エピローグ Nの秘密
6話目、最終話です。
私、中田サヨには、杉村君に関することで秘密にしていることが二つある。
まず一つ。実は杉村君は、私の小学校時代の同級生だということだ。
クラスが同じだったのは小学六年生の一年間だけだったけど、同じ図書委員をしていた。
小さい頃から読書が好きだった私は、小学校の六年間、ずっと図書委員をしていた。
杉村君も同じだった。
だから同じクラスになる前から、話したことは無いけど、杉村君の顔だけは知っていた。高校生の今と雰囲気はだいぶ違うが、当時から可愛らしい顔をしていた。
そんな杉村君は小学校を卒業すると同時に引っ越し、もうそれきりの縁かと思っていたが、予期せずして高校で再会した。
再会したと言っても一年の頃はクラスが違ったし、入学当初は杉村君が同じ学校にいることさえ知らなかった。
ただ、杉村君は入学してすぐ友達に囲まれ、バスケ部で活躍して女子に囲まれ、あっという間に校内の有名人になったので、一年生の夏には私の耳にも風の噂でその名前が入って来た。最初は同姓同名かもとも思ったが「いるかもしれない」という情報が入ると、すぐにその姿を見つけることができ、微かに残った雰囲気で、小学校の頃の同級生の杉村君に間違いないと確信した。
まあ、本当にただ確信しただけで特に接点も無いので、自分から話しかけたりすることは無いまま、高校一年生は過ぎていった。まさか二年生で同じクラスになり、こんな風に一緒に帰ったり、たくさん話せるようになるとは思っていなかった。
秘密にしていることの二つ目は、私とその杉村君は、小学生の頃、一時恋仲であるかのような揶揄いを受けたことがあることだ。
揶揄いの原因は私が作ってしまったと言える。
あれは、修学旅行の自由時間のグループ決めのことだ。クラスの中で、一緒に行動する五人のグループをつくらなければならなかった。
私は当時クラス内に仲の良い友達は桜井ヒロミ(因みに今でも仲がいい)しかおらず、とりあえず二人で、同じように「どうしよう」という表情を浮かべていた女子二名を誘った。二人は快諾してくれたが、まだ一人足りなかった。私もヒロミも、他の女子二名も、その残り一名の頼りどころはなかった。まあ、しばらく待っていれば、先生が溢れているグループなどから誰かしら見繕ってくれるだろう、と高を括りかけたところで、私はひとりで座っている杉村君を見つけた。
杉村君なら、友達とは言えないかもしれないが、私は一緒に図書委員をしているから、ヒロミ以外の誰よりも接点が多い。それに正直「あぶれちゃったから、仕方なくこのグループに来ました」と不貞腐れている人と組むよりはずっといい。修学旅行後も、皆で自由時間のレポート作成をしなければいけないのだ。
ヒロミと他の女子二名は、一人だけ男の子を入れることに少し戸惑っていたが、それでも私に小さくも接点があること、唯一の当てになりそうな人物だったことで承諾した。
私が誘うと、杉村君は驚いた様子を見せつつも「入りたい」と言ってくれた。
男の子一人になってしまうのは恥ずかしかっただろうし、気まずかっただろうと思う。本当に申し訳ないと思ったし、もしかしたらそれが理由で断られるかもと思った。だから杉村君が承諾してくれて、心からホッとした。昔から優しい人なのだ。
修学旅行中のグループ活動は、ヒロミは親友だし、他の女子二名も同じようなタイプの大人しめの女子だったので話しやすかったし、杉村君も積極的ではなかったものの、嫌がらずに気遣いながら接してくれたし、私にとっては非常に楽しく過ごせた。その後も仲良し五人組で過ごしました、なんて、漫画みたいなオチは無かったものの、地味な私の小学時代の中でも、あのグループ活動はとても良い思い出だ。
ただ、修学旅行後に、そのいい思い出に少しだけケチがついてしまった。
修学旅行が終わり、通常の授業に戻った休み時間。私がヒロミと話をしていると、自分の席で本を読んでいた杉村君の方に、普段は近寄っていくことも無い男子が寄っていくのが見えた。
「お前、中田と付き合ってるんだろ?」
ニヤニヤと、いやらしい(今度はエッチな意味の)笑みを浮かべて、クラスの男の子数名が杉村君を囲んだ。
杉村君は呆気に取られた様子で、無言で相手を見つめた。
それはそうだろう。普段接しない相手から話しかけられただけでも驚きなのに、その内容がまた突拍子もない話題だ。「何? 急に」というのが正直なところだ。
修学旅行中にかなりのカップルが誕生したらしく、成就した者もそうでない者も、修学旅行後はとにかくその手の話題や噂ばかりが聞こえてきた。杉村君に絡んできたのは、恐らく、成就しなかった者なんだろう。
何の反応も無い中田君ではつまらなかったのか、今度は彼らは私に矛先を向けてきた。
「中田、お前、杉村が好きだから誘ったんだろ? 告ったのか?」
本当にいやらしい笑顔。ほぼ話したことが無い相手に、よくそんな風に明け透けに失礼な質問をぶつけてこれるものだ。下世話な週刊誌の記者に詰め寄られる芸能人は、こういう気持ちなのかもしれない。
私は不愉快に感じつつ、ただ「違うよ。告ってもないよ」とだけ返した。それ以上に言いようがなかった。ヒロミも不愉快だったらしく、顔を歪めて黙っていてくれた。
私の反応もつまらなかったらしい彼らは、不満そうにしつつも去っていった。
それから他の人たちからも何回かそういう揶揄いを受けたが、杉村君も私も無反応だったのが面白くなかったようで、あっという間にそういうことは無くなった。そんなことよりも「何組の誰と誰がもうキスをしたらしい」とか「誰が好きだった誰がフラれてすぐ誰と付き合い出したらしい」等、そういう週刊誌みたいな話題が溢れて、興味を向ける先が沢山あったというのもあるだろう。
当時は巻き込んでしまった杉村君に対する申し訳なさと、揶揄ってくる人たちに対する不愉快な気持ちしかなかったが、今思えば、夢のような話だ。
この地味を具現化したような私に、一瞬でもそんな色恋の揶揄いを受けるなんて。しかも相手は、数年後には校内の老若男女問わない人気者になる男の子が相手だなんて、光栄の極みでしかない。
果たして、杉村君はそんな私のことを覚えているのだろうか。
「おはよう、中田」
杉村君との再会は、春の朝の昇降口だった。
高校二年生になって同じクラスになった私に、杉村君は自分から声をかけてきてくれた。
相手が杉村君だという認識をするより先に反射的に「おはよう」と返していた私は、振り向いて相手が杉村君だとわかると、少し驚いた。杉村君は数名の友達と一緒に登校していたので、挨拶をくれた後は友達と賑やかに去っていき、その時はそれ以上の会話は無かった。
ただ、それ以降も杉村君は私を見かけると声をかけてきてくれた。
最初から名前を覚えていてくれたから、もしかしたら覚えているのかもしれない。
でも、今はすっかり雰囲気の変わった杉村君にとって、変わる前の自分の知り合いが「覚えてる?」と昔の話を振ってくるのは、どういう気持ちになることだろう。
以前、冗談交じりに「俺、昔は本ばっかり読んでる根暗だったよ」と話しているのは聞いたが、周りに「まさか」「嘘だ」「根暗に謝れ」と笑われて本気にされることは無く、杉村君も「本当だって」と笑って返しただけでそれ以上何を話すことも無く、その話題は終わった。だから杉村君自身は、別に過去の話をされても気にしないのかもしれない。
ただ、その過去の話をしてくる相手が「私」というのはどうだろうか。
もしその相手が親友とか、思い出話溢れる仲の相手ならわかる。
だが私と杉村君は、一年間だけ同じクラスで、同じ図書委員会をし、修学旅行で同じグループで自由行動をしただけの間柄だ。親友どころか友達とも言えるか微妙だ。「覚えてる?」と声をかけたところで、どんなに頑張っても十五分もあれば思い出話は尽きる。最悪、「覚えてる?」と聞いて「覚えてないよ」と杉村君にきょとんとされてしまう可能性すらある。最初に名前を憶えていてくれたのは、社交的な杉村君は、予めクラスメイトの名前を全員覚えていただけなのかもしれない。
だから私は、その件については自分からは触れないことに決めた。何かきっかけがあってそういう話題になった時には聞いてみようと思うが、それまでは、十五分程度の思い出話は大切にとっておこう。
実は、先日ふたりで映画鑑賞しに行った時にそのきっかけとやらがあるかも、と思っていたが「面白い映画」という格好の話題を前に、小学生の頃の話題など全く出ずに終わった。まあ、単純に楽しかったから、別にいいかと思っている。
そういえば、最近杉村君のことを考えている時間が多い気がする。
目立つ人なので目を引いてしまうだけなのかもしれないが、今回の杉村君との映画鑑賞を通して、自分が杉村君と他の女子とのちょっとした会話まで覚えていたことには少し驚いた。無意識ながら自分で思うよりもずっと、杉村君に注目していたのかもしれない。
私は今まで、他人とは相手にとっての適切な距離感を測って生きてきた。ヒロミのように趣味や波長の合う人とは「親友」という密接な距離感を取り、そうではない、それこそ杉村君のような社交的で賑やかに過ごすような人物には、あくまでも「クラスメイト」という線引きを超えない距離感をとってきた。実際、適切な距離感をとることで、今までいじめに遭うことも無く、穏やかに過ごしてこれた。
だから、そんな私が、親友のヒロミや、もしくはその親友に関わる人物でもない、いつもなら一線を引いた距離感を取る人物、しかも異性である杉村君にこんなにも注目していたなんて、一体どういうことなんだろう。
内向的な私は自分にばかり向き合っているはずなのに、そんな自分のことが全くわからない。こんなにも誰かに、しかも異性に関心を寄せるなんて初めてのことで、どうしたらいいのかもわからない。
そんな杉村君から先程LINEが来て、また一緒に出掛けないかと誘ってくれた。今度の行先はブックカフェらしい。お店をネットで検索すると、先日のカフェのようなパンケーキや西欧風のインテリア等のお洒落な感じの無い地味な印象だが、沢山の本に囲まれた落ち着いた雰囲気のカフェだった。
杉村君は小学生の頃とすっかり雰囲気は変わった。でも、読書好きなところは変わっていないようで、正直、ちょっと嬉しく思った。
もしかしたら、本を通じて今度こそ過去の話をするきっかけが出来るかもしれない。
そして、私がどうして杉村君に注目しているかも、わかるかもしれない。
そんな期待に近い気持ちでスマートフォンを手に取り、LINEの返信を打ち出した。
完結です。
お読み頂き、本当にありがとうございました!