第六話・STAGE2・クリア
「――いかんいかん! 今はレジ打ちに集中だ!」
富樫は頭を振って、さっきのあまちゃんの言葉、「――そうだ、あの人の分も」、という意味深な言葉を、意識から追い出そうとした。だが、出来なかった。
(俺はなぜこんなに動揺してるんだ? 別にあまちゃんのことを、好きだったわけでもないのに。いや……、俺は気付いていないだけで、実はあまちゃんのことを好きだったのだろうか? 違う……、いや、そうかもしれない。好きだから、俺をあんな目でみるあまちゃんを許せなかったのか……)
心を乱される富樫に構わず、あまちゃんはドリア2個を両手でしっかりと持ち、うれしそうにレジに近づいてきた。いつもコンビニで、見慣れているはずのあまちゃんの茶色いゆる編みのおさげに、どきっとする富樫。シックなコートのせいか、あまちゃんが妙に大人っぽく見えた。
「――これ、あっためお願いします」
「は、はい……。2個ともですか?」
「ええ、お願いします」
「わかりました」
――ピッ!
構えていたバーコードリーダーで、商品のバーコードを読み取った。レジのディスプレイに、「シーフード・カレードリア 400円×2個 計800円(税込)」、と表示された。
そこで富樫は気付いた。自分がこの後のレジ操作を、全く知らないことに……。富樫はあまちゃんの顔を見た。その視線に気づいたあまちゃんが、ちょっと首をかしげる。
今はこんな天使のような表情のあまちゃんが、見下すような氷の微笑を浮かべて自分を射殺した瞬間を思い出し、リーダーを持つ右手が、ガタガタと震えだした。
「セファ! セファ! 駄目だ。俺には無理だ。教えてくれ!」
「――わかったわ。時間はまだあるから落ち着いて。まずその金額を、お客さんに伝えるの。お金を受け取ったら、その金額を、レジのテンキーで押して、確定ボタンを押すの。やってみて」
富樫は冷や汗を制服の袖でぬぐった。
「は――、800円になります」
そこでセファが再び富樫にアドバイスした。
「お客様がお金を出している間に、ドリアを電子レンジで温めるの。ドリアのあたためは、『2』のボタンを押せばいいんだけど、ドリア2個の時は、『2』を押してから、『×2』のボタンを押してね」
「――ああ、わかった!」
ドリア2個を重ねて持ち、振り返って電子レンジの中に入れる。扉を閉めると同時に『2』、『×2』のボタンを押し、スタートボタンを押した。振り返ると、ちょうどあまちゃんが、ピンク色の長財布から千円札を取り出し、レジカウンターの上に置いた所だった。富樫はその千円札を持ち、レジに『1000』と打ち、確定ボタンを押した。
「――こう、だったな」
しゅっ、という軽い音がしてキャッシュドロワーが自動で開いた。と同時に、レシートが印刷された。
「む!」
予期していなかった、レジの突然の動きに一瞬驚いた富樫だったが、千円札をドロワーに入れ、お釣りの200円と、レシートをあまちゃんに渡した。
あまちゃんがしっかり受け取ったのを確認した後、再び電子レンジの方を向いて、中の様子を確認する。温めは順調か? 触れないほどに、熱くなっていたりしないか?
透明な扉から中をのぞくが、ドリア2個の様子はうかがい知れない。表示を見ると、あと2秒、1秒……。
――チーン!!
慌てて扉を開け、ラップの上からドリアに触ってみる。その瞬間……。
「あ! あちちちち!!」
予想以上の温度に、思わず声を上げてしまった富樫だが、のんびりしてはいられない。熱いドリア2個を指先でつまんでカウンターに移動し、お弁当用のレジ袋に入れた。
「そうだ、スプーン。確かこういう引き出しにあるはず……」
――富樫はカウンターの手前にある引き出しを開けた。そこには推測通り、お箸やストロー、スプーンやフォークなどがぎっしりと入っていた。プラスチック製のスプーン2個を取り出し、レジ袋に入れ、あまちゃんに差し出した。それをそっと受け取ったあまちゃんが言った。
「――ありがとうございます。よかったらこのドリア、一緒に食べませんか?」
「え? ――ええ!?」
どういうことだ、と混乱する富樫。そこで店内に金色の紙吹雪が舞い、ファンファーレが鳴った。どうやらステージ2をクリアできたようだと、ほっとする富樫。
『STAGE2 CLEAR! あまちゃんとのデートの権利を手に入れた!』
「は? デート、だと?」
視界が暗くなり、再び明るくなった。気がつくと富樫はあまちゃんとともに、陽射しの明るい暖かな公園のベンチに腰かけていた。
あまちゃんは膝の上に、ドリア2個の入ったレジ袋を置いて、それにそっと両手を添えている。周囲の様子を観察する。高層ビルに囲まれながらも、緑豊かな広いその公園は、東京都内のどこかの公園っぽかったが、何かがおかしい。
「現実に、戻った、――のか? いや……、何か違う。なんだこの違和感は」
そう考えた直後、富樫は違和感の原因に気づいた。異常な聴力を持つ富樫には、現実世界であれば、いつでも、どこにいても、何かの音が聞こえるはずなのだが、ここでは全く物音がしない。
車のエンジン音やクラクション。地下を流れる水の音。空を飛ぶ鳥の羽ばたきや鳴き声、風の音と、それに揺られる木々や草のざわめき、人の声、息づかい。それらがここでは全く聞こえなかった。あまちゃんの息づかいや、心臓の鼓動さえも――。
はっとしてあまちゃんの顔を見る富樫。さっきと同じ、天使のような微笑みで見つめ返すあまちゃんが言った。
「――トガシ君、ドリア冷めないうちに食べよう?」
レジ袋を開けるあまちゃんの肩が、そっと自分の肩に触れたのを感じ、富樫は再び心が激しく動揺するのを感じた。
(続く)