幸田露伴「新浦島」現代語勝手訳(9)
其の九
しなくて済むものではない。次郎は泣きながらも親夫婦の仏事を行うべく、近隣の浦人男女の手を借りて菩提寺の和尚を招くやら自分も読経するやら、万事つつがなく執り行い、いよいよ野辺の送りの段取りとなった。家を出て、山の方へ四、五町行った頃、棺を担ぐ輿舁の男が不思議そうな顔つきをして、
「何と、この輿、軽くなったような……、不思議なことじゃ」と振り向いて相棒に言えば、
「そうよ、俺もさっきからそう思うたが、そんなことはあるはずもないと黙っておった。言ってみりゃ、本当に空の輿を担いでいるのと同じ肩のこたえ方、これはただ事ではないぞ」と答える。その声を聞きつけて、婆の方を担いでいる後ろの輿の男、
「そっちもそう思うか、こっちの輿もまるで空のように軽うなって、肩にあるのもないのも分からぬくらい。なぁ、相棒そうではないか」と話を向けると、その相棒も
「ほんにほんに、けったいな出来事じゃ、何が何だか分からぬが、狐にでもつままれたんではなかろうか。何やら心底気味が悪うなった」と、蟹股になって、震えながら言う。
二つの輿の後ろから礼服の折り目も正しく、涙片手について行く次郎、これを聞いてどうにも心穏やかにはなれなかったが、途中ではどうすることもできず、咎も糺しもせず胸に納めていたが、目指していた澄月院という所に着き、本堂に棺を担ぎ上げさせ、そこに安置させると、しばらくしてから人の居ない部屋にその四人を呼び入れ、まず骨折りを労ってから仔細を尋ねると、ひたすら四人共口を揃えて、
「おかしなことではござりまするが、まったく輿が軽うなって、何か雲でも担いでいるような感じがしましたんで、不審がったということでございます」と言う。よくよくその通りに間違いはないかと念を押せば、
「どうしてこんなことにつまらぬ嘘を申しましょう」と答える。
「その昔、達磨が入っていた棺の中には沓だけが残っていたと言うが、それは後世の人のでっちあげ。しかし、また昔、お釈迦様は亡くなった後、駆けつけた母のために生き返り、金棺から片足を踏み出されたことさえあると言われているけれど、我が父母はこんなことを言ってはもったいないけれど、普通の凡夫であり、ただの女人でおられたものを、肉体だけを残して魂だけを身体から抜け出すことのできる「尸解」の術が使える仙人の化身のような不思議を起こせるはずもなし。つまらないでまかせを言って本当のことにしてしまおうとは、無礼者の集まり、今すぐこれは嘘でございましたと謝って、これ以上自分たちの罪を重くするな」と厳しく言えば、負けん気の強い忠次という若者、
「これはけしからんことを。仏に難癖をつけるのが我らの楽しみとでもお思いか。理由のない嘘事とはいくら何でもお口が過ぎましょうぞ。不思議だから不思議と言ったまで。論より証拠、ご自身で霊柩を担いでみれば分かること」と、真顔になって言えば、その後ろにいる三人も、口々に言われたことは承服できぬと言う。
次郎は怪奇な現象は信じない性格で、よしそれならばと、本堂に行き、自ら棺を動かしてみると、これはどうしたこと、その軽さは空っぽとしか思えず、さすがに道理一辺倒の次郎もギョッとして顔色を失い、しばらく腕組みをして考えたが、どうしてもこのままにしておけず、和尚にその訳を説明して、立ち会いの上で棺の上蓋を開けて確かめてみた。すると……、あらら、と叫んで二度びっくり。自分で筆を執って有り難い偈の数々を書いた経帷子、六道銭などは残っているが、主は脱殻の蝉となって、どこの上の雲に入られたか、かき消えたようにその姿はなかった。
おそらく生まれ変わった後に、よいことがあったのだろうと推し量られ、末世でのこの奇蹟は何と尊いことだと、和尚は数珠をつま繰りつつ南無阿弥陀仏の六文字をだぶだぶと唱える。ついに、仙界とのつながりがある我が家の証は、今はっきりとしたが、自分の凡眼は情けなく、ただ俗な世界の一漁夫とお見かけした父上、無学で何一つご存じない媼とお見かけしていた母上まで、早くから軽々と仙人への道を会得されて、その昇天の時を待つ間、戯れに魚を捕り、麻縄を撚り合わす毎日を送られていたのか。そうと分かっていれば、もっとしっかりとした気持ちで、ご存命の時にお教えを受けるべきだったと、今となってはこれこそまさに魚を逃がしてから網を縫うというたわけの繰り言となってしまった。
残り惜しさに次郎はよくよく目を離さず棺の中を見てみていると、経帷子の底の方から何やらチラチラと微かに光を放つものがある。これは何だろうと、帷子を引き出して調べてみると、白くて小さい、非常に美しい一つの舎利であった。母上の方にも、もしやあるのではないかと探してみると、果たしてまた一顆の舎利が残されており、これは紅の色鮮やかなものである。
和尚はいよいよ両手を打ち揃えて感激が止まらず、ありがたがって、即座に二顆の舎利を霊代と定めて追善供養の式を執り行い、遺骸のない棺を葬った。
長生不老を心得て、死んで死なない浦島家九十九代目夫婦のめでたさ、天からの便りも何もないので、どうなっているのかその後のことは分からないが、妙果を得て、天上での楽しみは尽きることなく、美しい宮殿でいつも通りの月を眺める生活で、西王母が住むと言われる瑶池に咲く花の陰で、美しい露の玉のような酒を飲み、仙人の家に実るという桃の実を肴に、永久に春風の吹く世界で清らかな幸せを享受されておられるのだろう。そんな二人を人も羨めば、次郎はなおさら父母が恋しくなった。ああ、自分も仙道を究めたいものだと、喪失感に襲われたようにぼんやりして漁にも出ずにいたが、厭な世界に揉まれ、和えられる自分の身の忌々しいのを思うにつけ、天上界に憧れ、また、中国の道士であった鍾公、呂公の包容力のある心の内をゆかしく思うにつけ、目に触れる人間に吐き気を催し、癇癪を起こし、家の門も常に閉ざして人には会わず、引き籠もった。
つづく