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ハピエバ!  作者: 藤中うらら
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鉛筆一つ取ったって



「お母さん、ちょっといいですか」


4月から始めたばかりの子供の習い事、ヨコミネ教室。

子供を教室まで送り、机に向かうのを確認したところで先生から呼び止められた。


「朝陽くんと花帆ちゃんなんですが、いま使っている鉛筆がちょっと長くて…。もう少し短い鉛筆を用意できませんか?」


習い事を始めるに当たり亜梨沙が用意した鉛筆は、公文式が出しているの三角鉛筆。そこに握り方の補助のための指置きを付けていた。


たしかに、買ったばかりの鉛筆は20センチほどもあり、3歳児の小さな手で根本近くを持つと重心が後ろに下がってしまう。


「どれくらいの長さがいいですか?」


「これくらいの…」


先生が人差し指と親指で示したのは、10センチくらいの長さだった。


「一本の鉛筆を半分にしたらちょうどいいんですけどね。いまは持ち方の練習をすることがなによりも大切なんです。一度変な癖がついてしまったら直すのに倍かかりますから」


まだ鉛筆に慣れていない子供たちは握るたびに持ち方を確認しなければならず、また筆圧も弱い。

指の力が弱くてもしっかり握れるよう、鉛筆を短くしたほうがいいのだろうが…問題はどうやって切るかだ。


膝でバキッと折っては割れた木が尖っていて危険だろうし、固めのハサミで切れば――切れたとしても木が割れて中の芯が飛び出すかもしれない。


くるりと目玉を回して、そういえば一年以上前に生協で注文した万能のこぎりがあることを思い出した。

粗大ごみを切って小さくするために購入したが、一度も使われずに掃除用具置き場に眠っている。


あれを使えばちょうどいい。


算段がついたところで、

「わかりました。用意します」

と微笑んだ。





目当てののこぎりは、あっさりと見つけることができた。

まだパッケージから出してもいない。


パッケージに書かれている通り小ぶりで女性でも使いやすい形をしていた。


ガリガリガリガリ、コキンッ!


鉛筆は簡単に切れた。


切り口できたささくれをハサミで整える。

それでも少しチクチクするので、子供が怪我をしないようマスキングテープを巻きつけて保護した。


「は~、ようやくこれで鉛筆の練習が始められる」


まだスタート地点に立ったところだ。


ここまで来るまでで、すでに長い時間がかかっていた。


最初、お絵かき用の鉛筆を用意しようと普通の鉛筆を使わせていたのだが、どうもグーで握ってしまう。

ひょろひょろとした線しか描けなかったため、指の力が強くなるまでむしろクレヨンのほうが良いと聞いて鉛筆はしまったおいた。


それから、たまたま同年代の子が公文式の三角鉛筆に「もちかたくん」という補助を付け、上手に線を書いているのを見てネットで注文した。


鉛筆削りも注文したが、公文式の三角鉛筆は普通の鉛筆よりも太くて、とりあえず買った3つの鉛筆削りがどれも使えなかった。


鉛筆削りは三つもいらない。

けれど捨てることもできず「いつか使う」と引き出しにしまった。


専用の鉛筆削りがないはずがない!と探してみれば、公文が出している公式の鉛筆削りがあった。

最初からこれを買っておけばよかったと後悔しつつ注文。ようやく鉛筆を削るところまでいった。


さて子供に鉛筆を使わせようとしたら「もちかたくん」の指の置き方は複雑で、子供が自分で正しい位置に指を置くことができなかった。


亜梨沙が手を貸して指の位置を直そうとすると、嫌って手を振り払う。

無理に直そうとすると書く気を失って鉛筆を放り出してしまう。


鉛筆を持たせるだけで日が暮れていく。


(もう少し成長してからにしようかな…)


疲れ果て、時折思い出したように持ち方の練習をしようとしては、うまくいかない日々。


そうこうしているうちに、双子は3歳になっていた。


そして4月。ヨコミネを始めるに当たって体験授業を受けると、当然のように鉛筆の持ち方を指摘されてしまった。


「朝陽くんと花帆ちゃんですけど、鉛筆の持ち方がすでにグー握りになりかけてます。今のうちに直しておかないと」


「はい……」


他の子より遅れている、と言われているようで内心うなだれる。


(母親として、きちんとできていないのかな…みんなちゃんとやってるんだろうな…)


亜梨沙は同年代の子供の発達状況を知る機会がほとんどなく、正直なところ、3歳でどのくらいできていればいい、という基準が分からなかった。


結婚を機に生まれ育った土地を離れ、妊娠出産のタイミングで仕事を辞めてしまった。

子供たちはバス通園で、さらにコロナ禍も重なり園の催しもなく、同じ幼稚園の保護者とは没交渉だった。


育児のヒントは何気ない主婦同士の話の中にあるものだが、亜梨沙はそれを得ることができなかった。


そして「本人がその気になったときでいいか」とのんきに構えていた結果がこれだ。


「おうちにダブルクリップありませんか?それを鉛筆に付けて、人差し指をクリップの背に乗せるようにしてください」


家に帰り、さっそくダブルクリップを鉛筆に付けてみたもののクリップのサイズと手のサイズが合っていなくてうまく握ることができない。


それでも「人差し指はここだよ」と小さな指を移動させていると、早く描きたい子供はうっとうしげに亜梨沙の手を振り払う。


ダブルクリップではうまくいかない。


亜梨沙は、ダブルクリップと同じ形状のシンプルな指置きが公文にあるのを見つけてそれを購入した。


ウサギと車の形をしたそれを子供たちが気に入り、使い方もシンプルだったため、鉛筆を持つたびに自ら持ち方を確認しながら握るようになってくれた。


それだけでも一歩前進だ。


ヨコミネの先生に指導さたことも大きかったのだろう。

母親が言っただけでは反発することも、教室で先生に直されることで本人も「やらなければならないこと」と認識し、意識するようになった。


そして今回、鉛筆の長さ問題をクリアしてようやく鉛筆を使う体制が整った。


鉛筆一つとってもこれだ。


紆余曲折経て鉛筆を用意したが、ただそれだけ。

持ち方を習得するのはまだまだこれからの話。

これから、ひらがなを読み書きできるようになったり、絵を描けるようになったり…。


「道のり遠っ」


がっくりとうなだれる。


(これが育児…)


一つ済んだからといって止まってはいられなかった。


育児だけではない。

洗濯ものも食器洗いも、夕食のしたくも後に控えている。


ため息を一つつき、気を取り直して顔を上げ、肩を回した。



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