第二十六話・参謀会議
一行はハイデルベルク城の、時計塔の下のアーチ状の門を抜けて、敷地に足を踏み入れた。城主アレクは、時計塔の正反対の位置にある、比較的老朽化が進んでいない建物での食事を提案した。セファにはそれを断る理由もなく、無言で従った。
それは「フリードリッヒ館」と呼ばれる4階建ての豪華な建物で、正面の壁には、巨大な人物の彫刻がいくつも配置されていた。その扉もまたアーチ状となっており、それをくぐると薄暗いロビーに、歴史を感じさせる乾いた黴のような香りが漂っていた。
「ここの屋上にテラスがある。今日はそこで食事をしよう」
一階には厨房があり、白いコック服を来た数人の男性が働いていた。ダミーとエリスが彼らに二言三言指示をした後、一行は階段を昇り、屋上へとたどり着いた。そこには白い丸テーブルがいくつか置かれており、そのうちの一つの周囲に置かれた白い椅子に腰かけた。セファはテーブルの上に、サファイアとともに座った。
まだ日が傾くには時間があったが、ダミーは燭台をテーブルに置き、火をともした。柔らかな光がセファの心を癒した。
やがて食事が運ばれてきた。テーブルの上の小さなセファを見て、給仕は一瞬ぎょっとしたようだったが、取り乱すことなく食事を並べて立ち去った。晩餐が始まり、少しした所で、城主アレクがコートの内側から数枚の紙を取り出しテーブルに置き、話を切り出した。
「さて、久しぶりの同族との出会いに興奮してしまったけれど、明るいうちに話を終えてしまおう。今日届いた戦況報告だ。東部ではロシアとの一進一退の攻防が続いていて、西部ではフランス領土内の塹壕での膠着が続いている」
「つまり、先週から何も変ってないということね」
「うん、全体としては変化はない」
アレクは肉を口に運び、それを味わった後、赤ワインを飲んだ。セファは、数枚の小皿に用意されたパンや肉、スープを味わい、そのおいしさに感動した。サファイアにも与えようとしたけれど、やはりサファイアは食べようとはしない。
(サファイア、大丈夫?)
(大丈夫、ない、お腹、すいた)
(そうなの? じゃあ、やっぱり泉に帰してもらいましょう)
セファはエリスに話しかけようとしたれど、エリスは真剣な表情で資料に目を通している。困っているセファに、アレクが声をかけた。
「セファくん、サファイアのことをどうするか、僕も考えていたんだけど、泉に帰してあげた方がいいと、僕も思う。明日の朝一番に、ダミーに泉の近くまで送ってもらうといい」
「ありがとうございます」
サファイアは今度は反対しなかった。泉から離れては生きていけない、そのことに気づいたのかもしれない。それでもセファと離れたくないサファイアは、悲しそうに身を震わせた。
「その子の癒しの力で、エドを助けて欲しかったんだけどね。でもしょうがないわね」
「エリス、大丈夫だよ。アレクさんやエリスの口添えのおかげで、僕が最前線に駆り出されることはなさそうだし」
「いや……、それがそうでもない。そもそもエドくんのような少年を戦場に向かわせる必要が生じている時点で、ある程度はお察しだが、それに加えて前線の兵士達の士気が落ちている。それを何とかするために、エドくんのようなまだ元気な若者が、最前線に近い場所に送られている。そうやって膠着状態を打開しようというのが実状のようだ」
重い空気を少しでも軽くしようとエドが笑顔で言う。
「前線がそんな状況で、僕の元気が少しでもお役に立つなら、僕は喜んで前線に行きます。たとえそれで死傷することになっても、ドイツ帝国のためなら僕は本望です」
「エド殿、よくぞおっしゃいました。それでこそドイツ帝国の軍人」
ここまで口を閉ざしていたダミーが、エドの言葉に感動したように口を開いた。そんなダミーの言葉に、眉をひそめるアレクとエリス。
「ダミー、エドくん。僕はそういう、お国のためにとかいう考えには、あまり賛成できないな。僕が参謀として君達と協力し、ドイツ軍に助言しているのは、少しでも両国の被害を少なくしつつ、ドイツを勝利に導くためだ。そのために短期間でパリを占領する。それが何よりも重要なんだ。いつ終わるともわからない塹壕戦に、エドくんのような若い命を送り込むなんて、僕は反対だ」
「お言葉ですがアレク様、フランス領土に設置された長大な塹壕がフランス軍の守備力を弱めているのは事実です。塹壕を死守することは、決して無駄ではないことは、お分かりですよね」
「僕が言いたいのは、死が名誉というわけではないということだよ。死とは悲しく冷たく寂しく辛いものだ。可能な限り人は生きるための努力をするべきなんだ。国家の勝利とか栄光とか名誉とかよりも、何よりもね」
「ふむ……。確かに今回の戦争では、人が死に過ぎていますな。この戦争に勝ったとしても、人口が減りすぎて国家としての体を成さなくなっては、元も子もありませんからな」
食後の紅茶が運ばれてきた。セファの前には、小さな食器にいれられたオレンジジュースが置かれた。それを手ですくって飲んでいると、アレクが言った。
「そうだ、セファくん、古代のエルフの癒しの魔法は覚えてないかな? エルフとしては不完全な、欠陥品である僕も、少しなら魔法を使うことが出来る。もしかしたら、サファイアくんの体調も少しは改善できるかもしれない。やってみようか」
「癒しの、魔法?」
アレクは右手を軽くあげて意識をそこに集中させた。すると手の平が緑色に輝いた。その手をサファイアにかざすと、サファイアの全身が強い緑色に輝き出した。元気を取り戻したサファイアは、うれしそうにくるくると回転した。
(ボク、元気! もう大丈夫!)
(そうなの? よかったね!)
セファもうれしくなって、アレクを見上げて感謝を述べた。
「アレク様、ありがとうございます!」
「いや、アレクでいいよ。それよりセファくん、もし戦場に行ってくれるなら、この魔法を覚えて欲しい。エドは明後日、戦地に向かうことになっているから、それまでにだ。君ならできる」
「は、はい、がんばります!」
驚きと疑いの入り混じった表情で、アレクの使う魔法を見つめていたエリスがぼそっと言った。
「アレク……、あなた一体、何者なの?」
「僕かい? 僕はエルフ族最後の生き残り。この城に来るまで、自分がエルフであることも知らなかった欠陥エルフさ」
そういうとアレクはにこっと笑った。
日が落ち始めて周囲は少し暗くなり、肌寒い風が軽く吹き始めていた。元気になったサファイアを撫でながら、セファはアレクの眩しい笑顔を、飽きもせずに眺め続けた。
(続く)




