第四十七話・再び天井に忍び寄る不審者
「ぐび、ぐび、ぐび、ぷはあ!」
セファはサファイアが届けてくれた、故郷の泉の水の半分を一気飲みした。セファの全身から、虹色の光体がふわふわと飛んで彼女をつつみ、その身体を美しく輝かせた。その背中の羽が、ぴんとした張りを取り戻した。
「ほおう……」
「すごい……」
「ぬうう」
セファを眺める多くの視線が口々に驚嘆の声を上げた。その中には、セファの保護者と自負しているエドも含まれていた。エドも、セファが泉の水を飲む瞬間の光景は、初めてみたのであった。セファの生態は、こうして多くの者を魅了し続けた。
「あ、すみません、のどが渇いちゃってて、てへ。食後の会議を始めましょう」
うむ、とうなずいてゲオルクが口を切る。
「では始めよう。明日から我々がどうすべきかを、まず君達から聞かせて欲しい。目標は、短期間でのパリの攻略。そのために君達が取るべき戦略を、考えてくれ。まずは3分間、各々(おのおの)考えて欲しい。いい案が出来た者は手を上げて発言を求めてくれ。ではスタート」
ゲオルクが、左手の腕時計を外して机の上に置いた。それはドイツ製の精巧な芸術品で、一週間の間の誤差がプラスマイナス1秒以内という、ほれぼれするほどの名機である。ただそれは、ゲオルクにとっては自慢でもなんでもなく、ドイツ人としての、当然のたしなみであった。
(あれ?)
セファが天井のある一点を見つめた。そこに何かを感じたセファは、一心にその一点を見つめ続けた。しかし、そこには何もおらず、セファは何も見つけることは出来なかった。
(気のせいかな? 何かの気配を感じたんだけど)
セファの思考を感じ取ったテオが、その心に語りかけた。
(セファ? 実は私もその辺に、何か気配を感じたんだけど。あのダークニンフのイザベルの仲間かと思ったけど、そうじゃなさそうね)
イザベルは厳重な警戒の元に、この会議からは外されているが、「思考共有」の能力は、ちょっとやそっとでは防ぐことはできない。彼は今もこの思考を読み取っているであろう、うかつな会話は出来ない。
(テオ、あなたもなのね。でも、さっきと違って悪意は感じないの。なんなのかなあ、あれ)
(うっぴいいい、何か怒ってる。悪意じゃないけど、何かが怒ってる)
(怒ってる? やっぱりイザベルの仲間かなあ。イザベル、聞こえてる?)
(ああ、でもあれは俺の仲間じゃないね。あんな支離滅裂な思考を、俺の仲間は撒き散らしたりはしない)
(そ、そう……)
(セファ、私はゲオルク軍曹への答えを考えるのに集中するね。天井の気配への警戒、お願いね)
(うん)
(うっぴい! ボクも警戒する! 悪意があったら、キリキザム!)
その天井の隅の存在とは……。
そいつは、セファ達を見おろし、絶叫していた。怒りをあらわにして。
「うおおおおお!!! セエエエファアアアアア!」
ジタバタと暴れるその「存在」は、セファに自分を感じ取って欲しくて必死だった。
「おーーーれーーだーーーー! セエエエファアアアアア!」
それは数十年後に、セファによって「ハイテク・プリズン」に閉じ込められ、理不尽な死を何度となく体験させられることになった、「富樫秋那」という、一個体であった。無論宇宙は、そんな一個体など意に介さず、しゅくしゅくとたんたんと、時間を流れさせせしめる。富樫はそれが不満だった。
「く、くっそう! なんだこれは、俺の夢か現実なのか。だが一つだけ言える。いや、二つだ。ひとつはセファが、俺がハイテク・プリズンで見ていたセファより若いということだ! 俺は時間をさかのぼってるのか? だとしたら、それは何のためにだ! うおおおおおお、わからああああん!」
頭を抱えて絶叫する富樫。しかし実際の所、彼には腕もなく頭もなく口も無いため、頭を抱えて絶叫、という行為さえ出来ないのであったが、彼はまだそこん所を、ちゃんとは理解できていなかったのだ。富樫はさらに絶叫する。
「くそっ! くそっ! 俺をここに閉じ込めたのは、誰だ! ここは、どこだ! 今は、何時だ! なぜ俺は、ここに!」
それは「3W1H」であった。Who、Where、When、How、である。「5W1H」には、あと二つ足りない。しかしその残り二つを彼が問うたとしても、その答えは誰からも得られなかったであろう。彼は完全に、孤立していたのだ!
「ぬううううおおおおお!!!!!!」
富樫は考えうる限りのパワーを使い、周囲になんらかの影響を及ぼそうという、最後の手段に出た。その瞬間、セファの見つめる天井のある一点から、はらり、と小さなほこりが舞い落ちた。
(あ……)
心の中で、小さくつぶやいたセファ。
(誰かそこにいるの? あたしに何か伝えたいの? あなたは、誰?)
「俺だああああ! 富樫だああああああ! ウオオオオオ!」
だが、富樫の絶叫はセファには伝わらない。セファは、ふう、とため息をついて、部屋の隅におかれた金庫に目を移した。その金庫の前では、何も知らされていない二等兵二人が、緊張した表情で、その金庫を守っている。せめてその金庫には、すごく重要なある生物が保管されているとでも、伝えてあげればいいのにとセファは思った。
(私なりの答えが出来た。そろそろ手をあげようと思う)テオが思考共有で、セファにそう伝えた。
(うん)
セファにはそう伝えるのがやっとだった。自分がなぜここにいるのかと、セファはまた疑問に思い始めていたのだった。自分に何ができるんだろう、人間と人間は、なぜ戦うのだろう、先祖のエルフ達は、なぜあたしをこの時代に、転生させたんだろう?
「はい!」テオより一瞬だけ先に、ヨナが手を上げた。
「ヨナ、考えがまとまったかな。だったらそれを聞かせてくれ」
「はい、僕はこんな作戦を考えました!」
ちっぽけでダブダブの軍服を着たヨナ。だけど彼は、投擲=手りゅう弾や、グレネードなどを敵に向かって投げつけ、殲滅する技術、が得意だという。そんな彼の考えた戦術とは何か! 一同は、固唾を飲んで、「ヨナ・カトリン新兵」の、次の言葉を待った。ヨナは静かに口を開いた。
「僕の考えた作戦とは」
ヨナの目が、ランプの炎を反射し、きらりと光った。
(つづく)




