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幸田露伴「新浦島」現代語勝手訳  作者: 秋月しろう
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幸田露伴「新浦島」現代語勝手訳(5)

其の五


初めて聞いた我が家の由緒、親の次郎がただ喋っている間は半信半疑だったが、今この溢れんばかりに光り煌めく手箱を見て、子の次郎はこれは本当にと驚き、眩しさに目を細めながらつくづく見てみれば、箱と言っても金でも銀でもなく、瑠璃るり玻璃はり瑪瑙めのう硨磲しゃこ*などの俗世界に知れ渡ったものとは見えない稀に見る珍宝たから。水晶に似て五色の雲が乱れ交じったような模様があり、鼈甲のようでもあって真珠以上の輝きを含んでいる。琥珀もその美しさには比べようもなく、宝石も箱のつやに及ぶべくもない。美しく照り輝き、透き通るかと思えば、ぼうっとしてその裏は見えない。中国の富豪家、石崇せきそう、あるいは我が国の淀屋の蔵の中にもあるとは思えない不思議な神物しんぶつ。仙人の家の宝蔵ほうぞうから出たのでなければ、この世にあるはずもないと、これまで怪しげなことには決して首を縦にしなかった倅の次郎もたちまち折れて、その昔、『燃えない布や、堅い玉でも切ることのできる切玉刀などないわ』と言い張っていて、その後実際に現物を目の当たりにして、悔やんだという中国古代の王のような気分になり、呆気にとられ、おお、これは何と! と肝を潰した。


牡丹の傍には悪女は立てぬ、綺麗なものには変なものは近寄れぬの道理で、世にも稀な玉手箱を持とうとする手の汚さを恥ずかしく思ったが、恐る恐るに乗せてみると、その指触りは柔らかで滑らかで、ほんのり温かみを帯びている。いよいよ不思議だと思い、その蓋を開けようとすると、婆は急いで横から

「次郎よ、蓋は取るまいぞ。先祖代々、その蓋は皆まで取らぬと決めてある」と言う。

詳しくは判らんが、取るな取るな、と押しとどめるのを爺はまた笑いながらにそれを制して、

「婆どんや、倅に任しておけ。譲りものだから、あらためて受け取る者に任せるのもまた悪くはあるまい。さて息子殿、今語って聞かせた通りのこの家、確かにお前に渡しましたぞ。どれどれ、一筆譲り状にしるし加えておきましょうぞ」と禿げた古筆を取り出して、覚束なくも名前を書き終えると、にっこりとして、

「よしよし、これでこの世の用は済んだ。よいか、確かに渡しましたぞ、第百代殿、お受け取りなされて、また百一代殿にお渡しなさいませ」と言えば、倅次郎は三拝して、

「ご先祖代々の希有な宝、確かにお譲りくださいまして、ありがたくお受け取り申しました」と丁寧に正しくあいさつしを返し、これで譲り渡しと受け取りとが首尾よく完了した。爺も満足気な様子、婆も夫に連れ添うように満足してほくほくし、それ以降は酒で気分も和らいで、昨日にも増した一家三人の気分の盛り上がり様であった。


「死んでもだんない大事ない。良い一生の夢を見たわ。婆どん立ってみせっしゃい、二人で舞おうよ。永年二人仲良く寄り添って、こんないい子をに跡を取らせて、追っつけ極楽へ楽隠居。心に残る貸し借りも残さずに行く蓮の上。炬燵があったら二人でのう、潜り込んで寝そべって、たわいもない話でもしようよ。ハハハこんなうれしい、こんなめでたいことはまたとない。九十八代殿も俺等夫婦に家を譲られたとき、でかく酔われてさぎの真似して踊られたがの、婆どんあの時親父おやじのでまかせだらけの歌は最初何と言ったかの。むむ、違いない違いない『青天あおぞら、あおぞら、青天を白く染め抜く鷺一羽、一羽はどこさ飛んでた。海原越えて雲越えて、蓬莱山の山松やままつの枝に宿とまって此方こち向いて、わし情郎おとこはまだかやと首長くびなごうして待っている、影のさすのを待っている。あのお日様を背にって、この潮風にあおられて、一トひとのし伸して蓬莱へ飛んでいこうか待ちやろうに。海原千里遠くとも、碧雲あおぐも八重やえに隔つとも、いわな好いわな世は情けじゃに』と可笑しく歌われて、可笑しく踊られたのが、今でも目に残って面白い。先代殿が俺に譲られたときは婆どんなしの男が一人、俺は夫婦揃って世を譲る。また一段とめでたいめでたい。飲め、婆どんや、このでかいので。ハハハ半分はけてやるべい。立て、踊れ、息子殿や、盆でも叩いてくれやれ、えいとこな、足のよろけるのも面白い。ハハハハ、なに踊りも舞もあるものか、無茶苦茶に跳ねればそれで踊りよ、ぐるぐる舞えばこれで舞よ。『おもしろや舞い舞うに習わいで舞う鶴の舞い。三味はなけれど霞引く、鼓はないがなみの打つ、天水そらみず広きこのさとを我が物にして舞い遊び、幾春秋いくはるあきを楽しめり。いざや行こうよ青空に、羽打ち交わし舞い舞うて、つがい離れず蓬莱の島山陰に行きて暮さん』ハハハめでたいめでたい、酒ももう足りた。俺はもう寝る」と機嫌よく先に酔い倒れれば、婆もそこら辺を片付けて、爺殿の傍に添い寝した。しかし、寝られないのは倅の次郎。初めて聞いた我が家の由緒、初めて見た玉手箱の不思議さがいつまでも胸にちらつき、心は落ち着かず、身体は横にしても気が立って寝られない。あかにしの貝を油皿にした灯の下で、例の玉手箱をそっと開いてみれば、白い煙が細く立ち上っただけで、中には何にも見当たらなかった。これは不思議な……と思いながら寝たのだが、次の日起きてみると、もっと不思議なことが起こっていた。老夫婦は互いに添い寝し、生きているような顔つきではあるけれど、もはやその魂は呼んでも帰らず、既に天に昇っていたのだった。


*「硨磲」は共に石偏ではなく、王偏


つづく


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