第二十五話・謎の男、アレク・ド・アンティーク
石橋の前で一行は自動車を降りて歩き出した。執事長ダミーによれば、石橋は自動車が通れるくらいには丈夫ではあるものの、老朽化しているので念のために自動車乗り入れは禁止してあるとのことだった。
「城主様は、遺跡と化したこの城を管理・維持する見返りに、ここに滞在する権利を頂いています。ですのでこのような配慮は当然のこと。数年に一回の検査や修復も、我々は行っているのです」
「遺跡?」
セファは周囲を見回した。確かに記憶の中のハイデルベルク城と違い、所々が老朽化して崩れ落ちている。自分が以前ここを訪れてから、何年が経つのだろうと、セファは驚いた。
(あの崩れたレンガの様子から見たら、もしかしたら百年以上経っているかもしれない。でもそうしたら、さっきちらっと見えたコートの男性は、以前あたしがみた人とは違うのかしら?)
橋の下を眺めると、数メートル下は芝生が植えられている地面だったが、そこにも風化したレンガが転がっていて、なんだか物悲しい。橋を進み、時計塔をくぐるアーチの下に入ると、ダミーは左の壁に歩みよって、そこに設置された木製の扉の、巨大な鉄製のリングを動かし、コンコンと合図した。それを見たセファが呟いた。
「そのリングの傷……」
そう、その鉄製のリングについた傷に、セファは見覚えがあった。まだ、エルフの少女であった頃に、このお城を何度か訪れたことがあるセファは、そのリングについて一回だけ、説明をしてもらったことがあったのだった。
昔むかし、この城に住んでいた王が、「このリングを噛み切った者に、この城を与える」と、戯れにお触れを出しそうで、多くの者がそれに挑戦したが、誰もこのリングに、傷一つ付けることが出来なかったそうである。それを聞いて、このリングに挑戦するために訪れた悪魔が、結果的に噛み切ることには失敗したものの、小さな噛み傷を残した、という伝説である。
「ほう、セファ殿は『悪魔の噛み跡』の話をご存じですかな?」
「え、ええ……。先祖の記憶に少し」
「ふむ、先祖であるエルフの記憶、便利なものですな」
「えへへ」
舌をぺろっと出して苦笑いするセファ。先祖の記憶は確かに便利であるものの、逆に先祖が知らないものについては、全く想像もつかない、という弱点があることも、セファにはわかっていたからだ。さきほど乗った自動車についての知識などもそうだった。
と、少し待っていると木製の扉の向うで金属的な音がし、その直後扉がゆっくりと開いた。小さなその扉をくぐり、さきほど見たローブの男性と思われる者が、姿を現した。それは歳の頃は二十前後という感じの美男子であった。彼は優しそうな微笑みを浮かべて言った。
「やあ、みんなご苦労様。あれ? その二匹の小さな生き物は何だい? エリスの新しい発明品かな?」
男はセファに顔を近づけ、セファの頭の上からつま先まで、なめるように眺めた。
「これは……、光の衣装だね。失われたエルフの魔法の産物とは、興味深い」
困惑するセファに、城主アレクはさらに顔を近づける。
「燃えるようなオレンジの髪、洗練されたデザインの、半透明の光のローブ、そして滅びたエルフが最後の魔力をすべて使ってなしえた転生、その結果生まれたホワイトニンフ! すばらしい!」
両手でセファを捉えようとしたアレクの動きに気づき、あわててセファは後ろに飛びのいた。そんなセファの様子を見て、アレクがくすっと笑って言った。
「大丈夫、君はエリスが見つけたオモチャだ。エリスの許可なしに僕が君をどうこうしたりはしないよ。あはは、あははははは!」
心配そうな目でアレクを見つめるエリスが、じと目で口を開いた。
「アレク、全然大丈夫じゃないんだけど。セファを見て、あなたのテンションがそんなに上がるなんて、思いもしなかったわ。光のローブとか、ホワイトニンフって何なの? どこから得た情報なの?」
「どこからって……。僕のこれまでの経験と、昨日から僕の頭に響いてくるセファくんの声からだよ。実はね、僕にもあるみたいなんだよ、思考共有のスキル。びっくりでしょ? あはははは!」
セファはアレクの、あまりの笑い声の大きさに、たまらず耳をふさいだ。声が収まった所でセファは耳から手を離して、アレクに聞いた。
「なぜ人間のあなたが思考共有を持ってるの? 私の祖先の記憶には、思考共有のスキルを持つ人間なんて、一人もいないんだけど」
それを聞いて、はっとしたようにアレクは真顔になり、エリスとダミーの方をちらっと見た。二人が苦虫をかみつぶしたような顔をしているのに気づき、アレクはたらりと冷や汗を流しながら、深呼吸をして言った。
「ああ……、みんなにはずっと黙っていたんだが、僕は人間じゃない。エルフなんだ。みんな、エルフは滅亡したって聞いてただろ? 実はそうじゃない。エルフ最後の生き残りがいたんだ、それが僕なんだよ! あはは! あはははは!」
前のめりになり、おかしそうに腹を抱えて笑うアレク。一同はどこまで本気なのか冗談なのか、判断ができず困惑している。ひいひいと笑うアレクの笑い声がおさまり、顔をあげたアレクの顔には、涙が光っていた。
「僕はエルフ最後の生き残り、アレク・ド・アンティーク。エルフの転生の秘術のことは知っていたけれど、まさか今開発中のマナ発見レーダーがきっかけで、君と出会えるなんて思ってもみなかった。二百年後の未来へようこそセファ」
アレク・ド・アンティークと名乗った、このハイデルベルク城の城主と言われる男は、右手のひとさし指をそっとセファに差し出した。その様子を、口をぽかーんと開けて見守る一同であったが、セファだけは微笑み、右手をアレクの指に置いて言った。
「はじめまして。あたしはセファ。エルフの末裔にしてホワイトニンフの、セファ・オランジェ。よろしくね」
(続く)




