第五十六話・富樫復活
富樫は暗闇の中でもがいていた。
見下ろすとセファの姿が見える。彼女はサファイアとともに夜の平原に浮かび、前方の闇の一点を見つめている。そこには恐らく、パリが存在するはずであった。そう、ドイツ軍によるパリ攻略が、目前にまで迫っていた。
「セファ……」
そうつぶやきながら、セファに近づこうとする富樫。しかしやわらかい透明な壁が邪魔をする。富樫はため息をついた。
「あの時はもうちょっと先まで指を伸ばせて、セファの手にも触れられそうだったんだけどな」
あの時、というのは、セファが魔法でフランスの町一つを消し去ってしまった絶望から衰弱し、今にもこの世から消えてしまいそうな状態であったあの瞬間のことであった。なんとかセファを助けたいと強く願った富樫は、右手を実体化させ、見えない壁をも突破したのであった。
「セファを助けたいという思いが強くないと、駄目なのかな? だとしたら、そういう気持ちを高めていけば……、いや、そうと決まったわけじゃないし、無駄なことやってもしょうがないな。しかし、一体どうすれば――」
富樫は見えない右手をあげて、それが存在するはずの空間をじっと眺めた。と、その富樫の耳が、セファの声を捉え、富樫は顔をあげた。セファはサファイアにこう言っていた。
「もどろう、サファイア」
セファはサファイアに声をかけて少し飛び、うっすらと灯りの漏れる粗末なキャンプに入った。中にはテオ・アンデルスがいて、入ってきたセファを見て寝袋から起き上がった。
「テオ、パリからまた小さな悲鳴のようなものが聞こえるの」
テオは暗い顔をして目を伏せたあと、言った。
「昨日の夜も言っていた、思考共有で届く悲鳴ね。何が起こっているのかわからないけど、幻想世界の住人か、もしかしたらエルフの末裔がいて、酷いことをされているのかもしれない。ひょっとしたら、パリの広場に集められているトロール達と、何か関係があるのかもしれないわね」
セファは首をかしげて、少し考えた後、ためらいがちに言った。
「テオ?」
「え?」
「昨日の夜、悲鳴のことを話してから、テオの様子がおかしい気がするんだけど、あたしの気のせいかな?」
テオは目をそらし、やはり少し考えてからセファをまっすぐに見て、答えた。
「確かにそうかも。ちょっと気になることがあってね。でも私の気のせいかもしれないから、今はまだ言えないかな。もう少しパリに近づいて、私にもその悲鳴が聞こえたら、もしかしたら話せるかもしれない。だからもう少し待ってもらっていい?」
「うん、わかったよ」
テオは両手をセファとサファイアに差し出して二人を引き寄せ、寝袋の中に再び潜った。
「明日はトロールとの戦闘になるかもしれない。今日はゆっくり休んでおきましょう」
「うん」
セファが眠りについたのを確認した富樫は、闇の中で腕組みをして考えた。
「トロールとの戦闘、だと? トロールってあれか、人間の何倍もの身長があって、硬い皮膚を持つっていう、あいつらか。そうかそうか、ついにあいつらと!」
富樫はセファがザールブリュッケンに到着したその日に、ダークエルフが話していたトロールについての情報を思い出していた。そのダークエルフ、ディザベルの話は、次のようであった。
「トロールはこっちの世界では絶滅したはずの、幻想世界の住人だ。フランス軍は、どうやったかわからないけど、奴らを幻想世界からこの世界に呼び出したんだ。身長は人間の五倍から十倍くらい。硬い皮膚を持っていて、剣とか槍は通じないと言われている。それが頑丈な武器を持ったら、とんでもない破壊兵器になる」
セファのために、セファとその仲間達のために、俺に出来ることはないのかと、富樫は必至に考え続けた。だが、何も浮かばない――、と、その時、静まり返った闇の空間に、金属音が響いた。
カチャリ
「ん?」
富樫は振り向いた。
数秒後、完全な闇だった空間に、金色の灯りが灯った。それは縦長の長方形で、その形状と大きさから判断すると、恐らく扉であろう。壁と扉の隙間から、その向こうの灯り細く漏れている感じだ。
「なん、だと? まさか、こんな所に扉が?」
富樫は、これまでなぜ闇の中を探索しなかったのかと深く後悔しながら、その四角い光に向かって泳ぐように移動した。富樫は手をドアのノブがありそうな位置に手を差し伸べた。あっさりとそれは見つかった。
「は!」
ドアノブに触れる手に視線を落とした富樫は、これまで透明化して見えなかった自分の手が、ちゃんと見えることに気づいた。
「この金色の光のせいか? この扉の向こうに一体何が――」
ドアノブを廻してゆっくりと扉を開く。その瞬間――、
「おっと!」
富樫は急に身体が重くなったように感じ、支えきれなくてがくっと体勢を崩し、床に倒れた。
「誰だ!」男性の声がした。見ると古い鎧を身に着け、その上に薄手のコートを着た金髪で長身の男が、少し離れた場所に立ち、富樫を見ていた。
「お、俺は富樫秋那。悪いけどここがどこだか、教えてもらえないかな、あ、いててて!」
立ち上がろうとして、腰が痛くてまたひっくり返った富樫に、危険はないと判断したのか、コートの男が近づいてきた。
「トガシ、アキナ? それにその訛りは……? エルフの翻訳魔法を使ってるのか? まさかとは思うが、君もエルフなのかい?」
「エルフ? いや、俺は日本人だ。コンビニ妖精・セファに会うためにここに来た! で、あんたは誰だい?」
「私はアレク・ド・アンティーク。君はセファ君のお知り合いかな? しかも日本からはるばるとーー。面白い。色々と協力させていただこうかな」
アレクは富樫に手を差し出し、その身体を引き起こした。富樫も長身だがアレクはさらに背が高く、富樫は彼を少し見上げる感じとなった。
「へへ、よろしくな!」
今度は富樫が手を差し出した。二人はがっちりと握手を交わした。
(つづく)




