生と死の境界線
僕は今から殺人を犯す、といっても殺すのは憎い相手なんかじゃなく自分自身だ
場所は樹海、方法は首吊り、ベタにベタを重ねた自殺だがそれこそが人並外れたものなど持ち合わせていない僕にはぴったりな感じがする。
樹海といっても少し大きいくらいの森だ。
倒れ腐った木に苔が生い茂るのを見るとなんだか羨ましく感じる。
僕が死んだあとに残るものは何残らないと何となく未来予知のような感じで鮮明に想像できるからだ。
勿論、未来なんて僕には必要ないのだけど。
なんて自分の人生と同じような無意味を浮かべながら、細枝を踏み折りながらズンズンと樹海の奥に進む。
全身に軽く汗を纏うほどの時間歩き続けると、肉体的に疲労の限界が訪れた。
精神的にはもうずっと限界だったのだから、これで本当の意味で心身ともに疲労困憊となった。
何十年もかけて育ったであろう丈夫そうな木を選び縄を結び付けていく。
あぁ、やっぱり首吊りは苦しいのだろうか
自殺についてはいろいろ方法を調べたけれど、苦痛のない死では僕の罪を雪ぐことができない気がして首吊りを選んだ
。
それでもいざいまから苦痛の末、果てることを思うとどうも不安や恐怖がぬぐい切れないものだ。
なんて、考えながら僕は懐から財布を取り出した。
財布から大した金額でもない、自分の社会的重要度が顕著に表れている万札を取り出し火をつけた。
これで僕の財産は灰になった。
次に社交に使う名刺に火をつけた。
これで僕の社会的な立場は灰になった。
次に家族、別れた彼女との写真に火をつけた。
これで僕の思い出は灰になった。
いや、これに関してはもう灰になっていたのだろう
悲しい話にも思えるが自殺をしようなんて人間なのだから当然といえば当然なのだが
あとは僕自身が灰になって終わりだ。
火葬じゃないから違うか、なれてもせいぜいここらの植物の肥料程度だろうか。
それでも、人の役じゃなくても、名もしらぬ草木や土の、地球の役に立てる
そう思うと何だか久々に前向きになれた気がした。
木に括り付けた縄を強めに引っ張り解けたり、切れたりしないか確かめていると
「もしかしなくても君、死んでしまうの?」
と細く高い声が聞こえた。
声のするほうを見ると、ひまわり畑が似合うような透明感のある若い女性が立っていた。
肌は白く絵の具を塗られる前のキャンパスのように見えた。
年齢的にも、どんな人間になるのかといった未完成を感じる女性だ。
あまりにも、というほどではないが整った華奢な体に僕はこう問いかける
「君は僕を迎えに来た天使様ってとこかい?それとも死神とか?あろうことか僕と同じ自殺をするようなつまらない人間なんかじゃないよね?」
「残念でした、どれもハズレだよ。最後のはかなり惜しい、いや少しかな」
そういう彼女は風に揺られながら咲く花のように慎ましく僕に微笑みかける。
「私はもう死んでいるんだよ、元君と同じ自殺をするようなつまらない人間ってとこかな?」
冗談にしか聞こえなかったが彼女が木に吸い込まれるように消えていき、もう一度出てきたときに本当なのだと気付いた。
「本当に幽霊なんだな、で、僕に何の用だ?死後の世界のサークル勧誘とか?」
「ふふ、そんなものあるわけないじゃん。死んでも大抵はそのまま電源を落としたみたいに何もなくなるだけだよ。」
「私はなぜか幽霊になったんだよね。生前の記憶ないんだけど」
生前の記憶がないという幽霊としばらく話をしていると自然と生活から消えていた笑顔が徐々に僕の顔に戻っていた。
「楽しそうに笑うじゃん、死ぬ気なくなったりしない?」
「いや僕は死ぬよ、いくら楽しいことが起きたってね」
確かに彼女との会話は楽しかった。
でも、人間にとってプラスとマイナスは合わせてプラマイゼロ、帳消しにはならない。
プラスはプラスのままでマイナスはマイナスのまま抱えるしかできないのだ。
「でもなんだか興が醒めたというか、今日死ぬのは辞めてまた日を改めようかな」
「そう、それはよかった?のかな、寿命は少しでも長いほうがいいもの」
僕は木に括り付けた縄はそのままにし樹海を後にすると幽霊である彼女が後をついてくる
「ひょっとしなくても、僕って憑りつかれたのか?」
なんて思いながらもまぁいいかと僕は一旦、彼女と火で燃えない小銭を持ち帰ることにした。