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短編小説

吸血鬼の血を引く強引令嬢は、高貴な血を引く無気力令息の「血が欲しい」

 マカリスター家の令嬢――ノエル・マカリスターは、王立魔法学院の一画にあるガゼボの中に設置されたベンチで一組の男女を見つけると、つかつかと無遠慮に近づいた。


 男のプラチナブロンドは冷たく輝き、髪と同じ色をした長いまつ毛が、青みを帯びた薄い紫色の瞳をはかなげに彩る。端正な顔立ちをしているうえに、すらりと背も高く均整のとれた体つき。たくさんの人間がそう言うように、確かにこの男――ユーリ・カイゼルは美しかった。


 そのユーリの腕の中には線の細い美人がいて、彼女はユーリにしなだれかかりながら、体温を感じさせない彼の頬に、唇を寄せているところだった。


「ユーリ・カイゼル」


 ノエルが堂々とした声で呼べば、女の方が驚いた様子でこちらに顔を向けた。


「何、あなた」


 不審な視線を向けてくる女に、ノエルは静かなまなざしを向けた。長くさらりとした漆黒の髪と、星の光のような金色の瞳。冷たい美貌だと時に恐れられた。邪魔なものを排除するのにちょうど良いので、ノエルは気に入っている。実際、女はノエルの視線にびくりと体を震わせ、怯んだ。


「彼に話があるの。外してもらえるかしら」

「……何ですって」

「この場から離れてと頼んでいるのよ。三度は言わないわ」


 ノエルが声を低くすると、それに呼応するように魔力が漏れ出た。闇魔法を使うノエルの魔力は、陽光が射すガゼボの穏やかな空気を、一瞬で冷ややかなものに変えた。

 生命を脅かされる恐怖を感じたのだろう、女は真っ青な顔をして無言で立ちあがると、すぐに逃げ去ってしまった。ユーリは彼女に視線を向けることもなかった。


「はじめまして、ユーリ」

「……用件を言え」


 いかにも気乗りのしない声で、ユーリが言った。視線は遠く向こうのまま、ノエルを見ることはない。


「私の魔力に、反応なしなのね」


 ノエルはさらにユーリに近づき、じろじろと無遠慮に彼を見下ろした。


「侯爵位を持つカイゼル家の長男ということになっているけれど、あなたは国王の隠し子と聞いたわ」

「…………」


 その横顔がぴくりと動き、ユーリの視線がノエルに向けられる。


「年齢的に、本来なら第三王子の兄というところかしら」

「……お前、何者だ」


 ノエルはにこりと笑った。


「私はノエル・マカリスター。つい先日、王都にきたばかりよ。私の婚約者となる予定だった、第三王子に会うために」

「……西部の辺境伯家か」


 王国西部の国境およびその周辺地区を統治、防衛する辺境伯であるマカリスター家。王国の西は、魔族領へと続いている。かつて人間と魔族の間で大きな戦争が起こり、互いに犠牲を出しながら、現在は休戦協定が結ばれている。能力のある若者をこの王立魔法学院で学ばせるのも、有事の際に魔族に対抗する戦力とするためだ。マカリスター家は、先の大戦以来、西部を安定させて王国の平和を守る重大な責任を持っている。


 王国ではひそかにうわさが広がっていた。マカリスター家には、魔族の血が流れていると。


「魔族の血が流れているらしいな。それで一体、お前はどれだけ生きている?」


 薄っすらと皮肉な笑みを浮かべるユーリは美しかった。それこそ魔族のように。

 だが嫌みを嫌みとして受け取らず、ノエルは平然と答えた。


「残念だけど、私はあなたと同じ年齢で、まだ十七よ。今日からこの学院に編入したから、一年間はあなたと学友になるわ」


 ノエルが反応しなかったせいか、ユーリはまたふいっと顔を逸らしてしまった。


「話は戻るけど、私は第三王子に会うために王都にきたの。でも第三王子はまだ七歳で、私を見るとおびえてぷるぷる震えてしまって……。あんまりかわいそうだから、婚約するのはやめにしたの。じゃあ他に誰がって話になったんだけど、第一王子は既に結婚しているし、第二王子にも婚約者がいる。それで最後に国王は、仕方がなくあなたのことを父と私に打ち明けたの」

「…………」

「あなたに婚約者はいないと聞いているわ。さっきの女生徒も、恋人でも何でもないんでしょう?」

「…………」

「ところであなたがそれほど無気力で、何もかもがどうでも良さそうなのは、国王の血を引きながらも、隠し子であるために生まれて間もなく養子に出され、ほぼ魔力がないために、魔力を重要視するこの国で自己を肯定することができないから、といったところかしらね?」

「……べらべらと良くしゃべる」


 怒気を含んだまなざしを向けられて、しかしノエルは笑った。


「魔力がないから、私の魔力にも反応しなかった。でもあなたは、正確には魔力がないわけじゃないわ」


 言いながらノエルはさらにユーリに近づき、ぴくりと眉間の皺を深くしたユーリの両肩をつかんで押さえつけると、ユーリの膝にまたがるようにして、その顔をのぞき込んだ。

 当然ユーリは、ノエルの両手首をつかんで抵抗する。が、ノエルの力がそれを許さない。想像もしていなかっただろう、ユーリはノエルを激しくにらむ。


「……ふざけるな。放せ」

「奥底に、眠らされているわ。恐らくは、後継者争いにならないように。あなたに力を持たせないように。……いえ、あなたが利用され、余計な争いに巻き込まれないように、かしらね」


 それからノエルはユーリには分からない言語で、つぶやいた。


《目覚めよ》


 瞬間、ユーリの体から、魔力が洪水のようにあふれ出す。ユーリは驚愕で目を見開いていた。


「……っ、は」

「ゆっくり息をして。すぐに慣れるから」


 ユーリはがくりと首を下げた。はあはあと肩で息をしている。体の中で安定せず、渦巻く魔力に、体力を根こそぎ持っていかれるような感覚だろう。

 ノエルは自分の目の前で苦しげに息をする美しい男の、そのうなじを見て、こくりと息を呑んでいた。


「……ユーリ、あなたは私に、一体どれくらい生きているかと聞いたわね」

「…………」


 まだ荒い呼吸をしながら、ユーリがゆっくりと顔を上げる。ノエルのまなざしは、その首にくぎづけになっていた。


「何年も生きることができるわけじゃないのよ。年齢と同じで、寿命もあなたと変わらない。でも私は、マカリスター家の力が色濃く出てしまったようなの」

「……マカリスター家の、力?」

「魔族の血よ。うわさではなく真実なの。種族としては吸血鬼とも言われるわね」


 ユーリは再び目を見開いた。


「王家の持つ、光の魔力。それが私には、生きていくうえで必要なものなの。それで、西部を安定させる代わりに父と私は、王家に私の夫を要求したの」

「……生贄か」

「さっきも言ったと思うけれど、国王ははじめからあなたを差し出そうとしたわけじゃないのよ。王宮で実の親子として生活することもできず、不憫な思いをさせているのだから、どうかあなたが嫌がるのなら無理強いはしないでほしいと懇願されたわ。……でも困ったわね」


 ノエルは本当に心から困ったという気持ちで、眉を下げる。


「ユーリ、あなたは魅力的すぎるわ。言っておくけど容姿のことじゃないわよ。あなたの存在が、魔力が、他の王子たちとは比較にならないの。でも私だって無理強いはしたくはないの。どうか私と婚約すると言って」

「……これのどこが、無理強いじゃないんだ」


 次第に力を取り戻しつつあるユーリが、再びノエルの手首をつかんでいた手に力を込めた。


「力を解放してあげたじゃない。ユーリ、あなたが駄目なら、あの幼い第三王子が生贄になるのよ?」

「やっぱり生贄か。ふざけるな」

「……さっきの女生徒には好きにさせていたじゃないの。なぜ私は駄目なの」

「お前のように婚約を迫る女なら、誰が好きにさせるか」


 ややして、ユーリの力が、ノエルの力を上回り始めた。あふれる光の魔力を、もう自分のものにしつつある。もともとの腕力には差があるので、致し方ない。


「……分かったわ。一旦引くわ」

「…………」


 ノエルが力を緩めると、ユーリも抵抗する力を弱めた。だがノエルはまだユーリにまたがったままで、じっとユーリを恨めしそうに見ている。


「せっかく力を解放してあげたのに……」

「……別に頼んでない」

「あなたは侯爵家の人間で、どうせ自由な結婚などできないでしょう? こんなにも求められておいて、何が不満なの」

「……とりあえず、どけ」

「嫌」

「一旦引くと言わなかったか」

「……今日のところは、諦めるわ。でもあなたは、力を解放してもらったお礼くらいはするべきだと思わない?」

「……何をしろと?」

「血」

「……は?」

「血が欲しい」

「どけ」


 今度こそユーリは強引にノエルを押しのけた。その拍子に、ノエルはユーリの上でバランスを崩し、そのまま滑り落ちるように、力なく床に倒れた。


「……おい」

「…………」

「おい」


 ユーリは片膝をついて、ノエルを揺り動かす。倒れると同時に目を閉じていたノエルはうっすらとまぶたを持ち上げ、先程までとは打って変わって、か細い声で訴えた。


「あなたの力を解放するのに、力を使い果たしたわ」

「…………」

「苦しい……」

「…………」


 ユーリはしばらく沈黙し、やがて大きなため息をついた。


「……血を飲めば、回復するのか」

「ええ」

「どれくらい必要なんだ」

「……ほんの少しでいいの。あなたの体にはほとんど影響がないようにするわ」

「…………」


 ユーリはもう一度、ため息をついた。それからノエルの体を抱き起こすと、渋々と言った。


「……分かった。どうやって――」

「本当に?」


 ノエルがユーリの腕を取り、きらきらと目を輝かせたら、ユーリはこの上なく嫌そうな顔をした。


「……まさか、演技か?」

「……えっと」

「お前……」

「待って。本当に、今までも、マカリスター家に仕える魔力の高い人間から少しずつ提供してもらって何とか生きてきたのよ。このままでは遠くない未来に私は死んでしまうわ」

「…………」

「お願いよ。私にはあなたが必要なの」

「…………」


 うそではないことは、理解してくれたのだろうか。ユーリは結局、本当に心から不本意という表情をしながらも、了承した。


「……勝手にしろ。ただし、婚約はしない」

「ありがとう!」


 ノエルは飛び起きるようにして、ユーリに抱きついた。その拍子にユーリはバランスを崩し、押し倒されるようになる。

 さっきユーリは「どうやって」と尋ねた。方法ならいくらでもある。例えば手の指に小さな傷をつけるとか。マカリスター家では大体そうして血の提供を受けた。

 でもノエルはもう、我慢ができなかった。


「待っ――」


 抵抗しようとするユーリの美しい首筋。ノエルはそこに、自分の歯を食い込ませた。


「……っ」


 吸血行為をする際だけ、すっと伸びる犬歯が肌を突き破り、瞬間に口に流れてくるユーリの血液の甘さに、ノエルはくらくらとした。むさぼりそうになる気持ちを必死で押さえつけ、ほんの一飲みすると、舌でユーリの傷口を押さえる。そうするとノエルの持つ治癒の力で傷はふさがり、噛み跡はほとんど見えなくなった。


「……ごちそうさま」

「…………」


 ぺろりと唇を舐めながら、満足気にノエルはユーリから離れる。ユーリは首を手で押さえながらノエルをにらむと、体を起こした。


「……俺が吸血鬼になるということはないんだろうな」

「それ、今頃確認しても遅いわね」

「……なるのか」

「ならないわ。光の魔力を持つ血が、私の栄養になるだけ。おかげでしばらくは吸血衝動も抑えられそう」


 ノエルは笑って立ちあがると、ユーリに手を差し出した。ユーリはそれを無視して無言で立ちあがる。


「つれないわね」

「……礼は、返したからな。もう俺に関わるな」

「それは無理よ。婚約してくれるまで、諦めない」


 返事もせずに氷のような一瞥をくれると、ユーリは行ってしまった。


 ノエルは少し前までユーリの座っていたベンチに腰を下ろした。無理強いはしたくないが、なかなかに難攻不落な気もする。


「でも、諦めるなんて無理そうだわ。ほんとに、困ったわ」


 のどかな空に向かって、ノエルは伸びをしながらつぶやいていた。



 ◆ ◆ ◆



 ユーリ・カイゼルは、賢王と民が信頼する国王の、唯一の失敗である。


 国王は、遠征先で迎えられた城で、戦の疲れもあって泥酔し、当代随一の美女と評判であった踊り子の誘惑に抗えなかった。

 国王は踊り子が妊娠したとは知らずに王宮へ戻ったが、出産した踊り子が赤子であるユーリを連れて王宮に現れた時には、踊り子の求めた通りの金を与えた。踊り子はユーリを置いて王宮を去った。

 ユーリは国王が信頼する人物であり、子ができないと悩んでいたカイゼル家の夫妻に引き取られ、大切に育てられた。事実に激怒していた王妃は最後には国王を許し、その後第三王子も生まれた。


 何も知らなければ、ユーリは幸せに育っていたのかもしれない。だがどんな秘密でも、完全に隠し通すことは不可能に近い。やがてユーリは自身の出生の秘密を知り、自分の魔力が争いの火種にならぬよう王宮の神官によって封じられたことも知った。

 それを知ってしまった幼い頃、しくしくと涙を流したことがあった。ユーリを育ててくれた侯爵は、国王はユーリを蔑ろにしているんじゃない。政争に巻き込まれ、ユーリを傷つけたくないからだと何度も説明してくれた。その証拠にいつも国王は、秘密裏ではあるが、ユーリに必要な支援を惜しまずしてくれているし、事あるごとに侯爵を呼んではユーリの様子を訪ねていると言っていた。

 そして子ができないと思っていた侯爵夫妻に、奇跡的に子供ができて、ユーリは血のつながらない年の離れた弟ができた。侯爵夫妻はこれまでどおり分け隔てなくユーリのことも大切にしてくれている。


 だから、何も不満なんかはない。そう思い込もうとする反面、ユーリには常に無力感がつきまとった。

 王国の西にある魔族領とはずっと休戦状態で、若者には魔力を磨くことが求められる。ユーリは魔力がないのに、ほとんどの貴族が通うこの王立魔法学院に入学した。もちろんユーリのように魔力がない人間だっている。魔力を使って戦うだけが仕事じゃない。その後ろで国を支えるためにも、学ぶことは必要だからだ。

 実母譲りの美貌のせいか、年頃になったユーリの側には常に女がいた。求められるのはこの容姿だけ。面倒なことになりそうでなければ、ユーリは誘いを断らなかった。誰に対しても本気にはなれなかった。それが分かっている女しか相手にしなかった。


 そこに現れたのが、ノエル・マカリスターだ。

 初対面から、ずかずかと人の内側に踏み込んでくる。魔族――吸血鬼の血を引くというノエルは、漆黒の髪と、金色の瞳をした、ぞくりとするような美女ではあった。

 いきなり婚約を迫り、血を吸うという滅茶苦茶な女だが、正しいことも言った。


『あなたは侯爵家の人間で、どうせ自由な結婚などできないでしょう?』


 遠くない未来で、そうなることは理解していた。侯爵位は弟が継ぐことになるだろう。侯爵夫妻はユーリに気を使ってはくれるだろうが、何より自分自身が、弟を差し置いて跡を継ぐことなどできないと思っていた。無力感を抱えたまま、変わらない毎日を王都で過ごす。想像しただけで、ため息が出た。何のために生きているのか、分からなかった。

 だからノエルの言葉が、心に響かなかったといえばうそになる。


『私にはあなたが必要なの』


 ノエルが首筋に歯を立て、舌で傷を押さえた時、味わったことのない快感がユーリを襲った。ノエルのひんやりとした唇が、余計にそう感じさせた。だからもう決して、近づきたくないとも思う。


 それなのにノエルは、悪びれもせず学院でユーリに付きまとった。


「ユーリ、せっかく魔力を解放してあげたのに、なぜできないふりをするの」

「むしろお前はなぜ、隠そうともしないんだ」


 魔法の実技の授業で、ユーリはこれまで通りできないを貫いた。王家の人間が使う光魔法を、堂々とユーリが使うわけにはいかなかった。

 対してノエルは、教師も恐怖で震え上がらせる程の、高位な闇魔法を使って見せる。


「ここは学びの場だもの。私の魔法から学べば良いのよ」

「あんな高位な魔法が、参考になるか」

「そうなの?」


 どれだけユーリが無視しても、何食わぬ顔で側にいるノエルのおかげで、これまで寄ってきた女たちは一人残らず近づかなくなった。ノエル自身が特段女たちを威嚇したりということではなかったが、マカリスター家の闇魔法使いの令嬢は、魔族の血を引いていることが事実であるとは知られていなくても、皆から恐れられていた。話してみれば彼女はごく普通に会話をするので、時々はユーリの知らない誰かと話していることもあった。


「この間招かれて、王宮へ行ったのよ。国王があなたのことを心配していたわよ。王子たちもね。第三王子は相変わらずぷるぷる震えていたけれど、なんだか可愛くなってなでていたら、少し懐いてくれたわ。別に私は取って食うわけじゃないってことを、ようやく分かってくれたみたいね」

「それなら予定通り第三王子と婚約したらどうだ」

「無理よ。あなたと会ってしまったんだもの」


 国王からは、カイゼル家に何度も登城せよという通達がきていた。それをユーリは何かと理由をつけて先延ばしにしていた。侯爵も、ユーリの状況が分かるから、無理は言えないのだろう。

 ある時ついに、国王がお忍びでカイゼル家に姿を現し、さすがのユーリも緊張しながら頭を下げた。しかし国王の方からすまないすまないと涙ながらに謝られ、そして自分が国王よりも背が高くなってしまっていることにも気が付き、ユーリは頑なになっていた自分が馬鹿らしくなった。

 国王は、ノエルが悪い人物だとは思わないが、もしユーリが嫌ならば、マカリスター家とは再度じっくり話し合うと言ってくれた。


「もしも王家の、光の魔力を持つ人間を夫にできなければ、お前はどうなる?」

「言ったじゃない。遠くない未来に私は死んでしまうって」

「でもお前の父は生きているんだろう」

「そうね。父はマカリスター家の当主だけれど、魔力も特別強いわけではなく、吸血衝動もないの。魔族の血は引いているといっても、父はほとんど普通の人間よ。母だって魔族の血は引いていなくて、私を産んですぐ亡くなったの。たぶん私の力が強すぎて、母の生命力を奪ってしまったんだと思うわ」

「…………」

「そんな普通の二人から、私が産まれたの。何代かに一度、私のような人間が現れるらしいわ。我が家に伝わる書物によればね。大体が、西の魔族領が活発に動きだした時なんですって」

「つまり、魔族を抑えるためなのか」

「きっとそうね」

「ではお前が遠くない未来に死んだら――」

「王国は領土を失うかもしれないわね。この学院の生徒もだいたい見て、魔法騎士団にも行ったけど、西の魔族と戦うにはちょっと心許ないかしらね。何人かはいけそうな人間もいるけど、無傷では済まないと思うわ」

「…………」


 ノエルはユーリを見て、いたずらっ子のように笑った。


「あなた、いつもつまらないって顔をしているわ。私と一緒に来れば、少なくとも退屈はさせないわよ」



 ◆ ◆ ◆



 ノエルが現れて半年程がたった頃だ。

 いつもは朝からユーリの前に現れるノエルが、姿を見せない。編入以来、学院を休んだことのないノエルがいないことを、ユーリは怪訝に思った。

 その理由を、ユーリは自宅に戻ってから知ることになる。王宮からカイゼル家に伝えられていた。西の境界線付近、中立地帯に魔族が侵入したとの一報を受け、ノエルが向かったと。王宮にも緊張が走り、魔法騎士団がノエルに同行したという。それ以上の状況は分からず、連絡を待つしかないという。


 それから数日は、ユーリは眠れない夜を過ごした。西が緊張状態に陥ったことを知ったせいなのか、ただノエルの身を案じてのことなのか、自分でも分からなかった。

 何にもできない自分に苛立ちを抱えた日々を過ごしていたユーリが学院から戻ったある日、再び王宮から使いが来た。使いは、マカリスター家の従者も連れていた。


「お嬢様は中立地帯に直接出向き、魔族へ警告しました。お嬢様の力を目の当たりにして魔族たちは最終的に撤退しましたが、お嬢様は随分と力を使ってしまい……。今はとても弱っていらっしゃいます」


 弱っている? あの、ノエルが?


「どうかお嬢様にお力をいただけないでしょうか。お願いいたします」


 それが何を意味するのかユーリは理解していた。ノエルは、ユーリの血を必要としているのだ。


「我々、マカリスター家に仕える人間では、どうしても限界があります。どうか――」

「分かった」


 短くそれだけ答えると、従者はぱっと顔を輝かせた。見ればなかなかに整った顔立ちをした男だ。年齢もユーリとそうは変わらないだろう。この男もノエルに血を提供したのだろうか。ユーリは眉間に皺を寄せていた。


「では恐れ入りますが、すぐに出発させていただきます」


 従者はユーリの返事を待たずに、右手を文字を書くように動かして、ユーリと自身の下に魔法陣を発生させる。はっとした時には、そこから発生した光に飲み込まれていた。

 気がついた時には、見知らぬ館の広いホールに立っていた。


「お嬢様のお部屋へご案内いたします。こちらです」


 従者について行きながらも、ユーリはまじまじと彼を見てしまう。あんなに素早く移動魔法陣を作成する人間を、ユーリは見たことがなかった。

 部屋の前について、ノックをする。返事はなかったが、従者はそっと扉を開けて、声を掛けた。


「お嬢様、ユーリ・カイゼル様がお見えになりました」

「……ユーリが?」


 ノエルの声は、いつものように張りがなかった。


「どうぞお入りください。私はこれで、失礼いたします」


 中に入ると、ぱたんと音を立てて扉が閉まった。カーテンはあけられていて、部屋は月に照らされていた。中央にある天蓋付きのベッドで、ノエルが体を起こしてこちらを見ていた。


「……驚いたわ。きてくれるなんて」

「第三王子を行かせるわけにはいかないからな」


 ユーリはつかつかとベッドに近づき、ノエルの顔を間近で見つめた。随分顔が青白く、目の隈がひどい。


「今回は演技じゃないんだな」

「……実は結構きついのよ。ねえユーリ、あまり近づかれると困るの。今の私は我慢ができないから」


 震える唇で無理やり笑みをつくったノエルのすぐ側で、ユーリはベッドに腰かけた。


「前みたいに、素直に血が欲しいと言ったらどうだ」

「……あの時みたいに、余裕がないの。今は本当に苦しくて」


 ノエルの息遣いがどんどん荒くなっているのにユーリも気がついていた。それを承知で、ぎしりとベッドをきしませて、ノエルに近づく。


「駄目、ユーリ」

「俺が死なない程度に飲めよ」

「……でも」

「はやくしろ」

「……っ」


 ノエルは腕を伸ばして、ユーリに抱きついた。首筋にノエルの冷たい唇が触れ、ぞくりとする。ユーリは思わずノエルを抱きしめていた。ノエルの歯が食い込み、一瞬だけ痛みが走る。こくりこくりと喉を鳴らす音。初めての時よりもずっと長く、ノエルはユーリの首から離れなかった。

 ユーリがくらりと眩暈を感じた時、ノエルは舌で丁寧にユーリの傷を押さえ、最後にそこをしっとりと舐めた。ぞくぞくとユーリを快感が襲い、ユーリは小さく息を漏らした。


「ユーリ、ありがとう。……大丈夫?」

「……ああ」


 体を離し、少し心配そうにユーリをのぞき込むノエルの頬が、薔薇色になっている。目の隈も、うそのように消えていた。

 ユーリはほっとして、それからずるずるとベッドに倒れ込んだ。


「ユーリ!」

「……少し横になれば、大丈夫だ」

「水を」


 ノエルはサイドテーブルにあった水入れからコップに水を移し、ユーリに差し出した。少し体を持ち上げてそれを飲み干すと、ユーリはもう一度ベッドに体を沈めた。体に力が入らないのは、ほっとしたのと、血を失って疲れたのと、どちらのせいなのか分からない。自分が思いのほか、焦っていたことを知る。彼女の存在が自分の中でいつのまにか大きくなっていたことを、思い知らされた気がした。


「ありがとう、ユーリ」


 ノエルが優しい手つきで、ユーリの前髪に触れる。少し長めの前髪を横に流され、いつのまにか閉じていたまぶたを持ち上げると、ノエルが心配そうにのぞき込んでいた。


「今日は泊まっていく? 部屋を用意させるけど」

「ああ」

「婚約してくれるなら、このまま私の部屋で休んでもいいけれど」

「ああ」

「……ああ?」


 ノエルは動きを止めて、まじまじとユーリを見つめた。


「え、本当に?」

「ああ」

「さっきから、ああしか言ってないわよ」

「…………」

「……私、このまま既成事実を作っていいのかしら。ユーリの気が変わらないうちに」


 ノエルはユーリにまたがると、ユーリの顔の横に両手をついた。いたずらをする子供のような目で、ユーリの瞳をのぞき込む。


 しかしユーリは一瞬で体を起こし、ノエルを逆に組み敷いていた。


「……!!」

「勘違いするな、俺がお前を抱く」

「ユ――」


 ノエルの細く白い首筋に、ユーリは優しく噛みついた。ノエルが甘い悲鳴を上げる。


「やっ……。噛、まないで」

「お前だって、俺を噛んだ」

「それは――」


 と、その時だった。扉が大きな音を立てて開かれ、反射的にユーリはノエルから離れる。

 部屋に入ってきたのは先程の従者と、そして――。


「お父様」


 ノエルの言葉に、ユーリの心臓が冷える。


「ノエル、随分顔色が良くなったな」

「……はい。ユーリが血を分けてくれましたから」

「それはありがたいことだ。私からも礼を言おう。娘を助けてくれて感謝する。しかし今日はもう遅い。二人とも休みなさい。もちろん、部屋は別に用意させる」


 にこりと笑みを浮かべてはいたが、辺境伯の眼は笑ってはいなかった。

 ユーリが無言でベッドから離れようとすると、ノエルがもう一度言った。


「ユーリ、本当にありがとう」


 ユーリがうなずくと、薔薇色の頬をしたノエルが嬉しそうにほほえんだ。ユーリは何とも説明のつかない気持ちに襲われる。辺境伯がいなければ、もう一度ベッドに押し倒していたかもしれない。


 そんな気持ちになったのが、自分でも信じられないことだった。



 ◆ ◆ ◆



 その後、ユーリとノエルの婚約は正式に成立した。卒業までは、もう残り三か月となった頃だ。二人の事情を、表立って詮索するような生徒はいなかった。


 王立魔法学院の一画にあるガゼボの中。午後の気持ちの良い陽光の下、ユーリはベンチに横になり目を閉じていた。ちょうどユーリの腰の辺りに、少しだけ空いていた場所があり、ユーリに詰めるようにして誰かが腰掛けた。確かめるまでもなく、ノエルだ。


「おなかがすいたわ」

「…………」


 婚約者となってノエルは、十日に一度くらいの頻度で、こうしてユーリの血を求めてきた。ほんの一飲みのことなので、ユーリにとっても別に負担というわけではない。

 ユーリは目を閉じたまま、答えた。


「……お前、俺のことを、食料と同じ程度にしか思ってないだろ」

「そんなことない。あなたの存在が、魅力的だって前にも言ったじゃない。あなたは特別なの。ユーリこそ私のことをどう思っているの。好きなの?」

「……その言葉の定義は?」

「好きの意味? ……そうね。側にいたい、独占したいってことかしら。あとは――」


 ノエルが覆いかぶさるようにしてユーリをのぞき込んでいる気配がした。さらりとノエルの髪が、ユーリの頬を流れていく。ユーリはまだ、目を開けない。ノエルは片方の手で、そっとユーリの首筋をなぞる。


「触れたい」


 ユーリはゆっくりとまぶたを持ち上げた。


「でもユーリが嫌なら、しないわ。好きだから我慢する」

「……今さら、嫌とは言わない」


 言いながらユーリは、ノエルの首に手をまわしてぐっと引き寄せると、驚くノエルを無視して、ノエルのひんやりとした唇に、唇を重ねた。

 ノエルの体から力が抜け、ユーリに体重を預けた。口づけは次第に深くなり、何度か繰り返したあとに解放したら、ノエルの頬がわずかに紅潮していて、ユーリを満足させた。


「側にいたい、独占したい、触れたい。……だから俺以外を、食料にするなよ」


 数度目をしばたたかせてノエルは、ゆっくりと微笑した。それから彼女はもう一度、ユーリに唇を寄せる。首筋ではなく、唇に。

 血ではなく、たぶん愛を受け渡す口づけを、二人は何度も交わした。

(THE END)

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