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幸田露伴「新浦島」現代語勝手訳  作者: 秋月しろう
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幸田露伴「新浦島」現代語勝手訳(4)

其の四


干し網の影が鮮やかに焼き付けられた白砂に腹ばいになり、波に打ち寄せられた色とりどりの貝殻を玩具おもちゃにして育った次郎だったが、長く都会みやこ俗塵ぞくじんにまみれたため、心はこすく、身体は怠惰に染まり、てのひら肉刺まめもできず、爪も薄く柔らかになってしまった。しかし、故郷に帰りしっかりと根を下ろした生活を送るようになると、潮風に吹かれてすぐに元の次郎となり、を扱うことも覚え、竿をさす手際も心得た。


親の次郎に伴われて漁に出た時など、舟を繋ぐ入江の青柳の芽吹いた枝に釣った魚を通し、それを輪にして先に帰ったり、汗でびしょ濡れになった真夏には着ているものを岩の角に脱ぎ捨てて、がやるような水くぐりをして暑さを忘れるくらいにもなった。

舟の上での身の処し方もまずは一通り覚え、その翌日にはうんと早起きをして、父をいたわるように独り舟を出した。自ら櫓を取って漕ぎ、静かに水中に餌を撒いて、天を映した水面に半日はんにち黙座もくざしながら、世俗を離れた今の境遇をしみじみ味わった。日が暮れて太陽が傾き始める頃になると、何匹かの魚を釣り上げていて、棹歌ふなうたを知らぬ新米漁師は

「大公遠しわれまさに隠れんとす、赤鯉せきり何の書か腹中に在らん」と、即興の漢詩を吟じ、可笑しさをこらえながら家に帰ったところ、老夫婦はあらかじめ心づもりをしているけれど、いつも通り、この夜も酒を用意し、三人はともえの形に、昨日と同じように坐った。


見ると、家の中はきちんと片付けられており、父、母共に服を整え、何か仔細があるような雰囲気である。何かあるのでは? と次郎は訝しんだが、その通り、やがて父次郎はうやうやしげに一つの箱を取り出して傍らに置きながら、言葉静かに、こう切り出した。

息子殿むすこどのや、まず聞いてくれ。お前も首尾よく大きくなって、ひねくれ者にも育たず、今年二十五歳で立派な大人。しかも、親をしのいで学問もでき、先祖以来の天職である漁師になってくれるとは俺もお前のような子を持ってご先祖様にも鼻が高い。そこで、婆どんとも相談して、今日は吉日ゆえ、身代をお前に譲って俺等夫婦は隠居してしまうつもり。俺一代の役目を今日済ませてしまうのが俺の喜びだ。何とか俺もこのうちに傷を付けるようなこともしてこず、九十九代目を満足に勤めおおせたから大安心だ。お前にはまだ女房がないが、去年俺等夫婦が世話を焼いて、良い縁だと思って組ませようとしたのも受け付けなかったくらい、お前の考えは老人としよりの俺なんかの考えとは違っている。これは、お前が物知りで、俺等が読み書きもできないから違うのだろうと、今では世話を焼く気もないが、第百代目の役目として、家の血筋の絶えぬよう、近いうちに気に入った女がいたら、何でもいいから女房に持って、俺がお前に身代を譲る通りにお前もまた跡継ぎの倅に譲ってくれ。今まではちっとも話さなかったが、譲るものもないこの身代でも、家は由緒ある古いうちだ。俺が譲られたときの通り一応話すから、よく聞いて記憶おぼえて、またお前の子に俺が話すとおり話してやれ。お前は色々な本を読んだことだから、きっと知ってもいようが、昔、浦島の子と言って、水ノ江にいた漁師があった。俺の先祖はその弟。ところが、世間に名を知られた兄の浦島は世に伝えられた話の通り、亀の命を助けてやった仁徳のお陰で龍宮に案内され、龍王の娘に惚れられて、今日も明日もと歓楽のくにに引き止められた。しかし、故郷への思いは忘れられず、一旦帰ると思い切って言い出して、玉手箱をもらってきたが、その時はすでに何百年*も経った後だったので、水ノ江の様子もすっかり変わっており、知った人もまったくいなくなっていた。太郎殿はもちろん、浦島家の跡取りではあったが、かかあもまだないうちに龍宮へ行って、長い間便りもなかったので、俺たちの先祖の末っ子殿が家を預かって女房も持ち、漁の都合でこの九世戸に早くから移って住んでいた。そのため、龍宮帰りの浦島殿もそんなことは知らなかったので、迷い出して玉手箱を開けたのだが、雲のようなものが出た途端、歯もぶらぶら、髪も白々と三、四百年*経った本来の顔になってしまったそうな。世間ではその後のことは語られていないが、さて、その老いぼれた浦島殿は、その時忽たちまち『ああ、そういうことだったのか』と合点が行き、それから曲がった腰を伸ばし伸ばししながら磯にいた漁師に老釣竿ふるつりざおをもらって、杖代わりにしながら、近江路、美濃路と少しずつ名山を探して信濃に入り、信濃の寝覚ねざめとこというところにとどまった。龍宮の栄華も一夜の夢のごとく、跡もなく香りもなく、人の富貴ふうきなど氷柱つららが溶けない間だけキラキラ彩っているようなもの、雪の塊に刺繍ぬいするみたいなものだと悟り、その後は静かに岩穴の主人あるじとなって、飢えれば木の実やキノコを食べ、渇いては石の狭間から湧き出る真清水を飲んだりして、その身をゆだねておられたそうだが、そのうちにとうとう仙人になり、日の出る国から日の入る国まで、雲の上の世界から地の下の世界まで、一目で見えるようになった。岩の中を通り抜けたり、霞の上で遊んだりするようにもなって、神通力を自在に操り、心やすく生活していた。しかし、仙人となっても縁には引かれるものを見えて、また龍宮へ渡ると決心したとき、杖にした釣竿の切れ端に手紙を封じ込め、例の玉手箱に添え、召使いの仙童せんどうに持たせて、自分の肉親の弟が九世戸にいることを神通力でもって知り、こちらの先祖殿に置き土産として龍宮に行かれたのだが、それきりでその後のことは知るよしもない。だが、それまでの経緯だけは手紙に書かれてあったと先祖代々形見の玉手箱と共に伝えたという。ただ、惜しいことに、五十代目の次郎殿が何があったのか、その手紙を持ったまま行方知れずとなったので、手紙は今はなくなっているが、その代わりに、またその五十代目の次郎殿が譲り状というものを書き始め、それが今ではこれを釣竿のその筒に入れて仕舞ってある。次郎、よく見よ、これがその譲り状。これの初めになにとか五十代目殿が書いてある。これに俺も九十九代目として、一筆記ひとふでしるしてお前に渡す。これがすなわち玉手箱だ。と、塵埃ほこりまみれの外箱の蓋を取り除け、二つに折られた例の釣竿の片端が入った小箱を取り出す。次郎は目を離さずジッと見ると、中にある一巻の巻物の初めには、なるほど、ずっと昔の筆使いと文体で、今父の話した通りのことが細かく記されていた。第五十代より一代一代、代々の名が署名されており、疑わしいところはまったくなかった。さては、自分は本当に仙人の血筋の家に生まれたのかと思っていると、父はなおももう一つの箱を開けた。中には玉手箱かと聞かなくても判るくらい今まで見たこともないような光りを煌めき放ち、一瞬にして家の中が明るくなった。次郎はうっとりとしてしまい、言葉も出ず、思わず後ろに身を反らせ、こ、これは夢ではないのかと驚くばかりであった。



* この現代語勝手訳の底本は「新日本古典文学大系 明治編 幸田露伴集」で、*の部分は「何十年」、「三、四十年」としているが、他の本(例えば、筑摩書房 「文豪怪談傑作選 幸田露伴集」などでは、「何百年」、「三、四百年」となっている。

(「新日本古典……」の脚注にはその理由が書かれているが省略)


筆者としては本来「新日本古典……」を底本としている以上、その通りにするべきであろうが、「何百年」等の方が妥当ではないかと判断し、この部分は「何百年」、「三、四百年」の方を採用した。



つづく



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