ママは、黒竜様〜月の愛し子を育てる黒竜様奮闘記〜
注意)ミミズらしき生物が現れます。
ムーは、不思議な子供だった。
母が死に、父に顧みられなくても、普段と変わらぬ生活をしている。
朝早く起き、猫の額ほどの田畑を耕し、水を撒く。
その後、軽く朝食を取ると獲物を狩りに出かけ、その日食す分だけ手にいれれば荒屋へ帰る。
そして、昼食を食べると、仮眠。
夕方涼しくなると、再び田畑の手入れをしてから、昼間仕掛けた罠を見に行く。
この日は、川に餌を入れた籠を沈めておいた。
中を見れば、ヌルヌルとした細長い魚が入っている。
彼女は、それを家に持ち帰ると、3枚に開き外に干した。
夜は、少量の果物を齧ってから歯を磨き、ギシギシと鳴るベッドへと潜り込む。
母が死ぬまでは、ここに二人暮らしだった。
元公爵令嬢の母は、この暮らしに馴染めず、六歳の彼女を置いて儚くなった。
物心ついた頃から、この生活しか知らない彼女は、当たり前の事として暮らしている。
ここは、普段から人が入らない。
『呪われた森』と人々から噂する為だ。
魔物が多く生息し、迷い込んだら最後、一生出ることが叶わないと昔から言い伝えられている。
そのお陰で、獲物も豊富で自然が溢れている。
小さな子供一人養うくらいの食物は、十分に備わっていた。
彼女の父は、入婿だった。
王宮では、凄腕と称される魔導士。
だが、政略結婚した妻には、全く興味がなかった。
妻の両親が亡くなると、ここぞとばかりに嫁と子を森へ追いやり、屋敷に婚姻前から関係の続いている愛人とその息子を招き入れた。
息子の年齢は、十歳。
今は、その子供を跡取りとして育てているようだが、事情を知る貴族達からは、影で嘲笑われている。
何せ、血を受け継ぐ事こそが貴族としての価値。
もし、公爵家の簒奪に成功したとしても、元伯爵家の三男坊と何処の馬の骨かも知れない女の息子など、今後婚姻を結ぼうなどと思わない。
ただ、静観しているのは、自分に関係ないから。
息子に引き継ごうとした時点で、王家が何かしら理由を付けて、お取り潰しにするだろうと噂をしている。
まったくもって、外の世界は、どす黒い。
そんな事とは露知らず、ムーの生活は、至って平和だ。
今日も、朝から固くなったパンを塩気の薄いスープに付けて食べる。
このパンは、ムーを哀れに思った公爵家のメイド達が、我が物顔で威張り散らす入婿と愛人の目を盗んで届けてくれる物。
森の入り口近くにある巨岩は、昔から、信仰の対象となっていた。
その前に、残飯と言い逃れが出来るくらい古いパンを、お供えと言う建前で供えるのだ。
そんな事、ムーは、知らない。
ただ、母に言われ、10日間隔でそこを訪れると、硬いパンが地面に転がっているのだ。
だから、ムーは、パンは、リンゴや木の実と同じように、地面に生える何かだと思っていた。
朝食が終わると木製の食器を片付けて、扉を開けて、そーっと外を覗く。
勢いよく開けると、たまに不都合な事が起きるのだ。
今日は、何事もなく開いた。
このドアに、鍵は無い。
だって、此処に住んでいるのは、ムーだけだから。
畑には、子供が育てたとは思えないほどの大きくて立派な野菜がなっている。
いや、立派と言うより異様な大きさだ。
トマトもレタスも、通常の三倍くらいある。
そんな摩訶不思議な野菜が、ここでしか栽培できない理由は、朝から勢いよく扉を開けられないことにも関係している。
ムーが、雨水を溜めた甕から水を汲み出していると、地面の中から、大きなミミズのようなものが出てきた。
その名は、ワームワーム。
魔物の一種で、森の外では、大量発生しては田畑を壊滅させる為に、忌み嫌われている。
しかし、実際は、田畑の土を耕し、分泌液は肥料の何十倍も効果があり、そのお陰で、ムーの畑になる物は、どんな野菜でも巨大に成長するのだ。
知能が無いと世間では言われている魔物。
しかし、今日も、何十匹ものワームワームがムーの周りに集まり、クネクネと嬉しそうに体をくねらせている。
「おあよー(おはよう)」
ムーは、挨拶をした。
母親を幼くして亡くし、ムーとお話しできる人は誰もいなかった。
だから、彼女の言葉は、拙いままだ。
それでも、何も不自由はない。
ワームワームは、彼女の事をちゃんと理解してくれるから。
少々困るのは、部屋に入ろうと彼らがドアの前にうず高く積み上がった時。
ドアを思い切り開けてしまうと、柔らかな彼らの体は、いとも簡単に分断されてしまう。
だから、毎朝、そーっと、そーっとドアを開けるのだ。
まぁ、分断されたからと言って、数が増えるだけで死にはしなかったりする。
ただ、これ以上不必要に数を増やされては、たまらない。
だって、今でも、ムーにまとわり付いた彼らは、体をよじ登り、ムーの目以外を覆い尽くしているのだから。
「もー!ムー、やっ!(もぅ、ムー、嫌っ!)」
ムーが体を震わして怒りの雄叫びを上げると、ワームワームは、慌てて逃げ出した。
これが、いつもの朝。
しかし、今日は、少し違った。
ムーが、ジタジタと手足をバタつかせ、ワームワームを体から振るい落としていると、頭上で何か音がして、
ヒューーーーーーン
ドォーン
ムーの荒屋に、巨大な何かが落ちた。
プスプスと肉が燃える音。
目が開けられないほど赤く輝く丸い塊が、グシャっと潰れた荒屋のど真ん中で燻っている。
ワームワームは、ムーを守るように周りを取り囲み、数匹の偵察隊が落下物に近寄った。
シューシュー
地面に半分埋まってしまっていたソレは、短い息を繰り返している。
どうやら、竜のようだ。
魔物の長とも言える種族に、偵察隊は慌ててムーの元へ引き返した。
赤い輝きは、次第に黒に変わり、その様は、冷えた溶岩のよう。
中に燃え上がる炎を内包したまま、外側だけか硬い皮膚に覆われていく。
竜は、ムクリと顔を上げると、目の前にあった小さな畑に顔を伸ばし、野菜を手当たり次第に食い荒らし始めた。
「ムーのー!」
ムーは、突然の不法侵入者が、大切な畑を荒らすことに憤った。
だって、家を壊されたら直せば良いが、野菜は直ぐには育たないのだから。
日々の糧を奪われた怒りに、ムーは、手を振り回して竜に突進しようとした。
でも、ワームワーム達に阻まれ、竜に近づくことができない。
ひとしきり、畑の食物を食い荒らした竜は、ブルリと身を震わせて痛みに耐えている。
ウォーーーーー
高らかな咆哮に、森に住む鳥が一斉に飛び立った。
二度三度、のたうった後、竜は、再び激しい光を放って・・・人形へと変化した。
「うぅ・・・」
苦しげな声。
血だらけの体。
二メートルは超える巨体は、瀕死の状態だった。
ムーは、暫くワームワーム達と遠巻きに見ていた。
しかし、徐々に息が浅くなる竜を見て、可哀想になってきた。
トテトテトテ
ムーは、竜とは反対方向に走ると、野菜とは別の場所に植えている薬草を取りに行く。
その中でも、とりわけ奇妙な薬草が、
ミィ〜ミィ〜
揺れ動くたびに鳴き声を上げていた。
細長い草一本一本に、人のような口がついており、歯すら見える。
彼女が掴んでソレを引き抜くと、薬草は、
ギョェーーーーー
と断末魔の悲鳴をあげた。
この草は、この森にしか生えない薬草『叫び草』。
死んだ者の上に咲き、栄養を吸い取る事で体内に治癒エネルギーを溜め込む魔界の植物でもある。
母の持っていた図鑑で存在を知っていた彼女は、森を散策している時に見つけて持ち帰った。
その草をそのままポイッと竜の鼻先に投げてみた。
古い伝承では、『死者すら生き返らす』と言われる薬草。
ムーの母は、見た目の恐ろしさで決して口にしようとしなかったが、一口でも食せば、きっと、今も生きていただろう。
ミィ〜ミィ〜
抜かれてもなお、叫び草は、鳴き続けている。
その声に、竜が反応した。
ゆっくりと目を開けると、草を見つめて微かに口を開けた。
ムーは、近づくと、叫び草を竜の方へと押してやる。
ムシャ
なんとか口元まで持っていってやると、生のまま一噛みした。
ムシャムシャムシャ
食べるほどに、竜の瞳に生気が戻る。
最後には、体を起こして地面に座ったまま叫び草を両手で掴んで貪り食っていた。
ムーは、再び薬草畑に戻ると、残りの叫び草を全部引き抜いて竜の元へ持っていく。
「どじょ!(どうぞ)」
もう、怖くはなかった。
手渡しすると、次は、桶に水を汲んで、
「どじょ!(どうぞ)」
と竜に渡す。
小さな人間の娘に命を救われ、竜は、戸惑った。
しかし、勧められるままに薬草を喰らい、水を飲む。
暫くすると、体の傷は、跡を残したものの殆ど塞がり、腹の奥から魔力が戻ってくるのを感じた。
竜がのそりと立ち上がると、ムーは、少し距離をとった。
見上げると首が痛くなるほどの体躯。
漆黒の髪。
浅黒い肌。
そして、蛇のような縦長の瞳孔。
パッと見てもムーンが知る『人』とはかけ離れていた。
しかし、怖くはなくなっていた。
何故なら、何処からともなく現れたら小鳥達が、竜の肩に乗り、足元にはウサギやリスの小動物が群がったから。
彼の叫び声に呼び寄せられたのだろうか?
ワームワームばかりに集られるムーとは大違いの状況に、羨望に近い眼差しを巨大な男に向けた。
「礼に、一つだけ願い事を叶えてやらんでもない」
人の畑を潰しておいて、どこまでも、上から目線の提案。
しかし、ムーは、考えた。
ずっと話し相手がいなくて寂しかった。
家族が欲しい。
ムーとお話をして、笑い合って、共に暮らしてくれる家族が。
「ママ」
「は?」
「ママ、ほしー」
「俺に、母親になれと言うのか?」
力強く頷かれ、竜は困った。
彼は、黒竜と言う竜族を束ねる資質を持って生まれた生まれながらの王者。
その体を一口食せば百年、二口食べれば二百年生きながらえると言われ、生まれてから六百年、人間に追われ続けていた。
それ故に、兎に角、人が憎い。
今回だって、見たこともない兵器に撃ち落とされて、危うく死ぬ所だった。
槍や剣で攻撃してくるのとは、訳が違う。
怪我さえ治せば、今度こそ全人類を殲滅させようと思っていた。
しかし、目の前の小さな子供は、命を救ってくれた上に、キラキラとした瞳で自分を見つめてくる。
「ママ〜」
と伸ばされた両手を叩き落とせるほど、竜は、冷酷ではない。
本来は、思慮深く、愛情豊かで、小動物が大好きな生き物だ。
「ママか?」
「ママ!」
ポプン
足元には勢い良く抱きつかれ、黒竜は、胸の中に温かな気持ちが広がるのを感じた。
抱え上げると小さな手を竜の首元に回してしがみ付いてくる。
「ふふふ、ママ〜」
スリスリと頬と頬を擦り合わせる幼女に、黒竜の小さい物好きな本能が擽られる。
娘の姿を見れば、服はボロボロ。
髪は、ボサボサ。
洗濯はしているらしく、清潔感はあるが、大して良い生活を送っているわけでもなさそうだ。
しかも、ここは、『呪われた森』。
人間が足を踏み入れなくなってから、百年は経つ。
捨てられたのか、逃げてきたのか。
どちらにしても、親は、ろくでなしだろう。
「俺は、ママではない」
「はぅ」
その一言で、ムーは、短く息を吐き絶望に打ち震える。
竜は、大きくため息をついた。
六百年生きてきて、人間の子供に抱きつかれたのは、これが初めてだ。
どう対処すれば良いのか、全くわからない。
プルプル震える幼女の背中を、竜は、ゴツゴツした大きな手で恐る恐る撫でた。
すると、不思議なことに、体内の魔力が癒される気配がする。
愛おしい。
自然とその思いが湧いて出てきた。
竜には、運命の相手『番』が存在すると言われているが、もしや、この少女がそれなのか?
この子が何者であったとしても、見捨てるという選択肢は、もう無かった。
「俺の名は、ランバルト・ボゴゴゴメス・ルクシオール・サラマンカ・フレデリック・ロンバルディア・・・・・」
何故か竜が長い、長い、長い名前を唱え出し、ムーは、何度も瞬きを繰り返した。
しかも、まだまだ終わりではないらしく、黒竜は、口を動かし続ける。
最初は、ムーも必死に覚えようと耳をそばだてた。
でも、眠気に勝てなくて頭がグラグラ揺れ始める。
竜が背中を撫でてくれるのも、心地良すぎでフワフワしてきた。
くぅーくぅーくぅー
いつの間にか、ムーは寝てしまっていた。
周りの小動物も、ワームワームすら、深い眠りについてしまった。
子守唄以上の効果があるロングネームである。
しかし、竜は、名乗るのをやめない。
やっと言い終わった時には、空には、なんと月が登っていた。
グーーーーーーーーーーッ
お腹が鳴って、ムーは、目を開けた。
鼻先に、黒竜の目があり、ジーッと自分を見ている。
「もう良い。俺の事は、ランと呼べ」
諦めたように妥協したランバルトに、
「あい」
ムーは、勢い良く頷く。
ランバルトも、笑うしかない。
竜が真名を名乗るという事は、家族と認めたということ。
彼も彼なりに、幼女を受け入れた現れでもあった。
「お前の名は?」
聞かれて、ムーは、月を指差した。
「ムー!」
「ムー?・・・月のことか?」
コクコクコクコク。
自分の名前を正しく発音してくれて、ムーは、嬉しくなった。
彼女は、どうしても『ン』が発音できない。
ムーの本当の名前は、ムーン・シルバー。
ふり注ぐ月光の下、七色に髪が輝く彼女は、月の女神の愛し子だった。
何処からともなく現れた、金の粉を振り撒く小さな存在が、暗い森を照らしている。
ムーンが手を伸ばすと、光は集まり、クルクルと回転して球体となった。
癒しの波動を放つソレは、月の女神が得意とする治癒魔法。
まだまだ力は、微弱なものだ。
本人すら、気付いていないだろう。
しかし、もし、この力を人間に知られれば、少女はただでは済まない。
この小さくて愛らしい存在を守らせる為に、自分はここに引き寄せられたのだとランバルトは思った。
先ず最初にランバルトが行ったのは、家の建設だ。
ムーンを左の小脇に抱えたまま、ランバルトが右手を振り上げると、ゴゴゴゴと地面が盛り上がった。
これから過ごす場所の確保の為に、土製のドームを作ったのだ。
そして、ワームワームに指示を出すと、軍隊さながらの連帯感で、クネクネと体をくねらせて窓を掘っていく。
まだまだ荒削りだが、なかなかな良い居住スペースが出来た。
雨が降った時の為に、建物全体に結界も掛ける。
がらんとした中に入ると、その広さに興奮したムーンが、手足をバタバタ動かした。
拘束を緩めてやると、ピョーンとランバルトの腕から飛び降りて、興味深げに内部を見て回る。
土で出来ているとは思えない壁は、大理石のように硬くてツルツルしていた。
その後、森の中の動物達が、挙って食べ物を持ってきた。
ランバルトは、どうやら、とても気に入られたようだ。
ムーンは、ランバルトの膝の上で、リンゴを御相伴に預かる。
「今日は、ここで寝ろ」
筋肉質なランバルトの体と比べれば、今まで寝ていたベッドの方が、まだ柔らかい。
しかし、頭を撫でてくれる手と、優しく語りかけてくれる声がある。
ムーンは、嬉しそうに頷き、カプリとリンゴに噛み付いた。
結局、ムーンは、ランバルトに集まる小動物に埋もれるようにして眠った。
六年の人生の中で、最も幸せな眠りだった。
次の日2人は、壊れた荒屋から使えそうな物を全て掘り起こした。
鍋に木製のお皿、母が残した衣装や裁縫道具など、もう、森では手に入らない物は、丁寧に扱う。
ベッドは、新たに手作りした。
材木は、森に腐るほどある。
もう、ギシギシ音なんてしない。
ランバルトと2人で乗っても、壊れたりしない。
ムーンの生活は、この日を境に一変した。
毎日が幸せで、眩暈がしてしまいそうなくらい、充実した日々だった。
瀕死の黒龍が、『呪われた森』に落下した。
その噂は、あっという間に全世界に広まり、各国の王族は、こぞって軍を森に派遣した。
たとえ屍肉となっていようと、永年の命を得られるならば、躊躇なく喰らう。
権力に縋る愚か者の考えそうな事だ。
森に群がる兵達は、砂糖に群がる蟻のように見えた。
しかし、次々と森に吸い込まれていった彼らが、戻ってきたという話は聞かない。
各国が自国の兵を大量投入した事で、逆に戦争が減り、世間は久しぶりの平穏に包まれることになった。
なんとも、皮肉な話である。
そんな外界の事情など気にもならないランバルトは、今日も、日課となった散歩をする。
勿論、ムーンは、連れて歩かない。
彼女は、ランバルトが食い荒らしてしまった畑をワームワーム達と一緒に手入れし直している。
代わりにランバルトが、狩りをする。
小動物は、食べるところも少ないし、可愛くて手が出せない。
だから、別の物を狩ることにした。
『呪われた森』には、瘴気を発する植物が増殖していた。
その影響で巨大化し、凶暴化した獣は、魔物よりも手強く危険だ。
ムーンは、月の女神の加護により、今まで奴らと遭遇することなく生きてきた。
しかし、何が起こるか分からない森の中、出来るだけ駆除をすることは、無駄ではないだろう。
それに、生まれて初めて食べる熊の肉に、ムーンは、
「ジュワワワワワワワワワワ」
と涎を垂らして食らい付いていた。
とんでもなく可愛くて、けしからん。
ランバルトは、ムーンを喜ばせるべく、多種多様な獣を日替わりで狩っている。
時々だが、自分を追ってきた人間に出会う。
ただ、自分が駆除しなくても、森の魔物や獣が掃除してくれるので放置していた。
そんな瑣末なことよりも、ムーンの腹の虫を黙らせることの方が何百倍も大切だ。
今や、ランバルトの世界は、ムーン中心で回っていた。
「ムーン!台所で脱いじゃ駄目だと何度言えば分かる!」
晩御飯の調理をしているランバルトに怒鳴られ、パンツ一丁のムーンは、ビクリと肩をすぼめた。
「風呂で脱げと、言ってるだろ!」
プンスカ怒るランバルトに、ムーンは、涙目で下を向いた。
今までは、川で水浴びをするだけだった。
ついでに、そこで洗濯もした。
スッポンポンで歩いても、咎める人は居なかった。
なのに、ランバルトがお外にお風呂なる物を作ってから、服の脱ぐ場所から洗う順番まで事細かに指示される。
頭から洗おうが、足指から洗おうが、違いなど然程ないのに。
「グシュ」
「泣くな」
「ラー、いじわりゅ」
パンツのまま泣き出した可愛いムーンを前に、ランバルトは、心を鬼にする。
このままじゃ、この子は、どこでも服を脱ぐ。
今は幼いから良いが、大人になった時、ランバルトが困る。
何が困るって、色々困る。
「お前は、女の子だぞ」
「ムー、ラーとおんなじ」
「同じじゃない。お前は、人間の女の子で子供だ。俺は、黒龍で、六百歳だ。長く生きている者の言うことを聞け」
「ラー、むじゅかしぃ(難しい)」
ムーンは、床に落ちた服を拾うと、抱えてトボトボお風呂に向かって歩き出した。
チラッ、チラッ。
ランバルトを振り向きながら。
「あー、もう、仕方ないな」
夕食を作っていたランバルトは、竈門からグツグツ音を立てる鍋を外した。
ムーンの細く柔らかな髪は、丁寧に洗わないと絡まってしまう。
ランバルトによって腰まであった髪は、肩まで短くされたものの、ムーン1人に任せたら湯だけ被って出てくるだろう。
ランバルトは、袖とズボンの裾をまくり、ムーンに付いてお風呂に入った。
彼の魔法によって良い加減に温められた水は、白い湯気を上げて視界を霞ませる。
「ほら、まずは、湯をかぶるぞ」
「あい!」
パンツを履いたままのムーンが、両手をピンと上にあげて目をつぶった。
ザパン
ランバルトが桶に汲んだ湯をムーンの頭から掛けると、髪の毛から洗っていく。
灰とハーブの煮汁を混ぜた泥状の物を塗り付け、優しく揉み洗い。
油脂が溜まりやすい根元にも丁寧に塗り込み、絡んだ部分は、指を使って梳いていく。
六百年。
ランバルトは、人々の暮らしを眺めてきた。
最初は、トカゲほどの大きさだった為、雨風をしのげる屋根裏は、とてもよい住み心地だった。
百年ほど眺めていれば、大体の知識は、頭に入る。
それを使ってムーンの世話を焼くのは、思いの外楽しいことだとランバルトは、気づいた。
彼は、十分に頭皮の汚れを灰に吸着させ、ハーブの潤いを髪の毛に与えたのを確認してから再びムーンに湯をかけた。
二度三度。
ザパンと頭から湯をかけられるのを、ムーンは、一生懸命我慢する。
「ほら、洗えたぞ。他は、自分でしろ」
「あい」
ムーンが、その場でパンツを脱ごうとするので、ランバルトは、慌てて外に出た。
「ふぅ」
今はまだ子供でも、人間の成長は、早い。
あと十年もすれば、少女は娘になり、何十年後には娘は老婆になる。
どうすれば、もっと長く過ごすことができるのだろうかと、ランバルトは、頭を悩ませた。
ハァハァハァハァ
ある国の第八王子は、森の中を走っていた。
いつまで経っても解決しない『呪われた森』の捜索。
跡取り問題で一歩先んじる為に、立候補した彼を待っていたのは、地獄だった。
何百人と配下を与えられて、意気揚々と国を出たのは二週間前。
しかし、一歩森に入ると、その殆どが逃げ出した。
彼らは、兵隊でもなければ、奴隷でもない。
人が足らずに掻き集められた平民達。
彼らの職業は、八百屋やパン屋など、戦いとは無関係なものばかり。
見たこともない王族を守る使命感なんて持ち合わせていないし、平穏な日常を奪った相手を憎んでさえいる。
しかも、頭ごなしに怒鳴ることしかできない王子に、何故ついて行かねばならない。
彼らは全員で示し合わせ、別の場所で待つ家族の元へと走った。
残ったのは、既に退役した老兵と、魔導士のダーク・シルバーだけ。
魔導士としての腕は一級品だが、人としてはクズだと言われている。
元々、シルバー家といえば、膨大な魔力量を誇る名門中の名門だ。
だが、入婿である彼に、シルバー家の血は、一滴も入っていない。
この作戦が上手くいけば、愛人の子供を後継にすることが許されるらしい。
下心の塊だ。
第八王子は、捨て駒を与えられた事に歯噛みしたが、今は、ダーク・シルバーの張る結界の中で守られるしかなかった。
ガォ〜〜〜
遠くに、猛獣の咆哮が聞こえた。
老兵を盾に逃げ出した王子達を、奴等が匂いを頼りに追いかけてきている。
どんどん声が大きくなっているという事は、既に殿を勤めた者達は、息絶えたということだろう。
ドシン、ドシン
地を揺るがす足音に、全身の血が凍った。
逃げたいのに、一歩も動けない。
木の影に隠れ、息をひそめることで、何とかしのいだ。
ここに生息する獣達は、あまりにも外界のものと違い過ぎる。
想像の二、三倍はある体格は、槍を刺そうが剣で切ろうが、魔法を放とうがダメージを受けた気配がない。
既に剣は折れ、全身傷だらけで歩くことさえ困難だ。
こんなはずじゃなかった。
しかし、後悔しても、もう遅かった。
「ほら、両手を上げて」
「あい!」
下着姿でバンザイをしたムーンの上から、ランバルトは、昨晩縫い上げたワンピースを被せた。
スポッと襟口から顔を出すと、嬉しさが溢れる緩んだ笑顔をランバルトに見せた。
「ん、まぁまぁだな」
満足げにランバルトが頷くと、ムーンは、嬉しそうにクルクルと回り、スカートをフワフワと揺らめかせた。
使った布は、生前母親らしき女が着ていた服。
綺麗に洗っても色褪せしていた為、玉ねぎの皮で濃い山吹色に染め上げた。
「やった、やった」
新しい服に興奮気味のムーンは、スキップをしてランバルトの周りをグルグル回った。
「落ち着け。コケるぞ」
言っているそばから、ムーンがつまずいた。
ズベッと前のめりに倒れ、ビリッと布が破れる嫌な音がする。
「ラー、ラー、ラー、やぶれた?」
座り込んだまま、ムーンは、素足が丸見えになっているのも気にせずに、スカートを捲り上げてチェックする。
「ムーン、落ち着け」
ランバルトは、軽々とムーンを抱き上げてベッドに座らせた。
「あぁ、ここが破れている」
ランバルトが、テキパキと服を確認すると、スカートの裾にあしらったレースの一部が取れかけているのを見つけた。
「ラー」
ムーンは、ポロポロ涙を流しながらランバルトを見た。
「大丈夫だ、これくらい。だから、泣くな」
グシュグシュと鼻を啜るムーンは、泣きながらも笑顔になった。
ランバルトは、本当に頼れるママ。
彼が大丈夫だと言えば、絶対大丈夫。
「ちょっと、待ってろ」
ランバルトは、ポンポンとムーンの頭を軽く叩くと、裁縫道具を取ってきた。
チクチクチクチク
針で指を刺しまくっていたが、喜ぶムーンの為なら、たいした事じゃない。
縫い終わると、ムーンは、立ち上がり、クルクルと回りながら元通りに修復されたのを確認する。
「ほぉ〜」
頬に手を当て感嘆のため息をつくムーンを、ランバルトは、愛しげに見つめた。
ガサガサガサガサ
草むらを掻い潜り、命からがら獣から逃れた二人の男は、パッと開けた視界に立ち止まった。
目の前には、この地獄に不釣り合いな人家があった。
決して、豪邸などではない。
しかし、大きなドーム状の平家建てで、少し開いた窓から煮炊きの良い香りがしていた。
茂みに身を潜めて中を窺っていると、目の前を人影が横切っていった。
それは、洗濯物を入れた籠を持つ1人の美しい少女。
物干し台まで行くと、一枚の布を取り出して竿に掛け、
パンパンパン
小さな手で、一生懸命布を叩いて皺を伸ばしている。
時折、ウンウン頷き、鼻歌まで歌い出した。
この森の凄惨な状況とはかけ離れた夢のような光景に、ニ人は、息をするのを忘れて見つめた。
王子は、今まで沢山の令嬢と顔合わせをさせられてきたが、これほどの気品ある顔を見たことがなかった。
まつ毛は、伏せると顔に影をつけるほど長く、月光のような淡い輝きの髪は、風が吹くたびにフワフワと揺れた。
もう少し成長すれば、傾国の美女と呼ばれてもおかしくない美しさ。
ゴクリと生唾を飲み込む王子の目は、獣よりも卑しい輝きを灯していた。
一方のダーク・シルバーは、少女の着るドレスから、目が離せなかった。
何故なら、森に捨てた妻が着ていた物に、そっくりだったからだ。
楽しげにクルリと回る少女の顔は、どこか妻の面影がある。
ダーク・シルバーは、茂みから立ち上がると、吸い寄せられるように少女に向かってフラフラと歩み寄り手を伸ばそうとした。
ドン
触れるよりも前に、見えない壁に阻まれた。
ドン、ドン
強く叩いても、ビクともしない。
ただ、打撃音に気付いた少女がこちらを向いた。
不思議そうに小首を傾げて、ジーーーッとこちらを見つめてくる。
視線があったような気がした。
しかし、壁の此方側は、彼女の目には映っていないらしく、再び洗濯を干し始めた。
ダーク・シルバーは、壁を壊すべく、手のひらに魔力を集める。
この少女が、自分の娘かどうかなど、どうでも良くなっていた。
食べ物と水が欲しい。
もう、三日も飲まず食わずなのだ。
ダークは、最大魔力を見えない壁に発射する為に手を上げようとした。
しかし、何者かに掴まれて、腕を持ち上げることが出来ない。
王子を見たが、彼ではないようだ。
ガブリ
歯の鋭い何かに噛みつかれ、ダークは、悲鳴を上げた。
彼の腕には、無数のワームワームが取り付いていた。
足から這い上がった魔物は、服の隙間から中に入り込み、柔らかな部分にも噛み付いていく。
逃れようとダークも王子も地面を転げ回ったが、食らいついたワームワームは、反撃を喰らう程に分裂し、数を増やしていく。
「あぁ、こんな所にまで害虫が来ていたのか。お前たち、お手柄だな」
狩りから戻ってきたランバルトは、地面に転がる人間らしき物を見下ろして笑った。
「ムーン、ただいま」
「ラー!あのね、あのね」
ムーンは、ランバルトの手を取ると、先程変な音のした所へと連れて行った。
「ここ!ここ!」
指さした場所には、何も居ない。
ただ、叫び草がミィ〜ミィ〜と鳴きながらユラユラと揺れているだけだった。
「ムーン、そんなことより、お勉強は出来たのか?」
「はぅっ!」
痛いところを突かれ、ムーンは、胸を押さえた。
最近のランバルトは、ムーンに読み書きを教えようと躍起になっている。
ことの始まりは、ムーンの母が残した書籍や日記を見つけたことだった。
そこには、残して逝かなければならない母親の切ない思いと、立派に育って欲しいという思いが詰まっていた。
しかし、ランバルトが書き取りや音読をさせようとすると、ムーンは、口をへの字にしてしまう。
「むじゅかしぃ(難しい)、やー(嫌っ)」
「なら、俺が、本を読んでやる」
「うほっ!ラー、だいしゅき!(大好き)」
「現金な奴め」
ムーンは、読み聞かせは大好きだ。
ランバルトのお膝に乗って、優しい声で物語を語ってもらい、うつらうつら眠ってしまうのだ。
少女は、ピョンと飛び跳ねると、家に向かって走り出した。
その後ろから大股で近づいた大男は、ヒョイッと少女を腕に抱き上げて高い高いをした。
「きゃーーーーー!」
両手両足をピーンと伸ばして、ムーンは、歓喜の声を上げた。
子煩悩で教育熱心な黒竜ママの子育ては、これからもまだまだ続く。