幸田露伴「新浦島」現代語勝手訳(3)
其の三
久しく会わなかった我が子が無事に戻ったのを見て、老夫婦の喜びは例えようもなく、右から左から取り付いて、
「おお、まあ達者でいてくれたか」、「よう戻ってくれましたぞ」と満面の笑みをたたえ、ほくほく喜び、「ああ、ありがたい、ああめでたい」と、立ったり坐ったり、舞を舞うように膳を出し、酒を出す。肴を出す順番を間違えたり、焼き物を真っ黒に焦がしたりするが、それでも水入らずの内輪同士は、「おやおや」と軽く呆れるくらいで、
「婆どん、これはどうしたことだぁ、アハハハ」と笑い声が起これば、やり損なっても叱られず、下手をやっても責める者もなく、何もかも笑いの中に収めて、その夜は更けるまで親子三人の賑やかな話が尽きなかった。特に今年は去年と違って、倅の次郎が心穏やかに、難しい顔つきもせず、難しいことも言わず、すっかり打ち砕けて角が取れた態度であった。親の気に入るように話せば、遂には行ける口の爺どのも婆どのも、桃の花のような顔になって、波の音が絶えない浜辺育ちらしく声も勢いづいて、
「のう、婆どん、そうではないか、我らほど世渡りが上手な者はないよなあ。思ってもみなさい、春は霞がたなびいて、蓬莱山もあの中にあろうかと思われるぼんやりとした海面に出て、吉野の桜は知らないが、桜鯛を釣る良い時候の風に吹かれる心持ち、舟の中では一人天下。陸では犬が咬み合うか、人が喧嘩するか泣くか喚くか、そんなことは知らん構わんの極楽にいるのも同じこと。はばかりながら小舟の中では陸上での王様と違いはない。夏は風がよく通る大座敷に鬢の毛先まで涼風にあおらせて、懐にも袂にも、そう、ギスギスした人間関係にあくせくしている人たちに差し上げたいくらいの良いものを持っているわさ。秋か、秋ならなおさらこっちの世界が良いに決まっている。魚は肥える、酒は美味くなる。漁を終えて帰る頃になると、靄が家を包んで、浜辺に立つぼろ家の屋根だけ見えて、白雲の中を漕いでいるようなとき、碧空にぬっと月が顔を出す、雁の奴らが鳴きながらどこかへ行きよる、何となく気がすっきりして、骨がしっかり硬くなる、そんな言葉では言い表しにくい心持ち。家に帰ると、ビクなんぞ放り出して、露ができるほどの寒さの中で、五、六杯引っかけた勢いに乗って、窓から射してくる月の光に、顔でも腹でも脚でも照らされながら、夜中まで大の字になって寝るさ。俺がやっている半分のことでもしてみろ、歌か『ぬた』か知らんが、下手な歌を詠む奴らなら、風流を絵に描いたような、でっかい法螺を吐くだろう。ハハハハ……、雪が舞い散る冬に蓑を着て釣る姿は襖によく描かれているほどいいもんではないが、それでも獲物が獲れれば寒いも何もありはしない。のう、婆どん、身体さえ元気でおればいつも幸せ、俺等みたいな生き方ほど羨ましいものはありはしまい。ええか、陸で出世した人が馬に乗る、こっちは始終舟に乗る。陸で金持ちが遊びをする、こっちは始終遊んでいる。木の葉の飛ぶ時分、風巻が激しく、海鳴りがして恐ろしくなっても、山陰なり岩陰へなり逃げてしまえばそれっきりのこと。陸の奴らが欲得ずくの険しい山にしがみついて動きもできず泣いているような厭なことなどはない。俺は学問には縁がないが、そんなことは孔子様が転んだか、達磨様が寝たか、釈迦殿が起きたかみたいなくだらないことだ。漢字だってひらがなにちょいと毛が生えたくらいのもんだ。頭の良い奴だって、蜜は甘く、御百草は苦かろう。それなら違ったことはねえ、働くだけ働いて、寝るだけ寝て、夫婦仲良く、親子かばい合って、寿命が尽きたら死ぬばかりだ。学問したって、別段いいことがあるわけでも不思議なことが起こるわけでもなかろう。誰でも知っている算盤の『二一天作三一、三十の一』、その他の道理があったら、それはきっと悪魔の支配する国の話に違いない。こう決まってみれば、ムカデの脚が多いのも、蛭に脚がないのもおなじことなのにご苦労なこったわ。門の柱を高くしたがり、楣の切れ端に彫り物をしたがり、指に金の指輪を嵌めたがったり、苗字の上に無駄な長ったらしい肩書きを付けたがったりするのは余計なことだ。鬼瓦がお天道様に食らいつきそうに聳え立った家に住んでも背が高くなって、力が出てくるでもあるまい。妾を囲ったり、盆栽を並べたりしたところで、精をつけるために無駄に卵でも余計に喰らうくらいのものだろう。アハハハハ……、漁師で沢山だ、俺の一生は。飴売りで沢山だ、あの与平次は。お桑婆さんは蚕様さえいじっていればいい。婆どんや、俺の婆どんは俺の女房で沢山だっぺぇ。ずいぶん若いときから可愛がってやったものなあ。ハハハハ……、どうだ倅、これ、次郎やい、汝も漁師になりたいというなら漁師になってしまいな。何でもやってみないことには絵に描いた女と同じで、話にならんぞ。そりゃあ、漁師だって良いことばかりではないのは決まっているが、これまた洒落っ気のあるもので、結構これで足りるものよ。先祖の浦島太郎殿から俺まで、丁度九十九代、こっちの家は漁師宗というものだわ。第百代の汝もやっぱり漁師になりたいと俺が教えたわけでもないのに思い付くとはな。これはやっぱり俺の身から得た種子に違いない。ハハハハ、漁師はいいよ、本当にいいよ。俺は王様にされたって、冠を叩き投げて、逃げてきて、蓑笠かぶって蘆の中に舟を隠す料簡だわ。婆どんや、笑いなさんな、俺は酔ったか。そりゃあ酔いもするべえ、五郎八で十と、……えーっと、何杯飲んだか、ああ忘れたわ。ハハハハ……」と高笑いの上機嫌の大元気。黙って聞いていた息子の次郎も思わず大声でワハハと笑った。
つづく