第一話 オタクに卒業旅行を企画させるな
――卒業旅行がこんなに過酷だなんて聞いてないぞ。
俺は雪解け水でぬかるんだ坂道に足を取られながら、目前で談笑する文学サークル仲間たちに向かってため息をついた。
大学最後の冬休みに連れてこられたのは、ドイツの中でも特に有名なノイシュヴァンシュタイン城。
某ランドの元ネタだのと世間からは評されている白亜の城だ。
手にしていたサークルの旅行パンフレットを見てみると、絵本にでもできそうなイラストが描いてある。
「いかにも女子ウケ良さそうな……こりゃ企画者の趣味だな。それにしても――」
見上げた雪の坂道はまだ続いている。周囲はただの山だ。
城の片鱗は見えるものの、未だ全容を把握するには掛かりそうである。
時々すれ違う観光客がいなければ、本当にここが世界有数の観光地であることなんて嘘じゃないかと心配になるくらいの場所であった。
「……まだしばらく歩きそうだな」
同じことを考えていたのだろう、サークルの幹事長も後方でうんざりとボヤいている。
ロマンチック街道だかなんだか知らないが、たかだか古びた城を見るために真冬の山道を登らないといけないなんて……不毛だ。
本来であれば、今ごろワンルームのコタツにこもって暖かいココアでも飲んでいたことだろう。
社会人デビューまでの冬休み計画が、今回の”思い出づくり”で台無しである。
俺は若干の恨みを込めて、隣を歩く企画主の女子を睨みつけた。
「あのさ、これ本当に道あってるよな? まだ着かないの?」
「道はバッチリですよ! もうちょっと頑張ってください、絶対後悔させませんから! そりゃもう、一発で中世沼に落ちるくらいイイところなんですからね!」
企画主の女子――湊は、ウェーブのかかったセミロングの茶髪を翻して、テンション高めに言う。
「中世沼……そうですか……」
湊は言わば重度のファンタジーオタクだ。
彼女のカバンには中世ヨーロッパ期の家紋を模したアクセサリーや、謎の宗教の十字架がジャラジャラとつけられている。
その被害は旅行パンフレットにも及んでおり、謎の文様が所狭しと描かれていた。
――すべての過ちは、コイツを企画主にしたことだよな。
湊を卒業旅行の企画主に選出したのは、幹事長以外のサークル幹部七人全員だ。
単純にこの変わり者なら面白い旅を考案できるのではないかという考えによるものだったらしい。
希望者を募って予算まで確保した段階で幹事長にバレたが、引き返すにも引き返せない状況だったため、今回の卒業旅行は決行された。
「なんで俺、参加したんだろうな……」
俺もジャンルとしてファンタジーは好きだが、聖地巡礼だとか、そういったものには興味はない。
むしろ、そんなものに何万も投資するくらいなら、中世ヨーロッパジャンルのゲームを買った方がよっぽど有益だと思う。
それでも参加したのは、アウェイにされていたにも関わらず、監督者として参加を決めた幹事長への同情心からだろう。
彼は、見事落第して来年も大学に残るらしい。
おめでとう、七年目ですね、など冗談でも言える空気ではなかったし、卒論を出したにも関わらず留年なんて、気まずくて卒業旅行に誘えない気持ちはわかるけど。
背後の大先輩を振り返り、俺は少し切ない気持ちになった。
そんな俺を知ってか知らずか、いつの間にか隣を歩いていた湊は、感慨深そうにパンフレットの城をなぞっている。
「ああ……楽しみだなあ」
「ホントに好きなんだな。なんだっけ、ノイシュヴァンシュタイン城?」
「うん! ああ……この辺のきれいな壁とか……飛んで歩きたいなあ……」
お前の脳内はどうなっているんだ、という言葉を飲み込んで、俺は妄想に浸る湊からそっと距離を取った。
◆◆◆
やがてしばらくすると、ようやっと山の間から前方に城が現れる。
おとぎ話に出てくるような白亜の外装。
それは冬の霞んだ青空とマッチして、幻想的な雰囲気を醸し出している。
「……すごいな」
他のサークルのメンバーも同様にそれぞれが感想を漏らしながら、スマートフォンを構えて撮影に興じていた。
「せっかくだし、俺も一枚くらいは撮るか」
そうして適当な場所で持ってきたデジカメを城へ向けると、湊が画面の端に写り込む。
ぴょんぴょん飛び跳ねて、興奮を隠す様子がない。
相当嬉しいのだろう。
後でからかうネタにしてやろうと、俺はカメラの焦点を湊に合わせた。
「おーい、湊、こっち向け! 写真……」
――撮ってやるから。
しかし、その言葉は、最後まで紡ぐことはできなかった。
俺は、視界の先に写ったモノに、思わず目を見開く。
「湊……?」
『………………』
湊の立っていた場所で、深いマリンブルーの瞳を持った女性が、こちらを静かに見据えている。
白銀のロングヘアが、吹雪のように風で舞っていた。
つまり、レンズの先で振り返った湊は、まったくの別人に姿を変えてしまっていたのだ。
「誰だ、あいつ……」
突然現れた謎の女は、豪奢な赤いローブを羽織り、頭には王冠を被っている。
一見するとただのコスプレイヤーだ。
これがネットゲームであったなら、おそらく役職はプリースト。
そのような出で立ちの女は、画面越しに俺を見つめるだけで微動だにしない。
――まさか、心霊現象……とか?
有名な観光地が、心霊スポットというのはよく聞く話だ。
ノイシュヴァンシュタイン城が果たしてそれに該当するのかは知らないが、少なくとも俺は今、怪奇現象にぶち当たっている。
つまりは、ここもそういうことなんだろう。
「みんなは、コレに気がついてるのか? そうだ――」
俺はカメラから目を離し、幹事長へと振り返る。
「幹事長、なんか俺のカメラおかしく……なって……」
だが、俺は再び絶句した。
「幹事長?」
俺の背後にいたはずの幹事長は、綺麗さっぱり姿を消してしまっていた。
それだけじゃない。
湊も、他のサークルメンバーや観光客、さらには目前にあった壮大なノイシュヴァンシュタイン城までも、すべてが無くなってしまっていた。
今俺の視界にあるのは、先程の快晴を嘲笑うような、雪の吹き荒ぶ果てしない山道だけだ。
「……嘘だろ……」
あの女は何だ。
みんなはどこに行ってしまったんだ。
ここはどこなんだ。
処理のできない疑問が頭を揺さぶっていく。
ビュオオと風が通り過ぎていく中、俺はしばらく状況を把握できずに呆然と突っ立っていた。
「敵だ! 捕らえろ!!」
不意に、後方から声が聞こえた。
それはガチャガチャという金属音や、雪を踏みしめる多数の足音が声とともに迫ってくる。
寒さで軋み始めた体を反転させると、そこには湊なら垂涎して喜ぶであろう西洋の甲冑姿の男たちが立っていた。
「異世界転生……?」
ついにショートしてしまった俺の頭。
――でも、俺死んでないから、異世界転生じゃないか。
などと、目の前の状況に対して、どうでもいいことを考えていた。
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