第五十七話・セファの死
アレクとの握手を終えた後、富樫は周囲を見回し驚きの声をあげた。
「うおっ! すげえ、広い! 天井も高すぎて見えねえ!」
頭上には円筒状の空間が、目も届かないほどの高さまで続き、その先は白い光で包まれている。その途中には複雑に階段が配置されていた。また近くにあった手すりに手をかけ、見下ろすと眼下にも円筒上の空間と、階段が続いていた。
「ここは『知識の図書館』。まあ僕がそう名付けただけで、正式な名称は不明だけどね。僕は長年この図書館の管理人をしているけど、僕以外の人がいるのを初めてみたよ。君はどうやってこの図書館に入ったんだい?」
「どこからって、そこの……。え、あれ?」
富樫は振り返り、自分がくぐってきた扉を指さそうとしたが、そこには壁しかない。
「無くなってる、さっきまでそこに扉があって、俺はそこから出てきたんだ」
「ふむ……」
アレクは富樫の指さす壁に近寄り、手をかざした。
「この壁からは魔法の気配を感じないな。この図書館の壁には二種類あってね、一つは魔法についての知識が記録されている壁、そしてもう一つはエルフの記憶が封じ込められている壁だ。僕はそのうちの、魔法の壁にだけアクセスできる。記憶の壁に触れても、かすかにエルフの気配を感じ取れるだけだ」
「記憶の壁? じゃあ、この壁の向うはセファの記憶と繋がってるのか!」
「ほう、セファ君の? では記憶の壁は、死んだエルフの思い出が記憶されてるだけじゃないのかな?」
「は? 死んだエルフ? セファはエルフじゃないし、まだ死んでもないだろ?」
富樫もアレクに見習って、左手を前に出して壁に近づいた。その手が壁に触れるかどうかという瞬間――。
「う、うおおおおお、なんだこれはああああ!」
富樫は壁が急に白く輝き出し、その輝きが強い風のように自分の身体に噴きつけられるのを感じた。髪や服がその圧力にばさばさとなびき、息苦しさを感じた富樫は右手で顔をかばう。しかし光の放出は止まらない。そして、その白い光の中に映像のようなものが見えた。
「こ、これは……」
それはセファの、エルフであった頃の記憶だった。富樫は「記憶の扉」の魔法を無意識のうちに使い、セファの転生前の記憶を読み取ったのであった。セファは何百年も前のドイツに生まれた。その頃のドイツのエルフ達の中で最も権力ある家系に生まれたセファは、少女時代の十数年を何不自由なく暮らしたが、やがて人間とエルフの最終戦争が起こり、セファは大賢者達の魔法によって、未来へと転生させられた。そしてハイデルベルクの近くの精霊の泉でニンフに生まれ変わり、エリス、エドと出会い、ダミーやアレクと出会い、そして戦場へと向かうことになる。
(これだ、俺の記憶にあるのはここからだ)
富樫が空中に浮かぶ意識だけの存在となり、セファの体験を共有し始めたのは、セファ達がザールブリュッケンの司令部に到着した頃だった。セファはそこでテオ、ヨナらと出会い、ゲオルク軍曹の指揮下でチーム・オランジェの一員として活躍していく。最初の戦闘で町一つを消滅させてしまいショックを受けたセファであったが、それ以降はゲオルク軍曹の配慮もあり、主に治療と防御を担当して、ドイツ軍を勝利に導いていった。しかし、いよいよパリ攻略が始まったその日に、前線にいたセファ、サファイア、テオ、ヨナ、ゲオルクは、フランス軍の召喚したトロールなどの亜人による攻撃と突如彼らを襲った上空からの魔法攻撃によって全滅……。
(は? 全滅? はは! なんの冗談だよ)
目の前の映像を受け入れられない富樫。だが非情にも映像は続けられた。全身ボロボロになって仲間を助けようとするセファに、上空から降り注ぐ火球が直撃する。セファは心の中で仲間に謝りながら、その命を終えた。こうして彼女の記憶は、このエルフの死の館に、永遠に記録されることとなったのだ。
(ちょ……。待てよ、嘘だろ?)
巨大な火球に潰され、黒こげになったセファの小さな亡骸を延々と見せつけられ、耐えられなくなった富樫は、セファに向かって叫んだ。
(セファ! おい! お前はそこで死んじゃ駄目だろ? ずっとずっと先の未来で、お前は俺をコンビニ地獄に閉じ込めて、デスペナのある知育ゲームをやらせるんだろ? おい! セファ!)
こうして長かったセファの一生が、一瞬にして富樫の脳内で再生された。ぜえぜえと息をし、倒れそうになった富樫の背中をアレクが支えた。
「トガシ君、だったな? 何を見た?」
「セ、セファの、最後を……、セファがパリで殺される……」
富樫は自分が大量の涙を流していたことに気づき、コンビニの制服の袖でぬぐった。富樫はさらに続けた。
「でもおかしいんだ。これって第一次世界大戦だよな? 俺の習った歴史では、第一次世界大戦ではドイツがフランスに圧勝したはずなんだ。セファだって俺の時代にまだ生きてたんだ」
そこで富樫はアニメで見た、「世界線」という言葉を思い出した。過去にさかのぼり、ある条件を満たすことで「世界線」を移動し、別の未来を見ることが出来るというものだった。
「まさか、俺が過去に来たことで、過去が変わっちまったのか? ってことは、俺がセファを……」
ブルブルと震えだした富樫にアレクが言う。
「まあその可能性はある。でも逆も考えられないかな? つまりトガシ君、君がセファ君を救うために、この世界線に来たのではないかと。つまり君が未来で見たという世界は、君がこの世界に来たがゆえの結果なのではないかとね」
「は! そ、そうだな! 確かにそうだよアレク! 俺が未来を変えなきゃ。俺がセファを救わなきゃ!」
再びやる気と元気を取り戻した富樫を見て安心したアレクは、さきほどから気になっていた質問を富樫にしてみた。
「ところでトガシ君。君はこの図書館からどうやって出るつもりなんだい? ここはエルフ族である我々が、魔法や瞑想などで入るしかない特殊な空間なんだ。僕はその瞑想を解くだけでここから出ていけるんだけど、君はどうするんだい?」
「え? 入口とかはないのか?」
「うん、残念ながら」
「俺はこの館だって、この世界線だって初めてでよくわからないんだ。アレク、あんたここの管理人だろ? 何とかならないのかよ!」
「ま、まあ、管理人と言ってもいつの間にかそうなってただけなんだけどね。まあしょうがない、あの魔法を試してみるかな?」
アレクが言った「あの魔法」とは、ザールブリュッケンでダーク・エルフの一匹が使ったという「魔獣転送」のことだった。エドからの報告でその魔法のことを知ったアレクは、以前それを図書館でみかけたことを思い出し、長い長い時間をかけて見つけ出し、それを習得していたのだった。
「魔法? よかった! なんでもいいからやってくれ!」
「よかろう、ただしうまくいかなかったとしても恨まないでくれよ。そしたらまた別の手段を考えよう」
「わかったぜ! さあ、ぱぱっとやってくれ!」
アレクは右手をあげ、三本の指に魔素を集め始めた。富樫がそれを真似しているが、目を閉じているアレクは気付かない。やがて魔素がすべてたまり、アレクは呪文を唱えた。
「魔獣転送!」
「おおお!」
アレクの前に赤い魔方陣が輝き始め、その輝きがアレクと富樫を包み込んだ。瞬間、二人の姿が図書館から消えた。
(続く)




