第二十七話・お城の夜の図書館
夕食という形をとった参謀会議は、その後しばらく続いた。その日決まったことは、下記の通りである。
・民間人の保有する自動車を、軍が徴用できるようにする。
・パリ攻略のための計画及び人選を早急に行う。
・食料、薬、弾薬、燃料などの輸送インフラの整備。
・「謎の本」に基づく調査の今週の進展は、無し。
「進展無し……、それで軍が納得するとは思えないけど、こう書くしかないわよね。余計なことを書くと、逆に興味をそそるだけね」
「うん。泉のことは秘密にするという君達の提案に、僕も賛成だ。人間にとっても、精霊にとってもいいことはない。人間は過去にエルフを滅ぼした。今回もそうなることは、火を見るよりも明らかだ!」
自称『エルフ最後の生き残り』であるアレクの言葉には重みがあった。変わり者と言われるアレクが、泉の件をどう扱うのだろうかと心配していた全員は、これを聞いてほっとした。セファもにっこりとほほ笑んだ。
「じゃあ、今日はひとまずこれで終了だ。みんなお疲れ様。ダミーはエドくんを、自宅まで送り届けてあげてくれ。エドくん、出兵前の大事な時間を拘束してしまってすまなかった。ご両親によろしく伝えておいてくれ」
「いえ、こちらこそ、アレクさんや皆さんの好意に感謝します。おやすみなさい。おやすみ、エリス」
エドとエリスは手を振り合った。ダミーが火のついたランプを持ってきて、エドと一緒に暗くなった階段を降りていった。セファとサファイアが、テーブルから浮遊してテラスの端から下を見下ろすと、小さな灯りが時計塔に向かって歩いていくのが見えた。
「こんな真っ暗な山の中で、あの自動車を運転できるのかしら」
セファが疑問に思っていると、やがて二人は自動車までたどり着いた。エンジンがかかると、自動車の前面から強烈な二本の光が周囲を照らした。『ヘッドライト』である。
「すごい……、あんな強い光が」
セファはふと、視線を自動車からそらし、その右の、山裾に広がる街並みを見てみた。するとそこにも、まばゆい光があふれていた。驚いたセファは、テラスの右手に飛び、北に位置するネッカー川とそのほとりにある街並みを良く見ようと高度を上げた。
「綺麗……」
山々に囲まれたネッカー川のほとりには、きらびやかな夜景が広がっていた。それはセファが初めて見た、『電気』によってともされた灯りであった。夜の大自然に、ダイヤモンドを撒き散らしたように輝く街の灯りは、セファにはまるで魔法のように見えた。しかし、それは決して魔法ではない。エルフの秘術によって転生したセファだから見ることが出来た、『未来の灯り』である。
「これが未来の世界。あたしはこれを見るために、転生したの? みんなは私にこれを見せるために、あたしを転生させたの? 違う、たぶんそうじゃない。みんながあたしに期待したものは、あの綺麗な光の、もっと先にある何かなんだ」
燭台の灯りの届かないテラスの隅に姿を消したセファを心配して、エリスが目で追う。セファの近くを飛ぶサファイアの、緑色の光で大体の位置はわかるものの、セファの姿は暗すぎて捕えられない。
「大丈夫、街の灯りを見て驚いているらしい。セファくんの生きていた時代には、電気というものがまだなかったからね。無理もない」
「ふうん、そういうこと。あの娘、なんだか危なっかしくて心配だわ。戦争には向いてないんじゃないかしら?」
「まあね、彼女の祖先は、人間との戦いを放棄して、自ら滅びの道を選んだエルフ達だ。好戦的であるはずがない」
「そうだアレク、あなたさっき、光のローブとか、ホワイトニンフとか言ってたわよね、あの知識はどこから得たのか、教えてもらえる?」
「そうだな……。話せば長くなるから、また今度。今日はそろそろ給仕たちを帰らせないといけない。食器を片づけよう」
そう言ってテーブルのお皿を片付け始めたアレクであるが、物陰から覗いていた給仕の一人が、飛ぶようにやってきてアレクを止めた。
「アレク様! おやめください! 後片付けなら我々が!」
「あはは、どうせ階下に降りるのだから、お皿を片付けて持っていくのは構わないんだけどね。でもまあ、お願いするよ。いつもありがとう。ご苦労さま」
うやうやしく頭を下げる給仕。アレクは照れ臭そうに微笑んで、セファ達に声をかける。
「セファくん、サファイアくん、そろそろ今日は休もう。僕はいつものように時計塔で寝る。二人はエリスの部屋で泊めてもらってくれ」
「え?」エリスが疑問の声をあげてアレクを見る。
「ん? 何か問題でも? お二人は僕の部屋に招待した方がよかったかな?」
「そ、そういうことじゃなくて……。私にもプライベートというものが……。でもまあいいわ。あの娘と色々お話もしてみたいし」
にやり、と笑うエリス。その、鼠をいたぶる猫のような表情を見て、セファはぞっとした。
アレクとエリス、二人がそれぞれ火をつけたランプを持ち、階段を降りて建物を出た。
「じゃあ、お疲れ様。明日セファくんに魔法のトレーニングをしたいから、今日はあまり遅くならないようにね」
「わかったわ、あ、セファに図書館と、例の本を見せてあげてもいい?」
「そうか、そうだな、そうしておいて。じゃあ、おやすみ。セファくん、サファイアくん、また明日」
「おやすみなさい」
時計塔に向かうアレクを少しだけ見送った後、エリスとセファとサファイアは、お城の『図書館塔』に向かった。
「これが図書館塔。と言っても、蔵書は虫干ししながら少しずつ別の場所に移して、次はそこが図書館塔になるの」
「ふうん」
「アレクがここの城主様になる前は、蔵書も散逸して図書館はからっぽだったの。アレクが私財をなげうって、元々あった本を買い集めて、この図書館を復活させたのよ」
「へーー、ただの変わった人じゃないんだね」
「そう、ただ変ってるだけじゃない、相当に変ってるの。ど変人よ」
エリスは扉の鍵を開けた。ぎぎ、と扉が軋む。その中には広い部屋があり、その壁という壁に棚がおかれ、本がぎっしりとおさめられている。
「すごい……」
「すごいでしょ。でもこれでまだ1階分。この建物は4階まであるから、全部でこれの4倍ね」
「へえーーー」
これらの本を読むとしたら、どれほどの時間がかかるのだろうかと想像したセファは、目眩を起こした。
「私はここで、毎日ダミーに勉強を教え込まれたの。全部の本を読んだわけじゃないけど、ダミーの選んだ1万冊の本を暗記してるわ」
「1万冊!」
セファは再び目眩を起こした。そういえば、あたしはエルフだった頃も、勉強とか読書とかは苦手だったわ、と、セファはどうでもいいことを一つ思い出した。
「この図書館には、誰も読み解けない謎の本が3冊あるの。その中の一つが、今私が解読中の、『大賢者の魔術書(仮)』。オリジナルはここにあるけど貴重品だから、私の部屋で複製品をお見せするわ」
「う、うん……」
図書館を出て鍵を締めたエリスは、こっちよと言って歩き出した。それに従うセファとサファイア。緊張し始めたセファを慰めようと、サファイアがぴたりとセファに寄り添い、癒しの力を使ってセファの心を癒した。
(ありがとサファイア。でもマナは大切にしてね)
(わかった、マナ、大切)
エリスはある建物に入り、その暗い廊下を進み、ひとつの部屋の前で歩みを止めた。扉をあけて、電灯のスイッチを入れると、強烈な光が廊下にまで溢れ出してきた。
「ここが私の寝室。さあどうぞ、入って」
「う、うん……」
一体何が起こるのか。セファは覚悟を決めて、エリスの寝室にお邪魔した。
(続く)




