第二十二話・エルフの秘術
エリスと呼ばれる金髪の少女の口から出た言葉に、思わず口を挟んでしまったセファは、自分を見るエリスとエドの、痛いほどの好奇の視線を感じながら、この危機をどう乗り越えようかと考えていた。でも、これと言った名案は浮かばなかった。なぜなら、精霊の泉という隠された場所に、エリス達がたどり着くことはもう時間の問題であり、それに対してセファは、エリス達を足止めするための、何の切り札も持っていなかったからだ。
いや……、強いてあげれば、さっきの見張り役の精霊が言った、「コロス」、というカードも無くはなかったけれど、セファはそれを避けたかった。何の名案も浮かばないまま、唇を結び、悲痛な眼差しでセファは空中から二人を見おろし続けた。
「ふふん……、どうやら相当深い訳がありそうね」
エリスが探りをいれた。セファはゆっくりとうなずいた。
「わかったわ。ちょうどお昼だし、そこの木陰でお弁当を食べながら話をしましょう。と言っても、あまり時間があるとも言えない状況だけれど」
草原にまばらに生える木々のうちの一本をエリスは指さした。セファは再びうなずき、4人はそこで腰を降ろした。エドがカバンから取り出した弁当を、草の上に広げ始めた。
「サンドイッチが二人分しかないけど、君達のサイズなら、このくらいあれば充分かな」
エドは自分のサンドイッチの端を少し千切って、セファに差し出した。セファはおそるおそるエドに近づいて、サンドイッチの欠片をそっと受け取った。それを左手で抱え、右手で少し取って口に入れてみる。
「おいしい……」
「そう、それはよかった」
セファはサファイアにも差し出してみたけれど、サファイアはいらないとでもいうように、体を左右に回すだけだった。
「そう、あなたは泉のマナしか食べられないんだね」
エリスは、自らの発明品である携帯コンロでお湯をわかしてコーヒーを作っている所だったが、「マナ」、という単語にぴくりと反応した。
「泉の、マナ? じゃあ、やっぱり伝説は本当だし、この機械の効果も本当だったってわけね。で、あなた達はなぜわざわざ、私達の前に出てきたの? 目的は何?」
「そ、それは……」
少し時間がかかったが、セファは状況を簡潔に説明した。少し先に進んだ所にある泉は、多くの精霊たちの住む大切な場所であること、彼らは訪れる人間を殺してでも秘密を守ろうとすること、そうやってその泉の秘密はこれまで守られてきたらしきこと。一通り説明が終わるとエリスが言った。
「この平原で、人々が何度も行方不明になってることは知ってるけど、そういうことなのね。それで我がドイツ国民も、フランス国民も、このライン川沿いの平原は『聖地』として扱い、暗黙のうちにこの場所での戦争は、両国の間で避けられてきたのかも」
セファは何かの気配を感じて、ふっと空を見上げた。秋の風が雲を運び、木の葉の間を抜けてセファのオレンジの髪を揺らした。瞬間、セファの脳裏に、先祖の記憶がよみがえる。それは他でもない、かつてこのドイツで行われたエルフ対人間という、大戦争の結果滅んでいったエルフ達の一人、少女セファの記憶だった。
(燃えている……、あたしたちの町が燃えている……)
漆黒の夜を背景に、オレンジ色に燃え上がるエルフの家々。セファは母親に手を引かれ、多くのエルフ達と一緒に高台にある聖堂へと走っていた。遠くで馬のいななきや、誰かの悲鳴、何かが崩れる音などがしていた。
(聖堂に行ってどうなるの? なぜ大人達は戦わないの? なぜ魔法を使わないの?)
母親の手を強く握るセファ。その手を握り返しながら、母親が答える。
(これは、隠れ里に住む大賢者様の決めたことよ。人間の血で染まった、私達大人の力では、もうこの戦争を止められないの。まだその手がけがれていないあなたたちが、未来に行くことで、この戦いを止めるのよ)
(未来?)
二人は聖堂に着いた。
「賢者様、うちの子のセファです。よろしくお願いします」
「よろしくって……、お母さん?」
「さあ、こちらへ」
奥へ向かうとその部屋では床にサークルが描かれ、緑色の光を発していた。そのサークルを多くの大人達が取り囲み、そしてサークルの上には、少年や少女のエルフが、不安な表情で周囲の大人の顔を見上げていた。
「セファ、そのサークルの中へ。早く!」
「いやだ、いやだよお母さん。みんな何やってるの?」
「だまって言うことを聞いて。お母さんのために! エルフのために!」
ぽろぽろと涙をこぼし始めた母親を見て、セファは絶句した。セファもまた涙を流しながら、こくりとうなずき、サークルに向かった。先にサークルにいた少年少女達が、緑色に発光しながら透明化し、光の粒となって消えていくのをセファは見た。
(エルフ最後の秘術、『イムマー・ウント・エーヴィヒ』)
誰かの声とともに、セファの周囲を緑の円筒が包んだ。触れてみるとそれはガラスのように硬い。右手も、左手もまた緑色に輝き半透明化する。と、その時サークルの周囲の大人達から悲鳴が上がった。重鎧に身を包んだ人間の騎士団が部屋になだれ込んできて、太い剣をエルフの大人達に向けて、振るい始めたのだ。
「お母さん! お母さん!」
セファの叫びに母親は笑顔で答えた。
(セファ、私達は大丈夫。セファも未来でがんばって。さようならセファ)
母親に振り下ろされる大剣。その瞬間、セファの視界を闇が包んだ。
「はっ!」
気が付くとセファは草むらに座ってパンを両手で握りしめ、涙をぼろぼろと流していた。エリス、エド、サファイアが、自分を心配そうに見ている。慌てて涙を拭いて、何か言おうとしたけれど適当な言葉が思いつかない。
「だ……、大丈夫だから。大丈夫なんだから」
そう言いながらセファは再び涙をこぼした。
「精霊やマナを利用すれば、戦争を有利に運べるかもと思っていたけど、この様子だと難しそうね。戦争につらい思い出があるっぽいこの娘に、戦いを無理強いするわけにはいかないわ」
「そうだね。それに、泉に近づくと問答無用で人間を殺す精霊達……。下手をすると、フランス軍より厄介な相手になっちゃうかもしれない」
「そうね。でも時間をかけてここまで調べたんだから、何か手土産がないと……。そうだセファ、あなたとサファイアに、数日後に戦場へ向かうエドの護衛をお願いしたいんだけど、ダメかしら? もしOKしてくれるなら、お二人を私の住むハイデルベルク城へ、お客様として丁重にお迎えするけれど?」
「エリス、君はハイデルベルク城のただのお手伝いさんで、そんな権限はないだろ?」
ギロリ、とすごい目でエドを睨みつけるエリス。
「あるのよ。そんな権限を、私は持っているの。とはいっても、セファ達のことを城主様にお伝えするかは、少し考えないといけないけれど。どう? セファ、サファイア、できたら今すぐ返事を決めて欲しいのだけど。もしYESなら、泉のことは一切忘れるわ」
涙を拭きながら、サファイアと視線を交わすセファ。躊躇しながらも即断し、セファはエリスに告げた。
「わかりました。あたしとサファイアが、エドを全力で守ります。そのかわり、約束はきっと守ってね」
エリスはうなずいた。その眼が冷たくキラリと光ったが、その表情はどこか哀しげに、セファには見えた。
(続く)




