第六十二話・ラスボス、だと?
「記憶の扉ですって? なんてうらやましい」エリスがむすっとして、心底羨ましいといった口調で言った。
「ふふ、まあ記憶の扉はピンチにならないと開かないようだけどな。なので俺は、ピンチじゃなくても唱えられる、ブレインキャプチャーを唱えてみるぜ」
「なぜ、その魔法を?」アレクが尋ねた。
「ふふっ、ブレインキャプチャーは、その魔力に応じた範囲で、周囲の生命体の思考を読むことができる。さっきの地震の原因は、西の方にあるんだったな」
「そ、そうだけど、ちょっと無茶じゃない?」
「トガシ君、危険だ。ホワイトニンフというエリートであるセファ君でさえも、最前線から近くの町の間をキャプチャーしただけで、マナを使い果たしたんだ。危険すぎる!」
「大丈夫だ、この世界に転生させられた時点で、俺はもう死んだようなものなんだ。それに俺はセファの作ったプリズンで何度も死んだ身だ。いまさら1回や2回余分に死んだってどうってことねえぜ。うおお、いくぜブレインキャプチャアアアアア!!」
富樫は右手をあげ、3つの魔素をその指に集めた。その3つとは、「光」、「水」、「陰」だ。発動された魔法、「精神捕縛」は、富樫の体から四方八方に渦のように放たれ、周囲の生物の思考を富樫に知らしめた。
様々な思考を、富樫は把握する。それは神だけが持ち得る視点であった。
(くっ、思考を指で触れられている感触、これがブレインキャプチャーか!)
(何なのよこの子、私やアレクをびびらせるなんて、許さない)
(思考を読み取る魔法? まずい、この思考を読み取られては)
(リリリ、リリリリリ)
(ワンワン、ワワワン)
(おかあさん、地震怖いよ)
(ニャア! ニャアア!)
(ちっ、いい所でトイレだと? 俺の心をもてあそぶ気か)
(はあ、めんどくさいお客だね、裏口から逃げちゃお)
(くそっ、このドイツ帝国が負けるだと? この非国民め)
(神様、あの人が無事にかえってきますように)
(あ、この曲は!)
(もうすぐクリスマス、彼女へのプレゼントは何にしようか)
(こんな夜に警備だなんて、はあ、帰って酒を飲みてえ)
(くっ、僕がこんなやつにチェスで負けるとは!)
(ぶう! ぶうう!)
(死ね、死ね、死ねえ!)
(ふふ、ここで寝るのが気持ちいいのよね)
(ありえねえ。こいつ、イカサマしてるのか?)
(お父さん! やめて、やめてええ!)
(今日の収穫、芋五千個、これでしばらくは遊んでくらせるぜえ)
数千人もの思考が、富樫の脳に流れ込む。だが、ここまでまだわずかに1ナノ秒にも満たない時間。そのわずかな時間を富樫は1時間にも感じていた。だがまだまだこれからだ。フランスの平原、戦闘の最前線までスキャンするためには、あと何千倍もの思考を、富樫は読み取らねばならなかった。それはまさに永遠にも等しい、地獄のような苦痛だった。
「ぐああああああ!」
絶叫する富樫の脳を、幾千、幾万もの思考が通り過ぎる。そしてついに富樫は、セファの思考を捕らえた。
(助けて……、誰か)
「セファ!」
(ま、まさかこんな夜中に!)
(神様! お母さん!)
(あの巨大な影、ダークエルフが言っていたトロールか!)
(だめだ、あたしが何とかしないと)
「セファ! セファアアアア!」
さらにスキャンを続ける富樫の脳に、ぞっとするような冷酷な声が響いた。
(ふふ、ドイツ軍め、私の召喚した悪魔の軍隊を前に、震えながら絶命するといいわ)
声とともに、その声の主のイメージが、富樫の脳に突き刺さる。それはフランス軍の軍服らしきものを着た、金髪の悪魔であった。それは空中に浮かび、赤い目を光らせ、夜の平原のその先を見つめていた。その視線の先に、セファの所属する、チーム・オランジェが潜む最前線の塹壕を見て、富樫は再び絶叫した。
「セ、セファ、逃げろ、セファアアアア!」
勢いあまってひっくり返った富樫は我に返る。駆け寄るアレクとエリスを呆然と見つめながら、富樫はつぶやくように言った。
「いくぞ、前線へ。今すぐに。セファは、俺が助けるんだ。待ってろよ、セファ」
(続く)




