第四十四話・精神魔法
ダークニンフと思われる生物の、本心を知るための魔法を「記憶の扉」で探そうとしたセファであったが、今回はなかなかその扉が開かない。こんなことは初めてであった。何の手掛かりもなく、暗闇を落ちていくセファの心。そんなセファの視界に、ある物体が飛び込んできた。それは闇に浮かぶ扉だった。
(この扉の中に、魔法のイメージが? でも今回だけ、なぜ自動で開かないの?)
セファは扉の数メートル手前に立ち、扉を見つめた。その扉の周囲の空間には太い何本もの杭が打たれ、その杭を使い、頑丈そうな鎖で扉はぐるぐる巻きにされていた。誰かがこの扉を封印しようとでもしたのか。よく見ると扉の鍵穴には金色の鍵が差されており、その鍵を開けることだけは簡単に出来そうだ。セファはその鍵に近づこうとした。しかし――。
(まて、この扉は封印されている)
男の声がした。セファから扉を守るかのように、背の高い男らしきぼんやりとした影が、セファの前に立ちはだかった。
(誰?)
(僕はエルフの記憶の管理人。君達エルフの末裔が扉を探してここを訪れる時、適切な扉の前に導くのが僕の役目だ。しかしこの扉の中の魔法は、これまでのと違って危険なものだ。だから先祖のエルフはこれを封印したのさ)
(そうなの……、でも、今のあたしにはこの魔法が必要なの。お願い、この扉を開けて)
(必要? ホントにそうかな? では僕がこの扉の中の魔法を使って、君の記憶を読ませてもらっても構わないかな?)
男の影は右手を上げ、セファに向かって手の平を広げた。
(え? 記憶を読む?)
(そうだ。この魔法は本当に強力なもので、望みさえすれば、対象のすべての記憶を有無を言わさず吸い上げることが出来る。対象の強みや弱み、意味のあるなしに関わらず、すべての記憶をね)
なるほど、それは危険かもしれない、とセファは納得した。相手の心を操作することは出来ないようだけど、弱みを握ってしまえばそれも出来なくもないだろう。過去にこの魔法を生み出したエルフ達は、それを使って仲間の記憶や、他種族の記憶を読もうとしたのだろうか? その結果どういう理由で、彼らはこの魔法を封印しようと決めたのだろう? この扉を開いたら、そんなエルフの黒歴史も、見えてしまうのだろうか? セファは寒気を感じてそっと自分の肩を抱いた。
(覚悟はできたかな? 自分のすべての記憶を僕にさらけ出し、さらにエルフの忌まわしい過去の一部を見る覚悟が)
(――ええ、出来たわ。いつでもどうぞ)
(そうか。いくぞ)
男の影は右手を少し上げ、それを回転させながら魔素を集め、魔法を発動させた。
(鎖破壊!)
その声とともに、扉を頑丈に縛っていた鎖がバラバラにはじけ、重い音を立てながら真っ黒な床に落ちた。そして、カチャリ、という聞きなれた音とともに扉の鍵が開き、扉が開いてそこからまばゆい大量のイメージがあふれ出してきた。そのイメージは、男の影を通過しセファに迫ってくる。
(え? どうして?)
(覚悟の出来た者に出し惜しみはしない。それより過去のエルフの記憶に耐える準備を)
(はい!)
時間にすればほんの一瞬の思考共有の後、怒涛のようなエルフの忌まわしいイメージがセファの脳を襲った。
穏やかで敬虔な種族であるエルフが、この魔法で他人の知識を得ることで黒く醜く変化していく。そしてその力が、周囲の生物に絶望を与え、世界が暗黒に包まれていく。ある時代には、この魔法を会得したエルフの賢者達が、魔王としてこの世に君臨していたのだ。その魔法の名前は「精神捕縛」。使い方を誤ればこれほど危険な魔法はない。セファは絶望を味わい、この魔法を会得したことを後悔した。だがそれも一瞬のことだ。
(この魔法があれば、世界を変えられる! あたしがこの世界の王になるんだ)
「ふ……、あはは、アハハハハハ!」
突然狂ったように笑い出したセファを見て、ゲオルクやエド達の表情が凍りついた。テオがセファの身体を軽くたたき、正気に戻そうとする。
(セファ! セファ!)
「アハハハハハ……、はっ!」
きょろきょろと周囲を見回したセファは、正気に戻って顔を赤くしながら言った。
「あ、ありました、記憶を読む魔法。でも正直あたしはこれを使いたくない。あなた、お願いだから正直に全部話をして。この人の質問に全部答えて」
セファはテオの腕から降りて、水晶に歩み寄り、しゃがんで生物に顔を近づけ、小声で言った。
「そうでないとあたしは、あなたを全部知ることになるわ」
それを聞いた生物は、顔を赤くして下を向いた。もともとこの生物は、セファを一目見て気に入り、「俺のペットにしたい」などと言っていた。そんな一目ぼれの相手からこんなことを言われて、恥辱を覚えないわけはなかった。でも、それでもまだ生物は折れなかった。
「お、お前のその魔法の話が本当か嘘かは、俺にはわからないからな! だから従うことも出来ないな!」
「そう……、じゃあ一つだけ、あなたの記憶を読ませてね。私が得た魔法で、あなたの名前を読み取ります。そうすれば本当だっていう証明になるわね」
セファは右手を上げ、魔素を集めてその手をそっと水晶の中の生物に向けた。壁を通して魔法が効くのかわからないけれど、今は信じてみるしかない。
(精神捕縛)
魔法を発動すると、一瞬ののちにセファの記憶に、「ディザベル・サテュロス」という名前が刻まれた。それがこの生物の持つ固有の名前であった。
「わかったわ、あなたの名前はディザベルね。よろしくねディザベル」
セファはにっこりとほほ笑んだ。ディザベルははっとした表情をしたあと、がくっと肩を落とした。ディザベルがセファに、完堕ちした瞬間であった。
(つづく)




