第三十一話・時計塔のイリュージョン
ヒールの魔法習得と食事を終え、アレクはエリス、セファ、サファイアを、時計塔の中に誘った。
「よかったら時計塔の中を見てみないか? 僕がここに城主として就任してから、色々改装してるんだけど、まだ誰にも見せたことがないんだ」
「アレクったら、そんなことしてたの? あなたの仕事はこの古びたお城を、出来るだけそのままの形で、維持していくことじゃなかったかしら? 勝手に改装なんてしたら、お城を追い出されるかも」
「まあ、大丈夫だと思うよ。このお城の解体に反対し、世論を動かしてこのお城を守った人達には、ノスタルジックなロマン派(古典派)が多いだろうからね。僕の改装したこの時計塔内部にただようロマンの香りにも、きっと共感してもらえると思う」
「ふうん、ロマンねぇ」
アレクとエリスのそんなやり取りを、セファは黙って見守った。やがてアレクは時計塔のアーチ内側の壁にある通用門を開けた。
「さあ、どうぞ」
恐る恐る足を踏み入れるエリス。その後ろを浮遊しながらついていく、セファとサファイア。そこはレンガの壁に囲まれた暗く狭い部屋で、これと言って目立った点はなかった。部屋の中央にハシゴがかけられ、二階へと続いている。メイド服を着たエリスは、スカートの裾を手でひらひらとさせた。
「こうなるとわかってれば、もっとかわいいパンツをはいてきたのに。覗かないでねアレク。セファとサファイアはいいけどね」
「あ、あたしも覗かないからね!」
ハシゴを素早く昇っていったエリスは、驚いたように声を上げた。
「ふ、ふぉおおおおお!」
何ごとかとあわててセファも二階に向かって飛んだ。見ると二階は王宮のような豪華な作りで、白い天井、壁、床に、金の刺繍で縁どられたタペストリーやカーペットが設置されていた。ハシゴのすぐそばには木製の巨大な机が置かれていて、分厚い本や書類の山が置かれている。そこから、ふわりとインクの香りがした。
「一見広く見えるけど、すぐ近くに壁があるから気をつけて」
「え、そうなの?」
エリスは両手を前に出し、ゆっくりと進んでみる。アレクがハシゴから移動し二階の床に立った。
「あ、ほんと、ここに壁がある。見かけは広いけど、実際には元の壁がここにあるのね」
「そう。ある空間の見え方を別の形に変える。これは古代のエルフが考案した幻影の魔法だ。僕がそれを復活させた。長い長い時間をかけてね」
「幻影?」
「そう、セファくん。この魔法を応用すると、人の目を欺くことが出来るし、自分の身を隠すこともできる。こんな風にね。透明化」
アレクはセファの方を向き、右手をあげて人差し指を立て、その指をすっと右に移動させた。するとセファからは、アレクの顔の左半分が見えなくなった。
「セファくんが戦場に行ってエドくんを助けるとしたら、是が非でも身につけておきたい魔法だね」
「は! 確かに!」
人間の姿をした、小さな小さな、バービー人形くらいの大きさの女の子……。戦場の荒くれ兵士達の前にそんなものが姿を現したら、どんなことが起こるか想像もつかない。いや、先祖の記憶から推測すれば、人間はまずセファを捕えてオモチャにし、飽きたら残酷に殺して草むらにでも捨てるだろう。
「そうね、正直そこまで考えてなかったわ。何か他にも方法はあるかもしれないけど、その魔法をもし習得できるなら、それを使った方がいいわね」
アレクがさっと顔の前で手を振ると、彼の顔は再び見えるようになった。
「この魔法の習得も、たぶんセファくんなら簡単だと思う。まず、人から隠したいもの、見られたくないものを、透明化してみる。そこまで出来れば、あとはセファくんには簡単だろう。透明化の解除を覚えて、あとはセファくん自身を透明化したり、サファイアくんを透明化したりしてみるといい。そうすれば二人が戦場にいっても、誰も気づかない」
「そ、そうだ、サファイアのことなんですけど、ヒールは身に付けて、食事の問題はなくなったんだけど、やっぱり泉に戻した方が、サファイアにとっては幸せだと思います。この子だけ返していただいて構わないでしょうか?」
アレクとエリスを交互に見るセファ。そんなセファを、無言で見守るサファイア。さっきセファの超絶ヒーリングを受けてから、サファイアはちょっと大人になり、貫録が出て、ボクもボクもと、駄々をこねることはなくなった感じだ。
「そうね、助けは多ければ多いほどいいけど、セファやサファイアに、負担や危険がかかるものね。それを考えたら、サファイアだけじゃなく、セファも泉に帰してあげないといけないのかもね」
「そ、そこまでは……、エリスとエドは、泉のことを秘密にするって約束してくれたんだし、あたしも約束を守らないと」
「いいのよ……。私にはエドに死んで欲しくない理由があるけど、セファにはないものね。約束だからっていう、ただそれだけでセファを危険な目には遭わせられないわ」
悲しそうに、ぷいっと横を向くエリス。
「エリス……」声をかけるセファ。
(セファ、待って)
(え?)
これまで黙っていたサファイアが、心の声でセファを制した。これまでにない、静かで落ち着いた口調で、サファイアが話し始めた。
「エリス。ボクも、エドを助ける。エドが死ぬと、エリスが悲しむから。エリスが悲しむと、セファが悲しむから。セファが悲しむと、泉の精霊が悲しむから」
エリスは、はっとしたようにサファイアを見た。その後深々と頭を下げてエリスは言った。
「ありがとうサファイア。どうかエドを助けてやってください。セファにもお願いします」
「うん、わかったよ。あたしとサファイアが、絶対にエドを守るからね」
そのあとエリスとセファとサファイアは、さらにハシゴを昇って屋根の展望台まで上がり、さわやかな秋の風を浴びながら、美しい観光地、ハイデルベルクの風景を眺め、満喫した。どうかこの楽しい時が、これで最後だなんてなりませんようにと、エリスとセファは心から願った。そんな二人を、サファイアが優しい父親のような貫録で見守った。
(続く)




