第三十二話・五十メートル走と持久走
時計塔を降りると、ダミーが食器を片づけている所だった。エリスがそれを手伝って、食器を運ぶためのキャリーケースを、ダミーとエリスがそれぞれ1つ持った。
「ではアレク様、昼食もこちらでよろしいですね」
「ええ、お願いします。もしよければダミーも一緒に昼食をどうかな」
少し考えてから、ダミーは答えた。
「大変ありがたいお申し出ですが、今日は色々こなさないといけない庶務がございまして、また次の機会にお願い致します、ありがとうございます」
「わかった。エリスはもし天気がよければ図書館の本の虫干しと、担当場所の掃除と、老朽か所のチェック、午後、もし時間があまったら、謎の本の解読と自由時間、だったかな。さらに時間が余りそうなら、セファくんに僕たちの仕事の目的を、特に兵站の意味について教えてあげて欲しい」
「相変わらず人使いが荒いけど、掃除と虫干しの量を調整すればなんとかなりそうね。わかったわ」
「はは、手厳しいな。虫干しは大切だから、もし手抜きをするなら掃除の方でね。最後にセファくんとサファイアくん。お昼までに、色々試させてもらいたいことがある。その結果から、二人がどうエドをサポートし、どう戦争に絡んでいくかを決めたいんだ。いいかな?」
「はい」
「ウッピイ、ワカッタ」
「じゃあまたお昼に。セファくんとサファイアくんはこちらへ」
アレクがセファ達を白いテーブルに招いた。セファがちらっとエリスを見ると、片手でキャリーケースを持ち、もう片方の手でセファに手を振った。セファも手を振りかえした後、サファイアとともに白いテーブルの上に着陸した。
「まだ二人とも、生まれて4日目だというのに、色々注文させてもらってすまない。君達の能力を、把握しておき、明日からの作戦に備えたいんだ。でもその前に、僕達の理想について知っておいてもらいたい。僕の理想は、最小限の被害でこの戦争を終わらせることだ。僕たちの目指すのは共生、つまり共存と平和の理念だ。それは君や僕の祖先であるエルフが目指していたことに、必ずしも反するものではないと僕は信じる」
「共生? 共存と、平和……?」
「そう。今、あまり難しい話をしている時間はないんだけど、本来戦わなくてもいいはずの人間とエルフが戦い、結果エルフが滅びた。そして人間が生き残ったんだけど、それで争いは終わらなかった。人間は他の動物を殺し、そして人間同士の殺し合いまで始めた。なぜそんなことになってしまうのか、わかるかい?」
「いいえ」
「ボクモ、ワカラナイ」
「それには2つの理由があると思う。一つは国家のトップ間の利権争いだ。相手の国の領土を奪い、その土地の生産物などを自分の物にすることで、より豊かな暮らしが出来るようになるという貪欲な願望だね。もう一つは人間の差別意識。普段は同じ人間として、仲間として暮らしていながらも、ある瞬間からその人を敵とみなす。自分と相手の細かい違いを発見することで、人は他者を『異種族』とみなし、抹殺しようと必死になる。このような、国家のトップの貪欲さと、国民の差別意識という2点が、人間と戦争を切り離せない理由なのだと僕は考えている」
「なんとなくはわかったわ」
「ボク、マダワカラナイ」
「そうか、サファイアくん向けに、もう少し簡単に説明しよう。まず、戦争を起こしたい人達がいる。この人達から、戦争をする理由を無くしてしまうんだ。もう一つ、実際に戦争に駆り出される人達がいる。この人達からも、戦争をする理由を無くしてしまうんだ。この2つが実現できれば、戦争はなくなる。どうだい? 簡単だろう?」
「ワカッタ、カンタン」
「で、でも、そんなこと簡単に出来るの?」
「言うのは簡単、でも実現するのは簡単じゃないね。国家間のパワーの差や国家という概念を無くす。そして民衆の差別意識を無くす。簡単ではない。でも僕は世界規模でそういうことを実現していきたいんだ」
「でも……、どうやって」
「それをこれから考えていくのさ。そこは僕達を信じて欲しい。僕達はただ、ドイツを戦争に勝たせることだけが目的で、この戦争に加担してるわけじゃない。まあ、ダミーはそこにこだわっているようだけどもね、あはは」
戦争をしないために戦争をする、という点で、まだ少し納得はいかないものの、大筋には共感できる。これで少しは先祖のエルフ達も納得してくれるかもしれない、とセファは思った。
「さて、概ね納得いただいた所で、君達の能力の測定がしたい。やりたいことはこれだ」
アレクは、コートの内側からA4サイズの紙を出してテーブルに置いた。セファとサファイアが、それを覗きこむ。
(1) 移動スピードの確認
(2) 持久力の確認
(3) 物理的パワーの確認
(4) 戦闘能力の確認
(5) 国語、算数、理科、社会、音楽のテスト
「こ、これを全部午前中にですか?」
「うん。まあ、(5)はオマケのようなもので、時間がもしあればでいいんだけど」
「戦闘能力は、どうやって測るんですか?」
「問題はそれだね。いざという時のために、二人がどの程度人間と戦えるのかを知っておきたいんだ。相手は僕がするよ。僕は以前、武装修道士として巡礼者の警護をしていたこともあるんだ。では、時間もないので早速移動スピードの確認から、いいかな?」
「は、はい」
「ウッピイ!」
アレクはあらかじめ測定してあった五十メートルの片側に立ち、もう片側にセファとサファイアを準備させた。アレクが右腕を上げると、二人は全力疾走で、アレクの所まで飛行することにした。
「いくぞ……、1、2、3!」アレクは右腕を上げ、左手でネジ式のストップウォッチをスタートさせた。
「ウッピイィィィイ!」
「え?」
突然の声に驚いたアレクが見ると、すぐそばにサファイアが浮かんでいる。アレクが右手を上げたと同時にあっという間にアレクの傍らまで移動したのだ。くるくる回転しながら勝利の声を上げるサファイア。
「サファイアくん、そ、その速さは」
「ボク、トブノトクイ、セファ、トブノニガテ、ウッピィ!」
アレクは五十メートル先を見た。小さくてどこを飛んでいるのかわからないけれど、まだセファはこちらに向かっている最中のようだ。三十秒を経過した所で、よろよろと揺れる蚊のような小さな影が見え、一分を経過してようやくセファは、アレクの元にたどり着いた。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ」地面に墜落し、すごい顔で息を整えるセファ。
「こ、これは予想外……。セファくんのヒールのせいなのか、どうなのか……。しかしそれだけのスピードなら、もしかしてサファイアくんは、自力であっという間に泉まで戻れるんじゃないかな?」
「ソウダ、ボク、イズミイッテクル!」
「ちょっ、待って」
慌てて制するアレクだったが、すでにサファイアの姿は消え、さらに約1秒後に戻ってきた。ふわふわと浮かぶサファイアの傍らに、茶色の半球状の物体が浮いている。よく見るとそれは、今日の朝セファが指を洗うのに使った、木製のフィンガーボールだった。
「セファ、オミヤゲ、泉の水」
「あ、ありがとう」
地面で喘いでいたセファが起き上がり、サファイアからフィンガーボールを受け取った。
「フィンガーボールは水を飲むものじゃないけど、しょうがないね」
セファはごくごくと、おいしそうに水を飲んだ。セファの全身から、虹色の丸い輝きがふわふわと立ちのぼり、セファの全身を美しく照らした。
「そうか……、セファくんも食事だけですべて足りている訳じゃないのか。泉の水が必要なんだ」
「元気になったよ、ありがとうサファイア! でも、飛ぶスピードは、さっきと変わらないと思うけどね、てへ」
舌をぺろっと出すセファ。サファイアはセファからフィンガーボールを受け取り、一瞬でそれを厨房に戻して帰ってきた。そんな二人をしゃがんで眺めるアレク。
「さっきの測定で、持久力ももうお察しだな。次は(3)、物理パワーの確認だ。サファイアくんは手がないから無理だと思ってたけど、フィンガーボールも持てるようだし、大丈夫そうだね、二人一緒にやってみよう」
「はい!」
「ウッピイ!」
(続く)




