶対に隠し通すようになってしまった。
「お母さん、今日は疲れたからもう寝る」
食べ終わった食器を片付け寝巻きに着替えようとする。
「そう、今日夜冷え込むから暖かくして寝なさい」
「わかった」
ダイニングを離れ自室に入る。
ベッドに潜り込んだ時に数学の宿題があったことを思い出したがやる気が出なかった。
段々と意識が薄れていく中でご馳走様を言い忘れたことを後悔した。




